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第144話 英雄の生家は鬼の住む家 ③


《 エスト村 》


 露店や見世物こそないものの、あたかも収穫祭の仕切り直しのような勢いでエスト村は歓喜の渦が巻いていた。誰もが誘拐事件の解決を祝福し合い、捜査班の活躍を讃え、何人かは領主であるブラウン男爵の叡智えいちを褒めそやした。

 目下、エスト村における仕事の合間や井戸端会議で人々の口の端に上る話題は誘拐事件に関するものが独占していると言っていい。

 例えば、今朝早くから納屋の増改築に腕を振るっていた建築業者たちがようやく休憩にありついたのだが、男同士の茶飲み話としては異例の盛り上がりを見せていた。


「いやあ、チビスケ共がみんな無傷とはね。捜査班ってのは何者なんだ?」

「あー、ほれ、ヘリオットんところの坊主がいなくなったんで、ウィリアムが血相変えて探し回ってただろう?」

「ああ、気の毒なぐらいに落ち込んでたな」

「そこへジーゲル一家が加勢したらしいぜ」

「らしい?」

「おれも又聞きなんだよ。あとは衛兵隊長さんが出奔するかたちで付いて行って……」

「それ、まずいんじゃないの?ちゃんと休暇取ったんならともかくさあ」

「結果を御覧ごろうじろ。終身名誉衛兵隊長様だぜ?」

「意味よく分かんないけどよ、クビどころかご出世ってことか?」

「おうよ。給料も仕事も以前と同じだが……あ、これ、ひょっとして衛兵辞めても年金もらえるのか?」

「スゲエ!」

「終わりよければ全て良し、か」

「そうは言うけどよ、他所の子供のために仕事ほっぽり出して海賊船にカチコミかけるか?命懸けだぞ」

「確かに、真似できることじゃないな」

「そうさ!」

「ジーゲルの鍛冶屋が休んでたのもそれか……」

「ああ。元は冒険者らしいが、何にしたって店を閉めてアルメキアの端まで追いかけるなんざ尋常じゃねえ」


 このような会話が村のいたるところで交わされていた。

 一方、ご婦人方も負けてはいない。買い物帰りだろうが水汲みの途中だろうが、彼女らは暇さえあれば立ったまま会議を始めるのだ。これが苦手な女性も多いのだが、今回だけは例外で、話の輪に加わらなくとも誰もが聞き耳を立てている。それほどの重大事件であり、まったくの無関心でいられる村人は圧倒的少数派だった。


「ちょっと奥さん、聞いた?」

「もう何を聞いても驚かないわよ。何から何まで異例づくめだもの」

「そうよね、でもこれは取って置きよ!」

「早く言いなさいよ、じれったい」

「捜査班にクラーフのお嬢さんが参加してたって話」

「ええっ!あれ本当だったの!?」

「なんだ、つまらない」

「それにしてもグスマンさんはよくそんな物騒な冒険に娘を送り出したわね」

「そこよ!ほら、クラーフ商会が人さらいを手伝った、って騒ぎになってたじゃない?」

「あー、あれね……」

「つまるところ親孝行の美談が隠されていたのよ!」

「なるほどねー」(貴女、物書きになるといいわ)


 リンにしてみれば、父親が殴られ損なのは腹が立つ、といった世間が思いもしないような理由で捜査に参加していたのだが、ご婦人方の情報交換は美談で味付けしたエスト英雄伝説の一部を形成しつつあった。


 今回の事件に関連して特に村内でにぎわっている場所と言えば聖堂である。

 捜査に極めて非協力的だった聖タイモール教会エスト聖堂では、さらわれた子供たちの生還を祝い、神に感謝の祈りを捧げる礼拝が連日執り行われている。

 自分たちは指一本動かすことなく事態を静観し、事件解決の成果のみを宗教的権威に取り込もうとする面の皮の厚さには捜査班員の誰もが閉口したが、静かな思索の時間や先祖への感謝に否やはないので苦情は言わなかった、といったところだ。

 もちろん、リンは怒っている。

 聖堂のすぐ近くにあるクラーフの店前で騒ぎが起こって父親が暴行を受けているのにもかかわらず、知らぬふりを決め込んだのは絶対に許せない。聖騎士の連中も同様だ。事件解決のお祝いだけは参加しますなんて許せるわけない、と息巻いていた。

 むろん、そのような事情は聖堂で頭を下げる信徒には関係が無い。彼らは真剣そのものであり、今も僅かばかりの寄進と祈りを終えた製粉業者とパン職人が連れ立って聖堂から出てきたところだ。


「一時はどうなることかと思ったが、これで俺たちも通常営業だな」

「うん。本当に有り難い話だ。風車が暴動で壊される前に片付いてよかった」

「そうだな。ウチの窯も無事だったし、まさしく神のご加護だ」

「ああ……そう言えば、男爵様の令状を持った奴らが村中を聞き込みに回ってた、って聞いたけど?」

「うん。ヘリオットやジーゲルみたいな村はずれの連中らしいな。人さらいをポレダまで追ったらしいぞ」

「ウチの子が被害に遭ってたら同じことができたかな?」

「そりゃ厳しいだろうな。俺だってそうさ。聞いた話じゃジーゲルんとこは夫婦で冒険者だったらしいしな」

「でも、ジーゲル家は罪にまみれとるんだろ?息子は呪われてんだろ?」

「確か……そのはずだ」

「罪人がわしらを助けてくれたのか?」

「悔い改めたのかも」

「跡取りが寝たきりになっちまったんだよな?」

「よほど業が深い……あれ?」

「上手く言えないけど、なんかヘンじゃないか?」


 製粉業者の男が言う通り、これまで教会が垂れ流してきた“ジーゲル家は呪われている”説と捜査班の活躍は辻褄が合わない。

 もし誘拐事件の解決を神の御業とするならば、捜査班は神の御使いであらねばならず、寝たきりのラウルは聖戦で倒れたとみなして聖人認定こそ相応しいのではないか。そもそも、捜査班が神の御使いであるなら損害が出ること自体があってはならないはずだ。

 パン職人は製粉業者と別れた後もしばらく考え込んでいたが、店に戻ると業務に追われて思考の結果を忘れてしまった。残念な話だが、エスト村民の全員が公を意識して生きているわけではなく、彼もまた例外ではない。早い話が、自分さえ無事なら祈る相手が誰でもかまわないのだ。

 パン職人の性根を責めることは難しい。皆が生きるのに必死の世界では、自分と家族を守るので精一杯なのが普通だからである。触らぬ神にたたりなし、とても他人のことまで気に掛ける余裕がない、と言う者たちが大多数、ジーゲル家のように、義を見てせざるは勇無きなり、を声高に言うことなく黙って武を振るい、人助けをしている者のほうこそ稀なのだ。


 その“罪にまみれて呪われている”ジーゲル家に新たな来客があった。

 客は探検家のエルザ=プーマ、ラウルの師匠であり人生の導師である。

 彼女は王都での用事を済ませた後にアルメキア最大の収穫祭を満喫したのだが、エストに戻るべく王都の門をくぐろうとした際に、人の出入りに関する取り調べがにわかに厳しくなっているのに気付く。この時はポレダで捜査班による人質奪還作戦が行なわれた後だったのだが、いつもの衛兵以外に傭兵旅団の斥候が検問を実施している異常事態だった。

 衛兵だけでなく傭兵とも顔見知りのエルザは検問を通過する際に、エストで何事か起きたらしい、という情報を入手した。彼らが捜しているのは巡礼または馬商人を自称する男性のみで構成された集団とのことだったので、エルザは巡礼についての心当たりを教えてやった。

 巡礼達のおかげで臥竜亭の特別室に留まる羽目になり、ひとつしかない寝床で同行の青年に気まずい思いをさせた、という話まではしていない。それでもこのネタは傭兵旅団員の捜査意欲をかき立てたらしく、大いに感謝される。どのみち大聖堂で捜査の壁にぶち当たるだろうが、宿泊先を中心に都内の足取りを追えば別の痕跡が見つかる可能性もある。


 エルザはエストへの道のりを急がずに、情報収集しながら駅馬車でゆっくりと南下する。確かに、街道警備は旧に倍する強化がなされており、駐屯地の騎士団は留守番を除いて出払っていている。ここで彼女はエストの騒ぎが収穫祭で発生した大量誘拐事件であることを知らされる。

 エルザは探検家であり、密偵でもなければ捜査経験豊富というわけでもない。

 しかし、ごく短い期間で発生したエストでの出来事を思い起こせば、蜘蛛型魔獣騒ぎに始まり、鉱山主の貴族が襲撃された事件に続く今度の誘拐事件がどうも一本の線で繋がっているように思われる。そこから推理をすすめれば、野盗と巡礼と馬商人が全て同一人物でないか、という結論もあながち的外れではない気がするのだ。


 彼女の勘は真実を正確になぞっているのだが、口に出すことははばかられた。なぜなら、いくつかの手がかりは捜査中に聖タイモール教会が避けられない障害となって立ちはだかることが確実だからだ。あるいは全てが教会へと通じている可能性すらあるが、エルザとて火あぶりは恐ろしい。せいぜい口に蓋をして心の事件簿に記録しておく以外になかった。


 ポレダへ出張中とは知らずにジーゲル家を訪ねたエルザは空振りになった足でヘーガーを訪ね、ジーゲル家が帰ってきたら知らせろ、との伝言を残してエスト西の湖畔にある別宅で余暇を過ごしていたのだ。

 彼女がのんびり釣りを楽しんでいたところへの、ラウルに異変あり、との知らせは正に晴天の霹靂へきれきだ。彼女はヘーガーをエストへ送るのも忘れて黒豹に変化し、懸命に駆けた。


 クルトとハンナはエルザを出迎え、ヘーガーや捜査班と同等の情報共有を行おうとしたのだが、エルザはジーゲル夫妻に疲労の色が濃いのを見て取り、詳しい話は後回しにして仮眠してはどうか、と提案した。ラウルの監視も込みでの申し出である。


「むむッ」

「そのようなことまでお願いしては……」

「何かあったらすぐにお呼びしますからお休みになってください」


 二人ともエルザの提案を断りはするが弱々しい。

 実際、鍛冶屋の業務も再開したが、従業員が一名欠けた影響は大きく、介護疲れと監視に加えて見舞客の対応でてんてこ舞いのジーゲル夫妻は限界に近かったのだ。

 ごく短い押し問答の末にエルザの案は採用の運びとなった。


 クルトとハンナが寝室へ引き上げた後、エルザはラウルの顔をじっと見ていた。

 床ずれ防止のために側臥している状態だが、顔は従前とそん色ないように思える。とびきり不細工でもなし美男子でもない。これがラウルでないならよほど変装術に長けた怪物であろう。ヘーガーならあちこち触って差異を見つけ出すかも知れないが、などとつらつら考えていた矢先に寝ていたはずのラウルと目が合った。


「ラ、ラウル君!?」(ひッ)

「エルザさん、小さい声でお願いします」

「……わかったけどご両親を呼んでこなくちゃ」


 監視に使用していた椅子から腰を浮かしかけた瞬間には手がしっかりとつかまれていた。エルザが察知できなかった早業である。


「あうッ!」(い、いつのまにッ!)

「ご、ごめんなさい」


 椅子から立つな、という意思がエルザに伝わったのを見てラウルは力を緩めた。


「親を呼ぶ前に聞いてほしいことがあります」

「ご両親は心配されてるよ……四日目だっけ?寝た切りだったんだからさ」


 どんな話であれ保護者へ先に持っていくべき、という正論をエルザは主張する。

 しかし、ラウルは頑なに拒否する姿勢を崩さない。


「第三者のエルザさんなら客観的な意見が聞けると思ってのことです」

「参ったなあ……手短にね」

「それが、長い話なんです」


 ジーゲル夫妻が寝息といびきを立てる中、ラウルとエルザは微かな声で語り合った。それは超常現象という言葉で片づけるにはあまりにも奇抜な話であり、耳を塞ぎたくなるような血なまぐさい描写を含んだ驚くべき怪異譚かいいたんだった。


いつもご愛読ありがとうございます。

エルザが帰ってきました。時折現れる生活指導の先生がどんな道しるべをしめすのかは次のお話。

徃馬翻次郎でした。

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