第158話 馬子にも衣装 ②
ラウルが初めて南国サーラーンの名産である豆茶の味に親しんだのは何時のことであったか。たいして考えるでもなく、前回の王都訪問時に帰りの馬車が無くて困っていたところをサーラーンの隊商にエストまで乗せてもらったことが思い出された。
相乗りだけでなく昼食まで馳走になったわけだが、食後に出された豆茶は香辛料の効いた料理の余韻とあいまって忘れがたい味のひとつであった。
しかし、クラーフ商会長シュトライプが聞いているのは豆茶の感想ではあるまい。
ラウルが答えに窮しているのを見ると、彼はすぐに助け舟を出した。
「そう身構えないでくれたまえよ、君」
そう言葉を発するシュトライプからは揚げ足をとってやろうという悪意も試しや探りを入れる意思もないように見える。
「何から話したものかな……そう、グスマンだ」
「父ですか?」
「最近の弟はクラーフにおけるちょっとした台風の目でな」
台風の目、とは東方的言い回しで急激な状況変化の中心人物を指す。“ちょっとした”という形容詞を付けて、注目の的もしくは話題の人、という意味であろう。
「リンは怒らないで聞いてほしいのだがね」
「はい、おじ様」
「かつての弟は手堅い経営と事業展開が持ち味の信仰心にあふれた篤実な男……商売人としてはどうかな、評価が分かれると言うべきか」
「間違いのない評だと思います」(ギラギラしてるお父さんも嫌だけどね)
「すまんね、リン。それがいつの間にかサーラーンの商会大手と本店以上の繋がりができていて、湿布式回復薬だったか、新商品の開発にも力を入れている」
ラウルは黙ってシュトライプの話を聞いている。先に全部聞いてしまってから正確な答えをしたかったからだ。
「それらの報告書ひとつひとつにラウル君やご両親の名前が書いてあったら、一度会ってみたいと思うのは当然じゃないか?決して他意はないのだよ」
グスマンの報告書はラウル英雄化計画とは無関係である。これは手柄を独り占めしないグスマンの性格がそのまま反映されていたに過ぎないのだが、シュトライプにしてみればグスマンの変化にあってはジーゲル家が欠かせない要素のように思えたのだ。
「ああ、そういう事でしたら、確かにハディード商会の番頭さんをご紹介しました」
ようやくラウルが口を開く。
「その当時、エストでだぶついていた蜘蛛型魔獣の素材を動かそうにも野盗と海賊のせいでままならない状況が続いていました」
「そうだったな」
「ハディード商会のナジーブさんとはちょっとご縁がありまして、仲を取り持って差し上げたら、グスマンさんがよろしく差配してくださったのだ、と思います」
「あくまでもラウル君は自分の手柄にしないのだね?」
「実際、たいしたことは何もしていません」
ラウルは思うところを正直に述べたし、この件では誰からも褒美や手数料をせしめてはいない。
「湿布式回復薬は?」
「最近になって剣術のけいこを始めたんですが、最初の内は殴る蹴るの暴行を受ける毎日で思わぬ大怪我をすることも多く……」
「何とも凄まじいな」
「怪我の規模によっては回復薬の試験をすることができます。つまり……」
「治験かね」
「はい。その過程で水薬は腹に溜まっていくらも飲めない、とオレが文句を言う中で開発されたのが湿布薬なのだ、と思います」
「それも自分の功績とは言わないわけだ」
「おかげさまで休みなしに訓練できましたからね」
それは礼を言うところなのか、と言いたげにシュトライプは驚いていた。
ラウルには謎が多い。
鍛冶屋の跡取りのはずだが商人としても光るものが有るし、剣術訓練に際しては後援者まで見つけてきていた。しかも、その過程で少なからぬ利益をクラーフ商会にもたらしていることは間違いのない事実である。
クラーフにとっては恩人、信頼できる人物と評価すべきだった。
「それなら結構。まだ時間はあるかね?もしよかったら、弟と君の母上からいただいた提案を検討したいのだが」
言いながらシュトライプは執務机に戻って書類をくりだしたが、時間の貴重さを考えたらラウルとシュトライプでは比べようがない。仮に時間当たりの給金という考え方をシュトライプに当てはめたらラウルの何倍になるか見当もつかないのだ。
要するに、丁寧な要請の言葉をかけられてもラウルにとっては命令に近かった。
「喜んで」(我ながらいい返事だなあ)
「うむ。こまごまとした問題点は措くとして、この更生した元海賊の連中は頼りになるのかね?早晩、彼らの忠誠心が問題になると思うが」
「クラーフの鑑みたいな乗組員でも殺されてしまってはお終いです。それに捕まった場合の身代金を考えたら、そうならないようにするのが最善ではないかと」
「おじ様、根っからの海賊は吊るされましたし、反省の色が薄い人たちは当分出てこれません。武装商船に参加の意思を示した人たちは相応の覚悟ができています」
元海賊を再武装して商船に乗せる案は一見合理的だが、シュトライプからすれば裏切りがおそろしい。最悪の場合、盗人を野に放って土産まで持たせることになってしまう。
しかし、ラウルの言う通り船荷と優秀な職員を同時に失う危険は冒せないし、リンの評価を信じて元海賊の警備員を雇い、訓練する過程で資質を見極める方式を取れば直ちに取り掛かれる案件なのだ。
それに、昨今の船止めに近い状況下で東方諸島との交易再開にこぎつけることが出来ればクラーフの儲けは計り知れない。何も商会はクラーフひとつだけではないのだ。そのなかで独り勝ちの状況すら発生しうる。
付け加えるなら、ラウルの“死んだらお終い”の言には妙な説得力があった。尻の青い小僧が何を抜かす、というような反駁を許さない迫力を感じていたのだ。
「選別は済んでいるから後は教育と待遇の問題だ、と言うんだな?」
「そうです、おじ様」
「……」(なんだかリンが遠く感じる)
ラウルの感想が意味するところは乱世を生き抜く覚悟の欠如であろう。その点、リンは妙に度胸が据わっているところがあって、これは魔法学院在籍時に閲覧した記録が影響していた。
例えば、大規模な魔法戦において一方的な結果に終わった場合、戦場の有様は酸鼻の一言に尽きる。攻撃を仕掛けた側の魔法使いが精神的に壊れてしまった記録もあるほどなのだが、当初は戦記の内容や魔法の効果を詳細につづった戦果記録に衝撃を受けた彼女も学院を中退するころには何も感じなくなっていた。
つまり、市井の一般女性とリンの死生観は若干異なるのだ。
「なに?ラウル、どうかした?」
「な、なんでもないよ」(オレが心配することじゃないか)
殺人と食人を経験しているラウルがリンを恐ろしいものでも見るような目で眺めてしまったのはおかしな話だが、かつてウィリアムが話してくれた“軍隊の本質が心を蝕む”事象とリンのような魔法の使い手が繋がってしまうような気がして落ち着かないのだ。回復魔法を例外として、人を殺傷する魔法がやたらと多いことを考えればなおさらであった。
いつもご愛読ありがとうございます。
会長さんの心配は弟のグスマン支店長が急にできるやつになってしまったので逆に心配なご様子。その陰にラウルのような不思議ちゃんを発見して興味津々といったところのお話です。
徃馬翻次郎でした。