第183話 剣術指南 第二番 清流剣 ②
この頃のエスト村は人口増加に伴って村から町への進化をとげる萌芽の段階にあった。具体的には木製の柵や板塀を石造りの壁に置き換える作業の準備が進行中であり、見積もりや測量の為に建築業者や石工の親方たちが村の外周で忙しく立ち働いている光景を見ることができた。
一連の魔獣騒ぎや誘拐事件による影響で人口増加に歯止めがかかるかと思われたのだが、誘拐された子供を無傷で奪還する等、事件の収拾にあたったブラウン男爵の評判はうなぎのぼりであり、今やエスト村は彼の全く意図しないところで“アルメキアで最も子育てがしやすい村”にまでなっている。
人口増加はすなわち人頭税のような収入の増加と連動し、石壁に代表される防衛や居住環境の整備に使用できる財源の確保につながる。安全性と快適さの向上はさらなる人口増加を呼び込む連鎖となり、男爵の財布をはちきれんばかりに満たすことになるのだ。
そのような実質的利益を見込んだからこそブラウン男爵はラウル英雄化計画に乗ったのだが、何としたことか、比較的利害関係の薄いリンの両親までが計画に一枚噛んでいる形になっている事実はラウルを大いに困惑させ、言いようのない不安で一杯にした。
「リンが何かしゃべったの?」
「ちがう」
ジーゲル家に帰り着いた師弟は少し遅い鍛冶屋の開店にかかりながら話し合い、ハンナは家事の合間を縫って話に割り込む。
「ラウル、リンちゃんは一言だってご両親に漏らしちゃいないわ」
「だったら……」
「ラウルが目覚めた直後、今後を皆で話し合ったでしょう?」
「う、うん」
「あの日、リンちゃんは家に帰ってから部屋に半日引きこもって泣き通しだったそうよ」
当時は村をあげての祝賀行事になっていた。何しろ、村民全員が絶望の淵に叩き込まれていたさなかに、降ってわいたような特捜班の拉致被害者奪還劇が伝えられたのだ。収穫祭のやり直しとばかりに皆が浮き立っていたにも関わらず、リンだけがこの世の終わりのように身をもんで泣き、鼻水を垂れ流してしゃくりあげていたものだから、当然、彼女の両親は慌てふためき、何か大事が出来したのか、と問いただした。言えない、とリンはなおも完全黙秘を貫いたが、彼女が大事にしている物がそう多くないことを知っていたグスマンとローザが、ラウル君に何かあったのか、と核心をつくまでに時間はかからなかった。
「ラウルが昏睡から目覚めない、としか言わなかったそうだ」
「泣くだけ泣いたら勝手に立ち直った、ってローザさんは言って下さったわ。だけども実際、そんなに簡単だったのかしらね?」
「うぐ……」
「よく、考えなさい、その意味を」
ハンナは言葉を区切るようにして強調する。
よく考えるまでもなく、当然と言えば当然のことだった。ラウルの身体が人の身ならぬ何物かに入れ替わったことを何の抵抗もなく受け入れた特別捜査班員は少数派なのだ。
ラウルは返答次第ではハンナに突き殺されるところだったことを思い出した。ヴィルヘルムは当初衛兵隊長の立場から態度を明確にしようとしなかったし、ウィリアムとて息子の恩がなければ無条件でラウル英雄化計画に参加することはなかっただろう。エルザは導師としての責任を果たそうとして巻き込まれた形であり、クルトのみが、人工生命体は魔族の肉体改造とさして変わらないのでは、という考えの持ち主だった。
しっかり者のリンが立ち直るまでに半日泣いていた、という事実はハンナに言われるまでもなくラウルに重くのしかかる。率先して英雄化計画に協力しているリンを見て安心しきっていた己を彼は恥じた。一番の理解者かつ相棒であり、これからはエスト南領を統治するうえで片腕になる大事な人の心に巻き起こる波を見逃していた己の無神経さを呪った。同時に、大泣きしながらも計画が破綻しないように秘密を守ったリンに感謝した。
「知らなかった……」
「まだまだだな、ラウル」
クルトはいっぱしに人あしらいの先達らしさを見せて締めくくろうとする。彼は口が達者な方ではないので、見た目からは想像がつかないほど人間観察に注力し、苦心しているのだ。また、そうでなければ若いころのじゃじゃ馬ハンナの相手は務まらなかっただろう。
「でも、グスマンさんやローザさんにはどうやって説明したのさ?夫婦そろって熱心な聖タイモール教徒なんだよ?大事な一人娘を正体不明のバケモノの家来なんかに……」
「そのようなことを自ら言うものではありません」
「だって……」
「そうね、魔法でも目覚めさせることができない深いこん睡からが蘇生したなら、それは神の奇跡以外には考えられないわよね?」
「ちょっと待ってよ、大事な部分を一切隠してるよ!竜戦士は?竜王様は?」
「そんなこと言えるわけないでしょう。エストの皆さんだけじゃない。ポレダの衛兵やクラーフの倉庫番さん、改心した海賊たちや取り返した子供たちから見て整合性が疑われないような話じゃないと、聖騎士に追いかけまわされる羽目になるわよ」
つまり“限定的計画参加”とはラウルの正体を正確に承知してはいないが、支持や後援に回る確約を得たことを意味する。時間をかければ本格的に計画参加することもありうる支援者を獲得したことになるのだが、わざと深入りさせて後戻りできなくする詐術のような感がラウルにはどうしても拭いきれない。平たく言えば、グスマンとローザを騙していることがつらいのだ。
ここでハンナはラウルの肩をつかむ。
「いい?ラウル?もうちょっと、お友達や仲間が火あぶりにならずにすむように考えなさい。正体を現すにしても、ゆっくりおやりなさい」
「ゆっくり、なら何とかなるの?」
「そうよ。あそこの領主様はちょっとかわった変化ができる、みたいな評判が平然と受け入れられる時期を待つのです」
「う、うん」(そんな日が来るのかな?)
ハンナはラウルの肩から手を離し、彼の胸を指でつつく。
「もうわかったわね。リンちゃんを大事になさい」
「腕の届く限り命懸けでお守りする、だったよな?」
「う、うん」(確かに言ったけど騎士としてだよ?)
「まあ!それなら心配ないわね。生まれた子が人の子ならジーゲルの子。翼が生えていたならクラーフの子。楽しみだわ!」
「話が飛躍しすぎだよ!いつのまにそんな話……!」
ここでラウルは会議の合間に挟まれた途中休憩を思い出す。さらに、母親同士は別室で待機しているとのことだったが、合意事項の細部や他の議題について話し合っていたとしても不思議ではない。そのついでに、いっそのこと二人をくっ付けてしまっては、という流れになったと考えれば辻褄が合う。
オレのいないところで縁談を進めたな、とハンナをなじろうとしたが、その時にはすでに彼女は鍛冶場から姿を消していた。台所にもいない。
「はぁ……」(なんてこった)
「腐るな、腐るな。本人同士に異存はないんだろ?」
「いや、うん……聞いてみないとわからないけど」
「何事もこれからだな」
(主様、ご婚約おめでとうござりまする)
「……」(お願いだからしばらく黙ってて……)
どうやらオレはつい先ほど婚約したらしい、と今さらながらラウルは気付いたのだ。オトヒメにいじられなかったら気付くのはもっと後だったかもしれない。グスマンとは従騎士の任命について話していたはずなのに、なぜか話が求婚の方向にずれる、両親にしてもまるで見合いの付き添いに来たみたいだ、と訝しく感じてはいたのだが、ラウルとリンを差し置いて親同士でとっくに話をつけていたとは予想外だ。
ラウルは“お宅のお嬢さんを腕の届く限り命懸けでお守りする”宣誓をした場面を思い出してひっくり返りそうになっている。それだけではない。会議の間中、リンが終始うつむき加減だったことにも思い当たっていたのだ。
たとえリンが嬉し恥ずかしであったとしても、旅の途中で夫婦らしいことができるはずもない。まかりまちがって子宝に恵まれでもしたら、使命の旅が産休で中断する事態も想定に入れなければならない以上、ラウルのリンに対するスケベは従来の様式を逸脱しない生殺しが決定したことになる。あるいは誰も見ていないところで抱きつく程度は許してもらえるかもしれないが、
(知らぬは主様ばかりなり)
(勘弁してよ……)
と、オトヒメになぶられる始末で、これでは鉄を打つにも接客をするにも差し支える。
クルトはラウルをあれこれと励ますが意気がどうにも上がらないので、気分転換を思いついた。
「よし、仕事前に一本行くか」
「い、今から?」
一本、とは剣術訓練のことだ。
唐突の提案にラウルは軽く驚いたが、しばらく旅に出るのならジーゲル家での訓練は当分お預けになる。軽業めいたケンケンパやスリングショットを使用した射撃訓練と同様、ハンナやクルトと木剣を合わせる機会も消滅することをクルトは端的に述べた。
「わかった。革防具を着るよ。こいつとも当分お別れだもんな」
「そうだな……おおい、母さん、ちょっと」
クルトは稽古中の留守番をハンナに頼む。予想される来客は鍛冶屋の買い物客か旅の準備を整えたリンのどちらかのはずだが、彼女はラウルの荷物とは別に大きな布包みを整えている最中であった。
「あら、あなた、開店したばかりなのに稽古の時間?」
「餞別代りだ」
「……」(餞別ならお金か食べ物をください)
「ウチの領主様を再起不能にしない程度に頼むわね」
「ああ」
領主様、と事あるごとにハンナは言うが根本的な敬意が全く含まれていない。そのことにラウルはうな垂れる思いだったが、思えば領主の実績は今のところ皆無なのである。侮りを受けても仕方がない状況なのだ、と気付いた彼は、なにくそ今に見ていろ、と気力を奮い立たせた。
「ようし!やるぞ!」
武器は両手持ちの木剣。刃幅は常寸のものと変わらない。クルトも同じものを使用するが、防具らしい防具は手袋くらいのものだ。一方のラウルはヘーガー製革鎧の点検に余念がない。木剣であっても受け損なったりすれば一撃で戦闘不能になることもあるのがクルトの豪剣なのだ。彼は礼をして下段の地擦りに木剣をつける。逆袈裟斬りか横殴りの一撃を素早く見舞う算段でいる。
「いい気合だ」
クルトは長い木剣をかついだままラウルを褒める。構えらしい構えに見えなくとも、刀匠にして剣豪のシンカイから受け継がれた流儀の攻撃準備動作は隙が無い。不用心に打ち込めば手ひどい反撃を食うことはラウルも身に沁みて理解していた。
「剣筋を見てやる。打ち込んで来い」
当初は一方的に殴られ続けるだけだった父親との対戦も近頃は変化を見せており、対戦前の指導が慣例になっている。簡単に言えば、ここを打て、そこを突いても痛くもなんともない、という具合に狙うべき急所を指導してから対戦に臨むのだ。
また、強化されたラウルの肉体は一撃の威力と攻撃速度を文字通り倍増させていた。両手剣の醍醐味が長い間合いからの突きと剣の重量を生かした打撃にあることを考えれば、ラウルと両手剣の組み合わせは高い攻撃力を発揮するはずだ。実際、ラウルは素早い突きと力任せの打撃の両方にそこそこの自信がある。
それでも彼がクルトと戦って勝利することが難しいのは剣術の妙であろう。クルトの剣術は怪力と繊細さが高い次元で融合した奇跡とも言える均衡に上に成り立っている。そのひとつが人をして巨人の舞と呼ばしめた超高速攻撃であった。
「……!」(くらえッ!)
ラウルは無言の気迫を込めた横殴りの一撃を最短距離でクルトに打ち込む。
クルトは片手受けで受けきれないと踏んでもう片方の手を添えた両手受けで剣の勢いをそらした。
「いいぞ!もっとこい!」
クルトは適時修正を加えながらラウルに打たせる。
解説しながらラウルの打ち込みをあしらいながら、並両手持ちの武器には一撃で相手を破砕する膂力を乗せろ、と説いた。たとえ野の獣であっても第二撃を準備する時間的余裕まで与えてくれはしない。一刀両断で二の次を考えない剣こそ至高なのだ。
「ちょっと待ってよ、師匠」
「なんだ?」
「これじゃ、エルザ先生の指導が生きてこないよ」
エルザの指導、とはラウルに仕込まれている回避重視の剣術のことである。逃走が叶わない場合は相手の疲労を待つか細かい攻撃で体力を削ることで勝ちを拾う。そこに一刀両断の教えはない。
「言ってみろ」
「じゃあ、言うよ。一刀両断の剣術が至高なら巨人の舞は何なんですか?」
見る者全てに感動と恐怖を与えずにはおかない“巨人の舞”が単なる高速連続攻撃ではないとはいかなることか、と問うラウルの質問にクルトは手を止め、殊更ゆっくりと教えを説いた。
クルト曰く、お前には連続攻撃に見えたかもしれないが十分に斬り、十分に反撃態勢を整えたうえで十分に力を込めた次の一撃を放っていた、とのことである。
しかし、何と言われようがラウルは納得がいかない。
「いやいやいや、それはないって。母さんが付いて行くのがやっとの速度だよ?」
これはエスト第四番坑道の救出作戦において、小型蜘蛛型魔獣の一斉攻撃をジーゲル夫妻が独力でしのぎ切った時のことを言っている。その時のハンナは、ちょっと疲れた、と言ったかどうか、実際は座り込む寸前だったところをコリンに回復してもらっていた記憶がある。
「明鏡止水」
「メイキョウ……」
「澄み切った心と高度な集中力によってのみ到達できる境地だ」
「シンカイ師匠の教え?それが可能にした技だってこと?」
「そうだ。鍛冶の兄弟子から“清流剣”と大層な名前をつけてもらったがな」
「セイリュウケン……か」
(主様、御父君は自然のうちに時間減速の法を会得なさったのやも知れませぬ)
「……」(オトヒメさん、それっていつもの処理速度とかなんとかの話?)
(御意)
「父さん、もしかして相手が止まって見えたりする?」
「ほう、よくわかったな」
まあ、止まりはしないがのろまに見える、と言ったところだ、などとクルトはこともなげに言うが、その意味するところは重大だ。
剣術の達人は本人の資質と修練の組み合せ如何によっては、一般人から見れば魔法としか思えない技術を習得可能にする、という事実を目の当たりにしてラウルは戦慄し、軽い絶望感のようなものを抱いた。
いつもご愛読ありがとうございます。
クルトの連続攻撃は周りがスローモーションに見える中で自分だけが素早く動けた、ということを書きたかったのですが、うまくお伝えできたでしょうか。兄弟子のセンカイさんはこれが見えていたわけではなく、流れるような動きを評して名付けただけ、という体でお願いします。※過去話の第70話 在りし日の妹背あるいはその結縁 14番参照
徃馬翻次郎でした。