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第173話 接吻は主従の誓い ②

 

 紋章官は従僕に命じて応接机を片付けさせるだけでなく念入りに清めさせ、国王陛下から下げ渡された種々の品を拝むようにして並べた。ラウルやリンにとって金貨袋や梱包された書類以上の意味を持たない物でも、王国紋章官たるハーゲン=ユーベルヴェークにとっては重みが違う。

 若者二人は紋章官が祭壇を飾り付ける神官のような行為を終えるのを辛抱強く待った。


「さて、腹がくちくなったところで御下賜くだされた品を確認してもらおうか」

「承知しました」

「この後、騎士団長に呼ばれておるんぢゃったな」

「本日中に出頭せよ、との命令を受けております」

 

 これは騎士ラウルの初任務である。

 騎士団本部及び団長執務室は王宮の右翼にあり、先ほど陽光の間で会ったベルント・レーヴェ騎士団長は庭園を横切るかたちで往復したことになる。


「うむ。手早く済まさんと伯爵に迷惑がかかろうが、こちらも大事な用事ぢゃからな。ではまず、これぢゃ。勲五等アルメキア章である」


 紋章官は小さな木箱の蓋を開けた。

 勲章は小ぶりで赤い貴石が中心に配置され、そこから四枚の牧草のような緑葉が放射状に延びている。外周は白地に金枠の円環でまとめられており、付属の下げ帯には交差する剣が小さくあしらわれていた。


「そなたは武功の士ぢゃから剣が付いとる。まあ、王国民のお手本ぢゃな」


 円環の色が等級を表し、剣の有無によって貢献の種類がわかる。複数回の受章はまた別の装飾品がつく、とのことだ。早速ラウルは手に取って胸にあてがってみた。


「さっそく佩用はいようするか?お勧めはせんがのう」


色々な思惑が交差して出来上がった産物とはいえ、もらった以上は着用してみたくなるのが勲章であろう。ところが、紋章官の言い草では、見るだけにしてしまっておけ、と聞こえる。


「よいか、裏返すとわかるが通し番号が振ってある。嬉しくなる気持ちはわかるが、盗難や紛失は注意散漫のそしりを免れんぞ」

「複製を作るのですね」

「その通りぢゃ、お嬢さん」

「ど、どう言うこと?」 

「本店で受注してる仕事なの、ラウル。要は勲章の佩用者であることがわかればいいわけでしょ?見た目はそっくりの品をお手頃な価格で……」

「いかにも。畏れ多くも陛下より頂戴した品ぢゃぞ?現物は実家なりクラーフの大金庫のような安全な場所に預けておくがよい」

「なるほど」(面倒くさい)


 単純な顕彰と思って喜んでいたところに落とし穴であった。

 紋章官という導師がいなければ危うく罠にかかるところだ。悪意がない不注意であっても国王より賜った記念品をなくすことは決して許されることではない。それならば普段使いは複製品で十分、という理屈である。

 リンの説明に含まれていた売り口上に乗せられたわけではないが、ラウルはクラーフ商会に勲章の複製を発注することに決めた。名物店員のダブスに歩合を稼がせてやる意味合いも大きい。


「次は御免状ぢゃ。後学の為と称すれば王国内で入れぬ場所は存在せん。国璽こくじが捺してあるによって、国外でも効力を発揮するかもしれんな。例えば、旅の目的を説明するように求められた場合には役に立とうぞ」


 紋章官は拝むようにして木箱から巻物を取り出したのでラウルも押戴く真似をする。その権威と許可の範囲において王国最強を誇る御免状だが、ラウルは滅多やたらと振りかざすつもりはない。あくまでも国内旅行を円滑にする口実のようなものであり、少なくとも鍛冶場を見学する際は“放浪の徒弟”で乗り切るつもりでいる。むしろ、紋章官が言うように職務質問を受けた場合の使用を想定していた。

 決して国王の権威を軽んじる意図はラウルになかったのだが、御免状を無造作に書類鞄へ仕舞いこもうとしてリンに腕を引っ張られて止められる。見上げると紋章官が怖い顔をしてラウルをにらんでいた。


(おっと!)

(仮にも一国の王がしたためた書面、今少し丁重に扱われてはいかが)


 ハーゲン紋章官とリンだけでなくオトヒメにも怒られてしまったラウルはおもむろに木箱からいったん手を離し、背筋を伸ばして態度を改める。


「謹んで頂戴いたします」

「よしよし。その性根が肝心ぢゃ。忘れてはいかんぞ」

「ははぁーッ」


 どうも王室関連のしきたりには冷や汗をかくことが多い、と感じるラウルであった。どれだけ王室に対する尊崇の念であふれたいたとしても、外見に表示することを忘れたり怠ったりしては不敬と同じなのだ。

 国有林の伐採許可証と新領の権利証も同様に敬意を表して受領する。新しく切り取られた領地の名称は“エスト南”と書かれていた。地図上ではブラウン男爵が治めるエストの支配圏と被らないようにジーゲルの店から南方へ伸びる形状になっている。

 最後に王妃から下賜された金貨袋の登場となる。紋章官は持ち上げて目の高さに掲げるとラウルに渡し、


「開けてみよ」


 と厳かに命じる。


「ラウル、ご褒美まで頂戴したの?」

「うん、そうなんだ……金貨が二十枚くらい……?あと、メダルが入ってます」


 ラウルは震える手で応接机に金貨を積み上げたが、震えの原因は店の手伝いや防具を新調をする過程で金貨の凄みがわかるようになっているからである。強いて換算するなら、金貨一枚は現在のラウルが一か月間飲まず食わずで寝ずに働いた場合の月給に相当すると思えばいい。どんなに辛抱強い人間でもそのような奴隷労働以上の苦行を二年近く続けることができるわけもなく、手の震えは当然とも言えた。


「ラウル、それメダルじゃなくて大金貨……」

「大?」

「金貨」


 ラウルが大金貨を見るのは初めてだ。

 向こう三年遊び暮らしてもお釣りがくるような、もしエストに家を建てるのなら見晴らしのいい高台に清楚な庭付き一戸建ても夢ではない大金である。大金貨は金貨換算で十六枚になるから、王妃が下された褒美は全部で金貨三十六枚相当ということになり、ラウルにとっては桁違いの大盤振る舞いであったが、勲章の副賞にしても重すぎる気がする。


「ふむ。よく見たな。騎士ラウルはどう思う?お嬢さんはどうぢゃ?」


 するとこれはお駄賃ではないのだ、とラウルは理解した。

 どの業界においても新たに契約した新人に支給されるのは支度金である。全部飲んでしまう大馬鹿者もいるかもしれないが、ほとんどは家族に残したり新しい衣装や道具を整えて新しい職場で恥をかかないようにするのが普通だ。


「これで何かを買え、ということでしょうか?」

「……あッ!」

「お嬢さんは分かったようぢゃな」

「はい、紋章官様。王妃様は馬の購入資金を下さったのではないでしょうか?」

「馬……」(乗ったことない)

「いかにも。騎士ぢゃからな。徒歩かちでは格好がつかんぢゃろう?」


 いち早くリンが正解にたどり着いた。

 これはラウルの元職を考えればわかることだ。騎士の装備は自作すればよく、購入する必要があるものと言えば馬以外に考えられない。


「馬はひと財産だよ、ラウル。馬具、餌代、馬小屋……世話してくれる専門職の人も雇わなくっちゃ」

「左様。せっかくの大金貨ぢゃが、いくらも残るまいて。存じ寄りの厩舎に一筆書いてつかわしてもよいが、お嬢さんの言うように維持費ぢゃぞ、問題は」


 確かに、馬を所有していない騎士を何と表現すればいいか困る点、馬自体の購入費用は別にして飼育設備や道具に大枚を必要とする金食い虫である点も間違いのない事実なのだが、ラウルは褒美の使い道については別の思惑があった。


「紋章官様、馬がないとまずいでしょうか?」

「何を言い出すかと思えば、移動はどうするつもりぢゃ?不便で仕方がなかろう」

「それがですね……」


 ラウルは理由を述べる。 

 アルメキア王国内の移動だけを考えた場合は一も二もなく厩舎へ走って馬を買い求めるべきだが、国外を視野に入れた場合は事情が異なる。例えば、東方諸島の移動は船舶が手早く利便性も高い。グリノス帝国では寒さに強い馬に換える必要があり、サーラーン王国では暑さに強い馬か駱駝を探すことになるだろう。ムロック連合に至っては騎乗に適した動物が馬ではない可能性すらある。つまり、連れて行けない場所の方が多い愛馬を養うことが魅力的とは思えないのだが、騎士としての常識や慣例、ひいては褒美をくれた王妃の御意に沿えないことが心苦しい、と言う。


「馬は領地の運営を頑張って、余裕が出来たら考えます」

「ふむ、では褒美を如何様にするつもりぢゃ?」

「魔法鍛冶の道具を買おうと思います」

「ほう」

「ウチにもありますが、すべて父親の物ですし、旅に借りて行くのもためらわれます」

「うむッ、それでこそ御免状の御意に適おうというものぢゃ。よしよし、あやつめご褒美でトンカチを買いよりました、と妃殿下のお耳へ入れることにいたそう」


 ハーゲン紋章官が終始上機嫌だったため、リンは口をさしはさむことなく観察に徹していた。

 国外へ出た際の移動手段までラウルが考えていたことに彼女は軽い驚きを覚えたのだが、魔法鍛冶の道具が非常に値の張るものであることを考えれば、彼の言い分は道理に叶っているように聞こえる。大金貨をまるまる領地の運営費や使命の旅の捜索費用に充てることができる、と考えればどうだろうか。悪くないどころか将来を見据えた良案にすら思える。


「ああ、そうぢゃ。騎士ラウルの任命が前倒しになったによって、新年の式典次第に一部変更がある。勲章授与式の招待者からそなたが外されることになるが、まあ、そなたのためを思えば、これでよかったかもしれんのう」

「と、仰いますと?」

「万座の席で領民二名の新領発足を発表する絵面を想像してみい。好奇の目で見られるだけぢゃ。年初は出仕に及ばず、の御錠はむしろ温情ぢゃぞ」


 おそらく、好奇の目で見られる、というのは控えめに過ぎる表現であろう。

 高貴な方々の容赦ない視線だけではない。心無い嘲笑やひそひそ声で交わされる陰口がいじめられっ子のラウルには容易に想像できた。ごく身近な身内で行った感のあるラウルの騎士任命式だったが、言われてみれば、恥ずかしいことも腹を立てることもなく、温かい祝福に包まれて滞りなく終えている。これが新年会の一部として行なわれていた場合はどうなったか、どちらが良いかなどと考えるまでもない。

 新年会の招待状が回収されたことで、かえってラウルは気が楽になった。


「陛下の御温情に感謝します」

「うむ、よろしい。あとは……紋章ぢゃな。そなたとお嬢さんが考案したジーゲル家紋に少々修正を加えて複写をとり、台帳に登録すれば手続きは完了ぢゃ」


 家紋の出来栄えを見るために後刻の出頭を命じられて、ラウルとリンは紋章官の執務室を辞した。念のため、彼女は従僕を捕まえて再訪問の予定を伝えておく。

 中央の庭園を横切る形で二人は足早に騎士団本部へ向かった。


「悪いな、まるっきり鞄持ちをさせちゃって」

「いいよ、そんなの。それよりも、馬の代わりに鍛冶道具は良い考えだったね」

「そ、そう?」

「いきなり赤字になるところだったもん。領主様なんだし、部下が出来ても給金の遅配なんてことになったら笑えないよ」

「それなんだよなあ……まあ、鍛冶道具についてはちょっと思うところもあるから、後で相談に乗ってもらっていい?」

「任せて!」


 ラウルに頼りにされたこともあって元気よく返答したリンだが、魔法鍛冶の道具が備品以上の意味を持つかのような彼の言い方に少し引っかかりを覚えた。紋章官の“トンカチ”ではないが、鍛冶道具に対する一般的な概念とはそのようなものでしかないのだ。


いつもご愛読ありがとうございます。

ラウル馬買わないんだってよ、のお話でした。騎士から馬を取り上げると“奇士”で妙な具合になるのは漢字の妙ですが、彼は鍛冶道具を買うことに決めたようです。鍛冶屋としてはあまりにも普通の選択が、後々のお話でちょっと化けます。ご期待ください。

徃馬翻次郎でした。

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