第185話 剣術指南 第二番 清流剣 ④
その三日後、アルメキアの騎士ラウル=ジーゲルと従騎士リン=クラーフの姿は王都城外にある傭兵旅団の訓練施設に見ることができた。旅団が立ち上げた新規事業である個人向け訓練講座に申し込んだ二人は傭兵旅団長であるアレクシア=フライホルツ女史から発せられた“手加減無用”方針によって何の遠慮もないしごきを受けている。
ただし、ラウルにはちょうどいい運動であってもリンには荷が重かった。長距離移動を大鷲変化に頼り、重量物を運搬する機会などほとんどない彼女にとって傭兵旅団が課す訓練は過酷の一語に尽きる。
ラウルは重りが入った背嚢をかつぎながら、リンは手ぶらのままという違いはあるものの、広大な演習場をあてどもなく走り回っているのだ。もちろん、横には訓練担当を買って出た古参の斥候がぴたりと付いて大声を張り上げていた。
「どうしました!?もう降参ですか!?」
「はぁ、はぁ……くッ!」
「……」(オレはともかくリンがもたないぞ)
過重負担を追加されながら同じ事をしていてもラウルはリンを気遣う余裕がある。傭兵旅団での訓練は彼女が言い出したことなのだが、箱入りのお嬢さんがいきなり飛び込むにはあまりにも荒っぽく容赦のない世界であることは入団前から想像がついていた。彼女の計画と意思を尊重した結果にしても、青息吐息の状況はラウルが見ていてつらいのだが、手助けするわけにもいかない。
「ほれ、ジーゲルさんは見てないで二周でも三周でも余計に回る!重りを増やす!」
「は、はい」
言うまでもなく二人の体力差は比較にならない。ラウルには余裕ある者への褒美として苦痛の追加が申し渡されたので、その場にリンと教官を残して走り去った。
「お嬢さんは足を停めない!狭い屋内や地下迷宮で翼は使えませんぞ!相棒が戦闘不能になったら担ぐのは?引きずるのは?」
「わた、わたしです、教官」
「そう!死体をふたつにしないための訓練ですぞ!戦って勝つ以前の問題、生き延びるための第一歩!」
確か私たちと同じだけ走っているはずだが、とリンは指導教官の長口上に驚嘆している。それに、彼が息を全く切らしていないことに気付いた。
「足が前に出ませんか?もうお終いですか?それがあなたの限界ですか?お嬢さん」
罵る形式の精神攻撃にリンは涙目になりながらも首を横に振った。
やがて彼女は足の回転を上げてラウルに追いつこうと試みる。必死の形相に指導教官も声を掛けて励ました。
「その意気ですぞ!」
訓練教官も内心では場違いな訓練参加者に戸惑いながらもリンの根性に舌を巻いている。そもそも、傭兵旅団長直々の命令が無ければ護身術に毛が生えた程度の訓練でお茶を濁すつもりだったのだ。
そのはずが新兵訓練とほぼ同様の課程をなぞっている。傭兵の合否判定で言えば最下級の線にも及ばないが、精神力だけでついてきている彼女の気迫は鬼気迫るものがあった。
(何が彼女をそこまで追い立てるのだろうか……いや、余計な詮索だな)
指導教官は当然の思索を中途で断ち切る。
彼女が尋常でない覚悟で訓練に臨んでいるのなら、その覚悟に免じて二週間の訓練課程で脱落することが無いように支援するまでだった。
「お嬢さん、女性の訓練担当をつけることもできますぞ」
「お気遣いどうも、でも、結構です」
走りながらの会話はリンには相当きついのだが、喘ぎながらも明確に拒否の意思を示す。
「そうですか?いつでもご遠慮なく、お嬢さん」
「いえ、魔物が、性別で、手加減して、くれるとも、思えません、から!」
「なるほど、その通りです」
指導教官は彼女を気の毒がるのも特別扱いするのもやめることにした。この娘は適性云々を凌駕する鋼の意思の持ち主だ。揶揄するような響きを持つお嬢さん呼ばわりもやめなければ、と指導教官は指導方針を新たにする。
「よろしい、クラーフさん、槍術訓練と参りますか!武道場まで全力疾走!」
「はい、教官!」
武道場とは名ばかりの倉庫と標的人形が建てられただけの区切られた一角に向かって二人は駆けた。ラウルは一足先に到着して大木槌を振り回している。
つまり、ラウルは戦槌、リンは槍を主武装として選択したのだ。二名編成の部隊で隙を生まないために二人とも前衛とし、リンはラウルの背後を守りながら間合いの長い武器で攻撃参加、余裕があれば魔法で支援するという、言うなれば“改良型巨人と銀狼の舞”を最終目標としている。ここまでくればリンは器用貧乏の感が否めないのだが、彼女は率先して槍術訓練にいそしんでいた。
とは言え、訓練初日は失神する直前まで追い込まれている。翌日は寝床から起き上がれないほど憔悴していたが、ようやく量産なったクラーフ印の湿布型回復薬を大量に持ち込んでいたおかげで急速回復に成功する。かつて、ラウルの剣術訓練では、ジーゲル夫妻にボコられた負傷をコリン=ブライトリングの治癒魔法とクラーフ商会の回復薬を用いて、中断をさせることなく続行させる方式を貫いた。これをリンは小規模かつ目立たない方法で模倣したのだ。
傭兵旅団には職員を含めて女性団員が意外と多いことは先に述べたが、リンの死に物狂いとしか思えない訓練方法は嫌でも彼女たちの目に着いた。そうでなくとも、読書がお似合いの深窓の令嬢がなにしに来た、というような視線が当初から向けられており、あまり好意的な態度で受け入れられていなかったのは確かだ。旅団が個人訓練を客商売ではじめた以上は仕方なく毛色違いの面倒を看てやっていた、と言うほうが正確かも知れない。
その状況が一変したのは受付嬢に聞かれて訓練目的を吐露した日以降である。
大切な人の冒険に付いて行くため、という健気な説明は話を聞いた女性団員や職員の琴線に触れた。借金漬けの彼氏がいるわけでもなく、何者かに強制されたわけでもない。厳しい訓練が彼女の望み通りであることを知った傭兵旅団の乙女たちは先を争うようにリンの姉となった。
このことはラウルと無関係ではない。
個人訓練を申し込む際に記入した申込用紙の備考欄にはラウルとリンの続柄が明記されており、リンの“大事な人”は直ちに団員の知るところとなった。その結果、二人の話を伝え聞いた男性職員たちが嫉妬や羨望のまなざしを彼に向け始めたのだ。ある者は訓練担当に志願して、この果報者め、とばかりにラウルを容赦なくしごき倒した。おかげで彼の戦槌術はめきめきと上達したのだが、ある日突然訓練が厳しくなった理由を彼は生涯知ることがなかった。
さて、傭兵旅団での訓練は明け方から午前中いっぱいまでと決められており、午後からはラウルとリンは別の課題に取り組む。二人で買い物に出ることもあるが、基本的には別行動で日没までを過ごしていた。
ラウルは王都で営業している鍛冶屋のひとつに顔を出し、リンは情報収集と装備を調整する合間に、頼まれてクラーフの連絡飛行をすることもあった。
ラウルが臨時雇いで籍を置いている王都の鍛冶屋“火炎と鋼鉄”は下町に店を構える老舗であり、店主のオーラフ=ビクスラーと弟子たちが店名に恥じない働きぶりを見せている。中層で大型店舗を構えて手広くやっている新進の同業者と比べて派手さはないが堅実な仕事ぶりに定評があった。
なお、就職時の面接に際しては国王の御免状を使用せず、放浪の徒弟の線で押し切った。これは名工ジーゲルの名前をビクスラーが既に知っていたことと、彼の面構えと質素な店の作りから判断して、権力におもねるような人物ではない、とラウルが判断したからだ。さらに言うなら、彼はいったんラウルの徒弟受け入れ要請を拒否している。
「話はわかった。最低賃金で何でもやります、ってのも気に入った。自分のを打つ時は材料費を払おうなんざ見上げた根性だ。しかしな、ジーゲルの二代目に教えることなんてあるかね?」
この受け答えは半ばラウルにも予想できていた。
ビクスラーは言葉を続ける。
「これはどこに行っても聞かれると思うぜ?ウチでなにをするつもりなんだ、ってな。ぶっちゃけ、何を盗みたいんだ、って聞いた方がいいか。ジーゲルの名前は知っている。自分の腕も知っている。口に出すのも忌々しいが、ウチに盗まれるようなお宝はねえんだよ」
お宝、とはビクスラーにあってジーゲルのない技術や秘密のことを指す。お宝が無い、という文言は、ウチでは教えることが無い、ということのビクスラー流表現であった。
この対応を予想していたラウルは言葉に勝る交渉材料を用意して面接に臨んでいる。彼は脇に挟んでいた冊子を取り出してビクスラーに示し、手渡した。
「なんだ、これ……設計図か?」
「はい。今まで制作前にひいてきた図面です。木工の部分は無視して、鉄工の部分だけでも見てください」
クルトがラウルに本格的な鍛冶道を叩きこむ際に、口伝だけでは不十分な伝授になりかねない、と判断したことがきっかけで生まれた設計図のつづりも、今ではかなりの厚さになっている。
「お、おう……なになに、スコップに飛び道具……手広くやってるな……小物が多いが後半はそれなりに見ごたえがある。番号に丸がついているのがいくつかあるな?」
「お買い上げいただいた製品です」
「本当か、なかなかやるもんだな。ところで、ジーゲル流では設計図を残す決まりになっているのか?」
「父はもっぱら口伝だった、と聞いていますから、オレの代からですね。口で言ってもわからないポンコツ弟子みたいで恥ずかしくもあります」
「いやいや、これは立派な技能証明書になりうるぜ?腕前は実際に見ればわかるんだしな。こっちも素人を雇うのか、ある程度わかっている人間を雇うのかは知っておきてえ」
雇う、という言葉が飛び出したことにラウルは興奮した面持ちを見せる。
「ということは……」
「待て待て、あせるんじゃねえよ。さっきの質問に応えてもらうぜ。ジーゲルの二代目よ、ウチで何を学ぶ?」
ラウルは即答せず、話が遠回りになる点をビクスラーに断っておいてからおもむろに語りだした。
「冊子をご覧いただいてお分かりいただけたと思いますが、どれも作風が若いんです」
「若い?」
「伝統とか歴史とか、重みのようなものが足りない、と言いますか……オレで二代目ですからね、なくて当然のものなんでしょうけど」
「クルト=ジーゲルにできねえことがあるのか?」
「どうなんでしょう。そうだ、少し前にこんなことがありました」
ラウルは初めて王都を訪問することになるきっかけになった守り刀を思い出しながら語る。女の子が思わず手に取りたくなる可憐な装飾部分は完全に外注だったので、最終調整をジーゲルの店で行う為に荷物がエストと王都を行き来していたのだ。
「名工ジーゲルにも不得手があったとはね。細工物が苦手では王都じゃ厳しいな」
「無理にやればできたのだ、とは思いますが」
「いや、客のことを考えれば専門職に外注したのは正解だ。逆に得手は何なんだ?」
「それこそ東方刀は材料さえそろえば伝統と歴史の塊みたいな一振りが打てるらしいですよ。ああ、オレには東方刀の経験がないことを言い忘れました。すいません」
ビクスラーはラウルの手札を全てさらす方式の交渉が気に入っている。父親の名声をひけらかすわけでもなく、自分に足りない部分を学習したい意欲を見せるラウルの姿勢に嘘はないと観た。
それに、技術交流と考えれば“火炎と鋼鉄”にもたらされる利益のほうがはるかに大きい。秘伝だの門外不出だの言わずに門戸を開くべき時だった。
「……ウチの弟子たちに紹介する。ついて来い」
「ありがとうございます!」
宜しく願います、と店内の職員に挨拶しながらラウルは店奥へと招じ入れられる。休憩室のようなところへ落ち着いた臨時の子弟は修行の最終目標のようなものを策定するために話し合うことになった。
「敬称略でラウルと呼ばせてもらうぜ。仕事の合間に修行を見てやる。希望は何かあるか?」
「親方には昼から日没までお世話になります。どうぞ、残業もお申しつけ下さい」
「午前中は何をしているんだ?」
「傭兵旅団で訓練中です」
「傭兵!?……まあいい、制作課題はどうする?モノの大きさにもよるが、空き時間をやりくりしても五日で一振りがいいとこだぞ?」
単純に短期間の丁稚奉公をさせるだけではなく、ビクスラー流の神髄は無理でもその一端に触れる機会として提案したのが制作課題である。教えたことが反映されているかを確かめる試験と言い換えることもできるが、これはむしろ受け入れた放浪の徒弟に対するビクスラーの面倒見の良さの表れであろう。
「常寸より短くした火属性の魔法剣を二振り考えています、親方。刀身は細身ではなく厚重ねのものを。鞘飾りは今様の派手ではないものがいいですね。古代の武人みたいな重厚な感じが出せたら最高です」
「得意中の得意だ」
王都の流行である細身の刀身と華麗な装飾と対極に位置する作風こそビクスラーの本来得意とするところなのだ。
「二振りは双剣を意識してのことか?」
「いえ、片方を連れ合いに渡そうと思っています」
「女か?」
「ええ、まあ」
「じゃあ、夫婦剣だな。鞘飾りの意匠や握り周りで差をつけるとするか」
弟子たちと簡単な打ち合わせをすませ、鍛冶場や道具の配置を案内された後に早速ラウルは向こう槌を取らせてもらえることになった。彼は腰の道具袋から槌を取り出すと、魔力を込めてさっと一振りし、大槌に形状変化させる。
「おお、道具は一丁前だな」
「お手柔らかにお願いします」
「へこたれても容赦しねえぞ。おい、手の空いているもんは見ておけ。他流試合の始まりだ!」
別段、試合でも勝ち負けがあるわけでもないのだが、弟子たちにとっても同業他社の技術水準を知っておくことは有益である。同時に、名工と名高いジーゲルが二代目に仕込んでいる技を目で盗ませる機会でもあった。
しかし、ラウルがそもそもの怪力に加えて強化された肉体を有していることまでは知りようがない。熟練の鍛冶師オーラフ=ビクスラーの指示通りに倦まずたゆまず大槌を振るい続ける放浪の徒弟ラウル=ジーゲルの膂力には弟子の全員が脱帽することになったことは言うまでもなかった。
いつもご愛読ありがとうございます。
教官!とか書くとチエミとモリオのキャビンアテンダント養成校のドラマみたいな香りがあいますが、どちらかと言えばブートキャンプの方が近いです。急に殺生ができるようになるのもおかしな話なので盛り込んでみました。
徃馬翻次郎でした。