第168話 国王陛下の御免状 ①
アルメキア王室が起居する宮殿は王都でも最も見晴らしの良い高台に位置する。その構造は白鳥が翼を広げたように中央棟から左右に建物が伸びていた。中央部分は円形の広大な庭園であり、色鮮やかな花々や植栽が超一流の造園業者によって管理されている。
左右の棟を玉座がある中央棟から向かって左翼や右翼と呼称するのだが、ラウルとハーゲン紋章官の二人が謁見場所として指定された陽光の間へと移動するのに時間がたいしてかからなかったのは、紋章官執務室と陽光の間が同じく左翼に位置していたからにほかならない。
その陽光の間は名に恥じない採光を確保するために贅を尽くした造りになっている。壁や天井のいたるところに大きな一枚硝子を使用しているのはもちろんだが、開閉式の雨戸を操作したり清掃を専門とする従僕が控えているのだから、建設だけでなく維持管理にかかる費えも相当なものがあると思われた。
冷え切った石造りの間よりは仄かに暖かい場所の方が運動に適しているだろうし、有事の際に王族が指揮官に任命されることを考えれば、王子や王女に剣術の訓練を課したり馬の扱いを覚えさせたりすることは王族の義務でもあろう。
本来、春先や冬の日差しを余すことなく楽しむ目的で、費用に糸目をつけることなくこしらえられたのであろう陽光の間に、木剣を打ち合わせる音に混ざってうら若き乙女の気合が響いている理由。
「姫様ぢゃ。よそ見をせんと付いて参れ」
「はい」(もうちょっと見たいッ!)
後ろに目でもついているかのようにハーゲンが小声でラウルを促す。
大人しく指示に従うラウルだが、陽光の間が訓練場と化している理由はともかくとして、指揮官が白刃を振るう状況について彼は考え込んでしまう。例えば、エストが他国の侵略を受けたとして、ブラウン男爵自ら剣を取る状況はエスト陥落間近の最終段階であり、騎士団や衛兵隊のような戦力が壊滅している最悪の状況と同義だからだ。
いつものラウルならスケベ精神を如何なく発揮して気合の主、正確には躍動する女体をくまなく観察し、王女から飛び散った汗が微粒子として拡散する部屋の空気を存分に深呼吸して堪能すべきところを今回に限って控えていたのは、紋章官の指示に従ったわけでも王女に敬意を表したわけでもない。最後の瞬間に備えて抵抗の剣を懸命に磨く王女が気の毒になってしまったのだ。
さらに、よそ見をする間もなくオトヒメの警告が竜眼に表示される。
床の一点に矢印が表示され、ラウルが肩膝ついて最敬礼をする地点を指示した。時を同じくして、彼の視野に割って入ろうとする近衛騎士の姿が映る。
(主様、目標至近。数歩の距離です)
(了解)
無駄のない所作で膝をついたラウルに気付いたハーゲンが振り返る。平民が立ち止まるべき地点として申し分なく、王者に対する礼儀作法として満点だったらしい。紋章官はにこやかに頷いて彼をその場に残し、窓際に向かって歩み続けた。
ラウルは頭を下げながら周囲を観察する。
竜眼を使わなくとも、広い陽光の間にけっこうな数の人が詰めているのがわかった。たった今、彼を押しとどめようとした近衛騎士の二人組以外にも数人の武人が壁際に並んでいる。王宮で忙しく働いている従僕より豪華なお仕着せをまとっているのが侍従、そのうえに金ぴかのモールで地位を顕示しているのが侍従長だろう、と察しがついた。
庭園に臨んだ窓際に据えられた椅子に腰かけて王女の訓練を見守りながら茶を楽しんでいる男女は国王と王妃だと思われるが、ラウルからは距離が遠すぎて判然としない。その周りに着飾った男女が数人いるが、これは王家に近い筋の貴族だろう。ただし、竜王の寵姫のように整列はしていない。まばらに、何人かは所在なく立っている感すらある。
(暇なのかな?)
(公達では)
(キンダチ……)
(王家に近い筋の高貴な方々でございましょう)
的外れの感想を持ったラウルにオトヒメが訂正を入れる。彼女は竜王以外の権威を認めないが、それでもラウルに恥をかかせたり不敬を働かせないよう気を配っているのだ。
(ご機嫌取り?お上手言う係?)
(それもありましょうが、御世継ぎが姫ひとりとあらば……)
(まさか、息子をあてがいに来てる、とか?)
(そのように俗な物言いが当てはまるかはさておき、出し抜かれぬように見張るお役目も含めて気の抜けぬことで、何ともはや)
知らぬ間に強力な競争相手が出現しないように監視するのもご苦労な事ですね、とオトヒメは言う。あてがう予定の子息も祖父や曾祖父の代に王へと繋がる縁者なのだろうが、この場合の問題は内戚として権勢をふるう気満々の親にあるのだ。あるいは自分の姓が新しい王朝の名称に冠されることを目論んでか、どちらにしても、そのような面倒事に巻き込まれることは避けたいラウルである。有難いのは、貴族社会における現状の彼は取るに足らない小物でしかない点だ。
いつの間にか紋章官は国王の間近まで進み、椅子をすすめられていた。すぐ横に近衛騎士が立っている。このことから彼が事前にラウルに説明した近衛騎士の阻止線は入り口を含めれば三重だったことがわかる。入室後まもなくラウルはそれ以上進めなくなり、紋章官のような側近でも直前でいったん制止されるのだ。
(国王様と紋章官様は何か話し込んでおられるな……)
(盗聴しますか?)
(い、いいよ。余計緊張するから)
(御意……主様の出番ですよ)
「ラウル=ジーゲル、御前へまかりいでよ、との御諚ぢゃ」
よく通る紋章官の声が響き、ラウルの前を塞いでいた近衛騎士たちが道を空けた。
(お茶に呼んでくれたのかな?)
(ご冗談を)
(……無造作に近寄るとしてもダメっぽいけど)
(距離を半分ほどにしてはいかが)
馬鹿を言ってはいけない、とたしなめるオトヒメは相変わらず一切の冗談が通用しない。しかし、彼女が指導するラウルの進退は礼儀にかなったものであり、国王の周囲に居並ぶ貴顕を心の中で唸らせた。彼らは“頭が高い”“控えよ下郎”“陛下の御前なるぞ”などなど叱責の言葉をふんだんに取り揃えて待ち構えていたのだが、ラウルがその隙を与えないのだ。
しかし、まだ遠い。竜王と違ってアルメキア国王は平民と直接会話する気がないようだが、それにしてもラウルからかなり離れている。
はたして国王が何事か呟き、今度は侍従長が伝達する形で言葉を放った。
「カール=ブロンザルト・アルメキア陛下並びに王妃にして摂政たるクラウディア妃殿下が特にお目通りくださる。ただし、親しくお言葉を賜ろうとも直答は許されぬゆえ心せよ」
ラウルは中腰のまま距離を詰める。
侍従長には平伏する体をとったが、直接口を利いてはならぬ、との命令には納得しかねるものがあった。もはや彼と国王の距離は指呼の間といってよく、口の動きまで観察が可能なのである。にもかかわらず、侍従長を通じて奏上しなければならない決まりは何とも非効率なように思えて、それがしきたりだ、と言われても直ちに胃の腑に落ちないのだ。
(なんだい、偉そうだな)
(主様、これが普通です。主様と竜王様が特別なのです)
(思い知ったよ……それにしても王妃様に政治を任せておられるとは初耳だね)
(カール陛下が病弱か、それともクラウディア妃殿下が切れ者か、あるいはその両方ということもありえるでしょう)
ラウルはオトヒメと心の中で会話しながらにじり寄り、所定の位置に着いた。目下訓練中である王女の尻をじっくり観察しても良かったのだが、それでは頭が横を向いて妙な格好になってしまう。仮にも国王の御前、彼なりに我慢のしどころ、正念場であった。
「エストのラウル=ジーゲルが初めて御意を得ます。格別のお計らいに感謝申し上げます」
移動の間にオトヒメの助力を得て暗記した口上を噛まずに述べ切ったラウルを褒めてやるべきだろう。繰り返しになるが、音声が聞こえる距離でわざわざ侍従長を通す体になっていることがラウルには不思議で仕方がない。なにしろ金モールの上級従僕はラウルの台詞を繰り返すだけなのだ。そうまでして直答を阻む理由こそ不明だった。
また、口上を終えて頭を垂れていたラウルの聴覚は木剣の剣戟と気合が止んでいるのを捉えている。若干乱れた息遣いと足音から、王女が訓練を中断して一息入れにくる気配を感じていた。
「爺から聞いた……てっきり大男が来ると思ったが」
重々しく頷きながら国王は最敬礼に応えた。
爺とは紋章官の親し気な呼称であり、これはハーゲンが言うところの気楽に目通りが叶う間柄を証明している。さらに、招待する前に報告書に目を通す程度のことはしたらしい、とラウルは察する。たしかに、エストとポレダの騒動を解決した豪傑ならクルトのような人物像が相応しいが、それを口に出されても臣下としては有難くもなんともない。華奢ですみませんね、と嫌味を言える相手ではないのだ。
「エストの民を救いポレダの怪異を収めたのはあなたですか。聞けば名工クルト=ジーゲルの息とか。あなたのような臣民がいることを嬉しく思います」
やはりと言うか、国王より王妃が事情を詳しく把握しており、労いの言葉も洗練されていた。たとえ世辞であっても王族からご苦労様の一言があれば励みになる。
しかし、どちらにしても、ラウルはより一層頭をさげて言葉を頂戴するしかない。受け答えが許可されていない以上、この場をやり過ごして紋章官の口説に期待するだけなのだが、王女が割って入ることで彼の計画が狂い始める。
「まあ!巷で名高い勇者様ね」
「よしなさい、コルネリア」
「あら、噂通りの方か見たいだけよ」
「よいではないか。さあ、汗を拭いて座りなさい」
国王が果てしなく娘に甘いことは周知の事実であるらしく、王妃以外の者は苦笑いして横入りの非礼をとがめられずにいる。そもそも、話を遮られた当の国王が相好を崩して横入りを認めているのだからどうしようもない。
「噂にたがわぬ英傑なのかしら?」
「……」(コルネリア様……装飾の多い机が邪魔だ)
もう少し頭を上げることができれば王女の全身を視界に収められるのだが、身を屈めたままでは如何ともしがたい。横移動か身体の向きを変更できれば椅子に腰かけている女王の下半身を余すことなく観察できるのだが身動きも難しい。
ラウルがもぞもぞしていると侍従長から強い語気で促された。
「どうした?王女殿下のご下問である」
実は、この時点でラウルはほとんど中っ腹である。
直に口を利いてはいかん、と言った舌の根が乾かぬうちに、さっさと答えろ、と言う。これほど人を馬鹿にした話もないのだが、平民をいいように引き釣り回して許されるのが貴族なのか、と思うと益々嫌気がさすのだ。
(我慢我慢)
(その意気です、主様)
オトヒメが居なければ無言になっていたかもしれないほどの腹立ちだったが、大変な失礼を働く前にラウルはかろうじて返答することができた。
「運よく生き残りました」(一回死んだけど)
「運ですって?謙遜はいけませんわ」
侍従長を経由したラウルの奏上をコルネリア王女は一笑に付す。彼女も関係各所から上がってきた報告書を読んだらしく、ラウルの逃げ口上を許さない。
「……」(この話の流れは……)
「後学のために武功の一端を披露していただけません?できれば実演で」
王女は剣術に対する純粋な好奇心以外のものはないようだが、取り巻きの貴族たちが王女以上に乗り気になっており、気のせいか、成り上がり者の新規参入を許さない陰険な意図が透けて見えた。
いつもご愛読ありがとうございます。
陽光の間はサンルームだと思っていただければ幸いです。
モブ貴族が国王を囲んで半円形に展開している微妙な距離感を表現したかったのですがうまくお伝えできたでしょうか。この場面に登場する貴族は、呼ばれてもいないのに国王の自由時間に随行できる程度は親密な遠い親戚の皆さん、みたいな感じです。
徃馬翻次郎でした。