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第140話 後始末 ③


 ラウルとオトヒメの間ではわかり切っていることでも、捜査班の面々には怪異としか判断できなかったのが、海賊の隠し港において見つかった五つの死体と全裸で発見されたラウルである。

 君子危うきに近寄らず、ではないが、死体は下手に動かしたりせず、遺留品を回収する以外の接触は避け、発見した状態のまま放置しておいた。

 ラウルに関して言えば、本人かどうか疑わしい、という意見がハンナから出されており、捜査班の面々が交代で監視している状況だ。

 

 怪異の現場を見たのはハンナとウィリアムのみなので、改めてリンを含めた捜査班員に詳細な状況説明がなされることになった。

 その前に腹ごしらえ、と遅い昼食会になったのだが、倉庫番をはじめとしたクラーフ職員の給仕で心づくしの食事をとるなかで、リンだけが食欲を見せない。エストとポレダを往復した肉体的疲労よりもラウルを案じる心労がこたえて喉が詰まる思いなのだ。

 そこへ、子供たちを代表してハリーがリンに礼を言おうと近寄ってきた。


「お姉さん、助けてくれてどうもありがとう」

「うん?ああ、大丈夫?なんともない?」

「身体のほうは何ともないけどさ、お祭りから何にも覚えてないんだ。なんか、こう、霧がかかったみたいに」

「そっか……そうだよね。無理して思い出そうとしないほうがいいのかも」


 記憶の欠損は奴隷用の魔法道具をつけられたことによる副作用だが、頑張って思い出したところで恐ろしい記憶でしかないだろう。 

 リンはハリーの頭をなでて、できるだけ早くエストに帰れるように私たち頑張るからね、と彼を励ましたのだが、逆に見張りを手伝う必要はないか、と聞き返された。そのあたりはウィリアムの教育なのだろう、と彼女は思うことにしたが、ハリーの思惑は別のところにあった。


「窓から海を見るのも楽しいけどさ、皆そろそろ飽きるよ?助けてもらったのにゼイタク言って悪いけど……」


 早い話が娯楽が必要である、と彼は主張しているのだ。

 確かに倉庫の外へは出られない以上、子供たちには何らかの暇つぶしを用意してやる必要があった。


「ごめんごめん、うっかりしてたよ。ウチの商品に何かあるかな?」

「新品なんてそれこそゼイタクだよ。木切れがあればオモチャは作れるし。紙切れと描くものがあったら女の子は喜ぶかもね」

「本当?えーと、倉庫番のおじさんに頼んでおくからハリー君に任せていい?」


 いつものリンならありえないことだが、子供へ丸投げをするほど彼女は疲れ切っていたのだ。実際、ハリーの提案は掛け値なしに有難かった。


「任せといて!」

「刃物を使う時は大人に見てもらってね。お金を賭けたりするのもダメだよ」

「わかった……けど賭けようにも皆一文無しだよ。お祭りに行く前にお小遣いをもらったような気もするけど、落としたのかな?」


 小銭すら残さない点で徹底した逃走や追跡を阻止するための策である。その策の対象になって小遣いまで巻き上げられたハリーたちは気の毒なことだし、命が助かっただけ有難いと思え、と言うのも子供には酷な話だ。

 捜査班が子供たちの小遣いまで補填ほてんをする筋合いではないのだが、菓子ぐらいは個人的に差し入れても罰は当たるまい、とリンは決めた。

 彼女は食事を中座して倉庫番と話し、筆記用具や端材の供出を依頼する。同時に雑貨の商品棚から一袋の飴を探し当て、持ち出し伝票に記入した。エストに帰り着いてから父親に支払う算段である。


「ハリー君、これ皆で分けて。仲良くね」

「いいの!?ありがとう!えっと、あの、お姉さんも元気出してね。ラウル兄ちゃんがこんなことになっちゃってるのに、元気出せってのも無茶だろうけど……」


 その通りだ、とリンは思う。

 問題はラウルの身を想うと涙が出ることだった。彼女から見たラウルは健康そのものであり、飯時になっても眠り続けている点だけが異常なのだが、ハンナからは彼が別人あるいは別種の生物であるというとんでもない意見表明がなされている。

 リンはとっさに反論できなかった。いつものラウルと一緒です、と断言できなかったのはなぜか。今まで彼の何処を見ていたのか。彼の何をわかったつもりでいたのか。そう考えると彼女の心は千々に乱れ、涙となってあふれてしまうのだ。

 それでもハリーの励ましは効果を発揮し、子供に気を遣わせて何の大人ぞ、とばかりに彼女は気を持ち直すことができた。


 見張りのほうは海賊たちが自発的に当直割りを組んで引き受けた為、倉庫の外周を警備している衛兵隊と併せて一応の防備体制が整う。これによって捜査班は状況整理と今後の方針を決める作業に集中できることになったわけだが、状況整理の内容は立ち直りかけたリンの心には厳しいものがあった。


「リンちゃん、無理しないで。もう十分役に立ってくれたし、これ以上の深入りはグスマンさんが心配されるだけだわ」


 ハンナはまたもやリンを捜査班から外そうと試みる。

 実のところは、これ以上ラウルと関わらずに引き返せるのがリンだけであり、先々のことを考えれば、この時点で目と耳をふさぐのが利口ではないか、と考えてのことなのである。息子のことを想ってくれるのは嬉しいが、巻き込むにも限度がある。

 全てリンを案じての言葉なのだが、彼女には受け入れられるものではなかった。

 

「……せめて、目を覚ましたラウルと話してから決めさせてもらえませんか?」

「危険だぞ」


 クルトが横から注意をさしはさむ。

 自分の息子が目覚めるなり予想外の行動をとって、他家の娘に怪我をさせたりしては一大事だ、との思いが強い。そうでなくともなるだけ怪異から遠ざけておきたい気持ちだ。

 彼だけではない。ハンナもウィリアムもヴィルヘルムも皆同じく、若く将来のあるリンに手を引かせたいのだ。


 しかしながら、引き際を自分で決めたい、と強硬に主張するリンに根負けする形で彼女の残留は認められた。

 彼女は新たに記録係を命じられ、ヴィルヘルムと共同で任務にあたる。ただし、彼がブラウン男爵に提出する予定の報告書はラウルの件が何か所か抜け落ちている。海賊の隠し港については、捜査班が海賊船に向かって出航した後に何らかの怪異にみまわれたようだ、という程度の記述に抑えられている。

 したがって、完全な捜査記録はリンの記述によるものなのだが、この記録が衆目にさらされる予定はない。あくまでも捜査班のための備忘録であった。


 彼女はさっそく記録係の仕事を始める。

 まずは班員からの聞き取りである。彼女が連絡任務でポレダを離れていた間に発生した隠し港と海賊船の制圧は胸のすくような冒険活劇だったが、船を港に着けてラウルを迎えに行ってからは血なまぐさい記述と怪奇現象の羅列だった。


「ラウルが怪異に巻き込まれたか、あるいはその張本人か、どちらかなんですね?」


 リンの要約は問題の核心を突いていた。

 直接現場を見ていないおかげで、凄惨な殺人現場の記述も滞りなく進めることができている。第三者的な視点で事件の概要をまとめるには最適の人材配置と言えた。

 さらに、彼女の指摘は重大な意味を持つ。

 捜査班のやらかした騒動を伯爵が見逃してくれたとしても、ラウルが怪異の元と見なされればポレダの町から出してはもらえない、ということだ。


 その意味においては隠し港の件を黙っておいても良かったのだが、拘束されている船長や海賊の幹部がその存在を自供した場合、隠し事をしていた捜査班の信頼は地に落ちる。釈明は信じてもらえず、騒動の責任を押し付けられる可能性まである。やはり、パメラに包み隠さず話したヴィルヘルムの判断が正しかった、ということだ。


「そういうことね……忘れる前に隠し港で回収したこいつを検討してほしいの」


 ハンナが取り出したのはベルトに通す型の小さい鞄である。


「隠し港で絶命していたポレダ衛兵……彼が身に着けていたものだ」

「ほう」

「エストでもよく似たものはありますね。衛兵が回復薬を入れておくための装備ですが」

「あ、見たことあります」


 ウィリアムが鞄の出所を説明し、ヴィルヘルムが衛兵にとってはありふれた品である旨を告げた。クルトとリンが入れる合いの手の横で、ハンナは鞄の中から小瓶を三つ取り出して証拠採取した場所を順番に告げる。


「もともと衛兵さんが持ってたもの。半分になった槍使いの胸ポケットにもひとつ。空き瓶は床に落ちていた。散乱していた破片から見てもう二、三個有ったはず」


 小瓶におさまっている黒炭液のような液体は確かに強壮剤のようにも見えるが、臭いを嗅ぐのもはばかられるような瘴気が感じられる。

 遺留品を前にウィリアムは何やら思案中だが、他の三人は三者三様の拒絶反応を示す。共通しているのは自分が重病で、飲まなければ助からない、と薬師に勧められでもしなければ手に取りたくない、という点だ。


「回復薬には見えん」

「ウチの商品でもないですね」


 クルトとリンは見た目についての感想を述べたが、ヴィルヘルムは少し視点が違う。


「ポレダ衛兵の標準装備なのか?なぜ海賊も持っていたんだ……」

 

 ウィリアムは現場を見てきただけあって一歩進んだ推理をひねりだした。


「奥さん、いや班長殿、まさか、あの異形の者どもの死体は……」

「薬を飲んでしまった海賊さんじゃないかしら?数も合うわ」


 あくまで推測の域を出ないが、ほんの一部ではあるものの怪異の謎が解けた。

 ハンナの予想が正しければ、これは一種の変化薬だ。リンは慌てて小瓶から手を引っ込めながら尋ねる。


「これ、どうするんですか?」

「ひと瓶だけ残してポレダ衛兵隊に提出するつもりよ」

「それで怪異の疑惑は死んでいた衛兵に向く、か。案外それが真相かも知れませんな」


 ウィリアムはポレダ衛兵隊が行なう捜査の見立てが誘導される可能性を示す。事件の真相は闇の中だが、捜査班から疑いの目が外れれば何でもいい、というのが本音ではある。


「同意する……が、それではラウルの説明にならん」


 意義を唱えたのはクルトである。

 ポレダ衛兵隊の捜査能力が優秀なら、怪異の現場にもう一人居合わせた人物がいることや、捜査班の何人かが出入りしてなにがしかの物体を運び去ったことぐらいは探し当てる可能性がある。ハンナもウィリアムも一切の痕跡を残さずに血だまりを歩くことはできないし、掃除しながら倉庫まで戻ってくることもしていない。

 要するに、ラウルをポレダから出すには怪異との関連を否定する一押し、最低でも怪異の張本人ではない証が不可欠なのである。


 これには捜査班員も困った。

 奇術でもあるまいし、ラウルの存在を隠したままエストへ連れ帰るのは不可能だ。ましてや怪異との関連を認めたうえでポレダを出る方法があるとも思えない。その時点で殺人事件の重要参考人、最悪の場合は衛兵殺しの容疑者になってしまう。

 ラウルとオトヒメの知る事実は全くその通りなのだが、ラウル以外の捜査班員がおとがめなしになったとしても、はいそうですか、とエストに帰るわけにもいかない。


 昏々と眠り続ける青年がラウルであろうとなかろうとエストに帰るときは一緒なのだ、という意思統一はなされている。

 それがかえって捜査班員の思考を縛り、ポレダ脱出の妙案誕生を邪魔しているのは何とも皮肉という他なかった。


 しばらくの静寂の後、ヴィルヘルムが挙手して発言の許可を求める。

 ハンナ班長のうなずきを見て彼が語りだした言葉には、誰もが仰天して我が耳を疑った。


「ラウル君には死んでいただきます」 


いつもご愛読ありがとうございます。

気になりますねゾンビ薬。そういえば大昔に奴隷王がなんとかかんとか。

ところで、どんな世界でもチビッ子に大人しくしておれ、というのは難題ではないでしょうか。リンがいっぱいいっぱいなので、ハリー君を少々おませにして手伝わせてみました。

徃馬翻次郎でした。

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