第169話 国王陛下の御免状 ②
おてんば姫、とはコルネリア王女のような人物を指すのだろう、とラウルは頭をさげたまま思った。王妃に似て美形には違いないが、気の強さと奔放さが前面に出過ぎている。剣術修行にしても王族の義務というよりは、我から進んで注力しているらしかった。相手は近衛騎士が交替で務めていたようだが揃いも揃って疲労の色が濃い。こっちは王女に手抜きと悟られない手抜きのやり様に苦慮していたのだ、と察しが付く。
そのコルネリア王女が国王の隣から命令を下した。ラウルの武功のもととなった実技を披露せよ、とのことなのだが、彼はなおも片膝付きの姿勢から動こうとしない。
(面倒なことになったなあ……)
(主様、これは避けられませぬ)
(やっぱり?)
ラウルはオトヒメと密談中なのだが、その様子を侍従長は逡巡と見て取った。
「いかがした?何か不都合があるのか?」
ラウルは考えている。
おそらく、王女の相手をしていた近衛騎士と対戦することになるだろうが、はたして勝負事態を受けるべきなのかどうか悩んでいるのだ。
彼の剣術は修行開始当時に比べると格段に進歩している。回避重視の軽妙な剣を目指していることは先に述べたが、自宅に居る間は毎朝のケンケンパに始まる体術修行を欠かさず行なっており、そこへ両親の指導、それも当初は一方的に殴られるばかりだった打ち込みが徐々に回復薬要らずに変化してきていた。
つまり、見切りと回避の技術がかなり高い水準で身についており、いわゆる“当たらなければどうということはない”妙技は実際なかなかのものなのだ。
問題は対戦相手との実力差があまりにも隔絶していた場合の影響である。これは相手が強すぎても弱すぎても後々の計画に齟齬をきたしかねない。
前者は見せ場を失って無様を晒す可能性があり、後者は悪目立ちしてほどよく出世する作戦が台無しになる。
(どうしようかな……)
(主様、ここは自分の意見を言うところではございませぬ)
(へッ?)
(国王に任せる、と言うべきところです)
(そ、そうなの?)
ラウルは半信半疑だが、この場合はオトヒメの助言が正しい。
そもそも眼前にいるアルメキア王国における最高権力者を差し置いて何かを決めるほうが間違いなのである。その意味においては侍従長は越権行為も甚だしい不敬を冒していることになるのだが、今回のように原因が王女にある場合はうやむやにされてしまい、苦々しく思うのは王妃だけ、という有様なのだ。
「国王陛下の御意のままに」
オトヒメの入れ知恵で放たれたラウルの言葉こそが王室の権威を尊重した正解であり、至高の王者個人に対しても敬意のこもった真っ当な表現なのだ。その証拠に紋章官は我が意を得たりとばかりに何度もうなずき、王妃は思わずはっとしてラウルを見やった。
そして、
「皆、陛下のお言葉をお待ちしております」
と彼女はラウルの意思を翻訳して夫に伝えた。
一方、このやり取りを聞いて暗澹たる思いに駆られたのはオトヒメである。昨日今日できた王朝でもあるまいし、これでは王の王たる所以が形無しである。もし許されるなら、ひとつひとつ王妃に説明してもらわないとわからないのか、と国王を面罵したい思いすらあるのだが、彼女の精神は見事なまでに抑制されていた。
(主様、道理をわきまえた立派なお答えです)
(この勢いだと木剣で試合させられることになるよね?)
(御意。よもや後れを取ることはあるまい、とは存じますが……)
ラウルとオトヒメが真剣に話し合っている会議の最中に、カール国王はいとも簡単に答えを出す。あごひげに手をやって考える素振りを見せはしたが、その実、即断に近い。
「余も見てみたい」
これで否も応もなくなった。
王妃は聞こえよがしにため息をつき、紋章官がラウルの元へ速足で寄ってくる。周りにいた貴族たちは見世物の開催に喜んでいたが、その本音はわかったものではない。
「なかなかどうして、見事な奉答ぢゃ」
「恐れ入ります」
「うむ。気晴らしの余興ぢゃと思うによって、くれぐれも怪我のないように」
試合の勝敗は騎士団員の採用に影響しない、と紋章官は耳打ちしに来てくれたのだ。身体を大事に、と付け加えるあたりは嘘のない気持ちが表れており、ラウルの導師として親身になっているのは見ればわかる。ほぼ四面楚歌に近い状態での応援は心にしみるものがあった。
さて、ラウルは先ほどまでコルネリア王女が訓練していた場所に移動している。貸与された手袋と薄い胸防具だけの簡素な身の守りだが、さして不安は感じていない。不安があるとするなら試合の過程でよそ行き一張羅が破損する可能性と身内以外と剣をあわせることが初めてな点である。
貸し与えられた木剣を二度振って握りを確かめた後、ラウルは少し離れて立つ対戦相手の近衛騎士にあいさつした。
「エストのラウル=ジーゲルです。一手御指南に与ります」
あくまでも相手の顔を立て、胸を借りたい、という丁寧なラウルの申し出に近衛騎士は色白の顔をわずかに紅潮させた。エストのヴィルヘルム隊長と似たような年恰好だと思われるが抜けるように色が白い。
「イザーク=メルダース。こちらこそお手柔らかに」
平民の若者相手にえらく腰が低い、とラウルは感じたので、早速オトヒメに問い合わせる。彼女はここ数日の情報収集でアルメキアの貴族社会にもいくらか詳しくなっていた。
(オトヒメさん、どんな人かわかる?)
(少々お待ちを……メルダース準男爵家当主。既婚。一男一女。王都近くに荘園を保有)
(うん?やっぱり貴族様なんだよね?)
(もとは騎士階級、準男爵は先祖が血煙を上げて突きとめた地位でございましょう。武によって立つお家柄ゆえ、修練も怠りなき御仁かと思いまする)
(生まれながらの武人ってことか)
(御意)
彼女の情報提供により、何代か前のメルダース家は平民と大差ない暮らしをしており、武人としての矜持と相まって貴族に染まりきらないイザークの人格を形成しているのだ、と判明した。
「よいかな?」
立会人を引き受けた近衛騎士の声でラウルは我に返る。同時に、力量不明の相手と立ち会う以上、初手は様子見で受けに徹すると決めた。
彼は軽く一礼すると中段に構えて試合開始を待つ。
「はじめ!」
合図の直後にイザークの闘気とでもいうべき威圧感が増してラウルを驚かせた。王女と打ち合っていた時には無かった空気によって、たとえ余興でも御前試合で手は抜かない近衛騎士の姿勢が明らかになった。
その闘気を察知して身構えたラウルを隙ありと見てイザークが一気に間合いを詰め、強烈な一撃を送り込む。これも女王相手の時とは異なり、掛け声のない無言の気合が込められた首筋から脇へ流れる斜斬りであった。
(うおッ!)
(主様!)
ラウルは受け流しを断念して後方へ飛び退って回避する。そこへ初撃を空費した近衛騎士の追い打ちが入った。振り下ろした木剣を逆袈裟気味にラウルの胴を狙ったものだ。凄まじい速度の打ち込みだが威力不十分と観たラウルは両手斬りで下段から擦り上げることでかろうじて弾く。
(強い!)
(負けてはいませんよ、主様)
なるほど、竜眼でイザークを見ても格上であることを示すどくろ印が表示されていない。感じているほど実力差はないことか、とラウルは気を取り直し、弾いたことによって生じた隙を利用して位置を入れ替わり、次の一撃に備えた。
繰り返しになるが、生身ラウルの剣術は回避に特化して反撃を狙うものだ。相手が隙だらけなら攻撃の初動や大振りの間隙を見逃さずに先制攻撃することもできるが、イザークには通用しそうもない。なにしろ、位置を入れ替えた直後に牽制の片手斬りを振り向きざまに送り込んでくるのだ。備えていたラウルはわずかに下がることでかわすことができたが、一瞬たりとも気が抜けない。
もはや、剣術だけで比較するならラウル以上であろう。
(付け入る隙が無い……)
(なんの、身体能力なら圧倒的優勢は動きませぬ)
そう言ってオトヒメはラウルをはげますものの、彼女は剣術に造詣が深いわけではない。確かに、竜王に授かった人工生命体は並の人間とは比較にならない強度と性能を誇るが、具体的な戦術については彼自身が編み出さねばならないのだ。
(結局、これしかないか……)
ラウルは構えを解いて脱力し、木剣を脇に垂らした。
(主様!?)
(まあ、見てなよ、オトヒメさん)
もちろん、これはラウルの誘いである。
回避を続けながら反撃の機会を待つラウル流剣術の基本を捨てる大胆な方針転換だが、完璧な対応を見せるイザークに作戦変更を余儀なくされた形だ。その作戦もどちらかと言えば引っ掛けの類に近い。
向き合っていた近衛騎士の顔に赤みがさす。
ラウルの無防備な構えをイザークは侮辱もしくは挑発と理解したのだ。彼は木剣を掲げて耳の横で構えた。これは刺突の準備動作である。
一拍置いて彼は猛然と突き込んだ。
ラウルは強化された肉体の力を余すことなく活用し、横移動しながら自らの身体を反時計回りに回転させることでイザークの突きを回避、その勢いのまま片手斬りをイザークの首元へ送る。近衛騎士もこの事あるを予測して突きから払い斬りに変化させたが、一瞬姿を消したかのようなラウルの高速移動に目が付いて行かずに挙動が遅れる。次の瞬間にはラウルの木剣がイザークの首に触れるか触れないかで停止していた。
「それまで!」
立会人の合図が聞こえたが、ラウルは身動きができない。本当は尻もちをつきそうなぐらい疲れていた。強いだけならクルトとハンナに及ぶ者はそういないのだが、初めての対戦相手にヘーガーの革防具ではないよそ行き一張羅を着ての試合、さらに国王の御前となれば必要以上に消耗したのも無理からぬことだった。
「降参だ」
「お手合わせいただき感謝します」
イザークは潔く負けを認めて手を差し出す。ようやく動くことができるようになったラウルは手汗をズボンで拭いてから握手に応じた。平民と貴族の間柄では考えられないことだから、エストから出てきたばかりの青年をイザークは一個の武人として認めていたことになる。
見世物を堪能した貴顕から拍手が起こったが、心無い喝采などラウルにとってはどうでもよかった。立会人に一礼した後、国王に向かって深々と頭を下げる。再び国王の面前に戻って跪くと王家の女性陣から声がかかった。
「噂通りね、エストのラウル=ジーゲル」
「確かに、尋常の手並みではありませんね」
王女と王妃は口々にラウルの戦いぶりを賞賛したのだが、国王は違った反応を示す。
「近衛に欲しいな」
これには周りにいた貴族がぎょっとして国王を見やった。
何やら揉め事の予感がするが、平民のラウルは勝手に口を開くことすら許されない。黙って事の成り行きを見守るしかないのだ。
いつもご愛読ありがとうございます。
模擬試合ですが戦闘回です。生身ラウルの剣術比べでは勝てません。上には上がいると申しましょうか、そこはまだまだ修行が足りないのです。
がんばれラウル!悪目立ちしちゃったけど大丈夫かな?
徃馬翻次郎でした。