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第142話 英雄の生家は鬼の住む家 ①


 ポレダの港町におけるエスト捜査班の籠城は予想以上に早く終了した。

 長期戦を想定してのクラーフ倉庫への立て籠もりだったわけだが、籠城翌日の昼には騎士団の先遣隊が到着してポレダ伯と面会し、衛兵詰所を接収しての捜査本部設置が行なわれる。 

 誘拐の容疑者はほとんど全て死亡するか投降するかしており、誘拐の被害者も無傷で奪還できていたのだから、騎士団の捜査は逃亡者の追跡と現場検証、最終的には統治や治安維持の任をあずかる者たちへの責任追及に重きが置かれるはずだった。


 この直後に衛兵隊長パメラを通じて大量の減免状がクラーフ倉庫へ届けられる。海賊をつかまえ次第縛り首に処する定法を曲げた寛大な処分は小さな奇跡である。

 ただし、船長をはじめとする海賊幹部には賞金首が多数いたため、彼らは吊るされる場所を舷側や帆桁から港湾入口の見晴らしのいい高台に変更されることになった。今度は逆さ吊りではなく首吊りである。できるだけ展示期間を長くするために腐食防止の黒炭液を身体中に塗りたくられた彼らは物言わぬ屍となって海を見つめている。

 その他の海賊は減免組と均衡を取る為か、長期の鉱山労働を強制する有期刑となった。過去の処罰例と共犯者の量刑を足して二で割る司直の思考が彼らの命を救ったわけだが、彼らにしてみれば海賊船に乗り込んで来た優男が降伏勧告の約束を守ってくれたとしか思えなかった。


 エスト捜査班の面々にも、捜査協力に感謝する、お帰りいただいて結構、という慇懃いんぎん無礼な書状が届くが、捜査班はこれを無視する。

 字面だけが丁寧な書状に腹が立ったのもあるが、パメラの事前警告に従って騎士団本隊の到着まで慎重を期したのだ。領主のポレダ伯自身は一刻も早く厄介払いをして頭痛の種を減らしたかっただけなのだが、海賊の鼻薬がかかっているかどうか不明の相手に捜査班が油断するわけにはいかなかった。


 籠城二日目の夕刻には騎士団本隊が到着して捜査が本格化する。

 クラーフ商会の臨時職員マリンこと治癒師コリンがポレダに到着したのはこの時だ。倉庫内では元海賊からなる倉庫警備隊の解隊式が行なわれ、秩序だった動きで大人しく衛兵隊に投降する。これには衛兵隊が目を白黒させて驚く。昨日埠頭で起きた大乱闘とは大違いだからだ。この更生途上の元海賊たち、心情的にはハンナの私兵に近くなっているのだが、奥様奥様と彼女を慕う彼らが社会復帰を果たすのはまだ先のことだ。


 騎士団の捜査責任者はポレダ伯への挨拶もそこそこに、クラーフの倉庫へマリンを伴った姿を見せた。誘拐被害者の移送計画をエスト捜査班に伝達するためだ。行動開始は翌朝日の出と同時、野営予定の場所には小部隊を残置させ警戒させている、と述べる手回しの良さに捜査班の面々はようやく安堵することができた。

 さらに、国王からの依頼で傭兵旅団も動いているとのことだ。

 この事件の前後で、王都では巡礼と称し、エストでは馬商人として知られている一団の痕跡を旅団副長の陣頭指揮で追っているらしいが、相変わらず聖タイモール教会は非協力的、馬を預かっている厩舎を突き止めたところで馬に証言能力は無し、要するに成果はまったくもって芳しくない。

 エスト捜査班が追っていれば時間切れになっていたであろう手がかりだが、裏で手を引いている巨悪に迫ることができれば大金星ではある。何しろ事件の渦中にいた元気飲料の店主は行方をくらましたままなのだ。

 

 それでは捜査がありますので、と騎士がクラーフ倉庫を辞去し、後にはコリンが残された。白い帽子と長衣を脱いでマリンからコリンへ変身したのには、事情を知らされていないヴィルヘルムとウィリアムが驚く。


「みなさん、ご無事でしたか」

「なんとかな」

「コリン君、さっそくで悪いけど……」


 クルトとハンナが出迎えたが、ヴィルヘルムとウィリアムはマリンとして承知している人物の呼称に戸惑う。


「君はたしか、新しくクラーフに来た女の子……だった……よな?」

「やはり男性だったか」


 ウィリアムは初対面の時点で思うところがあったようだ。


「すいません、彼ちょっと訳ありで……できれば内緒にしていただけませんか」


 リンの要請は直ちに受け入れられる。

 これはコリンの見た目とリンへの信頼が半々といったところであろう。


「あー、うん。聞かなかったことにします。衛兵隊長のままだったらそうはいきませんが、なにしろ今の私はいち村民ですからね」

「誰にでも触れられたくない古傷や追いつかれたくない過去はあるさ。それがコリン君自信を守るための嘘なら何も言うまい」


 ただし君の正体を嗅ぎまわっている奴がいないか気を付けておくことだ、とウィリアムは付け加えるのを忘れなかった。

 コリンは忠告に同意して周りを見回す。


「あれ?ラウル兄は?別行動中ですか?」


 コリンの質問はごく自然なものだったが、奥の寝台に通され、白布を掛けられた物体を見た時は卒倒しそうになって皆に支えられるという一幕があった。まだラウルに息があると聞かされてからは落ち着いて診察を始めたが、この時はハンナが主張する偽物説は聞かせていない。


 彼は脈を取ったり直接胸に耳を当てたりしていたのだが、指先の感覚に違和感を覚えたらしく、ラウルの身体をくまなく掌でなぞりはじめた。コリンのような美少年が裸のラウルをなでさする図式は、見ている者の頬を思わず赤く染めてしまう効果があったのだが、彼は真剣そのもので触感を確認している。


「コリン君……何かわかったの?」(ちょっと触り過ぎじゃない!?)


 見方によってはスケベ臭がしないでもない情景に耐えられなくなったリンが声を掛けるがコリンは集中しきっていて触るのをやめない。


「コリン君!」

「……はッ!し、失礼しました、リン姉」


 夢から現実世界へ引き戻されたような表情のコリンはリンに詫びるが、診察によって見つけ出した成果をどう表現したものか、迷っているふうでもあった。

 ややあって彼が紡ぎ出した言葉は、


「リン姉は赤ちゃんを触ったことがありますか?」


 というラウルの現状とは直接関係のない迂遠な質問としか思えないものであった。

 リンは目下独身であり、親戚や客の赤子を抱かせてもらったり、指を握らせてあやしてやった程度の経験しかない。

 一方のコリンは大聖堂での祝福やら診察やらで赤子の肌には馴染みがある。それに剣術訓練の度に負傷するラウルの治療を引き受けていたからラウルの肌も指先が覚えていた。


「コリン君、どういうこと?」

「ボクが覚えているラウル兄の肌と微妙に感覚が違います」


 またもや聞き方次第でスケベ感覚を刺激する文言だが、コリンはいたって真面目だ。


「そ、そんな……」(コリン君まで偽物だって言うの?)

「右腕に至ってはさらに違う……とてもきめ細かい……赤ちゃんの肌です」


 リンは愕然とした。

 ハンナは匂いが違うと言い、コリンは触感が違うと言うが、リンにはラウルにしか見えない。この違いはいったい何なのだ、と文句のひとつでも言いたい気分だった。


 しかし、議論すべき問題は他にある。

 コリンは事件のあらましをリンから聞きつつ、捜査班とラウルを叩き起こす方法について検討した。


「ボクとしては、そうですね……無闇に起こしたくありません」

「むむっ」

「あら、どうして?」


 クルトが唸り、ハンナが問う。

 彼女はラウルの中身が化け物か本人か不明なままでエストへ連れ帰るのに難色を示しており、できることなら早いところ彼の正体を明らかにして白黒つけたいのはクルトも同じだった。


「まず、ボクには自信がありません」

「むう」

「確かに気付け薬が効かなかった……魔法なのかしら?」

「気絶とも催眠とも違います。もっと意識の深いところで遮断されている、と言いますか、とにかく特殊な状況ではないでしょうか」


 話を聞いていたウィリアムとヴィルヘルムは、ありうることだ、とうなずきを交わす。

 怪異の渦中にあったと考えられる者には何が起きても不思議ではないからだ。しかし、怪異という特殊な事情を加味しても、何日先何年先か分からぬ目覚めを待つのでは具合が悪い。


「状況はわかったが、ラウル君はずっとこのままなのかね?」

「何とも言えません、シュタイナーさん」

「私としてもハリーの礼を彼に伝えたいのだが……」

「ですよね……けれどもハンナさんの言うように中身が別人だったらどうしましょう?寝起きのいい方とは限りません」


 無理やり目覚めさせられて機嫌を悪くするのは人も怪物も同じだから自然に目覚めるのを待つべきではないか、というコリンの意見は説得力十分だったのだが、最終的には、腕力自慢の捜査班員が揃っている現状のほうが不測の事態に対応しやすい、という意見が大勢を占めた。


「わかりました。では、覚醒か解呪を試して……ハンナさんはどうして槍を構えているのですか?」


 ハンナは自分にできる最大限の準備をしていた。

 彼女が考える最悪の事態は、聖槍の力を借りる破目に陥る、ということなのだが、腰だめに構えられた槍の穂先はラウルに向けられているから、コリンとしては到底承服できるものではない。


「何の用心です?お願いですから槍をしまってください」

「ダメよ、コリン君。万が一に備えておかないと……私が喜んでこの役目を引き受けてるとでも?何かが起こってからでは遅いのよ」

「お言葉ですが、たとえラウル兄が怪物でもボクが殺させません」


 険悪な雰囲気になったハンナとコリンに皆が割って入り、ラウルを目覚めさせる作業はいったん中断される。まずは子供たちを無事に連れ帰ることが最優先、ラウルは交代で監視し、全てはエストに戻ってから、という方針を全員で確認した。


 ハンナとコリンは和解したが、目覚めたラウルが制御不能な化け物だった場合の対応について完全に合意したわけではない。それでもハンナはコリンのような少年の精神を摩耗させたことを申し訳なく思い、彼のラウルを思いやる気持ちに感謝した。


「怪物でも殺させない、か……。私が言うべき言葉をかわりに言ってくれたのね」

「ラウル兄が約束してくれたんです。どんなに大きな力を手に入れても復讐に使ったりしないって。その時にボクは最後までラウル兄の味方をすると決めました」

「復讐?」

「今までに溜まり溜まったものがあるでしょう?人や社会に対して……」

「……」(どんな状況で約束したのかしらね)


 もはや愛の告白に近いコリンの勇気ある発言と比して、またもや出遅れた形のリンだが、今回は口を挿むのを控えていた。

 皆、ラウルのことが心配で大好きな気持ちは同じなのだ。だからと言って、その気持ちを振り回してラウルを守ろうとすれば、親の務めを果たそうとするハンナやクルトを傷つけてしまう。我が子もしくは我が子そっくりの生物を殺す任務を喜んで引き受ける者などいるはずがない、とは先ほどハンナが放った言葉だが、そっくりそのまま真実であろう。

 しかし、問題がまたひとつ増えてしまった。

 たとえ目前の生物に宿る魂がラウルであっても、隠し港の惨状を引き起こすような超常の力を身に着けていて、それをかつて被った迫害の報復へ使うようなら大問題だ。

 

 その後は各々がエスト村への移送準備で忙しく身体を動かしたが、夕食後に自分たちの寝床を整えつつ、ようやく合宿に飽きてきた子供たちを寝かして回る作業に奔走した後のことだ。リンとハンナが連日開催しているラウルの秘密交換会がコリンも参加して実施の運びとなった。

 しかし、コリンはラウルとの付き合いが短いので、提供できる秘密はほとんどない。


「あら、秘密ならあるじゃない?三人の秘密……」

「リ、リン姉!?」

「喋ってない……けど、基本的にハンナさんはお見通しよ。それに、もう隠していても意味がないかもしれない。ラウルがラウルじゃないなら、なおさら……」


 ラウル本人が不在の状況で三人の誓いを破ることはためらわれたが、なにしろ緊急事態である。彼に関する情報はどんなものでも収集しておく必要があった。

 リンとコリンはラウルの身体再生能力と魔力自然回復の特異性について語り始める。


「ふうん、なるほど。頑丈な子だな、とは常々思っていたけどね」

「はぁ」(今となっては驚くようなことじゃないか)

「まだ他にもあるかもしれません……ラウル兄が寝ている間に残らずしゃべっちゃいましたけど」

「貴方たちは気にしなくていいのよ。ジーゲル家には“親子に隠し事無し”っていう新しくできた家訓があって、それを作ったのはラウルなんだから」


 厳密に言えば、ラウルが約束した“三人の秘密”はジーゲル家においては確かに家訓違反である。約束を破ったことによるリンとコリンの後ろめたさが軽減されはしないが、ハンナ的には二人に秘密を吐かせる正当な法的根拠なのだ。


「さ、明日は早いんだしもう寝なさい。当直は大人たちでやるわ」


 リンとコリンはハンナの言葉に甘えることにした。

 二人とも体力的には問題ないが、精神的に参ってしまっていたのだ。実際、目を閉じたい誘惑に抗しきれなくなっている。

 もはや、子供扱いは不当です、と訴える気力も残っていない。

 押しては返す波の音が魔法のように二人を眠りに誘った。


いつもご愛読ありがとうございます。

捜査班内でパジャマトークがあったらコリンが入っても違和感ないような気がします。ヘーガーはギリ参加できるかな?ラウルのあれこれについて盛り上がる女子会のイメージです。

徃馬翻次郎でした。

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