第11話 初陣 ③
ハンナが最後に発したとっておきの美声による呼びかけの後、遠くでたくさんの花瓶が割れるような音がかすかに聞こえた。小動物が一斉に動き出したかのような気配はするが、そのほかには何も察知できないまま時間が経過する。
やはり作業員は全滅かとあきらめたころ、直線通路の一番端に獣人がひとり、こけつまろびつ姿を現した。一所懸命足を回転させてこちらへ逃げてくるが、すでに足がもつれ気味である。
ジーゲル夫妻はそれを見るや前へ飛び出しエルザ隊の前衛と十分な距離をとる。
「こっちだ!」
「エルザさん、あなたたちはそのまま。三段構えよ」
クルトは歓喜と恐怖の表情がないまぜになった犬系亜人の作業員を誘導し、ハンナは新たな配置を指示した。エルザは作業員を助け起こして後衛のラウルに託す。ラウルは作業員を後衛が陣取るそばに座らせて事情を聴くが、作業員から少し便臭がする。こんな状況だから便失禁したとしても当然なので気にせず質問を続けた。
「けがは?ほかの人は?」(く、臭い)
「俺、大丈夫。便所、隠れて、みんな、わからん」
「わかりました。とりあえず水をゆっくり飲んで」
「た、助かる」
ラウルは便臭の正体を教えてもらって作業員に心底同情した。おまけに息があがってつらそうだったので、つい水筒を差し出してしまった。作業員に渡してしまってから気付いたがもう遅い。エルザの水筒を咥えて心ゆくまで回転させる崇高にして神聖な任務はたった今高速終了した。
「ふう、いきかえったぜ」
「広間まで行けば衛兵隊がいます。歩けますか?」
「おう。この通りだ。ん?き、来やがったァー!」
「?」
作業員が指さす方向にラウルが視線を振ったとき、十分な照明があるはずの直線通路の先が急に真っ暗になった錯覚を覚えた。通路の上下左右を埋め尽くす蜘蛛型魔獣の大群だ。
退避をうながすまでもなく、作業員はもう逃走を開始していた。
一匹の攻撃力はたかが知れているが、なによりもこの数えきれないほどの大群である。これだけ揃うと、土砂降りの雨音のような移動音や奇怪な鳴き声だけでも相当なものだ。
しかし、なおもジーゲル夫妻は待ちの姿勢を崩さない。
(おいおいおい)
(大丈夫かよ)
戦士兄弟が思わずつばを飲み込むほど圧倒的な景色だったのだが、魔獣の大群がジーゲル夫妻の目前に迫った瞬間、突如としてクルトの攻撃が開始された。
無造作にも見える両手剣の軌道は凄まじい速さをもって描かれる。球形の攻撃範囲に侵入した魔獣は、斬られ叩かれ吹き飛ばされ、みるみる死骸の数を増やしていった。しかし、いくら人間離れした攻撃速度であっても必ず隙は生じる。実際、振りかぶったり半身になったりする機会は何度もあり、そこに襲いかかる魔獣もいるのだが、ハンナがクルトの背後にぴったりくっついて背中を守っており、付け入る隙を与えない。クルトには劣るが、ハンナが銀の短槍で仕留めた魔獣もかなりの数だ。
(まさに“踊る巨人”だ)
さきほど、ラウルは父親の二つ名を面白半分に聞いていた。どうせ酒場での宴会芸あたりだろうと勝手に決め込んでいた自分が、今となっては猛烈に恥ずかしい。
ハンナも加わって美しさと凶暴さを倍加させたクルトの舞踊は、その速度を落とすどころか益々回転速度をあげるが、球形の攻撃範囲を逃れて、通路の四隅から突破する魔獣が少数ながら現れる。しかし、そこにはエルザ率いる前衛が待ち構えており、たまらず魔獣が天井に移動すれば後衛の唱える攻撃魔法が逃がさない。火炎魔法が天井をなめるように覆い、魔獣が次々に焼け落ちてくる。
(信じられない。完封だ)
エルザは大なり小なり負傷者がでるものと覚悟していた。迷宮探索とはそういうものだし、荷物に回復薬を詰め込むのも治癒師や神職経験者を部隊に入れるのもそのためだ。しかし、この状況はどうだ。うちの治癒師は随分と手持無沙汰じゃないか。治癒師が暇とは結構なことだ。
エルザがそう皮肉を考えたくなるほど、ジーゲル夫妻が繰り出す攻防一体の妙技は圧倒的だったわけだが、魔獣は降参も退却もせず新手を送り込んでくる。“はたして二人はあのままでもつのか”という疑問をだれもが思ったが、ジーゲル夫妻は休むそぶりも見せない。
(噂には聞いていたが)
(こいつはバケモンだ)
戦士兄弟とて冒険者界隈ではそこそこ名の知られた腕自慢で、息の合った連携攻撃で数々の難敵を屠ってきた。その兄弟が、ジーゲル夫妻の芸術的戦闘技術には思わず目を奪われてしまう。目の前で繰り広げられている光景は、芸術的という域を超えて幻想的ですらある。
時折夫妻どちらかの刃が天井や壁面を擦っていいるらしく小さな火花が散っている。 すでにジーゲル夫妻は魔獣の体液で紫色に染まっているが、なおも魔獣を生死かまわず刻み、払いのける。吹き飛ばされた魔獣の死骸で、すでに直線通路の突き当りは下り階段の途中まで足の踏み場もない。その死骸を踏み越えて続けられる魔獣の襲撃は永遠に続くかと思われたが、急速に雪崩のような一斉攻撃の勢いが弱まり、ついに魔獣の波が途絶えた。
ジーゲル夫妻の舞踊が停止する。二人は肩で息をしており、体からはうっすら湯気が上がっていた。エルザと戦士兄弟は慌ててかけより、先頭の位置を交代する。ラウルと後衛も追いついてきて、今まで出番がなかった治癒師が回復と浄化、念のため解毒の魔法を唱える。これだけ派手に魔獣の体液を浴びてしまうと、毒液を経口摂取している可能性も捨てきれないからだ。
ラウルも目下洗濯中の両親に何か言おうと思ったのだが、賞賛や慰労の気持ちよりも畏怖の気持ちがぶっちぎりで先行してしまう。
「……大丈夫?」(怖えぇぇぇぇ)
「ああ」
「私はちょっと疲れたわ」
洗浄が先に終了したクルトは服のポケットから小袋に入った砥石を取り出し、持ち主の期待を裏切らない愛用の両手剣を研ぎだした。研ぎ終わると背中の鞘に納め、妻の洗濯が終わるのを待つ。その間に蜘蛛型魔獣は何匹か姿を見せたが全て単独での襲撃で、エルザと戦士兄弟があっさり片づけた。
そこでラウルは気付いたのだが、エルザ隊の面々も称賛や労りを口にしているが、どこかぎこちなく、目が怯えているのだ。ハンナは洗浄の礼を治癒師に述べている。お気に入りの魔法服に色移りしなくて良かったとか、心配するところはそこではあるまい。この微妙な空気をどうするつもりだとラウルは思ったが、それは要らぬ心配だったらしい。
「お、綺麗になったな」
「ええ、あなた。あ、ちょっと、んむ♡」
ジーゲル夫妻主演の舞台は情熱的な接吻で終幕となった。
(またかよ。みんな見てるんだぞ。せめて家に帰ってからにしようよ)
ラウルは自分の日頃の行いやスケベ行為を棚に上げて抗議しようとしたが、エルザ隊から沸き起こった歓声や拍手に気圧される形で取りやめた。しかし、微妙な雰囲気は一気に吹き飛び、再びやるぞという気迫がエルザ隊にみなぎった。
「素敵ね」
エルザのつぶやきをラウルはまた違った思いで聞いていた。両親は身体強化や防御魔法に頼らない戦闘術で魔獣の大群をしのぎ切った。ひょっとして、わざとオレに見せたのかなと思わないでもなかったが、考え事は後でゆっくりしようと思いなおす。第一、隙あらばいちゃついてチュッチュしようとする親どものせいで考え事が続かない。
なにしろ作戦はまだ完了していない。要救助者五名のうち四名が未発見だ。
ジーゲル夫妻は疲労回復と称していちゃつくため中列に隊列変更する。
念のため、魔術師の師弟が火魔法で魔獣の死骸を焼却しながらの再出発だ。万一の後背攻撃を防ぐ冒険者部隊ならではの用心だが、弟子のほうが詠唱の最後に“クズは灰になれ”とか“燃え尽きろゴミ虫”だの物騒な文言をつけ足しているのを師匠に聞きとがめられていた。
杖で頭を小突かれて指導を受けている様子はむしろ微笑ましいものだったが、弟子の頭巾からこぼれた栗毛色の髪と可愛らしい灰色の瞳をラウルは見逃さなかった。今の今まで、治癒師と魔術師の弟子は頭巾で顔がよく見えなかったが、ここにきてようやく思う存分観察する余裕が出てきた。魔術師の弟子だけでなく、治癒師の整った顔立ちと美しい声に気付かなかった自分をラウルは責めた。エルザにのみ気をとられ、周囲の観察を怠ったのだ。
二人の美少女との出会い。これはエルザの水筒を救助者のために差し出した件のご褒美を神がくださったのだと、ラウルは身勝手極まる結論を下して最後尾についた。
いつもご愛読ありがとうございます。
坑道内はけっこう広い空間の体でお願いします。さすがに戦国時代の銀山とかだとこうはいきませんから。
それでも長物はあきらめて短剣に装備変更するのが本当なんでしょうねぇ。
徃馬翻次郎でした。