第147話 英雄の作り方 ①
いつもご愛読ありがとうございます。
小石を隠すなら砂利の中、ですが、潜伏せずに動き回るのなら別の方法を考えなくては、というお話です。見方によっては風評被害を製品偽装でかわす詐術になるのかな?しかし、この世界の風評は宗教警察が飛んでくるので馬鹿にならんのです。
徃馬翻次郎でした。
エスト治安職員ヴィルヘルム=シュタイナーは朝礼の後も衛兵詰所から出ず、精力的に仕事をこなしていた。
この書類仕事というやつ、少しでも目を離すと森に生えているキノコのように次々と数が増えてしまう。終身名誉衛兵隊長となった今もその事情に変わりはない。それまでの副官を隊長に格上げし、よく気が付く若手の有望株を副官に抜擢する人事は次世代への引継ぎという意味において至極真っ当なものだったが、できるだけ現場に関与していたいヴィルヘルムにとっては迷惑な話だった。
名誉職なら時間に余裕ができて詰所にもちこんでいる書物を紐解くこともできるのではないか、と思って例の長ったらしい役職を引き受けたのがそもそもの間違いだ、と彼は後悔している。その気持ちを部下たちも察したらしく、正式名称を避けて“総隊長”という呼称をでっちあげて広めてくれたのがせめてもの慰めだった。
呼称を現場に寄せたからと言って書類キノコの繁殖力が低下するわけでもないので、今日も彼は日課のキノコ狩りに精を出しているのだ。もちろん、現職の隊長が仕事に慣れてきたら、徐々にキノコの山を分譲開始するつもりではある。
「総隊長殿、執務中失礼します」
詰所に入ってきたのはエスト領主であるブラウン男爵の従僕だ。行儀がいいのは家宰のしつけが行き届いているから、血色がいいのは待遇が悪くないからである。
「どうぞ、入ってください。見ての通りでお茶も出せませんが……」
「お気遣いありがとうございます。ですが、男爵様よりお呼び出しをお伝えに参上しただけですので、戸口で失礼させていただきます」
相手がだれであれ、ヴィルヘルムは分け隔てなく礼儀正しく接する。公僕という言葉を体現しているこの美丈夫が、誘拐された子供をはるか西の港町まで追いかけて奪還劇を演じたという事実は彼の折り目正しさにある種の威厳を内包させた。これは酒場での喧嘩やその通報が半分以下になったこととは無関係ではない。仮に、拳やジョッキが飛び交う事態になったとしても、彼が酒場の入り口に姿を見せれば、特になにをするわけでもなく高確率で騒ぎは終息する。存在するだけで犯罪抑止の効果があるのだから、それこそ終身名誉衛兵隊長の名に恥じぬ働きだった。
「わかりました。すぐにお伺いすると男爵閣下に……いや、あー、やはり同道しよう。申し送りをするので少し待ってください」
今こそキノコの山を新衛兵隊長に押し付けるときだ、とヴィルヘルムは言わなかったが、尻を椅子から分離して肩の凝る仕事に小休止を挿む頃合いだった。
衛兵隊幹部を呼んで細々と注意を与えたのち、ヴィリー総隊長はブラウン男爵の屋敷へ向かう。彼の住まい兼公邸は村の中心から少し離れた北東の高台にある。ちなみに、高所から庶民を見下ろすのが好き、という特権階級意識とは無関係である。むしろ有事の際の視界確保と抵抗拠点としての防御力の観点からあえて選んだ立地だった。
彼は執務室に通されたが椅子に腰かけることなく立ったまま男爵を待つ。男爵は礼儀にうるさいほうではないが、ヴィルヘルムは幼時から叩き込まれた習慣が身体に染み付いているし、個人的なつながりをいいことに礼儀をおろそかにするような人間でもなかった。
館の主と思しき足音を耳にすると一層背筋を伸ばす。
「待たせたな。呼び出しておいてすまんが多忙の身でな、許せ」
詫びを口にしながら入室してきたブラウン男爵は執務机に大股で歩み寄り、引き出しから二通の書状を取り出した。
「楽にしろ。こちらは王室からのお召し、もうひとつは私からの紹介状だ」
片方は王家の紋章が彫られた木箱入りで中身が見えない。もう片方は封蝋がされた巻紙である。
「これらをジーゲル家へ遅滞なく送達するように」
「承知しました」
「うむ……紹介状の中身を聞かないのかね?」
「いえ、あー、閣下はラウル君にひきを作ってさしあげたのでは、と推察します」
「その通り、王都の紋章官に一筆書いた。一言付け加えるとしたら、彼に取り入ろうとするのは逆効果だ。彼の専門について興味を示すほうがよほど仲良くやれる、というものだ。そう念押ししておいてくれ……後は任せたぞ」
ヴィルヘルムは木箱を押しいただき、手紙と一緒に脇に抱えて男爵邸を辞した。
“ひき”とは縁故を指す言葉であり、それには強弱が存在する。引き立ててくれる相手の立場が強ければ強いほど本人の立場もゆるぎないものになる。
ブラウン男爵がラウルに王都の紋章官にあてて紹介状を書いた、ということは鍛冶職人の跡取りという田舎者が宮廷や貴族社会という湖沼を泳ぎ切るために必要な水練の師匠を男爵が斡旋したことになる。
あえて大海とせずに湖沼と表現したのは、どうかすると湖水が腐臭がするほど淀んでおり、沼沢には足を引っ張ろうとする魔物が多数生息しているからである。貴族社会という毒々しい湖沼を擦れていない田舎の青年が泳ぎ渡るには特殊な泳法が必要であろう。
その泳法を伝授するか、溺れないように後見を頼めるかもしれない人物が紋章官であり、宮廷内部ではかなりの高官にもかかわらず、珍しく賄賂に興味が無い学者肌の人間なのだ。
遅滞なく送達せよ、とはつまり、早く行って届けて来い、との明確な命令である。
ヴィルヘルムは真っすぐジーゲル家へ向かうが、朝の早い時間だったにもかかわらず、ラウルは留守だった。
ジーゲル夫妻が心から歓待の意を示す。
「あら、総隊長さん。お早いお訪ねだけど緊急事態かしら?」
「おはようございます奥様。えー、まあ、緊急事態なぞそうそう起きてもらっては困りますが、その、事件には変わりないと思いますよ」
「ほう」
ヴィルヘルムはそこまで言って周りを見回す。
「ラウル君は?」
「もうすぐ帰ってくると思いますわ」
すわ朝帰りか、と構えたヴィルヘルムだが色っぽい話ではなかった。
昨日からウィリアムと一緒にエスト南東の森林地帯に入って狩りの最中なのだ。肉食を避ける傾向が出てきたラウルを修正するためにハンナに頼まれたウィリアムが付きっきりで指導中である。菜食主義も結構だが、これから新鮮な野菜が入手困難な冬になるというのにそれは困る、というのが表向きの理由だが、本当の理由は獣すら殺せない人間が対人戦闘で役に立つか、という切実な問題だった。
とにかく、彼が家を空けているのはスケベがらみではない。
「まったく、そんな甲斐性があれば、な」
「まあ!必要なのは空気を読む力じゃないかしら?」
「はは、まあ、これからいろいろと変わるのではありませんか?成り行き次第では当職も、ラウル殿、騎士ラウル、とお呼びすることになるのですから」
ヴィルヘルムは木箱から巻紙を取り出しながら合いの手を入れた。木箱に刻まれた紋章を見たジーゲル夫妻が居ずまいをただす。二人とも熱心な王室崇拝者というわけではないが、最低限の礼儀はわきまえていた。
「えー、それでは、男爵代理として勅を読み上げますね。そちらもラウル君の代理ということにしましょう。早く開封して日程だけでも確認しておかないと」
「うむ」
「謹んで承ります」
王の勅命に相応しい応答ができたのはハンナだけなのだが、誰も見ていないことをこれ幸いに、ヴィルヘルムの読み上げはざっくばらんに進行する。
「あー、度重なる抜群の武功によりて、エスト村民ラウル=ジーゲルに勲五等アルメキア章を授与する。新年の式典に参上するよう国王が命ずる、です」
「……それだけか?」
「これが上流階級式命令なのよ、あなた。本当に嫌になるわ」
アルメキア勲章は王国騎士団への入団許可証であり、騎士身分と規模は不明だが封地が付いてくる。式典は新年と国王誕生日の年二回のみ、遅参するような奴は知らん、という何とも不親切な招待状なのだが、ハンナは慣れきっているらしく素早く読み解いて見せた。
クルトにしてみれば居丈高にしか思えない。飼い犬に骨付き肉を取りに来させるような扱いが気に入らないのだ。
「やれやれ」(これだから偉いさんは……)
「準備期間に充てられる時間的余裕をくれただけ良心的というものよ、あなた」
「むむッ」(そう言えばハンナの実家も……)
「うーん、お仕着せは買うとして、問題は最低限の儀礼ね。私が教えてもいいけど」
「その件に関して男爵様よりご案内があります」
ラウルの上流階級向け訪問着をあつらえるのは金で解決できる問題だが、宮廷で通用する礼儀作法を即席で教え込むのは骨が折れる。したがって、ブラウン男爵の手配した紋章官への紹介状は極めて適切な解決策だった。
「これは有難い」
「いっそのこと、紋章官さんを作戦の一部に組み込んでしまうのもアリね」
「……と仰いますと?」
「急ごしらえで礼儀作法を叩きこんでもボロが出る。身分相応でなおかつ恥をかかない程度にラウルを仕込んで先導してくれる先生になってもらいましょう」
「ほう」
「先生がものすごい偏屈爺さんや意地悪婆さんだったらこの作戦は使えないわ。新年の儀式までに一度顔合わせしておくか、それとも……」
「人物に関しては高潔である、と男爵様が保証いたします」
話の流れから推測するに、ラウルをいっぱしの騎士に育て上げるにはどうすべきか、エスト村の有名どころが一丸となって策をめぐらしているようである。
「作戦はそれでいいとして……」
「どうなさったの、あなた?」
「お召状の“度重なる抜群の武功”ってのはなんだ?話を混ぜっ返すようでなんだが、これじゃあ歴戦の強者か勇者みたいだぜ?」
「ああ、それは、蜘蛛型魔獣騒ぎの時から通算してですね、えー、人さらいも海賊退治もラウル君がいてこその大戦果、というわけでして、はい」
「やっぱり盛ったのか」
ここまでくれば陰謀や捏造の範疇であり、ラウルを作られた英雄に祭り上げている感すらある。
クルトが納得のいかない顔をしているのは、息子の身を守る為とはいえ、目的達成のためには手段を問わない状況になっていることに対してであった。
「辛抱よ、あなた」
「むう」
「作戦参加、という意味では嘘はついておりません」
「しかし……」
「騎士になってしまえば一介の庶民とは違います。少なくとも武装をとがめられることはありません。それに、勲章持ちの人間をあれこれ詮索するのをためらわせる効果も期待できます。なにより、大陸中を動き回るのにも武者修行という名分が立ちますから」
どうか目をつぶって下さい、と言うヴィルヘルムの説得に折れてクルトは言葉を引っ込めたが、これで作戦会議の目的が改めてはっきりした。
ラウルの身を安全にするための騎士身分獲得であり、竜の子の旅を続けさせるための隠れ蓑が武者修行なのだ。決してラウルが騎士道に目覚めたわけでも何でもない。
あとは間違っても辺境勤務や近衛に配属されないよう手を打つ必要があるが、その役割を紋章官という新しい要素に託す算段が新たに芽生えたところであった。
この作戦方針にたどり着くまでに紆余曲折が全くなかった、と言えば嘘になる。
そもそも三週間前のラウルは生きるか死ぬかの瀬戸際だったのだ。それも母親であるハンナがラウルを息子と認めなかったことによる。
エスト捜査班の面々とコリンやヘーガーといった関係者を集めてのラウル説明会が開催されたが、竜王によって与えられた人工生命体とでもいうべき竜の子の肉体は、竜戦士の能力と相まってにわかに受け入れられないところがあった。ハンナはさらに強烈で、ラウルが世間様に迷惑をかける前に始末して自分も死ぬ、とまで言い放ったのだ。




