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第186話 舞い降りた戦乙女 ①


 タイモール大陸では北へ行くほど冬の訪れは早く寒さは厳しい。年中を通して比較的温暖と言われるアルメキアでもそれは同じだ。エストに別邸を建てる貴族がいるのも避寒地としての意味合いが大きい。

 なにしろ、ノルトラントの最北端ともなるとグリノスと国境を接しているものだから、冬もしくはそれ以外の季節、という分類しか存在しない北国からの寒風は容赦なくアルメキア北部の民に吹き付ける。グリノスの民なら“今日は暖かいね”と談笑の種にしたに違いない気温であっても、南方に近い生まれのラウルは思わず羽織った外套の襟を立てずにはいられない。竜王によって強化された肉体は多少の温度変化はものともしないはずなのだが、周辺の村人が寒さに身体を縮めながら働いている光景を見ると見ているだけで寒気を催した、というところであろう。また、そうでもしなければ防寒装備を必要としない人間として奇異に見えてしまうことも考慮しなければならなかった。


(寒い!……よね?)

(北風の風速があがれば体感温度はさらに低下するはずです。本格的に寒くなる前に調査が開始できたことを喜ぶべきですね。ただし、これ以上の気温低下は主様ぬしさまに影響がなくとも、交通に支障が出ましょう)


 営業を再開した即席鍛冶屋の客が途切れた合間をぬってラウルはオトヒメと心の中で会話をしている。降雪や凍結の影響次第では地上を駅馬車で移動するにも限界がある、と彼女は言う。彼女の計画では飛竜を手懐けて移動手段にするつもりだったのだが、飛竜はおろか竜の一頭すらアルメキアには見当たらないのだ。この件も含めて、竜王とその眷属には現実世界の認識に欠けている部分が多々ある。


(消えた竜の足取りを追えば移動手段の確保につながるかな?)

(大いにありますが、あるかないか分らないものの捜索に尽力するよりは、耳を伸ばしておいて手近なところから手をつけることにされた主様の方針を支持するところです)


 使命の旅の段取りについてオトヒメは思うところを述べた。耳を伸ばす、とは注意深い兎のような表現だが、これは探検家のエルザ=プーマや骨董店主にして元諜報員のマグス=シュミートに情報収集を外注していることを指す。


(竜王様も全知全能ってわけじゃないんだね)

(竜族の行方はともかく、竜の祠の現状を事細かに把握されていたら今頃タイモールは火の海ではないでしょうか?人間どもが何人消し炭になろうともオトヒメは一向に構いませぬが、主様はお困りでしょう?)


 困る、どころの騒ぎではない。

 賢しらな糞虫共が増長しおって、と人間を罵る竜王の様子が容易に想像がつくのだ。さらに、リンからもたらされた情報によれば、竜王が眠りについているとされる場所は“竜王墓”であり、オトヒメが言うところの“竜王御寝所”と異なる。寝ている間に死んだていにされてしまったことに加えて、竜の子に力を与える竜の祠を片端から棄損されている現状を知られたら、そのときこそ竜王が言っていた全人類を対象とした定期清掃が開始されることは間違いない。

 ラウルが竜王の命に唯々諾々と従っているのも、ひとつには命を握られていることが大きいのだが、自分が竜の子として間に入ることで竜王による無差別殺戮を思いとどまらせることができまいか、という淡い期待を持っていることによる。むろん、神である竜王に対して嘘やごまかしは通用しないから、実直に丁寧な調査の結果を報告する必要があった。

 そのために、ガンテ村の村長が起床して事情聴取できる態勢になるのを待っているのだ。


「おつかれ、ラウル君」

「あ、どうも。村長さんはお目覚めですか?」

「お孫さんの介助で食事中だよ。無理に起こすのもよくないし、気分よくお話してもらわないといけないからもう少しの辛抱だね」


 ラウルに労いの言葉をかけたのはエルザである。

 彼女は持っていた木の椀に盛られた煮込みとパンを渡すと自分の分を取りに村長宅へ戻って行った。ガンテ村には宿泊がないから、一夜の宿を求める人は村人と交渉して空き部屋を借りるか、ほとんどが客間のある村長宅の客人になる。慣れた様子からエルザのガンテ村滞在は初めてでないことがわかった。


「私も一緒に食べよう」

「こう冷えてくると温かい食べ物は何でもご馳走ですね」


 つい先ほどまでラウルの目前で携帯式の炉に火が入っていたので軒先はほんのり温かく、たとえ肉類が大量に入っていなくとも冬のあつものは心身に沁みる。温度の高い汁物をふいて冷ましながら二人の会話が弾んだ。


「うんうん。それにしても、ラウル君は今日到着したばかりなのに、すっかりガンテ村に馴染んじゃったね」

「おかげさまで商売繁盛ですよ。まあ、儲けるつもりはないんですが、評判が良くてけっこうな商いになりました」


 これは放浪の徒弟と称して営業した臨時鍛冶屋のことだ。

 

「あれだけ喜んでもらえたところをみると、ラウル君の鍛冶技術は実用段階なんだね」

「少なくとも鍋釜や包丁、農機具は満足いただけたみたいです」


 あくまでも田舎鍛冶、ここに銘刀や名剣を研ぐような鍛冶師としての眼福にあずかれる仕事はありそうにない。ついでに言うなら冬の訪れが女性の夏物をタンスへ追いやったためにスケベの眼福をする機会も失われていた。冬服や外套の存在はラウルにとって憎むべき存在なのだ。


「そうだ、リンちゃんは?一緒じゃないの?」

「ああ、えーと、自分の用事を済ませる間にクラーフの仕事で王都とポレダを行ったり来たりで忙しいみたいです。王都を今朝飛び立ったとしたら、もう近くまで来ていると思いますよ」

「リンちゃんじゃないとダメなの?連絡で飛ぶだけならクラーフにも鳥系亜人の人は大勢いるわけじゃない?」

「ほら、例の武装商船計画がいよいよ大詰めなので、事情を知っている商会の人間としてはリンが適任なんですよ」


 そこまで言ったラウルはあることに気付く。

 東方諸島へ出る船便が再開されればエルザの調査範囲も拡大することを意味するのだ。


「エルザさん、調査費用は足りていますか?足代だけでも相当出て行ったでしょう?」

「そうだね。預かった金貨はまだ崩してないけど」

「小銭があると便利なんですね?」


 ラウルは本日の売り上げをかき集めてそっくりそのままエルザに渡す。


「いいのかな?」

「大きい町じゃないと金貨は使いにくいでしょうから」

「助かるよ。受け取り書かなくっちゃ」

「いりませんって。それより、足りなくなった時にどうするか、方法を考えておいたほうが良いかもしれませんね」


 調査費用に糸目をつけるつもりはないし、エルザが使い込む可能性など薬にしたくもない。余分に持たせているのは信頼の証に他ならないのだ。

 それに、手持ちに加えてジーゲル家から預かった金貨銀貨のおかげでゆとりをもった調査旅行が可能になっているエルザだが、彼女とて貯蓄はある。探検家としての成果は金貨の山になってクラーフ本店地下の大金庫に保管されているので、王都までたどりつけさえすれば自由に使うことができた。

 畢竟ひっきょう、問題は遠隔地や国外にいた場合の軍資金補充ということになろうか。


「うーん、大金を持ち歩くのは賢い人のすることじゃないんだけどな」


 エルザの言は個人の安全保障に関する金言である。さらに、金融機関や通信手段が未発達の世界において取りうる手段が限られていることを考えれば頭の痛い問題だった。


「クラーフの支店があるところなら、大金庫の中身を担保にしていくらか用立ててもらえるんですけどね」

「えッ、なにそれ!?」


 エルザが驚くのも無理はない。

 借り出しの証文だけがクラーフの空輸便で宙を飛んで、本人は現地に居ながらにして現金を受け取る仕組みは金庫の中身を担保にした新しい信用の創造とでも言うべき代物だが、この世界においては画期的発明に属するだろう。


「えへへ、便利でしょ?」

「私も使わせてもらえるのかな、それ」

「もちろん。エルザさん、かなりの額を大金庫に預けてましたよね?」

「え?ああ、まあね!」


 話はラウルが初めて王都を訪問した時にさかのぼる。正確には、巨大蜘蛛魔獣の素材を換金した後のホクホク顔を同伴していた彼に目撃されたのであった。エルザが素材を換金した場にもいたし、素材の運搬を手伝ったのも彼なのだ。

 つまり、借り出し業務の顧客になる前提として提供しなければならない担保は十二分にある、ということである。


「今はまだ試験段階ですけど、すでに大手の商会や工房から引き合いが来てますよ。まず、クラーフ本店で大金庫の契約をして魔法道具を受けとります……これなんですけど」

「ちょっと豪華な筆記用具にしか見えない……あ、複写になってるのかな?」


 つづられた用紙には金額と日付を記入する欄があり、最後に署名欄と謎の空欄がある。用紙の一番後ろは借り出した日付と額の一覧表になっていた。


「それが大事なんです」

「保安措置だね……空欄は暗号かな?暗証番号かな?」

「そんなところですね。オレの場合だと大金貨一枚に相当するお金と同じなんですけど、そうは見えないでしょう?」

「ひゃあ!ラウル君もけっこう稼いだね」


 ラウルの出世を祝うエルザの言葉に皮肉は含まれてはいない。彼女はラウル英雄化計画の初期から参加しているが、国王との謁見の模様までは知らされていないのだ。


「ええ、まあ、何と言いますか、国王陛下からご褒美をもらったりして、それも領地の経営や使命の旅の調査費用で消えてしまう見込みなんですけど……」

「領地?」

「現状は自宅周辺のことです」


 その領地には現在ミルイヒ=ヘーガーが新しい店舗兼住宅の建設用地を下見するべく訪れているのだが、それこそラウルにとっては知らぬが仏であろう。

 

「オレが預けている額だと、何か大きい買い物をするのに一回使うだけになるかもしれませんけど、それにしたって安全でしょう?」

「うんうん、そう思うよ。金貨袋を持ち運ぶことに比べたら危険が比較にならないもの。野盗の皆さんには悪いけどね」


 駅馬車襲撃の旨味が減ることになる野盗を気の毒に思う必要はさておき、エルザはラウルが持つ手帳のような道具から目が離せなかった。

 後世においては、もう少し洗練されて当たり前のように普及している決済方式なのだが、その根源に関しては意外と知られていない。経済史の専門家やクラーフ商会の後身となった企業において社史を編纂へんさんする業務に携わった者は、クラーフが飛躍的成長をとげるきっかけが特定の時代、それも一時期に集中していることに気付く。現金を持ち歩かない決済方法もそうだが、海上輸送の安全性を高めた武装商船の発案もラウルの使命の旅と密接な関係があるのだ。

 もっとも、この時期のラウルに社会の変革者のごとき自覚は露ほどもない。エルザは彼を中心に金貨が渦を巻いているような錯覚に陥るのだが、彼自身は快適で安全な旅を求めているに過ぎないのだ。


いつもご愛読ありがとうございます。

ラウル君はアイテムボックスやワープ魔法をご存じないので、移動や運搬は面倒続きです。そのなかで編み出した知恵がやがては大商会の収益になり、回りまわってラウル君の元へ金貨になって帰ってきやしないか、なんて都合のいいことを考えています。

徃馬翻次郎でした。

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