第182話 剣術指南 第二番 清流剣 ①
《》での時間移動にご注意ください。
アルメキア王都のはるか北、ノルトラントにほど近いガンテ村には冬の訪れとともに珍しい旅客が姿を見せていた。村長宅の軒下を借りて、即席の鍛冶場をこしらえた青年は携帯用の炉と金床を取り出し、砥石とこれも借りた水桶を並べただけの簡素な露店に満足すると元気よく呼び込みを始めた。
「えー、いらっしゃい、いらっしゃい。鍛冶屋でございます。放浪の徒弟だから安くしとくよ。そこの奥さん、切れない包丁や破れた鍋はない?ある?新品同様ってわけにはいかないけど、任せてくれたらそこそこ使えるようにするよ」
滑らかな呼び込み口上の主はアルメキアの騎士ラウルである。もっとも武装もしていなければ、甲冑に身を固めている様子もない。少々身なりの良い職人といった感じの青年の手招きに応じて何人かの村人が集まってきた。
「おやまあ、放浪の徒弟さんなんて珍しい」
「そう?普段の鍛冶仕事はどうしてるの?」
「そうさなあ、修理が必要な品物と代金をまとめてノルトラントへ持っていくのが賢いわなあ。徒弟さんはどこからきたんだい?」
「エストだよ」
「あれまあ、遠いところからようこそ。ちょうど見てもらいたいものはあるんだけどね。立派な鍛冶道具から見て銀貨がいるんだろう?」
「いやいや、材料費と手間賃として銅貨を何枚かいただきますけど、素材を提供してくれたらもっとオマケするよ」
「えらく安いなあ」
ラウルは鍛冶営業に際して蓄財を重視していない。せいぜい赤字にならないように気を付けて、場合によっては飲食や寝床の提供を代金代わりにしてもよい、と考えている。彼は小さなふいごを動かしながらお値打ち価格の理由を説明した。
「修行中の身なんだよ。本当は村長さんに用事があったんだけどね」
「へえ、それはまた……爺様はまだ布団の中じゃないかい?」
「起きたとしてもなあ……まともに受け答えできるようになるのは朝昼兼用の遅い昼飯が済んでからだろうなあ」
ラウルは情報収集対象者となる村長の起床を待っていたのだが、ただ待つというのも無駄に思えたので臨時の鍛冶屋を店開きすることにしたのだ。それに、無心になって槌を振るって刃物を研げば乱れた心を落ち着かせることになろう。
「それなら、午前中はここで営業しているよ。さあさあ、お仕事はありませんか?気分よく新年を迎えるためにも、お道具はぴかぴかのほうがいいでしょ?」
「いいこと言うじゃないか」
「若いのにしっかりした徒弟さんだなあ」
ラウルの内心は“しっかり”とは程遠い。
本当のところは、竜王から命じられた使命の旅を早々に五分の一消化するあてが外れて、なぜだ、どうしてこうなった、と地団駄を踏みたい思いなのだった。
ややあって村長宅の軒下には白煙と熱気が立ち上り、小気味よい金属音が響く。次々と舞い込む仕事はラウルの焦る心を冷ますうえでは、むしろ有難いくらいだった。
さて、ようやく始まったに見えた騎士ラウルの旅はのっけから一時停止を余儀なくされているのだが、ここに至るまでも、すんなりと出てこられたわけではない。国王の謁見からガンテ村を目指してラウルが出発するまでの間に悲喜こもごもの物語が生まれていた。
簡潔に言えば、ラウルとリンが旅に出るための準備期間、ただそれだけのことなのだが、話が幾分大掛かりになるにつれて巻き込む人数も増えるともう収拾がつかない。
アルメキア王室も絡んだ一連の出来事を当事者たちは、あの時はどうなることかと思った、と後日になって述懐するのだが、当時の慌てぶりは悲しくなるほどであり、今になって思い起こせばおかしくもあるのだ。
《エルザからの呼び寄せを受け取る二十日前》
後世の歴史家が第一回ジーゲル・クラーフ家族会議と呼称することになる話し合いはエストのクラーフ邸にて行われた。時期的にはラウルが国王との謁見を済ませた直後、エストに慌ただしく舞い戻ったラウルとリンにそれぞれの父親が加わる形で開催された会議は、途中休憩を鋏ながら、何ら紛糾することなく拍子抜けするほど迅速に合意をみた。
ちなみに、第一回ジーゲル・クラーフ家族会議に出席した人名を全て書け、という問題が歴史の考査に出された場合、ジーゲル家とクラーフ家の面々を全て書き出した学生は落第である。母親同士は別室で話し合いを持って居り、会議には出席していない。
ラウルはリンの従騎士就任許可を求めにグスマン邸を訪ねていたのだが、彼は求婚時によくある“お宅のお嬢さんをください”ばりに緊張していた。グスマン=クラーフはラウルの緊張を当然のことのように受け入れ、控えめな賛意を表明した。ただし、私が何か言ったところで聞く娘ではないので、というあきらめの境地だけがその理由ではない。
「ラウル君、騎士の任命権に平民が逆らうことなどありえない話だ。私としては、こうして伺いを立ててくれたことで十分に面目は果たされた。それに、君がご両親と一緒にエストやクラーフ商会の為に骨折りをしてくれたことは皆が知るところだよ。娘が英雄の従者に選ばれたことを喜ぶべきだろうな」
「グスマンさんのお気持ちはわかりました……おい、ラウル、何とか言え」
クルトにせっつかれたラウルはグスマンに感謝しつつも条件を付けたい旨を申し出る。
「何かな?」
「お宅のお嬢さんを腕の届く限り命懸けでお守りすることを誓います」
「……」(ラウル♡)
「……」(言うじゃねえか)
リンは思いがけないラウルの宣誓にうっとりし、クルトは珍しく息子が気合を込めた言葉を頼もしく思った。
「ですが、力及ばず屍を晒すことになった場合、あるいはその危険があると判断されたら、オレを捨てて離脱するよう、彼女に誓約させてください」
「しかし、それでは」
「騎士にあるまじきこと、ですか?彼女の命の方が大事です」
これはラウルにとって譲れない線だった。
男性が意中の女性に告白する際には“全力でお守りする”という言葉が常套句になっているのは知っていた。しかし、力不足だった場合の対応について語らないのは不誠実ではないか、との思いが前々からラウルにはある。つまり、ラウルの従騎士としての業務内容には“一緒に死ぬ”ことが含まれていない、ということを念押ししたのだ。
リンは赤くなったり青くなったり忙しいこと限りなかったが、父親に説得されて不承不承ながら条件を受け入れた。
ラウルはクラーフ父娘の様子を観察し、落ち着いたところを見計らって木箱を取り出す。
「後出しで申し訳ありませんが、こういうのもあるので、ご覧いただけますか」
「なになに……王家の紋章……待ちたまえ、これはいったい……」
「修行の為にアルメキア中を見て回る許可証です」
「なッ、おお?」
騎士の任命権とラウルの誠意あふれる丁寧な説明に王室の権威が加わったことに、グスマンは束の間絶句する。修行の旅にはアルメキア王室が保護を与えていることが判明したのだ。
「……ラウル君、君はこの意味がわかっているのかね?」
「ええ、修行の旅は国中を回りますから、いったん彼女を連れ出したら長期間家を空けさせてしまうこともある、とお含みおきください」
「それはやぶさかではないが」
実は、使命の旅がタイモール大陸を一周することを余儀なくしているだけなのだが、修行の旅にかこつけた新婚旅行のように聞こえなくもないことにラウルは気付いていない。
「それから、リンがクラーフ商会から完全に抜けないようにしてもらえないでしょうか?」
「……うん?ああ、意図するところを聞かせてくれたまえ、ラウル君」
「ただいま、ウチは領民二名の零細でして」
「よさねえか、ラウル」
「まあまあ、ジーゲルさん」
「当分は私も家業と兼業で領地経営をやりくりすることになります」
「それで?」
「お恥ずかしい話ですが、初っ端から給金の遅配を出すかも……」
ここでグスマンはこらえきれずに噴き出した。
「なんだ、そんなことか。他ならぬ騎士様の頼みだ、と言いたいところだが、そちらの手配はもう済ませてあるよ。他の従業員の手前もあってな、娘は日雇い身分にしてあるが歴としたクラーフ商会の一員で給金も出る。共働きの兼業騎士というのも初めて聞くが、まあ、ひとつの所帯なのだからな。そのあたりはうまく折り合いをつけたまえ」
「おい、お礼を申し上げろ」
「ありがとうございます」(共働き?所帯?)
「うむ。この話に裏はないのかな?」
「はぁ、えーと、オレに愛想が尽きたら出ていく権利を彼女は持っていまして」
「ち、ちょっと、ラウル!」(何を言い出すのよ!)
「片足だけでも残しておいた方が、きっと……」(一般社会に戻りやすいよね)
「なんと、出戻りの心配までしてくれたわけか」
「ええ、まあ」(出戻り?)
これはどうもご丁寧に、とグスマンは恐縮する体を見せる。
あれこれ理由をつけてみても娘を盗られたような気がしてならなかったのだが、騎士になりたての若者が何くれとなく配慮してくれていたことがわかっただけで気分が良くなった。これなら主従に留まらず、なし崩しに番へと事が進んだとしても、親としては経済状況以外に心配することがない。
せいぜい若者たちの門出を祝ってやるべきだな、と納得したグスマンが手を差し出し、ラウルが握手に応じることで第一回ジーゲル・クラーフ家族会議は終了した。
ジーゲル家の面々はクラーフ邸を辞して自宅へ戻り、リンは荷物をまとめてから合流する予定だ。両親の後についてエスト村を南口へ向かいながらラウルは脱力する思いだった。
「ふう、何とか終わった」
「一息つくのは早いぞ、ラウル」
「えッ!?まだ何かあるの?」
「それは……何とも言えんな」
南方の言い回しが父親の口から飛び出したことにラウルは不安になる。
「ど、どういうこと?」
「ラウル……お前……何の考えもなしにリンちゃんを家来にしたのか?」
「まあ、ウチの親戚は全滅みたいなものだから、それしかなかった気もするけど……リンちゃんは良かったのかしら、お嫁さんならまだしも家来と兼業じゃねえ?」
「家来じゃないよ従騎士だよ」(嫁?)
「何だとォ、同じだろうが!」
「あなた、仮にも領主様ですよ、口応えはよしましょう」
「むう」
ラウルはジーゲル夫妻に頭が上がろうはずもないのだが、対外的には領主と領民の関係が成立している。意外なことに、ハンナはこの新しい関係を喜んで受け入れている様子が見て取れた。
「新居を構えてリンちゃんが引っ越して来さえすれば、それはもう既成事実でしょうが。こっちには領地と国有林の切り出し許可、後はウィリアムさんに頼んでヘリオット製材に発注すれば城は無理でも立派な家が建つわよ」
「むむッ、そうか!」
「キセイジジツ?」
「解体した誘拐迷路の材木を男爵様からのご褒美代わりに下げ渡されたでしょ?」
「そうだったな」
「これはもう家を建てなさいってことよね。ウチの建て増しでも別にいいけど、若い二人には離れが必要よ」
「ああ」
「ま、待ってよ!リンとは何の約束もしてないってば。父さんもうなずいてないで何か言ってよ!」
誘拐迷路の材木とは、エストで発生した誘拐事件の舞台装置として使用された巨大迷路の成れの果てだ。破壊も放火もされることなく残っていたので、事件解決後に希望する村民に対して割り振られることになったのだが、男爵は状態のいい材木を確保しておいて特別捜査班に分配したのだ。これはヘリオット製材が預かり、必要な時に使用することができるようになっている。ヴィルヘルム名誉衛兵隊長とリンは割り当てを辞退したので、大半をジーゲル家が所有することになった。
「観念しろ、ラウル」
「ええッ!?」
「もうあなた一人の問題ではありません」
「なんで!?」
「グスマンさんとローザさんはラウル英雄化計画に限定的参加を表明された、とでも言えばわかるかしら?」
まさに青天の霹靂と呼ぶべき衝撃がラウルを打ちのめす。英雄化計画の機密保持はいったいどうなっている、と言いたくなるのも無理はない情報漏れに彼はしばし絶句した。
いつもご愛読ありがとうございます。
ラウルは従騎士について語っているのに、彼以外の人間が婚約について話し合っていたすれ違いのおかしさみたいなものを感じていただければ幸いです。
お嬢さんを下さい、って言ったのと結果は同じことでしたね、ラウル君。観念しなさい。
徃馬翻次郎でした。