第141話 後始末 ④
ポレダ衛兵隊長であるパメラが隠し港の捜査を終えてクラーフの倉庫へ戻ってきたのは太陽が水平線の下に沈んだ後、捜査班員は子供たちや海賊と夕食を済ませて一服している時だった。
元海賊たちと子供たちがすっかり打ち解けているのは、奴隷用魔法道具の副作用によって記憶が欠損しているためである。怖い思いをさせた連中は元気飲料の屋台主を除いてこの世にはいないし、ハリー主導の娯楽班に参加して双六や遊戯用のカードを作る海賊たちは、人相が少々悪いことを除けば面倒見のいい兄貴分であった。
棒切れ一本で歩哨を務めていた海賊に案内されて、倉庫内に設けられた基地に通されたパメラは人質と海賊が一緒に遊んでいる様を見て愕然となった。周りの大人は何をしているのだ、と詰問口調で吠える。
「拘束していないのか?どういう了見なんだ!?」
「まあまあ、大きい声はいけませんよ。子供がびっくりします」
ポレダ当局との交渉担当になっているヴィルヘルムがなだめる。
子供の為、と言われて大人しくなった彼女が椅子に落ち着いたのを見て、彼らは恭順と社会復帰の意思を示した者たちです、と元海賊の名簿を差し出した。
やたらとR(脱走)の多い本来の船員名簿は税関吏が押収しているから、この名簿はリンが作成したものの控えだ。字を書けない者もいたので難渋したが、減免状のもとになる資料なので適当に作るわけにはいかない。彼女の丁寧な仕事が光る名簿だった。
「できれば、その、彼らひとりひとりに一枚、えー、書類が欲しいわけでして……どうもご面倒をおかけします」
「ぜ、善処する」
衛兵隊の煩雑な書類仕事には先刻合意したばかりだったから、ヴィルヘルムの申し訳なく思う気持ちは嘘のないものであり、それも彼女には十分に伝わったのだが、来るなり釘を刺す格好になってしまった。
気まずさを紛らわせるべく、
「それでは、エスト保護者会の皆様をご紹介いたします。まずは改めまして私から……」
といつもの自己紹介を始めた。
ジーゲル夫妻の名に聞き覚えがあったパメラは、何が保護者会だ、と鼻白む思いだったが、丁寧に会釈する。会員にはクラーフの職員が参加しており、前進基地がこの場所に置かれている理由に合点がいった。エストの製材業者と称する犬系亜人は息子が救出されたと語るが、厳密な意味での保護者は彼一人だ。
「貴殿らはたった五人でやってのけたのか」
「六人でした」
ヴィルヘルムは倉庫奥の寝台に安置されている白布をかけられた物体を指す。続いてけっこうな枚数の紙束を取り出して広げた。
「今回の事件における顛末書です。写しを取られたら返却していただきたい」
「我々の事情聴取に備えてのものか?」
「どちらかと言えばエスト領主ブラウン男爵への報告です」
誰が責任を取らされるにしろ、この手の書類は必要ですからね、と彼は苦笑する。
一方のパメラは書類をめくりながら質問する。
「我々の関心事は貴殿らと怪異の関連だけだ。それさえ解明されればエストにお帰しするのに何の問題もない、と小官は考えている。大捕物を我々の縄張りで勝手にやられて思うところはあるが、それも衛兵隊の力と信用が足らなかった、と言われればそれまでだ」
「あー、衛兵隊にお知らせしなかった件については重ねて謝罪します」
「いや、いいんだ。伯爵閣下は……うん、まあ、別の思し召しが……ゴホン!」
ヴィルヘルムはパメラが漏らせる範囲で警告してくれたことを有難く思った。難癖を付けてくるとしたらポレダの領主である、ということだ。
素知らぬ顔で頁を繰っていたは彼女は肝心の数枚を探し当てて並べた。
「聞きたいのは海賊船襲撃の前後だ。隠し港に突入して捕虜を五名得た……」
「ええ。そのうち一名を補給船の偽装として連れ出し、捕虜四名の監視に保護者会員を一名残しました」
繰り返しになるが、ヴィルヘルムの記録は完全ではない。例えば、槍使いの男に対してウィリアムが行なった凄まじい尋問の描写は割愛されていた。もっとも、ウィリアムが拷問の説明をリンにした際は、ちょっと説得しただけだ、とひどい省略をしているので、この部分に関しては両記録に差異はほとんどない。
「出航時に何か異変はなかったか?」
「何も。簡単な留守番のはずだったんです」
ヴィルヘルムは白布を被せられた物体のほうを見やる。
パメラは、やはり自称保護者会に損害が出ていたのか、と納得した。ポレダ衛兵隊の捜査によって、怪異の現場に忍び込んだ者の足跡が確認されていたからである。
「回収したのは遺体だけか?」
「これをお返しする」
ポレダ衛兵隊の標準装備である腰鞄を取り出したのはウィリアムだ。
「やれやれ、治安職員に対する窃盗か。返してくれたから不問に付したいが……」
「復讐の為の手がかり、と言って欲しいな、隊長さん」
「復讐?」
「エストの将来ある子供たちとその家族を滅茶苦茶にしておいて無事で済むわけないじゃないか?子供を追いかけてここまで来たが、これで終わりじゃない」
艪櫂の及ぶ限り追う、と彼は港町に相応しい文句を口にした。船でいけるところはどこまでも追いかけ、黒幕を突きとめて殺す、という気迫にパメラはたじろぐ。製材業者と聞いていたが、これではまるで殺し屋である。
「落ち着いて、ヘリオットさん……それよりも衛兵隊長殿、鞄の中をご覧ください」
「あ、ああ……回復薬が規定数入ってない。職務怠慢だ……これは?」
彼女が引っかかったのは黒い薬液の小瓶だ。
彼女の様子を見たヴィルヘルムが得心した表情になる。
「やはり、ポレダ衛兵の標準装備ではありませんでしたか」
「当然だ。こんな気色の悪い代物は見覚えが無い。これをウチの衛兵が所持していた、ということなんだな?」
「ええ、使用済みと思われる空き瓶も回収しました」
現品と使用済みの両方を回収していた、ということはエストの捜査班が正体不明の薬瓶を重視していることの証左である。パメラはこの話の行先が気になって考えていたが、やがてひとつの推論にたどりつく。
「……異形の者どもの死体と関連付けて考えているのか?それもポレダ衛兵の関与があると?」
「そうなりますね」
「それは重大な告発を含むことになると思うが?」
「そう聞こえただろ?」
ヴィルヘルムを遮って発言したのはクルトだ。
自己紹介以後、腕組みしたまま黙っていた熊のような巨人が突然唸り声を上げたので、パメラは思わず声の主を二度見した。彼の横にいた狼系亜人が熊をなだめている。
「誓って衛兵隊は無関係だ!薬品は直ちに調べさせるが、あんな恐ろしいことを進んでやるほど我々は……」
「隊長さんのおっしゃる通りよ、あなた。こんなに大きな町ですもの。衛兵を一人残らず把握しておくなんて無理な話ですわ」
「うッ」
パメラは言葉に詰まる。
ハンナがクルトをいさめる口調は優しいが、内容はパメラの管理責任を問うている辛辣極まりないものだからだ。
潮時だった。
エスト保護者会の面々が事情聴取の手間を省いてくれた、とも言えるし、書類仕事は文句のつけようがない。人さらいの被害と捜査班の損害に対する怒りを抑えてパメラの仕事に協力してくれている、と考えればこれ以上の成果は望外であろう。さらに、怪異を騒ぎ立てることなく衛兵隊に処理を任せてくれたとあっては、何をかいわんやである。
「長々と失礼した……何か私にできることはないかな?」
「棺桶も製氷業者もこちらで手配できます。彼をエストに連れて帰ることが早く叶いますようお骨折りいただければ幸いです」
棺桶云々は葬儀の手配のことだ。
製材業者も船大工も揃っていますから、と棺桶について続ける鳥系亜人の言葉に対して、えらくキツイ女だな、とパメラは率直な感想を持った。
しかし、よくよく言葉の主を見れば泣きはらした痕跡が見て取れ、もしかして遺体は恋人か配偶者だったのか、と想像すると、それこそ同じ女性としては居たたまれなかった。
「約束しよう」
かろうじてそれだけ言うことができたパメラは倉庫を辞して領主の屋敷へ報告に向かう。もし伯爵が海賊を全員縛り首にする事できれいに片付くと思っているなら一大事だ。事件をもみ消すのは下策、隠し港の現場を保存して騎士団の到着を待つのが上策、エスト保護者会の邪魔をしないのが最上策、という上申を急いでせねばならない。
上手くすれば怪異の異常さが際立って、一連の事件の大元である誘拐事件の印象が薄れるかもしれない。そうなれば港町を管理する領主や衛兵隊の失態も幾分追及の矛先が鈍ろうというものである。
彼女は地位に恋々とする人間ではないが、まじめに働く部下に対する責任がある。自分一人の馘首ならともかく、連帯しての大量処分は避けたい。
紙束を抱えた彼女は速歩になり、すぐに駆け足になった。
「いやあ、どうにかなりましたね」
ヴィルヘルムが安堵の息を大きく吐いた。
ハンナとリンは子供たちを寝かしつけて回っている。毛布だけの貧相な寝床なのだが、子供たちは無邪気なもので合宿のような雰囲気を満喫していたから、落ち着かせて就寝させるのも一苦労だ。
元海賊たちには少量の飲酒を許可した。これは、自主的に輪番製で当直を引き受けたことへの褒美でもある。これから先に予定されている服役を考えたら当分飲めないことを考えて、彼らは今までになく大事に一杯の葡萄酒を干した。
クルトとウィリアムはヴィルヘルムに同意にし、三人で小さく乾杯し健闘をたたえ合った。ラウルのことを考えればとても祝う気分になれないし、消費した物資の伝票は全てエストのグスマンに回されるわけだが、けじめと疲労回復の為にも必要な一杯だった。
「善人の衛兵隊長殿を騙すのは気が引けるのですが、この際、方便ですよね。そういうことにしてもらいましょうか」
「おや、死んだ、とは一言も言ってなかった気がするが?」
「確かに」
ヴィルヘルムの言い訳をウィリアムが混ぜ返し、クルトが同意する。雰囲気は決して悪くないのだが、ラウルの一件さえなければ完全勝利は目前だった、との思いが拭いきれないせいで、男たちの気持ちが沈みがちなのは無理からぬことだ。
その空気を押し破るように、礼を言うなら今、とばかりにウィリアムが机に頭をぶつける勢いで頭を下げた。
「クルトさん、ヴィリー隊長、今度のことは感謝してもしきれない」
「頭を上げてくれ」
「そうですよ、ヘリオットさん。私もエストの治安責任者として役目を果たしただけですから」
「船で行けるところまでは追う、と格好いいことを言ったが、実際、船に乗せられてしまえばウチの坊主は終わりだった。世の中にこんな逆転劇はそうそうない……しかし、そのせいでラウル君が……」
ウィリアムが最も心を痛めている点はこれだった。
自分の息子が助かるために、友人の息子が犠牲になるようなことはあってはならない。
「よせ」
「しかし……」
クルトはウィリアムの詫びを遮り、話を続ける。
確実なのはラウルが怪異に巻き込まれたことだけであり、何があったのか、あるいは何と戦ったのかは気になるが、ハンナの言うすり替わりの件も含めて、今はコリンの到着と診察を待つのみだ、と語った。
要するに、この件ではまだ誰も死んでいない、という考えなのだ。
「それよりヴィルヘルムのほうが深刻だぞ」
「え?」
「復職できなかったらどうする?」
「あー、職場放棄が敵前逃亡とみなされたら恩赦が必要ですけど、子供たちを助けたご褒美で見逃してもらえるかもしれませんし、まあ、生きてさえいれば何とかなりますよ」
「そ、そんな立場だったとは!ヴィリー隊長、どうか何でも言ってくれ。助命嘆願でも署名集めでも、何なら脱獄の手助けでも……」
エストに戻っても問題が残っている、という話題は男たちの意識を一事的にだが目前の不幸からそらした。
その一方でハンナとリンも男性陣とよく似た方法で悲しみに耐えようとしている。
寝たきりのラウルとは正反対に一向に寝ようとしない子供たちを寝かしつける作業は難航した。やっとのことで一段落した二人は寝付いた子供を起こさないように小声で話している。
「ねえ、リンちゃん。ここにいる海賊さんたちのことなんだけど」
「はい」(何だろう)
「罪を償って社会復帰したときにクラーフに入れそうな手引きはできないかしら?」
「はい!?」
「シーッ……声を小さく……今までの苦労が水の泡よ」
「さ、さすがに前歴のある方はご遠慮いただいています」
リンはクラーフ本店を含む全店舗で実施されている採用試験時の一般原則を説明したが、ハンナは、ちがうちがう、と首を横に振った。
「海賊さんって最終的には商船に乗り込んで積荷を奪うんでしょ?時には船ごと」
「そうですけど……」
「そこへ特殊技能……操船と船上戦闘に長けた武装警備員を海賊なんか返り討ちにできるほど乗せておくの。どう?乗務員に被害が出たら即座に交替できる技能を持った戦闘員」
ハンナの説明では触れられていないが、これは海賊を正業に就かせるための授産組織の性格も帯びている。他人から奪う方が楽に稼げる、という考えを元海賊に捨てさせる必要があり、なおかつ忠誠心の問題があるが、現在の船止め状況を考えれば試してみる価値はあった。
渡航貿易の復活と社会貢献がクラーフ商会にもたらす利益は計り知れないだろが、残念ながら高度の経営判断を実施する権限はリンにはない。
「父と相談して、本店に取り次いでもらう以外に思いつきません」
「それで十分よ。頼んだわね」
「あの……ハンナさんはラウルが心配じゃないんですか?」
リンが発した問いかけはラウルを愛する者なら当然のものなのだが、この時の抑揚にはハンナをなじる気持ちが多分に含まれていた。こんな時に海賊の再就職や商売の話を出してくるのは母親としてどうなのだ、と言えるものなら言いたかった。
「そうね……涙はそこで寝ているラウルをあきらめなくてはならない時のために取っておくわ」
「ど、どういう意味ですか?」
「ラウルそっくりに化けるような恐ろしい怪物と一緒に暮らすの?願い下げよ。世間様に迷惑をかけるような制御の効かないけだものだった場合は?」
リン相手に明言こそしないが、状況次第ではラウルを始末する宣言である。
親としての責任を果たす、それをハンナが極限まで追い求めた場合の結末はあまりにも悲しく救いのない地獄絵図だ。
しかし、好き好んで我が子を手に掛ける親がいようはずもない。彼女は心で泣いてなお親の務めを果たそうとしている、と察したリンは胸が締め付けられる思いに駆られ、またもや涙ぐんでしまう。
「でも……それでも、私はッ……」
ハンナはリンを抱き寄せ頭をなでさすりながら囁く。
「私も不安で泣きたいくらいだけど、子供たちが心配するでしょ?いい歳したオバサンがめそめそしてても迷惑だしね」
「そ、そんなことッ」
「リンちゃん」
「なんでしょう?」
「ラウルの中身が本物だったら……また仲良くしてあげてね」
寝るまでの間、二人はラウルの秘密を交換し合った。
もちろんラウルの中身が真実ラウルかを確かめるための情報交換と称してのことだが、なかには際どいものも含まれており、ハンナとリンはなかなかに有意義な時間を過ごした。もっとも、ラウルが聞いていれば慌てて止めただろうが、本人は身動き一つかなわないのだから仕方がない。
クルトが毛布を渡しに来た時には、二人は壁際に座って抱き合ったまま眠りに落ちていた。
種族こそ違え、その姿はさながら母娘のようであった。
いつもご愛読ありがとうございます。
心がつらいときは他の用事で忙しくすると楽になるのは私だけでしょうか。昔、悩み事で寝られなかったときに、母親が「起きて用事したらどう?」と宣ったことがあります。言われた通りにしていたら疲れていつのまにか寝てしまいました。
最後のくだりで幼馴染ヒロインの定番、いつの間にか彼女が自分の母親と仲良くなってる、がお伝えできていたら幸いです。
徃馬翻次郎でした。