第15話 初陣 ⑦
ラウルはスケベから遠く離れた思考をしていたのだから、たとえ思考の内容を他人に読み取られたとしても慌てる必要はない。慌てたのはリンの顔があまりにも無防備に幅寄せしてきたせいである。
「な、ナニ?」
「うーん、めずらしく考え込んでると思ってさ」
「そ、そうかな」
「どこか痛む?」
「いや、ハイ、大丈夫デス」
「ほんと?」
リンはおせっかい半分だが本気で心配していた。スケベ妄想中や美女追尾中のラウルは見慣れているから間違えようがない。必死になって“スケベの可能性と今後”について考えていた可能性もあるが、それにしては表情がいつにもなく真剣だった。それで怪我を隠して辛抱していたのかと思ったのだが、どうやら違うらしい。
最後には幾分晴れやかな表情をしていたので、それ以上追及するのをやめた。慌てて声が裏返ったり、敬語が混ざっている点は怪しいことこのうえないが、久々にラウルの表情からとげとげしいものが取れた瞬間を見たことのほうがリンは嬉しかった。
二人が話していると、坑道から衛兵隊の面々が引き揚げてきた。全員がかすり傷程度の軽症で、意気揚々と登ってくる。そして、衛兵の一人が元気よく安全を宣言する。
「みなさん、エスト第四番坑道は安全です!魔獣は全て討伐されました!」
「ラウル!」
「やった!」
再び坑道入口周辺をひときわ大きい歓声が包み込み、今日一番の陽気な盛り上がりを見せた。重軽傷者多数を出した大事故は日付がかわるまでに一応の終息を見ることができた。負傷者や後始末のことを考えると手放しで喜べるものではないが、一区切りついたことにかわりはない。
(最後はちょっとしまらなかったけどな)
徐々に引いていくざわめきの中でラウルは残念な気持ちをかみしめていたが、まず隊員みんなの無事を確かめてからだと、安全宣言をした衛兵をつかまえて尋ねることにした。
「あの、すいません。みんなは」
「おお、君もご苦労さんだったね」
「はぁ、どうも」
「みんな無事だよ。隊長と検証中とかで中にいるから行ってごらん」
今日最も聞きたかった言葉が帰ってきた。衛兵に礼を言い、ラウルはリンを伴って再び坑道最奥部を目指すことにした。
みんなと一緒になって喜んでいたブラウン男爵が作業員を呼んで何事か指示している。現場検証と巨大蜘蛛の解体が済み次第、坑道を封鎖する予定なので今のうちに採掘道具を持ち出すようにとのことだ。男爵が所有する坑道内に遺棄されていたのだから、男爵の財産として押収もできるが、どうやら作業員に返却するようだ。
もともと採掘道具は貸与品だから作業員のお財布事情には全く影響のないことだが、新品よりも手になじんだ道具のほうが良いという作業員も多く、男爵の決断は大歓迎で支持される。巣袋にされていた作業員たちは回復中なので、崩落部分の撤去作業に従事していた作業員たちが代わりに採掘道具を運びだす。並行して魔獣の死骸を木箱に詰めて搬出する作業も始まり、エスト第四番坑道はにわかに活気を帯び始めた。
坑道を下りながら、ラウルはもう安全だとリンに説明したのだが、リンも坑道は生まれて初めて、戦闘も標的相手を除いて未経験のお嬢様は魔獣の死骸や戦闘の痕跡を目にするたびに身を固くするか小さい悲鳴をあげる。
(しかたないな)
いちいち相手をするのが面倒なので、ラウルは自分の手を差し出してリンに掴ませたが“しかたない”どころではない。リンが妹分なら兄貴分として守ってやる義務がラウルにはあるだろう。おまけに、ラウルは両親や冒険者部隊と一緒に入って守られながらの坑道探索だったことをすっかり忘れている。
それでもリンは安堵したらしく視線こそあちこち動かしているが、足取りはずっと確かなものになった。ところが、直線通路にうずたかく積まれた大量の焼却済み魔獣のところでは、さすがに足を止めて説明を求めてきた。
「な、なにが起こったの」
「父さんと母さんが暴れ、あー、頑張った場所だな」
「魔法?」
「主に人力だ」
「まさか」
「そのまさかだよ」
ジーゲル家と交際する過程で、夫妻の前職は冒険者だったらしいという程度の情報は得ていたリンだったが、これは想定外だったらしく、なおも信じがたい様子だったので、ラウルはジーゲル夫妻の舞踊を戦闘後に発生したいちゃつきを省略してリンに説明した。
再び歩き出しながら、もう一度ラウルはリンの手を取った。うっすら汗ばんでいるのは緊張からかそれとも両親への畏怖か判断がつきかねるラウルだったが、あともう少しと声をかけてリンを先導した。
(黙っちゃったけど大丈夫かな)
やっと兄貴分らしい気配りを見せ始めたラウルだが、そのころには目的地の最奥部に到達していた。ひょっとして具合が悪いのではないかと、ラウルは例の便所を案内したが、リンは便所と称する扉をちらりと見ただけで丁重に辞退した。
遺跡内では力尽きた巨大蜘蛛が頭を床に突っ込む形で絶命している。昆虫の蜘蛛が絶命した時のような、脚をくの字に曲げて腹を見せる態勢でなかったのには、ラウルだけでなくリンも意外な気がしたが、ともあれ脅威は去ったのだ。
戦士兄弟が巨大蜘蛛の状態を調べているのは、素材として売り物になるか見ているのだろう。素材売却益は一旦男爵の収入になる予定だが、牙や眼球等に代表される希少素材の状態次第では追加報酬もありうると見込んでのことだ。
ラウルは“不能”のせいで魔法素材を扱うことがなかったから、どの素材が誰にいくらで売れるのか、買うとしたらいくら必要になるのか、今までさっぱり興味がなかった。
しかし、このままではジーゲル夫妻が考えているような魔法鍛冶ができる職人と共同経営する計画すら成り立たない。魔法素材を言い値で買うのでは利益は薄く、共同経営者に頭が上がらない。それが嫌なら普通鍛冶か鍋釜修理の専門業者になってしまう。
(魔法素材の目利きか。うーん、わからん!)
一方、魔術師の師弟と治癒師は作業台と本棚を調べている。何が興味をひいたのかは全く分からないが、寸分を惜しんで知識を吸収しようとする姿勢は見習うべきだとラウルは思った。調査内容や情報収集の成果を何もかも共有してもらうわけにはいかないだろうが、エスト村滞在中に訪問して教えを請えば、少しは披露してもらえるかもしれない。
(よく考えたらみんな先生みたいなものじゃないか)
これは今までのラウルには無かった考え方だ。どうせ“不能”だからと、魔力が少しでも絡んでくる問題は避けて通ってきたのだが、“強さ”を求めだした今はなにもかも新鮮に見える。
リンはどこかで魔術師の師匠を見た記憶があるらしかったが、思い出せないでいる。
考えるのは後回しにしてもらって、まずはリンをヴィリー隊長とエルザに紹介して、救護班の対応と成果について報告する必要がある。
ジーゲル夫妻とエルザ、ヴィリー隊長は四人で額を突き合わせて相談中だった。割り込む形になってしまったが、ラウルは作業員が確実に三名助かったことを報告する。
「まあまあラウル、がんばったわね」
「よくやったな、ラウル」
両親から口々に褒められてやっと役にたてたという充足感を味わったラウルだが、まだ仕事が残っている。リンを紹介して救護班について説明した。エルザはほっと胸をなでおろし、冒険者部隊の奮闘が無駄骨に終わらなかったことを素直に喜んだ。ヴィリー隊長はリンと握手して、くれぐれもお父様によろしく、と声をかけている。たしかに救護班の成功はクラーフ商会の全面協力があってこそだ。
次に、ラウルは水筒をエルザに、回復薬の入ったカバンをヴィリー隊長にそれぞれ返却した。水筒は返却以上の意味はないが、カバンのほうは返却以上の意味が大ありだ。なにしろ今回の騒動が計画ずくだったらしいことを示す証拠書類がつまっている。
一仕事終えて一息ついていたエルザは喉が渇いていたのだろう、早速水筒に口をつける。
その途端ラウルの目が怪しく光った。
(こ、これは今一口下さいとお願いすれば当初の計画通りではないか)
性懲りもなく変態気味のスケベ精神が勢いを盛り返し、エルザとの間接キスもしくはそれ以上の成果を狙ったラウルは、よこしまな根性丸出しで水筒を所望しようとした。
「あの、エルザさん、オレにも」
「お水?ごめん。全部飲んじゃった」
「そうですか……」(なんてこった)
もはや水筒だけを寄こせとは言えない。神は変態スケベ計画を許さなかったようだ。それどころか、ラウルのけしからん変態精神を叩き直すべく、恐るべき運命のいたずらを作動させた。エルザが戦士兄弟を呼び寄せたのである。
「水残ってる?」
「もう別にいいですよ」(よ、よせやめろ)
「俺はもうない。兄者?」
「まだ少しある」
「エッ」(そんな馬鹿な)
「ラウル君にわけてあげて」
「さ、どうぞ若」
「アリガトウゴザイマス」(ちくしょおおお)
どうやらオレは若旦那か若大将に昇格したらしいとラウルは思ったが、同時に熊系亜人戦士の兄との間接キスを余儀なくされた。観念して涙目になりながら水筒をおしいただき、水を美味そうに飲んで見せてから丁重に水筒を返却する。
「ラウル君」
「は、はい」
変態スケベ計画が露見して説教されるのかとラウルは誤解したが、ヴィリー隊長の話は回復薬の入ったカバンについてだった。
「巨大蜘蛛との戦闘中に損耗したことにするから、もらってくれてかまわないよ」
「そんなことできるんですか」
「書類を一枚書けばね。嘘はよくないがこの際方便だろう」
「無理せんでくださいよ」
「他にジーゲルさんたちに感謝を示す方法があればいいのだが」
ヴィリー隊長にしてみれば、飛び入り参加のジーゲル一家が今のところ無報酬なのを気にしてのオマケなのだが、クルトは受け取るつもりがまるでなく、ラウルの話に割り込んでカバンを優しく押し返す。官給品が書類一枚で思い通りになることにラウルは恐れ入ったが、大事な点はそこではない。
「それより隊長」
「何です?ジーゲルさん」
「後で中を」
「?」
クルトの言葉にヴィリー隊長はけげんな顔をしたが、カバンの中に手を突っ込んで紙束らしきものを探し当てた。外には出さずに、こっちを見ていたハンナとエルザに頷く。
さらに隊長は少し考えていたが、現場検証の中断と休憩を申し出た。
「みなさん、ご苦労様でした。検証はいったん切り上げて酒場で一杯やりましょう!」
「おう、話せるじゃねぇか」
「あなた、少しだけですよ」
「ははは、最初の一杯はわたしのおごりです」
ジーゲル夫妻だけでなくエルザ隊の面々も全員一致で賛成したので、ラウルとリンも少しだけ顔を出すことにした。二人ともエールならそこそこ飲めるが、ラウルには酒以外にも冒険者たちとの顔つなぎという大事な用事がある。それがどのような話に繋がるか自分でも分かっていないが、とりあえず顔を売って少しでも世界の見聞を広げたい気分なのだ。
むろん、魔術師の弟子や治癒師とお近づきになるのも忘れてはいない。魔術師の弟子は性格や言動に少々危険なものを感じるが、治癒師はまぎれもない天使だ。
エストの危機を救った十一人の仲間たちは連れ立って酒場へと歩を進める。
先頭に立って魔獣と戦った者、縁の下の力持ちで救出作戦を支えた者、隙あらばスケベを考えながらも期待以上の働きをした者、それぞれが己の任務を全うしていた。
夜もだいぶ遅くなったが、ラウルの長い一日はまだ終わらない。
いつもご愛読ありがとうございます。
ひとつの物語が終わる際に“どんな一日だったか”を入れる定型が気に入ってますが、格好いい文句が思い浮かばなかったときは、あっさりした閉め方になってしまうのが残念です。
徃馬翻次郎でした。