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第174話 接吻は主従の誓い ③


 さて、騎士団本部への移動を完了したラウルとリンだが、彼女はまたもや足止めの憂き目を見ている。ラウルは最底辺のそのまた末端とはいえ貴族であり、その従者であるリンは決して粗略に扱われてはいない。しかし、どこまで行っても騎士団における彼女は部外者ないし客人の域を出ないのだ。

 騎士団本部は受付と待合室の奥に会議室か広間のような空間があり、詰所と食堂のほかに仮眠室や武器庫も備えられているとのことだ。団長執務室や資料室はさらにその奥に位置するのだが、これは彼女の知るところではない。

 

 やがて、ラウルが退出してくる気配が伝わってきた。

 所々で拍手と歓声がおこり、その場にいた騎士団員たちと握手を交わしながらリンのところへ戻ろうとしている彼が手にしている荷物が目に付く。持っているのは深い藍色の布地に包まれた長い棒状の物体、脇にも小さな包みを挟んでいた。

 新入りを歓迎する騎士団員の中には、


「なんと、名工ジーゲル殿の跡継ぎとはな」

「修行の旅に出てしまうというのは本当のことか」


 と、ある程度の事情を聞きこんだうえで話しかけてくる者もいたのだが、ラウルは全員に丁寧な応対をしている。本当は寝床に倒れ込みたいくらい精神的に疲弊しており、鞭打っての笑顔対応はなかなかに堪えた。それでも、騎士初日の若造としては、もうひと踏ん張りして先輩騎士たちとの交流に力を振り絞らねばならなかったのだ。

 そのためか、ようやく待合室にたどりついた彼の顔色がさえない。


「お待たせ、リン。行こうか」

「う、うん」


 リンは建物を出て庭園に出ようとするラウルが若干足を引き摺ってよれ気味の足運びになっているのを見て不安になった。

 荷物が重いせいではない、と見て取った彼女は庭園内に設置してある背もたれ付きの長椅子に疲労を隠せなくなっている新米騎士を座らせた。


「うう、ごめん……なんだか疲れて……」

「少し休もう。ちょっと待ってて」


 リンは持っていた手ぬぐいを噴水で湿らせ、長椅子にもたれかかってあごを出しているラウルの額に乗せる。


「あー、気持ちいい……」

「どう?楽になった?」

「うん、生き返ったよ。面目ない」

「気にしないで……今日は一日でいろんなことがあったし、ね?」


 ラウルとリンは自宅周辺以外で二人きりになったことがない。アルメキア最上級の庭園で逢引きしているという事実は彼らの心拍数をわずかに上げたが、それ以上にラウルの疲労が蓄積してしまってスケベに割く体力が残っていないことが何とも悲しかった。リンが気を紛れさせるためにあれやこれやと話題を振ることで、かろうじて彼の顔に血色が戻ってきた。


「そうだ、騎士団長様ってどんな方?」

「うん?ああ、いい人だよ。にわか伯爵の位は気にしないでくれってさ」

「へえ」(にわか?)

「ブラウン男爵みたいな庶民派の人なのかな?えーと、修行の旅と領地の経営が上手くいくように祈ってる、とかなんとか」


 騎士団長の訓示はもう少し長かったに違いない、とはリンの感想である。

 ラウルが特別ぼんやりしていたわけではない。実は、緊張に加えてオトヒメを無制限で活躍させた余波がラウルの頭に生じていたのだ。症状だけを見ればただの微熱なのだが、ラウルの心の内ではオトヒメの活動を妨げる、彼女の表現を借りれば処理速度の低下が発生していた。そこへもたらされたリンのおしぼりは強制冷却としてまことに時宜を得た処置であったと言えよう。


(作業効率が回復しました)

(故障?)

(原因は不明。負荷軽減のため、オトヒメは待機状態への移行を提案)

(そう?えーと、了承する)


 オトヒメは返事もせずに瞼の裏へと引きこもった。気のせいか、オトヒメを表す鮫の動きまでが鈍い。


「大丈夫?ラウル」

「ヘッ!?ああ、うん。小さいほうの包みを取ってくれる?」


 リンに手渡された包みを開けると中から飛び出したのは紐のついた騎士団員証であった。円形の金属製メダルに月桂冠が彫られ、中央には馬の上半身が描かれている。これも裏返すと通し番号が振られているのは勲章と似ていた。

 リンの注意を引いたのは同じものが二つある点だ。


「騎士団員の鎧や盾に描かれてる図柄だね」

「そう。団長のところには旗が飾ってあったよ」

「二個あるのはどうして?」

「もう一個はオレが任命する従騎士……いや、従士だったかな。とにかく、最初に任命する部下の物とあわせて二個なんだ……そのはずだ」


 疲れ切っていたラウルの記憶は曖昧模糊あいまいもこそのものだが、リンは従騎士という言葉には聞き覚えがあった。

 彼女の記憶が確かなら、アルメキアにおいては身分こそ平民のままだが騎士に準ずる扱いを受け、騎士の副官かつ忠実な部下として共に戦場を疾駆する特別職だったはずだ。通常、騎士の息子や親戚の青年が騎士見習いとして任命されることが多い、と聞く。

 その従騎士の選任に彼女は光明を見出した。

 これならラウルの隣にいられる。


「ラウルの親戚って……」

「あ、やっぱり、最初の部下はそのへんから募集するんだよね。父さんは身寄りが無かったし、母さんは実家と疎遠になってしまったみたいだ。困ったな、知り合いとか友達に頼むしかないのかな」

「それじゃあ、私を採用するのはどうかな?」

「へッ!?」

「ほら、考えてもみてよ。ラウルの旅について行こうにもさ、商会は気楽に休めないじゃない?出張の体を借りるとしても報告書が面倒だし、第一、事情を知らない人を任命するなんて揉め事の予感しかしないよ」


 珍しくリンは早口でまくし立てた。

 ここが正念場とばかりにラウルを口説きにかかったのだが、


「待てよ。グスマンさんとローザさんに何て説明するんだよッ」


 という具合に彼も譲らない。

 二人とも就職に両親の許可がいる年齢ではないが、同じ村の中で人さらいのように任命権を振り回すわけにはいかない。一歩間違えば、クラーフ家とジーゲル家の抗争に発展しかねないではないか。


「そこはラウルも手伝ってよ。勲章、騎士団員証、それから御免状。説得材料には事欠かないじゃない?うーん、お願い!」

「お願いされたってダメにきまってるだろ。出くわす危険の種類だってわかってないのに巻き込めるわけない」

「お言葉ですけど、音信不通になったり野垂れ死にされたほうがよっぽど私の夢見が悪いとお思いになりません?騎士ラウル様?」

「リンお嬢様はそう仰いますけどねえ、二個の死体より一個のほうがはるかにましでしょうがッ」


 思わず声を荒げそうになった二人は顔を見合わせて声を落とす。

 周囲の視線が少なからずある場所で夫婦喧嘩をこれ以上開陳するわけにはいかない。なにしろここは王宮の中なのだ。まもなく三時のお茶の時間が近いとあって、庭園内の人影は建物内へと引き上げつつあるが、自宅や宿屋の部屋と同じような調子でのやり取りは嫌でも人目についてしまう。

 ややあって落ち着きを取り戻したラウルとリンは冷静に話し合い、クラーフとジーゲル両家を交えた会談の場を設けることで合意に達した。

 

「本当、勘弁してくれよ。怪我でもされたら……」

「そうならないよう、目一杯守ってくれるんでしょ?こんな世の中じゃ、ラウルの側にいるほうが安全かも知れないけどね」


 そうは言うが、リンの戦闘能力は意外と高い。天性の素早さと変化時の飛行能力は他種族の追随を許さない。攻撃と回復魔法の両方を唱えることができる稀有な才能を伸ばせば、傭兵としては最高級の部類に入り、迷宮攻略を目指す冒険者部隊では引く手あまたの支援要員として有望であろう。

 現状、実戦経験が皆無である点のみが気がかりだが、ラウルの旅の終点を見届けるまで彼女に死ぬつもりは毛頭なかった。


「参ったなあ」

「決まりね!」

「お互い両親と話してから、って言ったろ」

「それは、もちろん。でもね、商人の娘としては手付が欲しいな」


 手付とは商慣習や契約において頭金や内金と呼ばれることが多い金銭のことである。今回の場合に当てはめれば、ラウルがリンに支度金を支給し、従騎士に採用しない場合は手付流しでリンの所得になる、という約束が最も近いだろうか。


「それ、オレが払うの!?」

「嫌なら約束だけでもいいよ」

「何だよ、おどかすなよ……話し合いまで他の人に声かけたりしない。これでいいか?」


 ところが、今日のリンはしぶとい。粘着気味でさえある。


「いいね。もう一声!」

「これ以上?こっちはもう思いつかないよッ。何をしたらいいんだ?」

「ふうん?」

「で、できる範囲でお願いしますよ、リンさん」


 ラウルの交渉は手札をさらしすぎるきらいがある。初対面の人間であっても打ち解け合って信用されるような長所も裏返せば、交渉相手が言質を取ろうとしていたり、決定的な一撃を狙っていた場合は致命傷になる短所であった。


「……私に接吻キスしなさい」

「ひょッ!?」

「何でもする、って言ったよね?」

「ええッ!?」(言ったかな?)


 誓いの接吻は先ほど国王の佩剣相手に済ませたばかりだ。王国の騎士として国家と民に尽くすと誓った。

 リンの言い分に従うなら、ラウルは本日二度目の接吻を彼女相手に敢行することになる。リンとの約束を守る念書代わりとしての接吻であった。

 

「ああもう、どこにすりゃいいんだよッ。ほっぺた?おでこ?それとも……」


 ラウルは台詞の途中でリンに襟首をつかまれた。

 至近距離の奇襲に彼は対応することができない。


「リ、リン?」

「だまって」


 次の瞬間、ラウルの口はリンの口唇によって塞がれる。

 ごくわずかな間だが、二人は青や薄桃の花が揺れる庭園の長椅子ではなく、東方の桃源郷のような別世界にいた。魂だけが現実世界を離れて遊行していた、その間にラウルの口内はリンによって蹂躙じゅうりんされていたわけだが、彼の心はどこまでも自然じねんと彼女から浸み込んできた豊かな安らぎで満たされており、それはあふれ出して一筋の涙となり、ラウルの頬を伝った。


いつもご愛読ありがとうございます。

最近は知恵熱という言葉の意味が変わってきているとか。私は使い込んでいない脳を酷使することで発生する子供の病気だと思っていました。ラウルの発熱がそのような意味で伝わっていれば幸いです。

後は、ラウル君がリンちゃんに襲われたお話でした。

がんばれラウル!大事にしろよ!

徃馬翻次郎でした。

※追記 花はアズレアやカルーナのイメージです。

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