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第167話 一歩下がって二歩進むはずが百歩進んだ件 ③

今さらですが、紋章官の“ぢゃ”はタイプミスではございません。


 鍛冶職における放浪の徒弟制度と相性の良い騎士の仕組み、騎士が領地に留まらずに大陸中を練り歩くことができる例外をハーゲン紋章官は探していた。

 戦時以外は領地を肥やし守ることが領主たる騎士の役目である以上、ラウルの願いは望外であろう。騎士といえば戦場での華々しい活躍のみが取りざたされるが、それは任務のうちのひとつに過ぎない。装備を買い求め兵を募るには潤沢な資金が必要不可欠であり、そのためには収入源である領地の運営に精魂を傾けなければならない、というわけだ。領民から搾り取ることもできるが、民草を思いやることを忘れた領主は早晩嫌われて反乱の責任を追及されるのがオチであり、これはブラウン男爵のような地方領主でも同じである。


 仮にクルトが領主であれば状況が変わったかも知れない。いったん騎士の身分を獲得した後はほぼ世襲に近い。子息が成人するまで見習いをさせ、時期を見て騎士団に推薦するのだ。そして、後継者を武者修行に出す、と言えば申請が通る。

 そう考えれば領主である騎士の回国修行など無理押しもいいところなのだが、ラウルの願いが正にそれなのだ。 


「領主自らが諸国を歴訪した話は馴染みがなかろう?」

「ありません」

「私も……」

「ひとつあるとすれば遍歴の騎士ぢゃが、王宮でもよく読まれておる物語の中にしか存在せん。我が国の制度として申請、承認された記録が無いのぢゃ」


 かつては冒険を求めて賞金稼ぎのように大陸中を巡った騎士もいるにはいたが、記録に残っていない伝説上の存在と化していたのだ。


「今節、槍試合や武芸大会が国中で頻繁にあるわけでもなし、そもそも旅の目的が観光ぢゃろうが世直しぢゃろうが、領主が領地を飛び出して良い理由にはならん。公爵や伯爵のような大物が視察や報告にかこつけて出かけることはあるが、そなたの身分ではな……」


 これが大前提であり、騎士ラウルの移動を制限する要因である。


「ぢゃが、そなたの場合は領地が自宅のみ、留守居役として名工クルト並びにノルトラント伯の娘が予定されていることを考えれば……」


 遍歴の騎士と言えば聞こえが良いが、教訓込みのおとぎ話が出典では根拠が薄い。とは言え、貴族社会の人口に膾炙かいしゃしていることを考えれば影響力を無視できない。 引き合いに出す際の説明が不要なのだ。

 さらに、エスト南周辺の治安維持にジーゲル夫妻が一役買っているのは公然の事実であり、その噂は野盗のような連中にまで聞こえている。予定されている納税世帯がジーゲル家だけであることを加味すれば、領地を守り育てる義務は現在進行形で果たされている、と言っても過言ではない。

 ハーゲンは遍歴の騎士と放浪の徒弟を組み合わせた筋書きを国王陛下の御前で開陳しようと決めた。


「うむ。やはり、これで行こう……誰かある!」


 紋章官は隣室から従僕を呼び寄せると何事か命じて去らせ、自ら筆を取って筋書きを書き始める。しばらく沈黙が部屋を支配したが、とうとうリンが我慢できなくなって、


「何が始まるのでしょうか、紋章官様」


 と問いかけるがラウルも同じく不安顔だ。


「ワシの数少ない特権のひとつに、国王陛下の御前にはべることが許されやすい、という筆舌に尽くしがたい喜びがある。家庭教師ほどではないが、一時期お側にすることが多かったせいかのう、今でも時折ご下問と称して親しく歓談してくださる。有難いことぢゃ」

「つまり……」

「今頃は朝の会議と引見いんけんを終えてくつろいでおられるか、家族の時間を過ごしておいでのはずぢゃ。そこへ我々がまかり越してお時間をいただく。後はワシの舌先ひとつぢゃな」


 ラウルとリンは絶句した。

 これは二人の飛び込み営業式電撃訪問をはるかに超えている。国王に会いたい、といったみたところで即日願いが叶うものなのだろうか。緊急事態を除けば、高貴な身分の者であっても何日も前から願い出てしかるべきではないのか。


「公式にはその通りぢゃ。あくまでもワシが設けるのは非公式の引見、万一ご不例ならば目通りなどもってのほかぢゃが、その時は諦めるしかなかろうな」


 不例とは貴人が病気になって具合が悪い様子を意味する。

 庶民的な感覚で言えば、ひと仕事終えて機嫌よく遊んでいるのなら暇つぶしに会ってくれるかもしれない、ということなのであろうが、その感覚が王族に通用するとは思えない。

 しかし、二人の予想を完全に裏切る報告が使い番の従僕からもたらされた。


「陛下は今しばらく陽光の間におわします。よって、特に拝謁を許す、と侍従長様からお言葉がありました」


 まことに人生とは双六のようなものである。

 それにしても、昨日は紋章官と予定が合わずに一泊休み、今日は紋章官との面会だけでなく非公式ながら国王にまみえるとは、五歩も十歩も飛び越した感がある。

 この跳躍は実のところ、ラウルのわがままを通してやるにしても、新年の祝典の際に奏上していたのでは横紙破りのそしりを免れず、最悪の場合は国王陛下の不興を被りかねないことを危惧した紋章官の思惑によるものだった。

 

「聞いたか、騎士ラウルよ。そなたは今から国王陛下拝謁の栄に浴するのぢゃ」

「やったね、ラウル!こんなの滅多にないことだよ、いや、ありえないよ」

「お、おう」(本当に幸運なのか?何の準備もできてないぞ)

(万事お任せください、主様)


 ハーゲンは根回しなしで最高の栄誉がもたらされたことに感激しており、リンは思いもしない機会が転がり込んできたことに興奮している。ところがラウルは不安と緊張で卒倒しそうな有様である。オトヒメがかろうじて支えなければ本当に腰が抜けたかも知れなかった。


「お嬢さんのお供はここまでぢゃ。すぐに終わるぢゃろうから、この部屋で待つように。心配せずとも謁見の模様は後で教えてつかわす。良いな?」


 紋章官の言葉は丁寧だが、これは厳然とした命令である。むしろ、リンの待機場所を用意してくれたことに感謝すべきだろう。


「仰せに従います。ラウル、頑張ってね」

「う、うん」(頑張るのは紋章官様だよ)


 立ち上がったラウルの服装を整えて髪の毛に手櫛を入れるリンは若妻のようであり、思わず紋章の図案を思い出したハーゲンだが、祖父のように微笑ましく見守った。


「よいかな?」

「よろしくお願いします」

「見たところ、文句の付けようがない立ち居振る舞いぢゃ」


 実はオトヒメの言う通りに手足を動かしているだけです、とは口が裂けても言えないラウルであるが、紋章官の高評価に喜ぶ素振りを見せて会釈した。


「よしよし、御前にまかり出た時は距離に気を付けよ」

「距離と申しますと?」

「ワシはお側近くまで参る。そのまま付いてきたら近衛につまみ出されるぞ」


 実際はつまみ出されるだけではすまず、痛い目に遭うことになるだろう。


「よいか、そなたはまだ平民ぢゃ。片膝をついて頭を垂れよ。下郎、頭が高い、と侍従に怒鳴られてからでは遅い」


 紋章官は謁見の際における国王との距離感覚を手早く紙上に示した。彼の説明では陽光の間に入っていくらもしないうちに平伏することになる。


「これは……部屋の大きさにもよりますけど、声が届かない距離でしょうか?」

「うむ。陽光の間は広い」

「……」(具体的に近寄っていい距離がわからん)

「そう心配せんでもよい。近衛騎士の阻止線が目印になるぢゃろう」


 国王に許可なく近づく慮外者を阻み食い止める線が引かれている、とのことだが、それとて床に目印があるわけではない。

 ハーゲンは簡単に言うが、その阻止線を越えたらどうなるか、身をもって知ることになるのはラウルだけである。紋章官に恥をかかせるわけにもいかず、極度の緊張に因る身体のこわばりはますますひどくなった。 


 さて、紋章官に続いて部屋を出たラウルは大人しく先導されて付き従う。余計なことをしようにも王宮内の地理は不案内で、うっかり壊すと一生かかっても弁償できないような調度品がそこここにあるから気が抜けないのだ。

 どうやら玉座がある王の間に向かうのではないことは聞いているが、その王の間にしても所在すら謎なのである。オトヒメの事前調査でも王宮の見取り図を入手することはできなかった。そんなものが流出すれば一大事なのだから、入手できなかったことで王宮の防諜態勢が機能している証拠にはなる。


「ここぢゃ……王国紋章官ハーゲン=ユーベルヴェークが至高のお方に拝謁つかまつる」


 ハーゲンの名乗りは扉を守る近衛騎士に聞かせたものだ。


「伺っております、紋章官殿とお連れ様」

「陛下がお待ちです」


 近衛騎士たちが両開きの大きな扉を開ける。

 途端に廊下に明るい光が漏れだした。同時に聞こえてきたのは懐かしい音だ。木剣で打ち合うことにより発生する剣戟の硬質な音である。

 さらに言えば、剣戟の合間に聞こえる気合の持ち主のうち、少なくとも片方は女性だ。


いつもご愛読ありがとうございます。

ほんの少し出世したかっただけなのに、ご褒美が大きすぎて計画を修正中のラウル君です。いい領主になりそうな気もするのですが、彼には冒険に出てもらわなければいけません。

がんばれラウル!騎士ラウルの門出は近いぞ!

徃馬翻次郎でした。

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