第148話 英雄の作り方 ②
《》で時間が前後します。
《 三週間前 ジーゲル家の居間 》
平日の昼間にもかかわらず、ジーゲル家にエスト捜査班や関係者が集合するのに要した時間はごくわずかだった。
探検家のエルザや自営業者のヘーガーはともかく、勤め人のリンやコリン、治安職員のヴィルヘルムはそう簡単に仕事を抜け出すわけにはいかない。ウィリアムにしても夫人のドリスが黙って留守を請け負ったからこそ出席できたのである。
ラウルが目覚めたとの知らせが皆にとってどれだけ重大関心事であったか分かろうというものだが、彼自身はどうかと言えば、オトヒメの設定を“立ち聞き自由、介入禁止”に変更した。傍観者に徹して、たとえ殺されるような結末になっても手出しはするな、と厳命している。
気心知れた家族や仲間たちに隠すことなく説明して、それでも怪物討つべしと決まるようなら、世界中のどこにもラウルの居場所はない。竜の力を隠したまま竜の祠を巡る旅を終える策も考えはしたが、何かの拍子に竜の力が露見すれば味方は居なくなる。なにしろハンナがラウルの正体に迫りつつあったからだ。
竜王のように文句を言う奴がいなくなるまで殺戮の道を歩む方法は論外だった。さらに、できることなら元の身体と従前の生活に戻してもらいたい、という願望が自ずと選択肢を少なくした。
ラウルは説明しながらも時折落涙する。
皆に対して申し訳ないという気持ち、取り返しのつかないことをしてしまった後悔は心からのものだった。
具体的に言うなら、ひとつはリンやコリンと約束したにもかかわらず、死ぬの嫌さに人食いの怪物へと変貌してしまったことであり、隠れ港や海賊船強襲の際には悪党の生け捕りを提案して捜査班に負担を強いておきながら、自分はあっさりと死体を五つもこしらえたことである。
さらに、こうして皆で相談しなければならなくなった事態も詫びた。
さっさと逃げ出して無縁になれば何の造作もなかったのだ。両親は悲しむだろうが、村に人食い鬼を住まわせることに比べれば問題は少ない。村に居座るのならラウルの能力を秘密にしてもらう必要があるし、始末することに決めたならそれはそれで重い心の負担になるだろう。
もっとも逃走案はハンナが見張っているせいで封じられているわけだが、説明会の出席者たちには関係が無い事情だ。
居場所も逃げ場所もない。
ラウルは皆に心配と迷惑をかけるだけの我が身を情けなく思い、声が震えてしまう。それでも彼はエルザにしたのと同じ説明を何とかやり遂げると自室に引き取った。ひとつには私物をまとめるためだが、自分の処分を決める会議を見守るなど到底できることではなかったからだ。
かくしてラウルの寝台及び見舞用特設会場は片づけられ、その代わりにジーゲル家の居間を重苦しい雰囲気が一杯にした。
皆思うことは同じだ。なんてことだ、どうしてこうなった、と言葉にこそしないが嘆いている。彼の数奇な人生に関わった者として何らかの意見表明をせねばならないのは分かるが例外なく口が重い。
議題を一言で言えば“ラウルの今後”だが、誰もラウルの処刑命令書に署名などしたくはないのだ。その一方で現実的な解決策を出さねばならないのだから沈思黙考が長引くのは当然と言えた。
「私は……ハリーの恩がある」
沈黙を破ったのはウィリアムだった。
「恩返しになるかわからないが、ラウル君を見守っていきたい。私は彼の師匠だからな」
「それなら、私だってそうです!」
被せるようにラウルの保護を主張したのはエルザである。ウィリアムは飛び道具の師匠、エルザは人生と体術の師匠だが、決意の内容には差があった。
「もし制御の効かない怪物になった日には、クルトさんや奥さんだけに責任を取らせはしない。だから、今すぐ結論を出さないでほしい」
最後まで責任を持つと言いきったウィリアムに対して、エルザはそこまで非情になれない。弟のようなラウルを殺すのも閉じ込めるのも御免なのだ。そのような場に直面したら目をつぶるほかにないと思われた。さしあたっては、竜の子の使命を円滑に進めるための情報収集を買って出るのが関の山だった。
「ものすごい変身をするんだったら、手袋とブーツは魔法道具にしないとダメね♡足輪か腕輪に形状変化させないと変身するたびに破けちゃう♡それとも耳飾りの方がいいかしら♡」
変態ヘーガーはすでに竜の子ラウルを受け入れている。異形の怪物をまったく問題にしていない。
これには皆が驚く。実の親でさえもできないことを簡単にしてのけるこの人物は本当に大丈夫なのか、という思いだ。
クルトが一同を代表して尋ねる。
「それでいいのか?」
「いいもなにも、中身はラウルちゃんなんでしょ?ラウルちゃんはオカマでも差別しないし、世間のオトコのほうがよっぽど怖いわよ!」
やはり変態には独自の理論があるらしい。
いやいや、そう言う問題ではなかろう、とハンナが口を挿むがどこ吹く風だ。
「何よハンナ!自分のしたことを後悔して涙を流すバケモノが何処にいるの?あれが嘘の涙なら私の目が曇ったってこと。あ、ラウルちゃんにならかじられてもいいかも♡」
くねくねしながらも見るべきものは見ていた。
「大事なのは中身よ♡な、か、み♡いい?逆の場合を考えてもみなさい。ラウルちゃんの皮を被ったバケモノよ!?殺すしかないわ」
「それはその通りだけど……」
本当はハンナとてヘーガーに同調したいのだ。
しかし、社会に対する責任というものがある。超常の力を得た息子を制御できるのか、という深刻な疑問がある。それらを全て無視して責任ある親と言えようか。深刻な被害が出るのを予防するのも親の務めではないのか。
その時、よく澄んだ声がハンナの心中に渦巻く疑問をかき消した。
「ハンナさん、皆でラウル兄が旅を終えるのを見届けるわけにはいきませんか?」
声の主はコリンだったが、彼は最初からラウルに関する立場を明確にしている。
ついさきほどヘーガーが、ラウルに食われてもいい、と放言したが、コリンにとってはそれこそ本望であり、ある種の殉教であった。どうしてもラウルが食人をせねばならぬ場合は我が身を差し出すつもりなのだ。
そしてなによりも、竜の祠を巡る旅の終わりに竜の力を放棄する、と宣言したラウルを信じきっていた。
「もちろんラウル兄を見張る必要はあるでしょうが、決してジーゲル家だけに責任を押し付けたりはしません」
彼は定期的にラウルを診察し、微細な変化でも隠すことなくジーゲル夫妻に報告する誓いを立てた。
話を聞いていたクルトは大分ラウル保護論の立場を固めている。
あれほど自分の立場と現状を明確に説明できる怪物がいるはずない。自分たち夫婦から受け継いだ身体を失ったのは痛恨の極みだが、そのことと異形の変身能力をもってこの世から抹殺するのであれば、異教徒撲滅に燃える教会の連中がやっていることと大差がない。
封印すべきは人食いという忌むべき特殊能力だが、それさえ封じることができれば他のことは許容範囲ではあった。少なくとも殺す理由にはならない。それなら、身体を魔法道具やからくりに置き換えている魔族はどうなる、という考えまである。
むしろ、クルトが気になっているのは、説明会の最初から黙りこくっているリンとヴィルヘルムだ。
「どうした、総隊長さんよ。いやに静かじゃねぇか?」
クルトに話を振られる形で意見表明したのはヴィルヘルムだ。
「私は、いや、当職は保留させてください」
これは一瞬会議の参加者をざわつかせた。
反対でも賛成でもない保留という回答は真意を測りかねるものがある。
「保留?」
「はい、申し訳ありません。個人的に黙っておくことはできますが、エストの治安責任者としては見逃せません。潜在的な脅威として評価せざるを得ないでしょう」
この発言は彼の仕事を考えれば当然のものだ。
「今のところブラウン男爵は、ラウル君に何かあった、程度のことしかご存じありません。この時点で私は男爵様を裏切っています。このうえエスト村民を危険にさらすようなご相談にはあずかれません」
保留を優柔不断と批判してはいけない。むしろ、ラウルの為にいくつも規則を曲げていたヴィルヘルムに感謝すべきだった。男爵に報告せずに会議の結論が出るのを待っていてくれるとあってはなおさらである。
「あの……」
おずおずと挙手して発言の許可を求めたのはリンである。
ここまで彼女が黙っていたのは定番になりつつある勢いへの乗り遅れが原因ではない。
「私、“竜の子”って言葉に見覚えがあるんです」
彼女は過去に自分が読んだ書物の情報を思い起こして整理していたのだ。
本当か、聞かせてください、と皆が口々に言い募る。しかし、リンは情報を披露する前に、ネタ元が発禁本であることを述べた。
これには誰もが驚き、顔を引きつらせる。我から火刑に飛び込むような真似は好奇心旺盛という言葉だけでは説明できるものではない。
「リンちゃん、そんな危ない橋を渡ってたの?」
「ラウルの魔力不能を治す方法が無いか、探して回ってたんです。売っている本には当たり障りのない通り一遍のことしか書かれてなくて……」
「むう」
ジーゲル夫妻は驚きと喜びが半々になった表情を見せた。
リンが息子のために命懸けで情報収集していてくれたことを初めて知ったのだ。いくら幼馴染でもなかなか出来ることではない。
二人は感謝の意をあますことなく伝えたい思いに駆られたが、なにぶん会議中である。その代わり、もしもリンが教会に追われる身になったら迷わずジーゲル家に匿ってやろう、と黙って心に決めた。
「竜の子は魔法に頼らずにすごい力を使う、って書いてありました」
「リン姉、どの部分が王国法に触れたのでしょうか?」(何処で入手したのかな)
「いたるところに教会批判、精霊契約の儀式があやしい、あと、教会の連中は焼かれてしまえ、とか過激な文章がいっぱい……」
「ああ……」(危ない)
「焼かれたのは本のほうなんだけどね」
かつてコリンは大聖堂に所属していたから、教会と聖騎士のやり様はよく知っている。今のところリンが火あぶりになっていないのは喜ぶべきことだが、ラウル説明会の参加者はラウルについて何かを決める前に守るべき秘密が出来てしまった形になる。
コリンは唇に人差し指を当てて内緒の動作を皆に示したが、彼に促されるまでもなく誰もが首肯して沈黙を約した。リンの火あぶりが見たい者などこの場にはいないのだ。
いつもご愛読ありがとうございます。
ここでリンのラウル研究があきらかになり、オープニングの古道具屋で出てきた本に繋がる感じです。
周囲の人間に怖がられるのは元ネタリスペクトですが、そのまま捨て置くことなく、逆に村人に頼りにされるような設定にする予定です。
徃馬翻次郎でした。