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第162話 この子竜の子秘密の子 ②


 リンとラウルは臥竜亭の酒場でやや遅めの豪勢な昼食を終えた。

 給仕に卓上を片付けさせ、打ち合わせ場所として継続使用する。念のためカウフマン夫人に一声かけると、どうぞご自由に、と気のいい返事が返ってきた。


「明日は寝坊しないでよ。紋章官様を待たせるなんてとんでもないことだからね」

「了解」


 もともとラウルの寝起きは心配がいらないから、これは夜更かしに繋がるような真似をするな、ということである。


「朝一番で会って下さるのは幸先良いわね」

「今日の夜遅くでもよかったんだろ?予定を話し合ったのは従僕頭さんだっけ?その、今晩に詰めると思ったんだけど」


 別段、ラウルはリンをなじっているわけではない。

 当たって砕けろ式の飛び込み営業をかけたのは、日程を前倒しに出来れば出来るほど良い、という前提に立ってのことではなかったか、という確認である。


「それね。ラウルの言う通りに今晩お邪魔することもできたけど、逆の立場ならどう思う?」

「逆?」(ウチに客が来るとして、ってことかな)

「うん。私と紋章官様を比べるのも失礼なんだけど、例えば、就業直後のお客様と閉店間際に滑り込んでこられたお客様ね……完全に同じ接客ができるか私は自信ない」


 これは意外であった。

 クラーフ商会の業務に沿った例えは理解しやすかったが、リンのような優等生でも己を御しかねることがあるのだ、とラウルは率直な感想を持った。彼女のことだから露骨に表情に出したりはしないだろうが、紋章官も同じ人間である以上、夜は家族や寝床に意識が向いていてもおかしくないのだ。

 

「客商売の職員がこんなこと言ったらダメだよね」

「ダメじゃないよ、オレだって晩飯の後は何もしたくない」

「うん。だからね、緊急でない場合は“翌日に改めさせていただきます”を選んだほうが無難かな」

「な、なるほど」


 このへんの押し引きはさすが商会幹部の娘とラウルに思わせるものがリンにはあった。


「よし。次は今日の予定ね」

「おう」

「陽があるうちに書店とマグスさんのお店を回るのはどうかな?」

「いいね」(知り合いかな?)

「本を買ったり写したりする必要が無いのは本当なの?魔法かなにか?」


 これは竜眼を経由して見た映像をオトヒメに記録させる機能のことだが、魔法のようなもの、という体で彼は押し切ることにした。リンには悪いがラウル自身要領よく説明できる自信がないのだ。


「本屋さんが気の毒だから一冊ぐらいは買わないとな」

「本当なのね?呆れた……」


 リンがラウル研究のために費やした時間と労力が馬鹿馬鹿しくなるような話だが、彼女は気を取り直して書店案内を始めた。

 臥竜亭を出て連れ立って歩きながら相談し、新品を扱う高級店と程度のいい中古本を扱う店を巡ることにする。


「ごきげんよう。紋章や宮廷儀礼に詳しい本を探しておりますの。よろしかったら連れの者にも見せてくださる?いえ、連れの接客はけっこう。お勧めはあるかしら?」


 数軒の書店訪問を全てこの伝で乗り切った。

 王宮に伺候した時と主従の役割が入れ替わった形だ。リンは見るからに上客なので店主は張り切って接客する。その間にラウルが立ち読みさせる魂胆である。書籍の価値を記載されている情報とするならば、ラウルの行為は窃盗に近い。ところが、外見上はリンの付き添いで立ち読みしているようにしか見えないので店主も怒るわけにはいかない、といったところだ。


 この若干せこい感じのする竜眼の使用方法にオトヒメはきっと文句を言うだろう、とラウルは覚悟したが、靴と鞄で散財した彼は背に腹は替えられない状況にある。せいぜいオトヒメの要望に従って竜眼に強調表示された本を手に取り、せっせと複写作業にいそしむほかなかった。


(どうかな、オトヒメさん)

(主様、目下分類及び整理中です。ご報告は御休みの時にでも)

(わかった)


 口を利けない状況で助言を受けたり相談できる技能こそ特筆すべきであろう。竜眼の機能と併せれば暗記物や筆記試験でラウルに敵うものはいないのだ。経典を丸暗記すれば宗教界隈では並ぶ者なし、王国法をそらんじさせれば老練の法吏もはだしの若者ができあがる。

 しかし、それでは悪目立ちである。

 神童として奇跡認定されるどころか、かえって既存の権威を損なう脅威として認識され、最悪の場合は悪魔の手先として処刑されかねない。竜の子の力は当分の間あくまでも秘密に、英雄化計画に支障のない範囲で行使する必要があった。


(鍛冶屋の跡取りがたまたま手柄を挙げただけ、という線を外れすぎてもいけない、ってのが難しいな。頭のいい人や教会の連中を敵に回さないように……注文多いよ!)


 とはラウルの偽らざる心情だが、英雄化計画はこのような繊細な調整が随所に必要とされる綱渡りなのだ。大陸中を見て回るのに支障ない身分がそう簡単に手に入るわけもなく、彼からすれば活路は綱どころか糸の細さなのだ。


 リンの買い物とラウルの立ち読みが終わったころには陽が傾きかけていた。

 冬が近づくにつれて陽が射す時間は短く、陽光はますます貴重なものになっている。

 マグスの骨董品店は営業中で冷やかしの客もちらほらいたが、店主は特に熱心な接客や売り込みをするでもなく帳簿を繰っていた。


「いらっしゃいませ、リン嬢ちゃんと……あー、エルザの従僕だったか弟子だったか……」

「ラウルです。先日はお世話になりました」

「その礼儀正しさで思い出したよ。どうだ、ウチの道具は役に立ったか?」

「ええ。そのおかげで助かった命があると言ったら、マグスさんはびっくりしますか?」


 これはラウルがサーラーンの隊商に便乗した際の話だ。

 方角を指向する魔法道具を預かるハディード商会の奴隷が粗相をして処刑されそうになった事件である。太陽教徒が祈る方角さえ判明すれば問題なかろう、と彼が非魔法道具の指南木を提供して事無きを得た一件はハディード商会の隊商員たち、とりわけ番頭のウルケシュ=アーメド=ナジーブから大いに感謝と尊敬を受けることになった。


「へえ!それはちょっとした冒険だ……けどな、よそ様のやり方に口出す時は気をつけろよ。特に宗教がからんだときは命のやり取りになっても不思議じゃないぞ」

「それは向こうの人にも注意されました」

「だろうな。まあ、無事で何よりだ。それで今日はまた何かお買い上げくださるのかな?ウチの会員証はまだ持ってるよな?裏側がお月さんで一杯になるまで買ってくれ!」


 冷やかし客が二人ほどいたのだが、苦笑いをしながらリンとラウルに通路を明け渡して退散した。品ぞろえが大幅に改善されたとはいえ、真贋不明の古道具に大枚叩く甲斐性もなければ鑑定眼もなかったのだろう。


「またどうぞ!」

「邪魔しちゃった?」

「いいんだよ、リン嬢ちゃん。それよりお宅らはどういう関係なんだ?連れ合いか?」


 そうなればいい、とリンは常々思っているが、今は情報収集優先である。二人は互いにエスト村民である旨を告げた。


「そうかい。世間は思ったより狭いな。まあ、ゆっくりしていってくれ」


 ラウルは商品陳列棚や本売り場に目をやるが、竜眼が一切反応しない。オトヒメから見て有力な情報源とはならなかったようだ。彼女の眼鏡にかなう珍宝もなかったらしく、その点において他の古道具屋と大差がないのは残念至極だ。

 一通り見た後、彼はポレダの港町に沈んだ手控えの代替品を買うことにした。


「お買い上げどうも。他には?」

「世界地図なんてありますかね?」

「おッ?兄ちゃんの冒険もいよいよアルメキアに収まらないわけだな?額装出来そうなやつがあるけど、縮尺や細かい地形までは保証できないぞ」


 これもオトヒメに立ち読みさせることはできたが、それではマグスの会員証がいつまでたってもはかどらない。手控えと併せてもたいした値段になるわけではないので、気前よく支払っておくことにする。

 確かに、件の地図は探検用には向いていない。マグスの言う通りに額縁に入れて港町の酒場にでも飾るのがお似合い、といえばわかるだろうか。時代のついた地図を眺めながら酒を飲み、まだ見ぬ世界へ思いを馳せて空想するのが最高の使い道であろう。


 それでも竜眼の機能で地図を取り込むと、大雑把な世界地図が脳裏に浮かび、五つの輝点が表示された。これはオトヒメが承知している竜の祠の位置であろう。ラウルは他国の土地勘がないのでアルメキア国内の輝点が王都とノルトラント間の中間地点である以外のことはわからない。

 実は、この地点は既にエルザ=プーマが調査に当たっている。彼女はラウルの師匠であると同時に熟練の探検家でもある。彼女曰く、当該地点は街道からも外れて集落もまばらな地帯のはず、とのことだったが、周囲一帯も含めてくまなく調査中である。

 彼女を一人で送り出すのには不安があったが、単独の方が気楽だ、と言い張るのだから仕方がない。新年と同時にラウルが使命の旅を開始できるよう、調査をまとめて年末までには合流する予定だ。


「その調子でどんどん買ってくれ。国外へ出るならちょっとした情報もオマケにつけるよ。冒険者ほどじゃないが、旅の豆知識も少しは知ってるしな」

「うーん、じゃあ、お言葉に甘えてひとつ聞いてもいいですか?」

「いいとも」

「ジェームズ=ブルックさんのことなんですが……」


 一瞬マグスの目が鋭く光るが、それもほんのわずかの間で消えた。


「あいつか?しばらく顔を見ないからなあ。生きているのかねえ?」

「連絡取れます?」

「どうだろうな……待て、ウィリアムか?奴の紹介か?」

「そうです。調べものを手伝ってくれる人を探してまして。エルザさんに手伝ってもらってますけど、信用できる人となるとこれがなかなか……」


 マグスは大きく息を吐くと諦めたようにラウルの依頼を聞く姿勢になった。


「大事な探し物なんだな?」

「はっきりしていなくて悪いとは思いますが、探す対象は人だったり遺跡だったり、ひょっとしたら昔話の類かも」

「なんだい、そりゃ?」


 マグスは不要領顔を見せたがラウルの言い方は特別珍しいものではない。

 調査命令が複雑かつ迂遠な表現で書かれているのは漆黒の猟犬六号として経験があった。皇族や重臣がらみで内密に調査させたいときは特にその傾向がある。ジェームズ=ブルック抹殺指令のような直接的表現が出たときはかなり煮詰まった最終段階であった。

 要するに、仕事は頼みたいがあれこれ探られたくないのだ。


「言っておくが、あいつはもう年だ。昔は荒っぽいことも相当やったらしいが、今じゃめっきり臆病になっている。荒事には向いていない……と思うぞ」


 そう言うマグスは幾分誇りを傷つけられた目をしている。

 他人の評価に寄せる形でしゃべってはいるが、これは間違いなく彼の冷静な自己分析だ。グリノス帝国の隠密を率いていた頃とは比べ物に無い衰えを自覚していたのだが、それでもラウルのような若者の手助けをできるとあって、マグスは身を乗り出した。


いつもご愛読ありがとうございます。

スキルで本屋を出し抜く話と引退した諜報部員をリクルートするお話でした。たまに雑誌の記事をスマホで撮影されている方を見かけますが、竜眼はあれに近いんじゃないでしょうか。文中では“せこい”と表現しましたが、やってることは窃盗です。ファンタージー世界ゆえご容赦ください。

徃馬翻次郎でした。

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