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第159話 馬子にも衣装 ③


 ラウルの心配をよそに、リンは武装商船事業案の補足説明を終えた。

 極論を言えば、海賊の暴力を圧倒する警備員の暴力で身を守る策なのだ。ラウルは思うところがあったが“最善策”と評した。身を守る過程で流れる血をやむなし、と言い切る覚悟はないが、いつまで立っても東方航路が再開されないのは困る、といったところだ。

 そもそも、使命の旅を終えるには東方渡航も重要な経路のひとつなのだ。当初は更生した元海賊の再就職先斡旋が目的だった武装商船案だが、ラウルが竜の子の使命を帯びてからは新たな目的が追加された形になる。

 竜戦士変化して遠泳渡航する案も一度は考えたが、渡航中に竜戦士の姿を目撃されれば間違いなく海の魔物扱いである。第一、渡航先で出入国担当の役人に釈明が通じるだろうか。海を泳いできた、などという正直な説明は騒ぎの種にしかならないだろう。

 つまり、本来はラウルこそもっと気を入れてシュトライプを口説いて東方航路再開にこぎ着けねばならないのである。


(結局、ほとんどリンに喋ってもらってしまった)


 これでは竜の子としてだけでなく、男としても名折れであろう。

 それだけリンが頼りになる証左でもあるのだが、何とも情けない気持ちになるラウルであった。


「わかった。この件は最優先でとりかかろう」


 ややあってシュトライプが計画書に決裁印をした。同時に彼は何かに気付いた様子で別の紙片を二枚取り出して署名してから、これにも決裁印を捺す。


「大事な事を忘れるところだった。君たちは、クラーフが人身売買に関与している、などというとんでもない疑いを晴らしてくれた恩人だったな」

「はぁ、まあ、成り行きで」(後半戦は脱落したけどね)

「恩人だなんて、おじ様、職員として当然の務めです」


 うんうん、と頷きながらシュトライプは応接机に二枚の紙片を並べる。


「聞けばラウル君は服を見に来てくれたとのこと、これでせめてもの礼とさせてくれ」

「ありがとうございます……えーと、お仕立券?」(ヘーガー店長の引換券と似ているな)

「おじ様、受け取れません」(他の職員の手前ってものがあるでしょうに)

「いいかい、リン。二人はそれだけの大仕事をしたのだよ。それに、商会の為に尽力してくれた者には職員だろうが外部の方だろうが何らかの形で酬いる、というのが知れ渡っても一向にかまわん。むしろ望むところだ」


 商会にとって有益な相場情報、隣国の収穫具合などを知らせてくれた者に対する報奨金制度とでも言うべきものが確立されているわけではない。ましてや、職員に命懸けの冒険を奨励しているわけでもない。只々シュトライプは商会の職員に対して耳聡くなってほしいだけなのだ。その耳が集める情報は商売の種だけでなくともよい。商会の損害を未然に防ぐような未確認情報でもいい。

 情報戦で後れをとる商会など他社の食い物にされるか潰れるかのどちらかであろう。入ってきた情報を精査する部門も立ち上げねばならないが、シュトライプは職員の意識改革に手を付け始めていた。商会に対する帰属意識の明確化と言い換えてもいい。その為のご褒美第一号がリンとラウルだった、というわけだ。


「わかりました。大事に使わせていただきます」

「そうしなさい。時にラウル君のお探しは冠婚葬祭用かね?それとも普段使いの品をお求めなのかな?」

「国王様の新年会に招待されまして、えー、その……」

「勲五等アルメキア章を賜ります」


 あろうことか、佩用はいよう予定者であるラウルより先にリンが勲章の正式呼称を覚えてしまっている。シュトライプはもう少しで吹き出しそうになったところをこらえたのだが、案外似合いの二人ではないか、とも思えた。


「それは目出度い。ラウル君、うんと立派な晴れ着をこしらえてくれれば私も嬉しい」


 まるで孫の出世を祝う祖父のごときシュトライプである。


「私はどうしようかな……」

「ラウル君について回るなら訪問着があると便利だろうな。むろん、そのままでも失礼にはならんが王宮は別だ。立場や身分をよく考えて一着作っておくのはどうだ?」


 リンはしばらく考えていたが、やがてひとつの思案にたどり着いたらしく席を立った。


「おじ様、お話がこれまでなら先に失礼して、早速仕立券を使わせていただきます」

「うむ。ラウル君、もう少しだけ相手をしてもらっていいかね?ご婦人方が買い物に突撃なさる時は一歩下がっておくに限るよ。重騎兵みたいなものだからね」

「まあ、おじ様ったら!」

「ゆっくり見ておいでよ、リン」(久々のお上品形態だな)


 この時ばかりはリンもラウルの監視任務を忘れかけた。それほど買い物とは心躍るものであり、服を求める限りは予算が青天井になったのだから無理からぬことだ。それでもラウルが、一人でも大丈夫だ、とうなずくまではじっと彼の顔を見ていたが、一礼して会長室を辞去した。

 

「あの、オレにまだ何かお尋ねが?」

「ああ、うむ。君の御父上とは面識があるけども、母上はよく存じあげなくてね。今回の武装商船計画にあたって一筆拝受したが、どのようなお方なのかな?」

「父と同じ冒険者だったと聞いています」


 そうかね、とシュトライプは信じかねる表情である。


「手紙の流麗な筆跡は非常に美しい。文面は簡潔だが格調高く、紋章入りの用紙でこそなかったが、まるで高貴な方の……」

「確かに、北国のお嬢さんだったようです」

「だろうな。グリノスの出なのかな?」

「いえ、ノルトラントです」

「ノルトラント……差し支えなければ母上の旧姓を聞かせてもらえるかね」

「ヘルマーだと聞きました」


 特に口止めされていない情報だったのでラウルは正直に答えたが、シュトライプにとっては重大な情報だった。目の前の青年は鍛冶師の倅だが北方の狼の血を引いているのだ。ノルトラント辺境伯ヘルマーの一門は押しも押されもせぬ名門貴族である。


「血縁を出世の手づるにはしないのだね?」

「貴族になりたいわけではありません。母がヘルマーを頼っていないのに、オレが母の実家の権威を借りるのもヘンな話ですしね」

「後半部分は正論だな。しかし、私としては何ゆえの無欲なのか気になるところだ。上手く立ち回っていれば準男爵になっていてもおかしくない」


 シュトライプの疑問を言葉にすると以下のようになる。

 戦争中ならともかく平時では武功を挙げることはたいへんな難事だ。平民から騎士への取り立てが叶うような功績を挙げたのに、名門貴族の血縁や後援を組み合わせなかった理由が皆目わからない。立身出世をほどほどに制御しようという欲のなさがかえって不気味なのだ。


「無欲、ですか?」(無欲じゃないよ、手一杯で忙しいんだよ!)

「違うのか。すると何か目的あってのことなのだな?」 


 シュトライプ会長の観察眼には舌を巻いたラウルだが、リン不在の状況でこれ以上喋るわけにはいかない。幸い、言葉に詰まっているのを見たシュトライプが手加減してくれた。


「やあ、すまんすまん。お客様をもてなす心に欠けていたことを謝罪する。戻ったらお母様に親展拝読の旨を伝えてくれるかな。計画は動き出した、ともね」


 冷や汗をかきながら会長室を後にしたラウルだが、大物の商売人は常人には見えない何かが見えてるのではないか、と気が気ではなかった。味方になってくれるならこれほど頼もしい人物はいないのだが、誰彼無しに竜の子の正体を告げるわけにもいかず、シュトライプに関してはラウル英雄化計画に巻き込まないことにした。


 ラウルはダブスの元へ戻って色見本を見ながらよそ行き一張羅作成の準備に入る。ラウルが仕立券を示すとダブスはやや興奮した面持ちでそれまで並べていた服地を片付けて高級品に変更した。


「ダブスさん、そこそこのやつでいいんですよ?身の丈に合った物じゃないとまずくないですか?」

「承知いたしかねます、ラウル様」

「な、なんで?」

「お召し物が高貴な方のお目に留まることもございましょう。何処が手掛けた品かとご下問があったらいかがなさいます?クラーフはそんなものかと舐められるわけにはいかないのです」


 これもラウルの理解を超える理屈だった。

 展示見本でもあるまいし、そのようなことまで仕立券の褒美に含まれているのならシュトライプは相当に計算高いことになる。

 思わずため息をつきかけたところに、背後からリンの声がかかった。


「どう?ラウルは決まった?」

「うん……それがさあ」


 振り返ったラウルは息をのんでしばらく二の句が継げなかった。

 リンの衣装を一言で表現すれば“男装の麗人”であろう。白を基調にした上下はスケベな露出こそ少ないが清楚な印象を見る者に与え、嫌味にならない程度に施された金糸銀糸の縫い取りが服地の白色を引き立てている。

 貴婦人めかした正装を予測していたラウルは良い意味で予想を裏切られてリンに見惚れてしまったのだが、一番の驚きは胸元に光る空色の貴石だ。かつてラウルがハディード商会から手に入れて彼女に贈ったはずだが、鎖ではなく革ひもだったと記憶していた。


「えへへ、似合うかな?」

「女神様……」(カッコイイ!)


 やっと出たラウルの感想はごくごく短いものだったがリンの心を鷲づかみにし、ダブスの全面的な同意を得た。


「え♡なに、やだ、褒め過ぎよ」(もう一回言って!)

「なんの、全く持ってその通り、と爺も思いますぞ、リンお嬢様」


 ラウルは慌てて口をふさいだが時すでに遅し。リンは幾分瞳を潤ませており、ダブスはあごに手をやって盛んに頷いている。


「そ、それよりさ、その石はどうしたんだよ?」

「これ?ずっと付けていたいから鎖に換えてもらったんだけど、ダメだったかな?」


 基本的に贈り物をどう処分するかはリンの自由だ、とラウルは思っていたが、問題はその理由である。


「ほほう、ラウル様から?これは決定的ですな」


 何が決まりなのか、とラウルは喚きたい思いだったが、彼を差し置いてダブスとリンはてきぱきと彼のよそ行き一張羅を選び終えた。やや光沢を帯びた濃紺色の上着と灰色に近い白色の半ズボンは落ち着いてまとまりのある見た目であり、もし間近で見る者があれば服地の高級感と丁寧な縫い取りに嘆息することは間違いない。

 ところが、


「な、なにこれ……」


 とラウルが着用を拒否しかけたのは脚衣である。地域によってショースともホーズとも呼ばれる脚衣は足先から腰まで隙間なく覆う毛織物製のものだった。伸縮性に富んでいる逸品なのだが、ラウルはこのオバケ靴下を初めて見たのだ。


「くッ」(は、履きにくい) 


 更衣室の外に思わず漏らしてしまった声をダブスが聞きつけた。


「いかがですか?」

「いかがも何も……ちょん切ってやりたいよ」

「ダメよ!」

「ダメです」


 すると更衣室のすぐ外にはリンも待ち構えているのだ。

 ラウルは自身の英雄化計画に存在する落とし穴の多さに辟易へきえきしかけている。使命の旅以前に気をもむことが多すぎるのだ。確かに、これから社会的地位を得て何かと動きやすくなるだろうが、その代償が道化にしか見えない奇怪な靴下の着用を強制されるとは想定外だったのだ。


 意を決して更衣室の目隠しを払いのけたラウルだが、彼の予想に反してリンとダブスの感想は上々だった。


「わっ、なかなか似合うじゃない!」

「そ、そう?」(股がむずむずする)

「ご立派でございます、ラウル様。もう少し背筋せすじをお伸ばしに……そうです、公卿くぎょうの列に並ばれても何ら引けはとりませんぞ。爺が保証いたします」


 貴族と比べられても困るが、これで王宮へ参内する際の衣装に目途がついた。ラウルは一刻も早く脚衣を脱ぎたかったのだが、リンがとんでもないことを言い出す。


「これってさ、今から王宮にお邪魔できるんじゃない?」

「ええっ!?」(こ、心の準備が……)


 心の準備以前に、まるで友達の家にでも行くかのような気楽さで王宮に出入りできるものなのか。リンは自信ありげに、できる、と言うのがラウルには信じられない。どう考えても何日も前に都合を聞かねばならない相手ではないのか。この時ばかりは自分の考えが正しいように思えた。


いつもご愛読ありがとうございます。

前半は商会のインセンティブに関する話、後半はタイツのお話でした。

男性用タイツはバレエダンサーのプリンシパルなアレをご想像ください。

徃馬翻次郎でした。

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