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第170話 国王陛下の御免状 ③


 世間一般においても、ある程度出世した人間は身辺警護に力を入れるようになる。どれだけ品行方正に生きても逆恨みをするのは相手の勝手、蓄財がはかどればそれだけ誘拐や強盗の標的になりやすい。たとえ後ろめたいことに全く身に覚えがなくとも、家族の安全も考えれば好き嫌いは言っていられないのだ。

 それが国家の最高権力者ともなればどうだろうか。

 腕のいい護衛は何人いてもいい。暗殺を防ぐとなれば隠密のような特殊技能を持った者や毒見役を探す必要があるが、戦場においてここ一番の局面で投入されたり、日常生活においても主君の盾となる近衛騎士団に戦闘能力の高い勇士を揃えたい、と望むのは国王として当然の思考であろう。


 ところが、ラウルを近衛騎士として採用したい、というカール・ブロンザルト・アルメキア国王の欲求は血筋や氏素性を重視する貴族たちの容れるところではなかった。はたして、美しい服より腹回りの肉が目立つ貴族が進み出て反対意見を述べる。


「恐れながら陛下に申し上げます」

「ん?申してみよ」

「どれほど優れた武の持ち主であろうと、どこの馬の骨とも知れぬ者に近衛が務まりましょうか。そもそも……」

けいは心得違いをしておるのではないか?」


 さらに言い募ろうとする貴族を手を上げて制した国王は不機嫌な表情を隠そうともしないが、貴族の男性はしつこく食い下がった。


「これは異なことを承ります」

「では、護衛の家柄と余の命と、どちらが大事なのか申してみよ」


 貴族が返答に窮していると、


「それほど家柄が大事なら、この者に良家の姫をめとらせ、相応の位に引き上げてやってもよいのだぞ?」


 と身もふたもないことを言い出した。

 これこそ件の貴族が最も恐れていることだ。突如として貴族社会に出現した新参者に肩を並べられては一大事である。


(えッ!?なに、女の子を紹介してくれるの?)

(いけませんよ、主様。そのような永久就職を受け入れてなんとなさいますか)

(エイキュウシュウショク?)

(いずこの姫かはさておき、近衛に決まれば身動きが取れなくなりますぞ)


 ラウルにも一大事が発生した。

 このまま国王の意見が通れば彼の結婚と就職が決定する。結婚はまだしも、近衛騎士が王の側を離れることなどありえないのだから、竜王に命じられた使命の旅が遂行不可能になることは自明の理だ。オトヒメの言うように、スケベ心丸出しで飛びついてよい話では決してない。

 他方、一連のやり取りを聞いた結果、オトヒメは国王の認識を新たにしている。王妃任せの頼りない男かと思いきや、いざとなれば旧習やしがらみを断ち切る胆力を持っている。少々、王女や臣下に好き勝手をさせすぎているきらいはあるが、自分や家族の生命には敏感であり、一線を越えてきた者には身内と言えど容赦しない。

 仮に、愚王賢妃を偽装しているとしたらどうだろうか。摂政の背後に隠れて周囲を観察し、王妃の援護に徹して邪魔者を潰しているとすれば納得がいく。オトヒメはこの仮説を留意しておくことにした。これ以上王室に深く関与しないのなら必要のない用心だが、何事につけても用心のし過ぎということはない。


 さて、もしも、この瞬間の陽光の間を俯瞰ふかん的に観察することができたなら、室内で発生した喜劇的状況は大層みごたえがあったはずだ。まるで何かのからくりのように視線や思惑が飛び交うのだ。

 まず、進退窮まった例の貴族が侍従長に助けを求めて視線を送る。これは王宮内の慣例や法律に則った助け舟を求めてのことである。ところが侍従長は、迷惑です、とばかりに視線を外した。たとえ妙案があったとしても、彼に口を挿む勇気はない。誰しも自分の首は可愛いもので、人生を賭けての口出しとなればなおさらである。冷や汗をかき始めた貴族は王妃に無言の救援要請を開始する。ところが、この件に関して夫である国王を支持する彼女は一向に乗ってこない。周りにいた貴顕の面々も、下手に口出しして国王の勘気を被るのは願い下げ、とばかりに逃げにかかっていた。

 王妃はたとえ王家に近い筋の人間であろうと、その血筋を主張しすぎる連中があまり好きではない。特権を振り回して新規参入者を阻害するような者たちはどのような業界でも腐敗と癒着の温床である。

 ありていに言えば、件の貴族が国王に絞られるところを王妃はもう少し観ていたいのだが、紋章官を通じて奏上されたラウルの願いを彼女は承知していた。ラウルの希望を叶えてやることを優先した彼女は紋章官に目配せをして事態の収拾を命じる。合図に気付いた紋章官は王妃に恭しく礼拝するとラウルに近づいて顔を寄せた。


「緊急事態ぢゃ。そなたの見事な剣技がかえってあだになったのう」

「は、申し訳ございません」(オ、オレのせい?)

「詫びずともよい。ただ、ワシも打開策を考えておるが妙案が浮かばぬ。今一度陛下にそなたの願いを奏上申し上げてもよいが……」


 目前の惨状を目にしてなお導師としての立場を崩さない紋章官は頼もしい限りだが、腹を立てて意固地になりかけている国王様に同じ話を繰り返すのはどうなのか、と思うラウルもまた有効な対案をひねり出せないでいる。


(主様、この場はオトヒメにお任せください)

(うう、お願いできるかな?)

(お命じ下されば、数秒後には)

(どうやるの?)

(急場ゆえ、オトヒメを真似て発声していただく方式を提案します)

「どうぢゃ、ワシに一任するか?それとも何ぞ思案があるのかのう?」

「紋章官様、発言する機会を下さいますよう、願いあげます」

「なんと!そなたの肝の太さには圧巻ぢゃ。さすがはワシの弟子と言うべきかのう。よしよし、皆に聞こえるように心持ち大きな声でゆっくりとな」


 この奇妙な打ち合わせの間に、国王は自説の締めくくりに入っていた。普段は何かとかますびしい貴顕の男女も沈黙を貫いている。明らかに怒っている国王に面と向かって、貴方の命より大事な物が有る、とは口が裂けても言えないからだ。 


「アルメキアとは余のことであろう。違うのか?」

「陛下……」

「む、爺も存念があるのか?」

「いえ。エストのラウル=ジーゲル、奏上したき儀、これあり」


 普段は軽口を言い合う仲の紋章官が形式ばった口調を用いたので、件の貴族を詰めるのに身を乗り出していた国王は無意識に居ずまいを正した。一時的にではあるが、剣呑な場を収めたことで紋章官は半ば王妃の命令を果たしたことになる。

 次はラウルの出番だ。

 

「恐れながら申し上げます」


 こいつは何を言うつもりか、と陽光の間にいた全員が固唾をのんでラウルを注視する。彼はこれほど注目を集めた経験が無い。緊張を和らげるために深呼吸をひとつすると、頭に響くオトヒメの声に続いて上奏文を読み上げた。


れ、臣ラウルは井の中のかわずにして未だ大海を知らず。陛下の御目に懸かりしはたまさかなりて、かたじけなくも御引き立てたもうたエストの凡下ぼんげなり。また、只今高覧に供せし剣術は手妻のごとき裏技にて、し、騎乗の槍仕や弓の上手と仕合しおうては勝ちを拾うなど露ほども思わじ。かえすがえす、臣の剣術修行並びに鍛冶道は甚だ未熟にて、かかる半端の技を陛下の高覧に供し奉るは汗顔の至りなり。かくなる上はお暇をいただき、陛下の御威光に因りて四方平らかなる今、タイモールを巡りて一流の技を極めばやと思い奉るこそ罪深く、たとえ近衛辞退の非礼目に余りあるといえども、願わくば、諸国遊行、諸所立ち入りの御免下さるべく恐れ謹んで申す」


 井蛙せいあの例えは、狭い世界に生きて広い世界のことを知らないことを指して言う。取るに足らない小物が引き立ててもらったことを国王に感謝する一方で、たまたま国王に取り立ててもらったのだからそういじめないでくれよ、と彼を馬の骨呼ばわりした貴族に聞かせたとも解釈できる。

 また、剣術比べで勝ったのは苦し紛れの手品のような技を使った結果のことであり、正面切っての腕比べはもちろんのこと、乗馬しての槍試合や弓術勝負なら勝ち目はなかった、と正直なところを述べた。

 さらに、修行途中の未完成剣術を高貴な方々に披露したことはつくづく恥ずかしくことであり、平民ごときが考えるだけでも罪深いことだが、陛下のおかげで現在アルメキアはどこの国とも戦争をしていない平和ないまだからこそ、出奔してでも回国修行に出たい、と思いのたけを告げている。

 加えて、近衛騎士になりたくないと言ってもどうか怒らないで、あちこち見て回るのにひとつ協力していただけませんか、と願い出る形で締めくくった。


「このように申しております」


 自分の職務を突然思い出して取り次いだ体を装った侍従長以外は二の句が継げない。皆、ラウルの口から飛び出した古代東方諸島風の名文に開いた口がふさがらないのだ。実際、井蛙の例えは伝わりにくかったようで、


「カエル?」


 とコルネリア王女などは首をかしげている。

 しかし、国王には効果てきめんだった。怒っていたのも忘れてラウルの顔をまじまじと眺めている。国王の興味を引いて怒りを散らす意味では大成功と言えよう。


「見た目と言葉が不釣り合いだが……気に入った」


 文官でもない若者が昔言葉を流暢に操る様は誰にでも奇異に映る。つい先ほど凄まじい武技を見せた者と同一人物であることを考えたら興味を引かないほうがおかしい。実のところ、国王はますますラウルを手元に置きたくなっていたのだが、それでは上奏の甲斐がなくなってしまう。アルメキアの支配者としては、ラウルの文才に免じて願いを聞き届けてやるべきだった。


「侍従長、彼の望むところを書面にして遣わすように。余が許す」


 この場には王妃も女王もいたのだから、たとえ書面になっていなくとも、アルメキアにおけるラウルの行動は一切の制限を受けなくなったのだ。この国において王族以上の証人は存在しない。

 一方、周りにいた貴族たちもまんざらではない表情である。

 王族の後ろ盾を得た新参者が貴族社会に割り込むことなく勝手に出て行ってくれるのだから、これほど手間いらずなこともないのだ。口々に、まことに立派なお覚悟、とラウルを褒めそやすのにはうすら寒い思いをしたが、かくして、彼の公的な立場が確定した。


いつもご愛読ありがとうございます。

オトヒメさんが慌てて作文したので現代語訳が間に合わなかったお話でした。

さて、国王様は皆様にどう映りましたか。奥さんに頼り切りかと思いきや、消されないための処世術だとしたらどうでしょう。娘に甘いと見せかけて取り入る者が出てこないか見張っているのだとしたら。

物語に出てくる王様はものすごい完全無欠かどうしようもないスカポンが多いので、一風変わった王様を描いてみました。

徃馬翻次郎でした。

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