表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
180/423

第176話 消された歴史 ①


アルメキア王国の地図を広げて眺めれば、広い国土のわりに南と東の国境があまりにも王都と近すぎはしないか、という懸念は軍事の専門家でなくとも指摘できる。

 国土の縦深性を個人の防御力に例えるならば、アルメキアには装甲の薄い部分と厚い部分があって、少しの圧力で易々と破られてしまうような危うさを複数抱えている状況と言えばいいだろうか。

 具体的には、エストの南にサーラーンの軍勢が現れたり、ポレダに東方諸島の連中が上陸に成功した場合、敵性勢力が数日で王都に殺到することになる。

 かつて、その危険を憂慮して対応策を考えようとした国王がいた。南の国境沿いに永久要塞を構築して外敵の侵入を阻止する計画案を出したり、また、ある国王は海上兵力を培養して敵国の上陸案自体を断念させる方針を打ち出した。

 そのどちらも実施に移されることなく葬り去られてしまった理由については、およそ国庫が負担に耐えられる見込みがない、という何とも悲しい現実によるところが大きい。


 したがって、王国が南と東の国境を守るために提供しているのは軍事力ではない。

 むろん、陸も海も国境警備の兵力は張り付けてあるが、どちらも本格的な侵攻の前には鎧袖一触がいしゅういっしょくに蹴散らされることは目に見えている程度のものでしかない。

 身もふたもない言い方をすれば“仲良くしましょう”という漠然とした約束が南と東からの外患侵入を阻んでいるのだ。

 もっぱら外交と通商によって友好を図り、経済的な結びつきを強めることでサーラーン王国と東方諸島内における拡張論者の矛先をかわす政策は今のところ機能しているように思われる。

 

 一方、アルメキア北と西の防衛に関しては純粋な軍事力が投入されていた。

 北に関してはノルトラント辺境伯の家臣団を中心とした兵力によって、ほぼ万全とも言える国境警備と治安維持がなされていた。これは圧倒的な兵力というよりは抑止力としての意味合いが強い。グリノス帝国は大昔の国境紛争における敗戦の衝撃以上に追撃戦で味わった“北方の狼”の恐怖が今もって忘れられないのだ。

 余談だが、戦場における損害は正面衝突した時よりも、逃走を試みて失敗した時のほうがはるかに大きい。整然と秩序を保って後退戦闘を敢行しながら根拠地へ引きあげることができる軍事組織が稀で、ノルトラント家臣団の猛追が常軌を逸した激しいものであったことが組み合わさって発生した大戦果はアルメキアとグリノス双方の国民に忘れがたい記憶として残っており、それは古戦場の慰霊碑を仰ぎ見るまでもないことなのである。


 西は城塞都市アイアンブリッジを中心に騎士団が再度の魔族侵攻に備えている。本来、新米騎士ラウルもアイアンブリッジ領主の麾下きかに組み込まれ、防衛力の一端を担うはずだった。きっと今頃は城塞都市近くに与えられた領地に引っ越す準備か新年会に出る支度をしていたことだろう。

 しかし、現実の彼はノルトラントと王都の中間にあるグリンフェルトと呼ばれる平原地帯にあり、駅馬車に揺られている姿は騎士にも最下級貴族にも見えない。どちらかと言えば旅商人か流しの職人に近い格好なのだが、見る人が見れば身に着けている道具が吟味されたものであることに気付くだろう。

 

 中でも腰に下げた道具袋から柄をのぞかせている金槌はクラーフ商会に依頼して入手したラウル自慢の品である。

 魔法鍛冶道具として使用することができるのはもちろんだが、形状変化の魔法が付与されており、両手持ちの戦槌に変化させれば重量級武器として威力を発揮する特注品だ。これはラウルが彼なりに自己の技量と置かれた環境を勘案して生み出した道具兼武器ということになる。ちなみに、名物店員のダブス相手でも一切の値引きがきかず八枚の金貨がラウルの財布から別れを告げた。

 そもそも、ラウルは回避重視の軽妙な剣術を身につけていたのだが、重装甲に身を固めた相手や皮膚の分厚い魔獣にはなかなか有効打を打ち込めないとあって、剣を副武装に格下げしたうえでの主武装変更となったのだ。なにしろ、通常は鍛冶屋の持ち物としか認識されない点が優れていた。見た人を無用に警戒させることも無ければ、行く先々で炉を借りて鉄を打つことも鍛冶修行の名目も同時に満足させることができる妙案だった。


 実際、王都から北向きの駅馬車に乗り合わせた同行者たちは、ラウルを修行に出ている 少し羽振りの良い職人の跡取りと認識していた。王都で商品を仕入れた商人、秋の収穫に合わせた出稼ぎを終えて新年を北の故郷で過ごす季節労働者、物見遊山の帰途に就く旅客などといった面々は格別の注意を向けてこない。せいぜいが旅の間に気心が知れた者同士として世間話をする程度である。


「しかし、若旦那さん、ここいらで儲かる商いになりますかねえ?」

「んだ。オラが言うのもなんだが、畑、牧場、それから、空気が美味いほかはなんにもねえとこだ」

「そうそう、便利さで言えば王都が一番ですしな。人も多ければありつける仕事も多いわけでしょう?」


 共通しているのは、なぜ苦労や不自由を買ってまで北へ足を延ばす気になったのか、という一点に尽きる。それもエストの人間が王都を通り越しての遠征と聞けば、とりあえず理由らしきものを聞いておきたかった。


「それは、まあ、修行ですからね」


 若旦那ことラウルのあまり気負った様子もない答えには皆が、ほう、と納得したような呆れたような声を上げる。

 旅商人は、何が悲しくて採算度外視の遠出をする必要がある、と言いたい気持ちが顔に出ていたし、季節労働者はまもなく冬だというのに北を目指す南部の人間を珍獣のように眺めている。旅行客はというと、慣れた土地や大都市の賑わいから遠ざかってまで修行せねばならない若者の境遇を少々気の毒に思っていた。三者三様の思いはともかくとして、駅馬車の後方に流れる景色は単調そのものなので、退屈を紛らわせるために何やかやと話が弾む。


「大昔はここの西に都があったらしい、とも聞きますがねえ」


 旅商人が何ともなしにおぼろげな知識を披露する。


「なんだ?むかしむかしのおとぎ話だか?」


 季節労働者が食いつく様子を見せた。


「いえいえ、本当の話ですよ」


 旅行客は各地の伝説や歴史に通じているところを見せることができて満足そうだ。気になる話題が出てきたので、ラウルは合いの手を入れて掘り下げてみることにする。


「それ、いつ頃の話です?」

「魔族侵攻以前ですから……そちらの方が仰る大昔も間違いではありませんな」

「現在の王都は魔族に抵抗するアルメキア最後の拠点だった、ということですかねえ」

「んだな。たしかに、隅っこに追い詰められたみてえだ」


 王国の都が端に寄りすぎている、というのは単なる感想ではなく、歴史的な裏付けがありそうなことにラウルは興味をひかれた。


(オトヒメさん、どう思う?)

(ある時期において魔族に一方的にやり込められた、というアルメキアに伝わる歴史と合致します。よく現在の国境線まで押し返せたものだ、と感心もしますが……何か気なる点でも?) 

(うーん、どうして和平条約が結ばれた後に王都を戻さなかったんだろう、とかね?)


 よほど残留魔素汚染の問題が深刻だったのではないか、とオトヒメは通り一遍の回答を口にした。彼女はそれこそ大昔の人物なので、外界と遮断された精神世界の住人であった期間に発生した現実世界の出来事を分析するには情報が足りないのだ。


「若旦那さん?」

「ん?ああ、実に興味深い話だね」

「当時を生きていた人達は必死だったでしょうがねえ」

「んだんだ。戦でも何でも割りを食うのはオラたち百姓だ」


 タイモール大陸において、ムロック連合を構成する魔王たちが割拠している土地のみ、土壌と植生が大幅に他地域と異なる。これは地中に含まれている魔素が原因とされており、その土地から収穫された飼料や牧草は魔獣以外が食べると腹を壊してしまう。人や亜人が短期間生活するのに支障はない、とも言われているが、商用や外交でムロックを訪れる人たちは多少高価でも輸入食料品を口にしているのが現実であった。

 ムロックで人や亜人が口にできる食肉や農産物を生産する試みが土地の特性と費用の面で頓挫している状況は、魔族が暮らしやすい土地には人や亜人が生きていける余地がほとんどないことを示していると言えよう。


「そう考えれば、こうして馬車の旅ができる今が奇跡のようにも思えますな」


 魔族や魔獣が去ったら去ったで野盗が湧いたではないか、とラウルは思ったが、話の腰を折らないように重々しくうなずいておく。

 それに、これは絶好の情報収集をする機会なのだ。

 まったくの偶然だが、長距離移動をする旅客が乗り合わせていた点を逃す手はない。


「みなさん、あちこち行かれるから、きっと面白いお話もたくさんご存じではないですか?」

「なんだあ、若旦那さんは物語好きか?」

「まあね。何だったら買うよ?」


 ラウルの言葉に旅商人の目が光った。

 暇つぶしの話に値段がつくとは商魂がうずく。


「買う!?」

「うーん、そうだな……面白い話をしてくれたら、晩飯の時に一杯おごるよ。それでどう?」

「ふむ。それは楽しい趣向ですな。それでは、とっておきのやつを披露しますかな」

「おやおや、飲ませてもらえるんで?どんな話がいいですかねえ」

「ある村の柵にある破れ目とか衛兵の数とかはいらないよ、野盗でも間諜でもないからね」

「ははは、若旦那さんは悪党に見えねえだよ。んだば、オラから話そうか……」


 意外なことに季節労働者は話し上手であった。

 いつしか四人以外の乗客も話に引き込まれるように加わったので、ラウルは乗客全員に一杯おごる羽目になったものの、雑多ではあるが特殊な情報収集に成功している。彼が酒で買い集める形になった口伝えでしか知ることができない情報は数多く存在するのだ。


 例えば歴史である。

 “正史”とは国家が認める歴史であり、王室の庇護を受けている歴史学者が出版することも、一部が学校の教科書として使用されることまである。ただし、戦争や政争の結果生まれた勝者や支配者によって改ざんされる場合も多い。王位簒奪おういさんだつや下剋上のような事案はとくに、成り上がり者が自らの正当性を誇示する必要があるから、ただの反乱を圧政への蜂起と言い換えたり、せこい話だが家系図の取り換えやでっち上げのようなことまで実施されるのだ。

 一方で“稗史はいし”とも呼ばれる非公式な歴史は敗者視点が多分に含まれている。戦争や政争における敗者は処断されてしまうことが一般的なため、領民や家臣のような関係者が口伝で旧領主やかつての主人の業績を語り継いでいる場合が多い。もちろん、公には存在しないことになっている歴史であり、書物に残るようなこともほとんどないのだが、過去の事象を正確に伝えている場合も多々あるので馬鹿にはできない、といったところだ。

 さらに、アルメキアでは聖タイモール教会が正史の積み上げに深く関与している。王国法に基づく発禁本の取り締まりのため、稗史伝承における口伝の重要性は他国の比ではなかった。


 歴史の表舞台から消された話の中には埋蔵金伝説のような眉唾物のネタも多いのだが、ラウルは面倒くさがらずに行く先々で言い伝えを集めている。それは、情報源として比べた場合、未だ教会の手によって燃やされていない書籍とどちらが当てになるかを彼なりに考えた結果だった。


いつもご愛読ありがとうございます。

消された歴史は敗者の歴史。それはトンデモ話の源泉でもあったりします。

ラウル君は旅の途中で竜族に関するトンデモ話のひとつを聞きこむわけですが何やら怪しい臭いが……。

待て次号。

徃馬翻次郎でした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ