表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
164/423

第160話 馬子にも衣装 ④


 使命の旅を始めるにあたって採用されたラウル英雄化計画はラウル本人に若干の背伸びを強要することで成立している部分が多い。

 戦果を盛ったり貴族社会に片足を突っ込ませることで社会的地位を獲得しようとしているのも、全てはタイモール大陸中を嗅ぎまわってもとがめられることがないような身分を手に入れるためなのだ。


 背伸びの一部としてラウルは脚衣の試練を乗り越えた。

 股間が落ち着かない様子をヘーガー店長が目撃したら、肖像画家を呼ぶからちょっと待て、と興奮することが確実な珍奇極まりない格好にも耐えた。

 その矢先に、今日中に王宮の試練に挑むべし、と言うリンの提案は少々無茶な気がしたのだが、彼女はいたって本気なのだ。


「さすがに宮殿奥や玉座の間は無理よ。でも、造園とか食品業者は始終出入りしているし、陛下の招待状や側近の方への紹介状を持ってたら客扱いしてもらえるはずよ」

「本当かよ……」

「まあ、聞きなさいよ。こういうのはダメ元で押してみたら会ってもらえるかも、ぐらいでいかないと」

「それは商売の話だろ」

「年末が近くなって押し詰まってくると相手にしてもらえないのは商売も偉い人も同じよ。新年までに会っておきたい人ならなおさらね」


 要するに、リンのやろうとしていることは飛び込み営業に近い。

 年の瀬に向けて今から動き出しておかないと面談の予約すら難しい、というのはラウルにも何となくわかる話だが、その対応としての電撃訪問が果して正解かどうか、彼には判じかねた。

 しかし、今日の彼には心強い味方がいる。


「ダブスさん、どう思う?リンの言う通りだとは思うけど、それが王宮では失礼にあたるのかどうか……」


 ダブスの前職は名門貴族の執事であった。

 酒でしくじって失職する前は上流社会の構成員であり、高貴な方と直に接する機会も多かった。さらに、執事の世界には同業者の繋がりのようなものがあり、情報共有が行なわれていることは雇い主が黙認している公然の秘密である。


「相手によりけりでございますが……ラウル様、紹介状の宛先をうかがってもよろしゅうございますか?」


 ラウルは慌てて背嚢を引き寄せて包みを取り出す。

 木箱入りの書状は国王からの招待状、もう一通の封がされた巻紙には紙片が差し込んである。



ハーゲン=ユーベルヴェーク紋章官殿



 紙片の文面はこれだけだが、ブラウン男爵の手によるラウルへの知らせだ。正確には、口頭で言い聞かせてもラウルは覚えられないだろう、という配慮である。実は、文字や図式の情報ならたちまちオトヒメに覚えさせることができるラウルに死角はないのだが、基本的に脳みそ筋肉の扱いをされているのは蘇生の前後でも変わりがなかった。 


「お名前は存じ上げております。ラウル様は何か手土産を持参されましたか?」

「うん。エスト名産のハチミツを母さんに持たされたよ。お土産は逆効果の人だって聞いてるんだけど、これは大丈夫なのかな?」

「手土産の口上がございますね?」

「えーと、のど飴の例え、とかなんとか。意味は全然わからないけど……」

「貴族のなぞなぞ遊びでございます。いやはや、爺は感服いたしました」


 ダブスが称賛しているのはハンナの手配りらしい。

 大層な土産は逆効果、かといって手ぶらではいけない。さらには、ただ渡すわけではなく隠された遊び心が必要、という二転三転する情報の交錯は、これもまたラウルには理解不能な上流社会の機微であった。


「うう、ややこしい……とにかく、大丈夫なんだよね?」

「はい。紋章官殿が大事になさるのは紋章とご自分の職務である、と側聞しております。それと、ラウル様にはもうひとつ口上を覚えていただきます」

「う、うん」

「所用があって近くまで参りましたので、ご挨拶かたがたお目通りのほどを……」

「それよ!いただき、ダブス爺!」


 言いかけたダブスを遮るようにしてリンが合いの手を挿む。


「お役に立てましたかな?」

「もちろん。あ、ラウルは覚えなくていいからね。後は私が上手くやるから」

「お、おう……って、どこまで付いてくる気なんだよッ!?」


 そこまで言って初めてラウルはリンの衣装が持つ真の意味に気付いた。

 彼女の装束はラウルの従者仕様なのだ。なぜ婦人服ではないのか、という疑問はぼんやりと持っていたが、女神様の衣装が意味するところは重大である。


「そうは言うけどさ、家来の一人もいなかったら格好がつかないよ?」

「ラウル様、これはリンお嬢様が正しいかと、はい」

「うぐッ」(なんだよ、二人して……)


 わずかな抗戦の後、ラウルは屈服した。

 当初服を買う予定だった資金は靴と書類鞄に化け、ダブスに背嚢その他を預けると、にわかに即席の貴族主従ができあがる。実際は無位無官の平民が仮装しているだけなのだが、クラーフ本店から王宮への道行で何人も振り返らせ、立ち止まらせた。

 はて、あのような貴公子がいたかな、亜人の従者が珍しいわけではないが何とも清げな、等々と感想はそれぞれだったが、ごく短い時間で衆目を集めたことは間違いない。


 王宮の門を守る近衛騎士もおっかなびっくり、


「初めて御意を得ます高貴なお方、問いただすも我らの役目にて、どうぞ身分をお明し下さい」


 と下へも置かぬ扱いである。

 リンがダブスに教えられた通りの口上を述べて王家の紋章が入った木箱を見せると、近衛騎士たちの緊張が目に見えて解けた。


「なんだ、後輩かよ。しかも任命前、叙勲前とはね」

「これは参った。近衛に配属されたらあだ名は御曹司おんぞうしだな」

「挨拶回りとは今節殊勝な事だ。詰所で許可証を作ってもらえ」


 つまり、クラーフ本店でこしらえた上流社会用の外見が想像以上の威力を発揮したのである。胡乱うろんな奴、と誰何されることも無く進入を許可された。

 詰所では招待状や紹介状のほかに入都時の鑑札も併せて提示する。短い審査の後に発行された紐付きの仮許可証は見えるところに下げておけ、と指示された。


「ジーゲル……あの名工ジーゲル?」

「父です」

「そうか、今回はお手柄だったそうじゃないか。冒険者でもないのに目覚ましい武勲だとね」

「はあ、どうも、運よく生き残れました」(死んだなんて言えない)


 父親の名声ほどではないがラウルの武勲に関する噂が広まっていることが確認できたが、ラウルの胸がちくりと痛む。噂の大半はあくまでも噂なのだ。

 親切な受付担当の近衛騎士はラウルとリンが進む方向を指し示し、待合広間の場所と仕組みも二人に教える。ここまで来ると流石のリンも未知の領域だ。


「そこで従僕頭が用件を取り次いでくれる。紹介状とか言付けるものがあれば渡すんだ。相手が忙しいと思うようには行かないかもしれないが、これは慣れるしかない」

「わかりました」

「どうもご丁寧に」


 普段は居丈高に見える騎士たちも未来の部下候補に対しては寛大らしく、ラウルは王宮の第一関門を易々と突破した。


「見ろよ、リン。門から玄関までけっこうあるぜ」

「……ラウル」

「ご、ごめん」


 これではどちらが主従かわからない。むしろ、リンがラウルを引率している、という表現のほうが正確だろう。

 実際、ラウルのおのぼり振りは広間に通されても収まることがない。


「うひゃあ、天井たけぇ!」

「……」(恥ずかしいよ、ラウル)

「あ、はい、もう黙ってます」


 リンは待合の椅子にラウルを残して、王宮の従僕頭の一人と思しき人物が帳面を広げている机に近づく。


「エストのラウル=ジーゲルがユーベルヴェーク紋章官様に目通りを願いあげます」

「お約束はおありですか?」

「いえ、所用で王都まで参りましたので、ご挨拶に参上したまでのこと……」


 不意の客に従僕頭は困り顔になったが、国王の招待状とブラウン男爵からの紹介状を示すと次の瞬間には柔和な表情に改められていた。


「では、紹介状をお預かりいたします」

「あ、この包みも一緒にお願いします」(顔の筋肉だけで笑えるのね)


 リンは蜂蜜の小瓶も従僕頭に託す。

 従僕頭が呼び鈴を一振りすると魔法のように控室から従僕が出てきた。とっさの呼び出しにも対応できる数の従僕が常時待機しているらしい。

 従僕には命令を、リンには丁寧な要請を従僕頭は告げた。


「椅子に掛けてお待ちください」


 やがて、ふたつの品を盆にのせた従僕が姿を消す。一連の動作はからくりのようで隙が無く、熟練の給仕のような動きの背後にある厳しい訓練が透けて見えた。愚図愚図していては叱責され、いたるところを飾る調度品に傷でもつけようものなら命が危ない。そのことを考えれば、王宮もある種の戦場であった。


いつもご愛読ありがとうございます。

リンの男装はラウルについていくためですね。

ラウル!この果報者め!

徃馬翻次郎でした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ