第171話 国王陛下の御免状 ④
やっと陽光の間がその呼称に相応しい暖かさと賑わいを取り戻した。
王宮の主がこめかみに青筋を立てて声を荒げた時には、連動して室温が下がったような気がしたラウルもようやく安堵している。本当はハーゲン紋章官と手を取り合って小躍りしたい気分だが、国王の御前ではしゃぐわけにもいかず、神妙に頭を下げたままだ。
安堵したのは彼だけではない。
王妃も事の成り行きに心を痛めていたようだが、見事に紋章官と騎士候補者が国王の怒りを鎮め、場を収めたので喜んでいる。オトヒメは国王が怒ったかと思えば簡単に矛を収めた様子に思うところがあったが、祝賀の雰囲気を壊さないために黙っていた。
「陛下、エストとポレダの民を救った件のご褒美を……」
「む、そうであったな」
国王が侍従長を見やる。
侍従長は部下の一人に向かって準備の品を出すように命じた。やがて、侍従が運んできたのは盆にのせられた金貨袋と思しき包みである。
「王国の危機に自らを顧みず献身的な勇気を示した臣民を賞して、国王陛下が褒美をくださります」
「ははあーッ」
金貨袋の重みには自然と頭が下がるラウルだが、王妃の言葉通りに献身してしまった過去が今さらながらに思い出された。金貨の為に戦ったわけではないのだが、命懸けの駄賃としてはどうも軽く感じてしまうラウルであった。
「来年からは騎士として、一層の忠節を尽くすように。陛下、陛下からもお言葉を」
「騎士……忠節……」
「陛下?」
「ああ、うむ。この場で任命式を執り行うのはどうか、と思ってな」
国王の発言にまたも周囲がざわつく。
「玉座の間でなければ任命はならぬ、という法はなかろう。かつては戦場で功成った従士をその場で騎士に任じたことも……そうだな、侍従長?それが聖堂であっても、この陽光の間であっても同じことではないか」
「は、しかし……」
「これは命令である」
国王はぴしゃりとやって侍従長の反論を封じた。
彼は新年の式典をひとつ前倒しで消化することに成功したのだ。それに、ラウルが形式より内容を重視するであろうことも察しがついている。仮にラウルが、正式の式典でないと困る、とごねるような人物であった場合は困ったことになるが、上奏の行間を読む限りは“面倒は抜きにして早く送り出してくれ”という意思が後半部分に込められていたのではないか、と国王は思った。
「彼は無腰か?特別に余の佩剣で儀式を執り行うとしよう。腕試しのような真似をさせた詫びをせねばな」
これはラウルが従士でもなく、日ごろ武装することがない平民であることを意識した発言だ。本来、儀式剣は騎士になる予定の者の帯剣なのである。王女のわがままを許して近衛と試合をさせたが、ラウルに迷惑がかかったのをわきまえており、謝罪のかわりとしたのだ。
王妃が嬉しそうに頷くところを見ると、夫妻の意見が完全な一致をみたのは明らかだ。
そこからは蜂の巣を突いたような騒ぎになり、やれ儀式の準備だ、やれ騎士団長は出仕しているかだの命令が矢継ぎ早に飛んで、侍従が忙しく走り回っている。
その騒ぎを横目に、ハーゲン紋章官はラウルを立たせて部屋の隅に誘った。
「そなたの願いは叶い、誰も傷ついておらぬ。この調子で進めば昼前には騎士ラウルの誕生ぢゃ」
「ご面倒をおかけしました」
「いや、ワシは仲介しただけぢゃ。そなたは、何と言うべきか……そう、武人と文官、平民と貴族、全部混ぜて坩堝で鋳溶かして型に流した……もちろん、褒め言葉ぢゃぞ。いったい、どういう教育を受けたらそなたのような若者が……」
紋章官は弟子の意外な才能に呆れ半分で賞賛の辞を惜しまなかった。導師としては誇らしい限りだが、声音に畏怖が若干こもっている。
「紋章官様、儀式の段取りはどんなものでしょうか?」
「そうぢゃ、そなたには誓文を覚えてもらう必要がある。いや、写しを読み上げるだけでも良かろう。なんせ急な話ぢゃからのう」
「覚えてみるので写しをお貸し願えますか?」
「ほう。いや、もう驚くまい。よいか、そなたが手を組んで跪くと陛下がそなたの肩に剣を置かれる。その間に誓文を唱えるのぢゃ。最後に接吻をして終了。できるな?」
「陛下と接吻……」(儀式なら仕方ないな)
「その発想はワシには無かったわい。念のために言うておくが、差し出された剣に口づけするのぢゃぞ」
最後の最後でかかなくてもいい恥を盛大にかいたラウルは誓文を覚えることにした。気のせいかオトヒメが失笑したかのような間があったのだが、脳裏に響く彼女の対応は淡々としたものだった。
(なんとか乗り切りましたね、主様)
(オトヒメさんのおかげで助かったよ)
(それにしても殿方同士で接吻とは)
(誓いの接吻かと思ったんだよッ)
(愛の形は多様ですからね)
(勘弁してよ……)
ややあって届けられた騎士任命誓文の写しは意外と短く、ラウルが自力で覚えるにしてもさほど苦労しないものと思われた。
◇
アルメキアの守護者にして聖タイモール神の代弁者であるカール・ブロンザルト・アルメキアが汝を騎士に任命する。
騎士○○は何時いかなる時も 王国を守る盾となり敵を打ち倒す刃たること
王と任務に忠実たること
信義と礼節を重んじること を誓う
◇
ラウルは紙片をひっくり返してみたが、裏面には何も書かれていないし、仕掛けがあるようにも見えない。オトヒメに文面の記録を依頼はしたが、彼は暗記を試みることにした。
(案外あっさりしてるけど、神様のくだりって必要なのかな)
(見届け人として信仰する宗教や神の名称が入ることはままあることです)
(なるほどね)
やがて、陽光の間の入り口に大勢が詰めかける気配がする。扉を開けて入ってきたのは一人の騎士に先導された十数人の団体だった。
「騎士団長ベルント・レーヴェ、お召しにより参上仕りました!」
元気よく大股で部屋を横断するアルメキア騎士団の最高峰は部下を入り口付近に残すと国王の御前に進み出て一礼した。
「伯爵、大儀」
「はッ、陛下におかせられましても、本日はことのほかご気色よろしく」
「だとすれば、この者のおかげだ」
国王の健康に貢献した覚えはラウルにはないが、興奮させたことで血のめぐりを良くした、という意味においてなら妥当な指摘であろう。
紹介を受けたラウルは再び国王の前で片膝をつく。
「ははあ、これが噂の……」
「エストのラウル=ジーゲルと申します」
「見知っておけ、伯爵」
「何か特別な事でも?」
「詳しい説明は後で本人から聞くといい。余の忠実な臣下には違いないが、当分は伯爵の指揮下には入らない。余の近衛でもない」
「はは、まるで放浪の騎士のように聞こえますな。いや、昨今話題の遍歴の騎士ですか……まさに異例中の異例……」
「名工ジーゲルの息でもある」
「それで合点がいきましてございます」
国王も上級貴族相手だと話が弾むのだ、とラウルは聞きながら感じている。ラウルが修行の旅に出る旨もすんなり話が通った。
現時点で平民の彼は自己紹介以外一切口を挿まずに頭を下げておいたのだが、二人の会話が終わった直後に剣を鞘走らせる音を聞いた。
「アルメキアの守護者にして聖タイモール神の代弁者であるカール・ブロンザルト・アルメキアが汝を騎士に任命する」
威厳のある国王の声だ。
任命の儀式が開始されたのだ。
ラウルは慌てて両ひざをつき、手を組み合わせた。肩に国王の剣が置かれる。次は彼が誓いを立てる番である。
「騎士ラウルは何時いかなる時も、王国を守る盾となり敵を打ち倒す刃たること、王と任務に忠実たること、信義と礼節を重んじることを誓う」
「騎士団長ベルント・レーヴェが証人となるッ」
騎士団長の大声と被るように国王の剣がラウルの眼前に差し出された。ラウルは軽く接吻したが、実はこれが彼の初接吻なのである。
「立て、騎士ラウルよ」
ラウルが直接国王と会話した第一声である。
彼が感慨に浸る間もなく、出入り口付近にいた騎士団員と思しき集団が祝福の声を上げる。どちらかというと鬨の声か怒鳴り声に近い。
「アルメキアと騎士ラウルに栄光あれ!」
「新しい王国の刃に祝福を!」
「国王陛下万歳!アルメキア万歳!」
騎士団長が気を利かして賑やかしのために部下を動員したのだ、と察したラウルは思わず泣きそうになった。彼とはついさきほど面識を得たばかりだが、新参者を阻害するどころか、晴れの舞台でラウルが寂しい思いをすることがないように盛り上げる手配を忘れなかったのだ。
思えば、これほど晴れがましい気分になったことも記憶にない。気付けば、王妃や王女に釣られる形ではあるが貴族たちも拍手している。
面と向かって大勢から祝福を受けた記憶も彼にはない。したがって、たとえ、これから先に長い苦難の旅が待っているのだとしても、旅先に修行以上の試練が存在しているのだとしても、僅かな時間を面はゆいような気持ちにひたることに費やして、使命の旅を一瞬忘れたラウルを責めることはできまい。
かつて魔法不能に悩んでいた鍛冶師の跡継ぎは紆余曲折あって騎士となった。そして、多少の寄り道を除けば栄光とは無縁の旅が始まろうとしている。
硝子越しに輝く陽光が広間に差し込み、大勢の万歳と歓呼の声が響き渡る幻想的な光景をラウルは長いこと忘れずに覚えていた。
いつもご愛読ありがとうございます。
冒険のためにほんのり出世する作戦がようやく終了しました。
騎士団長のサプライズで儀式が思いのほか楽しいものになって何よりです。
さてさて、ラウル君はご褒美で何を買うのでしょうか?
徃馬翻次郎でした。