第178話 消された歴史 ③
天候に恵まれた駅馬車の旅は快調そのもの、情報収集しながらの移動はノルトラントとシュロス村の中間点にさしかかっていた。ようやく、使命の旅の第一目標であるアルメキアの竜の祠があると目されている地点に近づいている。
情報源はリンが調べたミーン・メイの旅行記とオトヒメの言を照らし合わせたものだから間違えようがない。周辺にごく小さな集落が点在するものの、同乗者の季節労働者がめぼしい観光名所も遊ぶところもない、と嘆いた内容通りの場所らしい。ここでの降車はラウルのみであり、普段は“お知らせが無い場合は停車いたしません”地点でもあることを駅馬車の御者が告げた。
「若旦那ァ!ここでお間違えないですかい?大きな声じゃ言えませんけど、寂しいところですよ!」
料金を精算して降り支度をしているラウルに御者は大声で忠告する。
「いいのいいの、修行なんだから。世話になったね」
ラウルは御者に声をかけ、同乗者たちも別れを告げた。誰もが笑顔で若干の寂しげな様子を見せている。馬車を降りるのを手伝ったり、楽しい旅の感謝を口にする者もいて、ラウルは使命の旅が幸先よく始められたような気がして幾分機嫌を良くした。
「若旦那、この村には酒場が一軒だけ。宿屋はありませんです。長いこと居なさるんなら、村長さんと交渉すればようがす」
「お、そうかい?聞いてみるよ……これ、二人で夜に一杯やりなよ。そら!」
ラウルは銀貨を一枚放ると御者は見事な早業で受け取った。
「こいつはどうも!おい、こら!お前も若旦那にお礼を申し上げろ!」
御者は隣で船を漕いでいた若い相棒を肘鉄で叩き起こす。夢見心地の御者はすわ野盗の奇襲かと飛び上がったが、状況を把握するとラウルに向かって帽子を取る。
「どうも若旦那さん。えーと、ここどこ?」
「馬鹿ッ、まるっと昼寝してやがったな!シュロスの北、ガンテ村だ!」
「そう怒らないでよ、どこも同じような景色なんだからさ。そうだ、景色と言えば、このへんには巨人の足跡、っていう場所があるよ、若旦那さん」
「巨人……」
「景勝地って言うのかな?ただの地形じゃないかって言うのはナシだよ」
小遣いの銀貨を支出したことにより御者の相棒が目を覚まし、結果として周辺地域の情報が得られたことにラウルは満足した。やがて、御者は帽子に手をやって一礼すると馬に一鞭くれて出発を宣言した。
ラウルも手を振って馬車を見送る。
(オトヒメさん、巨人の足跡、だってさ?)
(人間が考えそうなことです。奇岩が二つ並べば夫婦岩、平らな岩盤は鬼のまな板……)
(相変わらず人間に厳しいね)
(……それらしい陥没なり起伏なりを見立ててのものと推測いたします)
オトヒメが保有している地図情報にない名所旧跡ということは、比較的新しい時代の成立であろう、などと考えながらラウルは行き交う村人の一人を捕まえて酒場の場所を聞く。実は、この村の酒場でラウルが信頼する諜報班員のエルザ=プーマと待ち合わせているのだ。彼女はガンテ村で数日を調査に費やし、ラウルを呼び寄せる書簡を王都の臥竜亭宛に送った後も追加調査としてノルトラントを越えて足を延ばしていた。まさに探検家の面目躍如と言ったところである。
大して探す必要もなく酒場は村の中心に見つかった。元々軒数がそれほど多くないのだ。村唯一の娯楽であろう酒場は村の集会場としても機能しているらしく、入口前の掲示板には会合の予定や毒草に対する啓蒙の貼り紙があった。ただし、冒険者に対する依頼の掲示は見当たらない。駅馬車で一緒になった旅商人が儲からないと忠告してくれたのも道理で、冒険者にとっても美味しい話が転がっている場所ではないのだ。
幸い、目当てのエルザは酒場に滞在中だった。手控えと地図相手に何やら格闘中であり、ラウルが声をかけることでようやく待ち人の来訪に気付く。ラウルはオトヒメに待機状態への移行を命じてエルザと再会を喜び合った。
「やや、来たね、ラウル君!」
「ご苦労様です、エルザさん」
「うんうん。立派になった……騎士様なんだよね?馬は?装備は?」
エルザはラウル英雄化計画の立案段階から参加しているが、謁見やその後の事情を把握できていないので、ラウルは徒歩と馬車で移動している理由や槍も重鎧も装備していない現状をかいつまんで説明した。
「御免状!?」
「王様のハンコを押してもらったから国内の見学では無敵ですよ。まだ使ったことはありませんけどね」
「ムテキ……お姉さんはラウル君が国璽の重みを分かって言ってることを祈るよ」
「分かってますって」
「本当かなあ……」
エルザはなおも半信半疑の様子だったが、ラウルに促されて調査報告を開始する。
「じゃあ、始めるね。ゴホン!えーと、ラウル君とリンちゃんから教えてもらった情報に基づいて、アルメキア及びグリノスにおける竜の祠を調査……」
「ええッ!グリノスまで出かけてくれたんですか?」
「国境紛争とかで出入りを止められる可能性が他の国より高いでしょ?仲良くできているうちに出かけなきゃ、って会議後に真っすぐグリノスヘ飛んだの」
「な、なるほど」
確かに、アルメキアとグリノスの仲は良好とは言えない。どちらかが滅びるかどうかの殺し合いを繰り広げたムロックと比べれば良好と言えなくもないが、それでもアルメキアの女性が単独で出かけるには勇気がいる。
「入国時から探検家です、って一貫してたからね。余計なところを嗅ぎまわりさえしなければ大丈夫、大丈夫」
「あの国は間諜と間違えられたら大変だ、と聞きましたけど?」
「お、よく知ってるね。確かに始終視線は感じたし、同行を装ったそれとない接触はあったね」
「……」(漆黒の猟犬)
「心配ない、心配ない。現地人のフレッチャー兄弟と合流して遺跡調査を公言したら妙な監視は解除されたよ」
「懐かしい名前だ……」
「うんうん。若は元気か、とか聞かれたけどね。肝心のところはあいつらには話してない。当分は秘密だね」
エルザは言いながら紙片を取り出してグリノスの略地図を描く。絵からは北部の山岳地帯らしき状況が伝わった。
「ここにニルングラードという町があって……人口はエストより多く、鉱業や工芸も盛んな……この情報は別にいいか、とにかく、竜の祠は立派な状態で丁重に祭られていた」
「あれ、破壊されたんじゃ?」
「一昔前にね。何らかの魔法による破壊工作、犯人は捕まっていない。祠自体は修理されて元通りなんだけど、ご神体か祭壇のあった中心部分が消失したまま……」
エルザは書類の山から紙片を取り出す。
地元の高齢者や事情通を中心に聞き込みを実施し、祠に設置してあった物体の形状を記録していたのだ。
「えーと、龍脈柱、と言うらしい、ということしか分からなかった。材質は石なのかな?それだったら簡単に複製して修繕できるよね……という事は、石柱を立てれば良いってものじゃないんだよ」
「はぁ」(どう、オトヒメさん)
(これは容易ならぬ事態……現地を見るまでは確かなことは言えませぬが)
「どうしたの?ラウル君」
「いや、えっと、念入りな調査にびっくりです」
「ウフフ、もっと褒めてくれていいよ」
エルザによれば今のところ現地訪問に問題はなく、真冬で気象条件が悪化しない限りは旅行に支障もない、と言う。
「まごまごしてると凍ってしまうからね。現地を見に行きたいなら、すぐに出発しないとダメだよ。グリノスで年越しはまだしも越冬なんてのは遠慮したいね」
エルザは震える身振りをしてみせた。
中途半端に北へ出かけて雪に閉じ込められたら、春の雪解けまで足止めを食う事態も想定しなければならない。厳冬期用の装備購入で物入りになってしまうのも避けたかった。
ラウルは今すぐのグリノス帝国行きについて決断を迫られたことになる。
「アルメキアの祠についてはどうですか?」
「うーん、残念ながら祠跡と呼んだ方が正確かもね。いや、本当は跡形もないんだけどさ」
エルザはグリノスの報告書を片付けるとラウルを外に誘った。
「一応、ここの村長さんにも祠にまつわる話は聞けるよ」
「一応?」
「手順があるんだ。孫さんに頼んで起こしてもらって、甘い物かご飯でしゃっきりさせて、お話をせがむと……」
「ああ……」(寝たきりなのかな?)
実際、村長としての責務は義理の息子が立派に務めている、とのことだ。
エルザはラウルを先導して集落から外に出る道を進む。
「とりあえず、現場を見てもらおうかな」
「お願いします」
「ここから少し歩いた所に“巨人の足跡”って場所があって……」
「巨人に踏みつぶされちゃったみたいだ、とか言いませんよね?」
「すごい!どうしてわかったの?」
ラウルは頭を抱えて座り込みたくなる思いを必死に耐えた。
なぜだ。
タイモールを巡る使命の旅は規模こそ壮大だが、国王の許可さえもらえばアルメキアの祠へは国内旅行のようなもので、他国の祠にしても戦時でない今は国外旅行に毛が生えた程度の冒険だったはずだ。込み入った策略を巡らして綱渡りを余儀なくされるのは国王との謁見が最後だったはずだ。
タイモールに存在していた竜の祠は五つ。
そのうち二つまでが既に深刻な被害を受けていることが判明した。オトヒメによれば祠の損壊は取るに足らぬ些事、龍脈柱の消失こそ取り返しのつかぬ大事、とのことだ。
その意味するところは未だ判然としないが、ひとつだけはっきりしていることがある。
使命の旅は頓挫したのだ。
少なくとも気楽な旅行だけで済まなくなったことは確実であり、言い表すことの難しい絶望感が冬の訪れと相まってラウルの心身を冷たくした。
いつもご愛読ありがとうございます。
優秀なガイドのおかげで無駄足を踏まずに済んだ、と言えば聞こえがいいでしょうが、使命の旅はのっけからつまづいたご様子。
ラウル君の旅はどうなってしまうのか?
がんばれラウル!スマホもパソコンもない時代の情報収集は地味だぞ!
徃馬翻次郎でした。