第161話 この子竜の子秘密の子 ①
王都の宿屋兼酒場『臥竜亭』は旧に倍する繁盛を見せていた。
新婚や番の利用客を当て込んで改装した特別室が思いのほかウケたためである。子供を親に任せて羽目を外したい若夫婦に限らず、新婚旅行ができる中間層の取り込みに思いのほか成功していた。一室のみの試験営業であったが、これほど需要があるなら一棟まるっと特別室にしても良さそうなものだ、と思わせるほどの盛況ぶりなのだ。
しかし、この特別宿屋計画は名案かと思いきや、大通りに面した商業区では難しいことがわかった。露骨に店を広げるなどもってのほか、近隣の環境にも配慮しないと苦情が出てしまう。部屋の用途を考えれば学校や大聖堂の近くも厳しいので、歓楽街寄りの物件を新たに探す必要があるだろう。
しかしながら、それでは娼館と大差がない。
臥竜亭店主の奥方であるカウフマン夫人は思った。
ウチの特別室は絶妙な需給均衡のうえに成り立っているのではないか。手ごろな価格で夢の一夜を提供、特別なお客様は限定一組様だからこその大反響なのだ。有難いことにたいして宣伝をしなくても客足はすこぶる順調で、特別室以外の客も増加傾向にある。酒場の売り上げにも多大な貢献をしていることは間違いない。
「昼定食ふたつ、あがり!」
彼女は厨房の料理長が出した給仕を呼ぶ野太い声で我に返った。
「私が持っていきます。牛肉の煮込みで小皿を二つ作ってくれる?ちょっと持っていきたいから」
「あいよ!」
牛肉の赤ワイン煮込みは言わずと知れた臥竜亭の名物料理である。口に含めばほろほろと崩れる食感とあふれる肉汁は酒だけではなくパンとも相性が良い。挟んで良し、汁をすくい取って良しの逸品だが、少々値段が張るので昼間に単品で出ることは少ない。試しに小さい塊を昼定食に組んだら定食自体が売り切れる勢いだった。
それほど人気がある品をオマケにつける相手は特別室計画にいろいろと提案をしてくれた批評家の青年、つまり、ここに逗留中のラウルである。
ラウルはよそ行き一張羅を脱いで気楽な格好に着替え、リンもそれにならった。ちなみに滞在中は一人部屋を二つ確保してある。外出や食事の際は先に準備ができたほうが声掛けをして待つ約束をしていた。要するに、扉の前で待つのはラウルの仕事だ。
「お待たせしました」
「おおッ、いい匂い……おかみさん、おかずが一品多いよ?」
「おかげ様で商売繁盛、批評家先生へのお礼です。本当ならちゃんと契約して見合ったものを出さないといけないのですけれど」
しかし、この申し出はラウルが受け入れられるものではない。
金銭を受けとればその瞬間に専門家や職人としての責任が生じる。それは鍛冶でも同じことだ。特に全額前払いの注文製造には責任感で押しつぶされそうになる。
逆に言えば無料だからこそ好き勝手言えるのだ。決して無責任という訳ではなく、真剣に考えもするが、ラウルもそのあたりの線引きだけは心得ていた。
「なんだか悪い気がしますわ。発明や着想などというものはどこでも有料なのに」
「こちらも教えてもらうことがたくさんありますから、お互い様にしましょう」
「まあ、先生のお力になれますかしら?」
「えーと、そうですね、探し物を手伝ってもらうとか」
仮に、アルメキアで自分の手に余る厄介ごとが起きたとしよう。
衛兵や騎士団に通報してらちがあくようなものでない場合、助力を請うなら冒険者か傭兵だろう。共通しているのはどちらも金がかかる点だ。
厄介ごとの規模や種類によっては傭兵団に依頼してお出ましを願うことになるが、冒険者を雇う際の窓口としては、酒場の主人や茶店の店主、地域の顔役などが副業で仲介をしている場合が多い。
そのひとりが臥竜亭の主ブルーノ=カウフマンであり、彼は帳簿で依頼を管理していた。当初は見栄えのいい掲示板で依頼を管理していたのだが、イタズラや妨害に対応する手間を考えて現在の管理形式に落ち着いた。問題が多すぎる掲示板はごく短期間で依頼用途からお払い箱になり、忘れ物や催事の告知に転用されていた。
「依頼でしたら主人に伝えておくことはできますけど……それとも、エルザさんに頼めないようなことですか?」
「ち、ちがいますよ」
「まあ!可愛いお嬢さんをお連れになっているのに気が利かないことで、たいへん失礼しました。どうぞごゆっくり」
カウフマン夫人が明らかにリンを見ながら話しているので、慌ててラウルは彼女を追いやった。一品追加してくれたのは嬉しい心遣いだが、その後がよくない。このままでは食前の祈りを言う前に申し開きが必要になる。
案の定、リンはラウルの一言を待っているふうでもあった。
「あー、その、決してやましい目論見があるわけではなくて……」
これでは浮気が発覚した時の弁解である。
「知ってるよ。先生呼ばわりなのは例の特別室を手伝ったからなんでしょ、エルザさんと出かけた時だっけ?」
「う、うん」(覚えていたのか)
「さあ、食べよっか。せっかくのご好意だしね」
「……なにも聞かないの?」(あれ?お祈りは?)
「うーん、強いて言うなら、そうね……ラウルは特別室に提案できるほど経験豊富なのかなあ、とか」
半分無関心を装ってはいるが、これは彼女の中では重大問題なのだ。
この世界においては二人とも子をなせば成人扱いされる年頃である以上、誰と引っ付こうが酒場の女給と遊ぼうが文句を言われる筋合いはない。
そもそもラウルがスケベ経験豊富であったとしてもリンが苦情を言える立場ではないのだが、問題は彼の経験に彼女が含まれていないことであった。
これは嫉妬心といえるほど明確に分別できるものではなかったが、彼の魔法不能の原因と治療方法を調べまわっているうちに、ひとりで異性交遊の経験値を稼がれていたのでは堪ったものではない、という考えが彼女の根底にあった。
それならそれで、さっさと割りない仲になってしまえばよかったのだが、当初はラウル研究を優先させたせいで唾をつけ損ね、今は色恋沙汰をさしはさむ余裕がない、という何とも悲しい状況になっている。
探りの入れ方としては可愛らしいものだが、彼女の問いかけには複雑な思いが込められていた。
「な、何言いだすんだよッ」
そこからラウルは幾分声量を落として小声にする。
昼時をやや過ぎていたが客は多い。聞き耳を立てられない限り喧騒に紛れるはずだが、リン以外に聞かせたい話でもなかったからだ。
「そりゃあ、興味はあるけど酒場で遊んだこともなけりゃ言い寄られたこともない。言い寄ったことは……言わせるなよ、恥ずかしい」(エルザさん……)
「ふーん、へぇー」
「ふうん、ってなんだよ……とにかく、特別室の提案は経験に基づくものじゃない。部屋に入るなり大きな寝台が目に入るのはいくらスケベ部屋でもどうかと思うから衝立ぐらい置いたらどうか、いろんな種族がいるんだから背中の開いた寝間着もいるはず、とかさ、その程度なんだよ」
ここでラウルは声量を元に戻して食事を再開した。
実はこの時、リンはひとりでに心拍数を上げていたのだが、それはラウルの知るところではない。オトヒメに監視させていれば微細表情の変化や発汗も検知できていたであろうが、彼女は現在待機状態に設定してある。
“背中の開いた寝間着”とは鳥系亜人を意識したものであることは明白であり、ラウルは自分のことを意識しての提案だったのではないか、というリンの暴走気味な飛躍的思考を身勝手とそしることはできまい。
対象が人外の化生になってしまったとはいえ、彼女もまた恋する乙女には違いないのだ。
「ほら、いくら仲のいい男女でもさ、奥ゆかしさとか慎ましさって大事だろ?」
「そう?そうかな?」
「おいおい、ウチの親どもを見ろよ。気分が盛り上がったら所かまわずイチャイチャし始める……オレは見慣れてるけどそれって世間的にはどうなんだ?」
「ああ……」(それはそれで尊い気がするけど)
ただでさえリンの亜人的感覚とラウルの奥手気味むっつりスケベが相いれないところに、奥ゆかしさや慎ましさという概念が追加されてしまったが、これには異論がある。スケベな妄想や女性の身体を視線で探検する変態癖こそどうなんだ、とリンは言いそうになった。
しかし、言葉を飲み込む。
“竜の力”が彼女の念頭にあった。
正確には、超常の力がラウルの魂に影響を及ぼした可能性、というひとつの仮説である。
リンはラウルと話すうちに、または幼馴染として、目の前で旺盛な食欲を見せる人工生命体に宿る魂はラウル本人に間違いない、と言い切れるようになっていたが、その魂は最初から混ぜ物だったかもしれないのだ。
仮に、真面目な奥手ラウルが素の状態として、人を食べるか異性を屈服させることで力を得る欲望の塊のような竜王の要素が添加されているのだとしたらどうだろうか。これは想像するだに恐ろしい。彼の中で二つの相反する要素が引っ張り合って無茶苦茶になって当然ではないのか。現状、性格破綻していないことを賀すべきではないのか。
そう考えれば、ラウルが人の形をして社会生活を営んでいる状況が奇跡にすら思えるのだ。
彼女の仮説はほぼ真実を言い当てていたが、食事中ということもあって、考えを脇に押しやった。使命の旅を終えさせて彼が生き残っていたら、いわゆるラウル研究再開でも愛の告白でも好きにすればいい。
そのためのラウル英雄化計画なのだ。
いつもご愛読ありがとうございます。
せっかくの外泊なのにリンとの距離がいつまでたっても遠いラウル君です。話中では冬支度が始まっているのに、このままでは心身ともに寒い年末年始になってしまう……。著者としては少しだけ彼らを引っ付けて応援してやる予定です。
徃馬翻次郎でした。