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第172話 接吻は主従の誓い ①


 まるで聖堂の神像みたいだ、と客人の茶を差し替えながら紋章官付きの従僕は嘆息する思いだった。白い衣装と端正な居ずまいに亜人の翼が相まって、ある種の神々しい空気すら感じる。

 主人の紋章官からは、大事な客人ゆえ粗相のないように、と厳命されているが、そのような事は肌感覚で理解していた。ただ、権威と装飾品という名の装甲をまとった貴婦人たちを見飽きているあまり、明らかに異質の客人に戸惑いと微かな興奮を覚えていただけなのだ。


 どうやらお客人は半眼のまま考え事をしていたようだ、と従僕は察したが、素知らぬ振りで茶の給仕をする。甲高い声で不足を漏らしたりしない客人は大歓迎であった。


「ありがとう」


 たとえ心をこめて給仕をしたとしても彼は“下がれ”または“もうよい”以外の言葉を頂戴したことがない。それどころか見振りだけで“あっちへ行け”と命じられることも日常茶飯事であった。

 彼は驚きのあまり、もう少しで声の主に見とれてしまうところをどうにか誤魔化す。動揺を鎮め、一礼してからなんとか退室することができた。 

 常日頃から、身分の高い方は従僕連中を雑巾か何かと考えており、雑巾に対して礼を言う者などいないのだ、と信じきっていた従僕にとって、一風変わった客人との出会いは新鮮な刺激に満ちていた。


「ふう」

「お、ご苦労さん。どうしたんだよ、ため息なんかついて」

「大人しくて文句のひとつも言わない最高のお客さんだろ」

「そうなんだけどさ」


 控室に戻った従僕は待機中の従僕たちと輪になって茶菓子の食べ残しや客用に淹れた出がらしの茶で会話に華を咲かせる。これが彼らの役得であり楽しみでもあった。


「あまりにもいつもと違うものだから、調子が狂うと言うかさ、わかるだろ?」


 客人に給仕した従僕の言葉には、見とれてしまいそうになったことに対する微量の照れ隠しが含まれていたが、それでも同僚二人は、よくわかるよ、と首肯した。


「普段が人間扱いされてないからね」

「ウチのオヤジはまだましさ。覚えることも多いけど……」


 オヤジとは紋章官付きの従僕三人組が仲間内で用いるハーゲン=ユーベルヴェーク紋章官の呼び名だ。業務内容がお茶くみと雑用に限定されず、資料整理や調べものに駆り出される分の苦労はあるものの、人をこき使う才能だけは一人前の貴族に仕えるよりはよほど待遇が恵まれているのだ。


「いつもと違う、と言えばオヤジも変だ」

「そのこと、そのこと。いつもなら挨拶回りの貴族様は適当に追い返すよな?」

「それそれ、後で“若僧の踏み台なんぞ御免ぢゃ”とか言ってさ」

「似てるな、おい」


 彼らなりに今日の客人に対する特別な感触を得ており、雑談に寄せて情報交換をしている、と見ることもできる。主人が気に入っている客だからといって別段おべっかを使う必要はないのだが、粗相の連帯責任を避けるうえでも注意喚起と情報共有は欠かせなかった。


「お客様は昼食どうするんだろう?手配したほうがいいと思う?」

「あ、じゃあ、自分が厨房に行って声をかけてくるよ。オヤジやお嬢さんはともかくもう一人のお客様がすごく食べそうだけど、普通の三人前でいいよね?」

「あー、うん。それで頼むわ。俺たちは銀磨きしてるからさ」


 従僕たちは同僚に仕事を押し付けることなく、短い打ち合わせでそれぞれが役割分担を心得て動き出す。これは主人である紋章官のしつけが優れているからなのだが、その彼らをもってしても、騎士候補者と従者の客人に対する好奇心は抑えがたいものが有った。

 客人をじろじろ見たり詮索したりするような真似は厳に慎しむべき禁止事項であることを骨身にしみて承知しているものの、このままでは気が散って昼食の給仕をする際に手元が危うい。


「何者なのかな?あの二人……」

「悪い人じゃないだろ、多分。出世して目が上に向いてしまったら、どうだろうな」


 成り上がり者の悲しい豹変もまた、従僕たちが多分に見聞きしているところであったが、従僕たちは会話しながらも手を休めることなく、客人の昼食に使用する予定の銀食器磨きに没頭することで客人への興味を追い払うことに成功した。

 

「盆と水差しも準備しておこうか?」

「うん。本当、俺達って優秀だよな」


むろん、最後の台詞は自画自賛が半分ほど込められた冗談である。

 王宮は華美な服装に身を固めた貴族ばかりが目立つが、その陰で彼ら従僕が果たしている役割は実に多岐にわたり、彼ら無しでは王宮は一日たりとも上手く回らないだろう。にもかかわらず、従僕を塵芥のように扱う貴族たちが幅をきかし、紋章官のような厳しいが分け隔てのない人物が少数派なのには笑うしかない。

 自分一人では尻も拭けないに決まっている無能力者に下げたくもない頭を下げることが常と化している従僕たちとて、あるいは潤沢な魔力に恵まれていれば別の生き方があったのかもしれないが、そうかと言って治安のいい王都で三食と寝床が保証されてなおかつ余禄にありつける仕事がそうそうあるはずもなく、


「全くだよ。さ、仕事仕事!」

「だな」


 という具合に、王宮の歯車たちは職務に戻るのであった。


 さて、聖堂の神像のようだ、と従僕に評された客人ことリンの内心は外面とは程遠い状況だった。冷静沈着を装って座ってはいたが、もし彼女に貧乏揺すりや爪噛みなどの悪癖が身についていたなら、ずいぶん見っともないことになっていたであろう焦燥感にさいなまれている。

 ただ待つことのつらさに身を焦がしているのではない。


 彼女は考え続けていた。

 何かにつけてラウルに付いて行こうとすると、とにかく足止めを食う。その原因や理由は様々だが、彼女の中では深刻な不満になっていた。この先ずっとこの調子では困る、と思うし、画期的な解決策がないものか、ともがいている最中だったのだが、不満を表情に出す直前で上品形態が顔面の制御に成功していたに過ぎないのだ。


 そう言えば、ポレダの港町でも肝心の強襲班選抜から漏れた、と彼女は誘拐事件の始末を思い出す。進んで人を殺傷したかったわけでは決してないが、後列での魔法による支援係すら与えられず、伝令でエストに飛ぶことになった。

 それはなぜか。

 弱いから。女だから。嫁入り前の箱入りだから。

 まだ、ある。

 この後も所用が一通り完了すれば、クラーフ商会エスト支店へ復命して支店長である父親に報告に戻らなければならない。出張業務を口実にしたからこそ王都へ出てこれたわけであって、簡単に休みなど取れはしない社会人としての責任は厳然として存在する。

 現状はどうだろうか。

 騎士候補者のラウルと紋章官が連れ立ってお目見えに出かけてしまい、見てくれは貴族に負けないが平民に過ぎない小娘は居残りを命じられてこの様だ。


 ラウルの側にいたいという気持ちの半分は恋慕の情だが、これはラウル英雄化計画において彼の相棒に対する配慮が欠けていたのだ、とようやく彼女は気付いた。

 つまり、ラウルが出世するなら随行する者もある程度の身分なり許可証の類がなければ、訪問先によっては“お連れのかたは別室へ”ないし“ここでお待ちを”方式が作用して、いとも簡単に分断されてしまうのだ。

 仮に、ラウルとリンが番を宣言して夫婦となった場合でも、この障害は緩和されない。“お連れのかた”が“奥様”に変更されるだけである。


 彼の隣に立つにはもっと決定的な何かが必要だ、できれば公的な力を持った何かが、と彼女が結論付けたところに、ラウルと紋章官が帰室してきた。

 リンは応接椅子から立ち上がって出迎え、挨拶もそこそこに謁見の首尾を確かめようとする。紋章官も早く打ち明けたかったらしく、室内はたちまち祝賀の雰囲気が充満した。


「まことにもって大慶至極ぢゃ。お嬢さんにも見せたかったのう」


 ラウルと紋章官は応接椅子に納まって一息つく。相前後して従僕が入室し、二人に茶を出すと小声で何事かを紋章官に尋ねている様子であった。


「うむ、そうぢゃな。もう昼時ぢゃて、そなたらもここで食べてゆくがよい」

「ご相伴にあずかってよろしいのですか?」

「許す。昼間から酒は出せんが……いや、出すべきぢゃのう」


 紋章官の高笑いを聞いて、国王との謁見は上首尾だったのだ、とリンは察した。

 彼は従僕に未開封の果実酒を運ばせるよう命じる。とは言え、彼もそれほど大量に飲むわけではないので、食前酒として真似事程度の乾杯をするつもりなのだ。

 見ている間に従僕がもう一人増えて三人分の食器を慣れた手つきで整え終わると煙のように姿を消した。


 再び三人だけになったので、リンはラウルに探るような視線を向ける。

 とりあえず、彼の首と胴体は繋がっているし、紋章官の様子からも彼女が考える以上の成果を持ち帰ったであろうことは何となくわかるのだが、できることなら彼の口から説明を聞きたかった。 


「さすがに疲れたよ。近衛騎士様と腕試しに木剣で一勝負することになって、それが強いのなんの……」

「然もあろう。王の盾たる近衛ぞ。生半可な腕では務まらん」

「ええッ!大丈夫なの、ラウル?怪我してない?」

「何とか恥はかかずに済んだけどね。怪我もないよ」


 実は、剣術世界の高みがあまりにも果てしないことに悩み始めているラウルがいる。近衛騎士との試合は辛うじて面目を施せたが、強化された肉体から生み出される怪力と繊細な剣術の相性が良くないことに気付き始めていた。クルトの剣術のように剛腕とシンカイ流の組み合わせによる奇跡は自分には難しいのではないか、と進路を模索する彼が新しい結論にたどり着くのは後刻のことだ。


「本当?」

「本当だって!こっちも寸止めできたし、お互い無傷だよッ」


 この“寸止め”という稽古や試合でしか通用しない技術も必死で身に着けたものだ。かつては峰打ちに憧れていた時期もあったのだが、やってみるとこれがなかなか難しい。ラウルの場合ほぼ不可能と言い換えてよい。

 理由は簡単、力の加減が難しすぎて気絶させたり戦闘継続を断念させるまでに大怪我をさせてしまう可能性が大きすぎるのだ。


「仲睦まじいのはけっこうぢゃが、見せ場はその後ぢゃぞ」


 ようやく安堵の表情を見せたリンをラウルの番扱いをすることで慌てさせた紋章官は謁見の後半部分に発生したラウルの演説と御免状のくだりについて触れる。


「古い東方の言葉で音楽のように流れる、それでいて格調高い名文句ぢゃったな。特に冒頭は口ずさんでも心地よい……」

「彼にそんな素養があったとは知りませんでした」(誰の影響だろう?)

「……」(オレも知らないよ)

「なんぢゃ、そなたらは仲良し若夫婦ではないのか……まあよい、どちらにしても、その若さで文武両道とは恐れ入ったわい」


 やがて従僕たちが昼食を運び入れて配膳が始まる。

 鍋や大皿に盛られたスープや焼き物を取り分ける形式なのだが、食器が高級品ばかりなことに加えて、給仕の従僕がいることが落ち着かない。それでも親指を二回りほど大きくしたような小ぶりのグラスに果実酒がそそがれ、紋章官が乾杯の音頭を取る段になると、華やかな雰囲気に釣られて気にならなくなった。

 

「それでは、新しい騎士の誕生に乾杯ぢゃ!」

「おめでとう、ラウル!」

「紋章官様の祝福に感謝します!ありがとう、リン!」


 昼食会を兼ねた仮初の祝いであっても、紋章官の心遣いはラウルだけでなくリンにも伝わっている。豆の冷製スープは初めて口にする味覚であり、丁寧に焼き上げられたキジか何かの山鳥は香ばしく、柔らかいパンと共に胃袋を暖かい気持ちが満たした。


いつもご愛読ありがとうございます。

前半の従僕視線はこぼれ話にしても良かった気がします。オヤジとか書くと任侠さんや議員さんの事務所みたいなですが、紋章官は比較的職員から好かれている感じが伝われば幸いです。あと、現状のリンは平民だけど知識層として遇されている、とお思い下さい。

徃馬翻次郎でした。

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