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第164話 【こぼれ話】有能すぎる秘書のつぶやき【オトヒメ】


 この世界における書籍は貴重品扱いになっていて、収集や新品の販売はもっぱら富裕層や権力者向けのものであることは繰り返し述べた。

 現実世界においてラウルのような鍛冶屋の子せがれごときが手を出してよい趣味では決してない。ましてや、本棚に美品を陳列するような経済的余裕も無ければ、そのための空間を確保することも難しい、というのが一般庶民の常である。


 ところが、目下ラウルが目にしているのは簡素だが歪みのない材質で作られた本棚に並ぶ書籍の数々である。

 ここは彼の精神世界内にある一軒家であり、だからこそ可能になった庶民では叶わぬ夢の書斎なのだ。つまり、本の見た目をしているが、実体の存在しない文字か図表情報の蓄積でしかないのである。

 山と積まれた書籍(に見える情報)を分類して本棚に収めるのはオトヒメの役割なのだが、彼女は不満げであり、この仕事の意義を疑っている。


「主様、これは本当に必要なことなのでしょうか?」


 言葉遣いこそ主従の枠を破ってはいないが、取り込んだ文字情報を手に取って触れる形にして表示しておくことに意味を見いだせない、というのが彼女の抗弁だ。処理速度低下の原因になるだけ、とも言ったが、ラウルは異議を却下した。


「わからないかな?ずらっと並んでるのを見るのが好きな人もいるんだよ」

「目録で十分ではないかと思慮いたします」

「オトヒメさんならそう言うだろうと思ったよ。だけどさ、ここなら自分の部屋を圧迫しない!汚れない!燃やされる心配もない!」

「……確かに、聖タイモール教会とか申す奴輩やつばらの専横は目に余りますが」

「だろ?」


 教会は王国法をたてにとって、宗教的権威を脅かす書籍を回収してはせっせと燃やし続けている。なかには焚書を逃れてマグスの手元に渡った幸運な一冊もあるが、当局の取り締まりから完全に逃れられる場所なぞアルメキアには存在しない。


「さりながら、主様みずから図書ずしょのごときお振舞、世に冠たる竜の子のなさりようにてはよもあらじ」

「ズショ?」

「書籍や筆記用具を扱う役人です」


 要するに、竜王の命を受けた竜の子がわざわざ時間を割いてすることですかね、とオトヒメは言いたいのだ。


「誰かがやらないとダメだろ?こんな世の中じゃあ、何かあったらすぐに燃やされてしまうよ。珍しい本を見たらすぐに記録させてもらうぐらいで丁度いいんだ。第一、何が教会を怒らせるのか、オレだってよくわかってない」


 一理ある、とオトヒメは思った。

 書店巡りをしてわかったことだが、発禁本の取り締まりにかこつけて大がかりな情報操作が行なわれた形跡があるのだ。

 信仰に流行り廃りがあるのはわかる。しかし、タイモールの神を除く一切の信仰対象を消し去る、というのは尋常ではない。発禁本の回収と焼却はそのもっとも顕著な形をとったものであって、実際にはあの手この手で人々の脳裏から他の神々を追い出しにかかっていた。竜王もその例外に漏れない。竜の祠は打ち壊され、竜王御寝所は埋め立てられて墓に作り替えられていると聞く。

 一神教という形態が時に峻烈な厳しさで他宗教排撃に傾くことは珍しくないが、全ての国で竜の祠が破壊されているとしたら話は違ってくる。

 この件に焚書と同じく教会と聖騎士がからんでいるとして、そして、世界規模で神々の消去とでも命名すべき何かが起きているのだとしたら、新米の主様が目指す旅の終わりはとんでもなく遠くつらいものになるのではないか、と案じるオトヒメがあった。


「オトヒメさん?」

「……失礼しました。宮廷儀礼と紋章関係の情報は適時ご案内させていただきます」

「助かるよ」


一夜漬けでリンが身に着けている上品形態の水準に追いつけようはずもないので、王宮訪問中に必要とされる儀礼や知識をラウルはオトヒメの補助で乗り切る算段なのである。本屋巡りの成果が試されるわけだが、それも竜眼という彼には理解不能の謎能力あってこその計画になっている。


「さして記憶容量を圧迫するとも思えませんし、記録だけなら問題は少ないでしょう」


 後は知識を利用する側、すなわちラウルの問題だ、とオトヒメは言い切った。


「頼もしいね」


 確かに頼もしい。

 しかし、全く仕組みのわからないものに頼り切っている自分が恐ろしくもある。聞いてみたところで理解できる自信はないが、何もかも“こちらの世界でいうところの魔法のような何か”として片づけるには無理があるのだ。


やすんじてお任せあれかし」

「うん、それは信頼してるけどさあ」

「……何か?」

「竜王様の神通力だっけ?別世界の魔法のようなものだとは聞いたけど、時々オトヒメさんの言ってることが全然わからないし、例えば、竜眼に使われている技術の根本というか……上手く言えないな」


 まとまりに欠けるラウルの質問だったが、おおよその意味はオトヒメに伝わった。竜の力の由来が知りたい、ということなのであろう、と彼女は察しを付ける。


「わかりました。長くなりますが宜しいですか?」

「頼むよ」

「では……かつて竜王様がおわした世界は卓越した科学技術に支えられて高度に発展した文明社会でありました。こちらの世界を原始時代とまでは申しませんが、魔法の要素を抜きにする仮定をお許しいただければ、おおむね正しい評価かと存じます」

「カガク?ブンメイ?」

「主様のような鍛冶師、工芸師や薬師の方々がもっと複雑なものを作ることができ、仕事の一部はからくりが代行していたとか」

「本当かよ」


 夏の暑い盛りに鍛冶仕事を代わってもらえるのなら素晴らしいことではないか、とラウルは単純に思った。完全にとってかわられた場合は失業待ったなしなのだが、彼はその可能性に気付いていない。もっとも、名工クルトのような職人芸をからくりが再現出来る日が来れば、の話ではある。


「その世界の高速移動手段を使えばタイモール大陸程度の大きさなら横断するのに一日もかからないはずです」

「もしかして空を飛ぶんですか?」

「左様です。それに、大陸の両端からでも瞬時に意思疎通できる通信手段が存在していた、とも聞きました」

「手紙も空を……いや、もっと速い……竜王様の夢通信がみんなできるってこと?」

「見合った対価さえ支払えば、でございます」


 オトヒメは魔力ではなく対価と言った。

 つまり、竜王が居た世界では魔法ではなくからくりが幅を利かせていたのだ。オトヒメが説明する移動手段や通信技術の革新は本来必要とされる時間と移動せねばならぬ距離の垣根を取っ払う力を有していたから、広大なタイモール大陸がちっぽけに感じられるのも無理からぬことだ。

 そして、それらを入手できる資格が魔力ではなく金銭の多寡である点も驚きだった。


「そんな世界で竜王様は何をしてらしたんです?立場と言うか職業と言うか……」

「王でも神でもあらせられなかった頃の話ですね」

「う、うん」(いつから王になったんだろう)

「竜王様のような方は能力者もしくは超能力者と呼称される異能の者として、特別な職に就くことが出来たそうです」

「ノウリョクシャ」

「一日中夢を見るお仕事に就かれる方が多かったとか」

「夢?」

「未来のお告げを授かる夢です」


 安定した成果を出すことが可能な水準まで予知夢の研究がすすんでいた、という説明はラウルの理解を超えている。なにしろ彼は起きた瞬間に見ていた夢を忘れてしまうような人間だからだ。夢から予知を抜き出して可視化するからくりが実用化されていることこそオトヒメの言う科学と文明の力なのだろう、とラウルは得心する。予知を得る代償に寝ることが仕事になってしまう能力者の幸不幸は一概に言えないが、それで自然災害や大事故を予防できるなら救われる民草は数知れずであろう。

 同時に、それだけの技術があるのならば、飢えや貧困が存在しない平和な世界が構築されていたに違いない、と羨ましく思ったのだがオトヒメは首を横に振った。

 

「まことに主様はお優しいこと」

「……え?平和にならなかったの!?」

「残念ながら、技術革新が人々の心持ちまで平らかにしたわけではありませんでした」

「そんな……」

「種族間の対立が一朝一夕で雲散霧消するはずもなく、技術を持たざる者は持つ者を出し抜こうと必死になります。一方、持つ物は持たざる者を容易に認めようとしません」

「ちょっと待って、まさか、その高度な技術をそのまま戦争に……」


 オトヒメの語る異世界兵器は科学技術と人を人とも思わぬ心が組み合わさって生み出されたものだった。

 ほんの数滴でエスト村を壊滅できるような毒霧や、爆発魔法に似た一撃でタイモール大陸をまるっと吹き飛ばしたり、はるか上空から一方的に土魔法のような飛翔体を送り込むからくりは聞いていて寒気がした。

 領地を分捕ったり奴隷用に村人を捕まえたりすることは眼中にない。異世界の最新兵器は敵対勢力を根絶やしにする事が主眼に置かれているのだ。 


「実際、その世界は一度滅びかけたそうです」

「自分たちの手で首を絞めたってこと?」

「然り。予知をすり抜けたのか、間に合わなかったのか、はたまた意図的に見逃されたのか、今となっては検証も不可能ですが、竜王様がこの世界にとどまり続けておられるところから拝察しますに、元の世界はもはや住むに値しなくなっているのだ、と思われます」

「なんてことだ」


 暮らしが便利になれば回りまわって人々の心も豊かになる、と信じているラウルにとって、竜王がいた世界の結末は予想外であり悲惨の一語に尽きた。


「長くなりましたが、主様が不可思議に思われる竜の力、その一部は竜王様がいらした世界の失われた技術を再現したり魔法で置き換えたりしたもの、ということになりましょう」

「そうなのか……勉強になったよ。ありがとう、オトヒメさん」


 当初はラウル英雄化計画に否定的だったオトヒメも計画が動き始めてからは協力を惜しまなくなっている。文句は言うが仕事はする信条の彼女で助かった、とラウルはつくづく思う。

 そもそも、大陸中回るために少し偉くなって身動きしやすくする、という計画自体が彼女にしてみれば姑息で歯がゆい限りなのだ。だからこそ、竜の力を十全に行使して心のままに奪え、食らえと何かにつけてラウルをあおるのだが、彼がまったく乗ってこないので最近は若干あきらめ気味である。


「しからば、今少しこちらの申しあげることも聞いていただきたく存じます」

「なにかな?」

「隣室にて御寝およたまいし亜人の娘御むすめご……」

「待て待て、リンのことを言おうとしているなら何も聞かないぞ。大事な友達なんだよ。食べようとも思わないし寝込みを襲ったりも……しない!」


 主様は大分重症だ、とオトヒメは思った。

 まず、彼女が質問する前にラウルは全て答えてしまっている。これではリンに気があることの自白にしかならない。そのくせ手を出さないのだから、オトヒメの感覚では理解できない気色の悪さがある。手に汗握って辛抱するのはかえって健康に悪いのではないか。


「横に座って手を引かれてみればいかがです?否やはない、と見受けますが」

「ほ、本当?……違うッ、リンがよくてもオレがダメなんだよ。彼女の手を引く資格が人食い鬼にあると思うか?こっちはいつ死ぬか分からない生き物なんだよ!この話は終わり!」

「……御意」


 ラウルの視線を共有する機会が多い彼女は信じられない思いだ。主様は女嫌いではないはず、むしろ好きなはず、とオトヒメは断言できる。常に女性の尻を追いかけていると言っても過言でもないラウルの視線を亜人の娘が承知している節があるのも謎だが、彼の異性への接し方こそ不可思議千万である。


 やがて会議は終わり、ラウルは姿を消して本格的な休止状態に入った。精神世界で休みなく働くこともできるのだが、徹夜の無理は発熱という形で実体に影響を及ぼしてしまうことが判明していた。これは竜王にはない症状だったから、急造で間に合わせた人工生命体の不具合が考えられる。欠陥箇所は特定できていないが、致命的な故障を誘発する前に使命の旅を進めねばならなかった。


「さてもさても、主様こそごろめずらかなる男子おのこにてありつるよ」


 やれやれ、ウチの主様はとんだ変わり者だ、とオトヒメは思わず独り言ちる。

 巨大な力を手に入れた途端に豹変する俗物よりよほど立派な人物だが、その為に使命の旅が滞っては褒められたものではなくなるだろう。

 オトヒメは気分を切り替えて資料の整理にかかった。勝手知ったる宮廷儀礼も所変われば品変わる、細かい差異まで押さえておかなければラウルが恥をかく。

 幸い作業はごく短い時間で終わり、彼女は急の呼び出しに備えて待機状態に入った。


 現状、彼女のつぶやきは愚痴のようなものでしかない。

 彼女が好もしくさえ思っているラウルの優しさ、珍かなる部分が強大な竜の力と衝突することで大騒ぎになるのはまだまだ先のことなのだ。


いつもご愛読ありがとうございます。

竜王が人類に対してやたらと厳しい理由のひとつが明らかになりました。世界を丸ごと破壊されるよりは定期的に思い上がった人類を粛清するほうがヘルシー理論はまさに破壊神。そうまでしてこの世界、この星を守ろうとする理由については後日のこぼれ話で書きたいと思います。

徃馬翻次郎でした。

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