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第139話 後始末 ②


 一向に目を覚まさぬ息子を、我が子にあらず、と断じたハンナの心境いかばかりか。

 彼女の下した判断の根拠は多分に感覚的なものなのだが、彼女の中では確信に近いものが有る。

 決め手は嗅ぎなれた息子の臭いとは違う、というものだ。


 これは全くオトヒメの手抜かりである。

 竜王の寵姫はラウルの外形を完全に生前の姿と区別がつかないまでに作り上げていた。現にクルトを始めとした男性捜査班員をはじめとして、犬系亜人のウィリアムすら騙しおおせている。これがハリーであれば彼も違和感を抱いたかもしれないが、それほどオトヒメのラウル再生作業は完ぺきだったのだ。

  

 しかし、ハンナ相手では勝手が違う。

 オトヒメの手抜かりとは、生みの親の感覚というものを甘く見ていた点であろう。母親特有の感覚、あるいは母子の連帯感と言い換えてもいい。そこに亜人の嗅覚が加わった感覚は一朝一夕では欺けるものではない。


 息子がとりあえずは生きていたことに喜んだハンナだが、喫緊の課題は息子そっくりの生物をたたき起こしての事情聴取になっている。

 貴方は誰、息子をどうした、どこへやった、それとも取って食って皮を被っているのか、という具合に言うのも辛い質問を連ねる必要が出来てしまった。

 それも彼が目を覚まさないことには始まらない。教会の力を借りることには全く気が進まないが背に腹は替えられない、と決意しかけていたところにリンが戻ってきたのだ。


 そのリンが、コリン到着まで教会へのラウル搬送を待て、と言う。

 リンは教会の力を借りることに待ったはないはずだ。彼女の両親ともに信仰心の篤さで知らぬエスト村民はいないことを考えれば、教会行きを渋るのは異常である。聖堂の治癒師には見せたくないのにもかかわらずコリンを呼び寄せる意味とは何か。

 リンとコリン、もしくはラウルも含めた三人が連帯して何らかの秘密を共有している、というハンナの推理も、根拠を聞いてみれば何ということはない事実の積み重ねなのだ。


「どう?当たってるかしら?この状況を打破するために取っ掛かりが欲しいところなんだけど」


 言葉は優しいが、ハンナはリンに秘密の自白を求めている。


「ごめんなさい、ハンナさん。コリン君と約束したので……」

「あら!そうよね、約束は大事よね」

「彼がラウルじゃないというお話に比べたら、私たちの秘密なんか問題外の軽さなんですけど……」


 ハンナはあっさりと自白の強要を中止した。

 相手は人さらいでも海賊でもない。捜査班の一員であるうえに息子の親友である。詰めた挙句にもう一度泣かせてしまうような事態は避けたかった。


「しかし、ラウル君にしか見えないが……」

「……ああ」


 ハンナの主張に対してウィリアムは半信半疑、クルトは自信を失いつつある。

 父親の目から見ても息子に間違いないのだが、これでハンナの言い分が正しいのなら、いささか面目を失う。妊娠期間の分だけ母親の方が親子付き合いは長い、と言われればそれまでだが、だからと言ってすんなり納得できるものではなかった。


 それは本当の話か、とクルトがハンナに聞こうとした時、にわかに倉庫の入り口が騒がしくなる。見れば歩哨に立っていたヴィルヘルムと衛兵隊が何やら押し問答の最中だ。どうやら海賊船から始まった行進の終着点を必死で突き止めたらしい。


「何だ!?邪魔するのか?」

「歩哨の任務中です」

「何を!?いいからどけッ、道をあけろ!」

「私有地ですから、令状をお持ちでない限りここはお通しできません」


 面倒なことになった、と衛兵の顔には書いてある。

 手続き的には優男の守衛が圧倒的に正しいのだ。手間を省いて衛兵の顔で押し通ろうとしたせっかちな性格が裏目にでてしまった、ということだ。


「まあいい、海賊どもを匿っているだろう。引き渡してもらおうか」

「彼らは捜査協力者です。罪一等を減じることを約束する領主様、えー、伯爵閣下の減免状が届くまでは、何と言いますか、ご期待には沿えませんな」

「賊を庇いだてするかッ!」

「ええまあ、降伏勧告の際に助命を約束しましたのでね」


 ヴィルヘルムの応対を固唾をのんで見守る海賊たちの視線が熱い。


「……という訳で、ここは通せません。お引き取りを」

「ぐぬぬッ……いいだろう。令状を取ってきてやる。その時には貴様にも事情を聞くぞ!」


 捨て台詞を残して衛兵隊は引き上げた。

 一方の海賊たちはヴィルヘルムの交渉が嘘や騙しのない誠実なものであったとわかって拍手喝采である。

ところが、その熱狂が冷めやらぬうちに、たったいま追い返された衛兵が戻ってきた。彼は令状取得のために詰所へ報告に行ったのではなく、上司を帯同して戻って来たらしい。


「今度は何でしょうか?」


 やれやれ、とんだ権威主義者の衛兵だな、と思いながらもヴィルヘルムは丁寧に対応する。相手が手続きを無視して権威を振り回すような手合いなら、こちらにも考えがある。もっと巨大な権威をちらつかせて黙らせてやろう、と彼は決めたのだが、連れてこられた上司と思しき女性は思いのほか低姿勢であった。


「ポレダ衛兵隊長のパメラ=リューベック。よければ事情を聞かせてもらいたい」


 男勝りの口調で自己紹介をする彼女だが、威張ったり人を見下している感がない。ヴィルヘルムも丁寧にお辞儀をして名乗る。


「ヴィルヘルム=シュタイナーです。どうぞなんなりと」


 美しく高貴なお方、だとか、おや女性とは珍しい、などとは間違っても口にしない。最大限の侮辱になる可能性があるからだ。若い女性が衛兵隊長とは異例のことであり、かなりの腕前と能力の持ち主であることは疑いが無い。挑発することは避け、間違っても剣戟沙汰けんげきざたにならないように注意する必要があった。


「ではお言葉に甘えるとしよう……このあたりでは見ない顔だが所属は?申告通りクラーフ本店なのか?」


 倉庫街への出入りを把握し、ある程度捜査班の尻尾を押さえてから話しているな、あるいは拘束した海賊の中にジーゲル夫妻の風聞を見知っている者がいたのかもしれない、とヴィルヘルムは察知した。そうだとすれば、下手な隠しごとはパメラの心証を悪化させるだけであろう。


「実は、エストの保護者会と言いますか、あー、村民有志であります」

「ほう、申告と違うな。えらく役人や衛兵のあしらいが上手いが、ひょっとして同業者じゃないのかな?」


 素性を正確に見抜く慧眼けいがんにヴィルヘルムは舌を巻いた。

 さらには、言葉尻を捉えてしょっ引いてやろう、というような悪意が彼女から全く感じられないので、彼は正直に答えることにする。


「ええ。ついこの間までは」

「辞めたのか?」

「はい。エストの治安職員のままでは何かと不都合が多いので御暇を頂戴しました」

「そのあたりをもう少し詳しく頼む」 


 ヴィルヘルムはエストで発生した誘拐事件に端を発した追跡行がポレダ、最終的には海賊船に至った経緯をかいつまんで説明した。潜入捜査の際に身分を偽った点やポレダで荒事を行なうのに許可を得なかったことを素直に謝罪もしたのだが、彼女にとっては些事であるらしく、話の続きを促される。


「仮に、だぞ?私が一斉拘禁を命じたらどうなる?」

「令状も減免状もなしにですか?当然お手向かい申し上げますよ、隊長殿」

「伯爵様の署名が入った令状を持ってきたら?」

「一時的には何でも貴女の思い通りでしょうな」

「一時的?」


 パメラはヴィルヘルムの自信ありげな態度を判じかねていた。

 言葉遣いは丁寧だし、対応も法に則っている。まことにもって神妙である、と言う他ないにもかかわらず、身分詐称はともかく海賊の身柄を保護して隠匿いんとくしていることが全く罪に問われないかのような態度は理解に苦しむのだ。


「一両日中に勅命を奉じた騎士団が到着しますから、確実にひっくり返されるでしょうね。伯爵閣下はただちに逆賊とはならないまでも、国王陛下のご不興を賜るのはまず間違いのないところで……」

「待て、事件の知らせは既に王室にまで達しているのか!?」

「エストの大量誘拐に関してだけです。海賊船の件はお聞き及びでないはずです」

 

 彼の自信の源泉がいずこにあるのかが明らかになったわけだが、危ないところで彼女は虎の尾を踏まずにすんだ。失態を隠し切れずに直接被害を被るのは領主の伯爵だが、現場責任者として無関係ではすまされない。

 彼女としては早々に手の内を明かしてくれた自称エストの保護者会員に礼を言うべきであろう。それに、つつがなくエストに行かせてくれたら海賊の件は黙っておいてやる、というようにも聞こえた。


「情報提供にありがとう、と言おう。早々に減免状を取り付けた方がよさそうだ」

「隊長殿の英断に感謝します。あー、それから、脅すみたいな言い方に聞こえてしまったのなら申し訳ない。けれども騎士団がエストまで来ているのは本当なので……」


 パメラとしてはいよいよヴィルヘルムを頼りにするほかなくなったが、彼女は嫌味のひとつも言いたくなった。彼に悪意が無いのは話していてわかることだが、いいようにやり込められてしまった感が拭えないからだ。


「それにしても、自分たちだけで片づけてしまうなんて余所余所しいじゃない?元同業者なのにポレダの統治や衛兵隊が信用ならないのかな?」

「最初は捜査速度を優先しただけだったんです。信じてください。ほら、ご同業なら御存じでしょう?王国法、手続き、管轄、うんざりするような書類仕事……」


 これはパメラだけでなく倉庫入り口にいた衛兵隊の全員に理解される。

 正しいことをすればするほど衛兵詰所の事務机に書類が積みあがって業務を圧迫する仕組みは、タイモール中の治安職員が直面している謎のひとつだ。


「あはは!確かに、そうだ」


 彼女は皮肉や嫌味にも真摯しんしに答えるヴィルヘルムが気に入ったのだが、言うべきことは言わねばならない。


「でも、身の安全が保証されるまで倉庫に立て籠もるのはやりすぎだな。子供を含むこれだけの人数を闇に葬るなんて無理な話だ。いくら伯爵様でも……」

「先刻までは私もそう思っていました」

「今は?」


 答える代わりにヴィルヘルムは奥にいるウィリアムに頼んで倉庫街の見取り図を持って来させ、海賊の隠し港がある建物の位置を示した。


「我々がポレダに到着後に突き止めた人さらい集団の拠点です」

「なッ!?海賊船だけじゃないのか?聞いてないぞ!」


 パメラは情報収集の不備を嘆くが、船長や幹部が尋問に耐えて口をつぐんでいるのだろう、とウィリアムは察した。反省の色なし、と分類された海賊たちが素直に捜査協力するはずもないのだ。


「襲撃して子供の半数を取り戻した後、ここから海賊船に向かいました」

「ポレダ内に海賊の拠点……確かに我々の手抜かりだ。それが衛兵隊を信用できない理由ということか?」


 ヴィルヘルムは首を横に振る。


「今、そこは怪異の現場なのです」

「怪異!?」

「ええ。惨殺体だけではありません。異形の者と思しき死体もいくつか……それにポレダ衛兵と思われる遺体も……」


 ヴィルヘルムはハンナとウィリアムの報告を聞いただけなので詳しい説明はできない。それでも、むごい殺され方をした死体、異形の生物、衛兵の関与という異常事態はパメラに伝わった。

 彼女は手空きの衛兵を全て倉庫街に集めて一帯を封鎖するとともに、自らは怪異の捜査を陣頭指揮するべく隠し港に向かう。

 パメラは出かける直前に警備と称して衛兵隊の一部を倉庫に残す許可をヴィルヘルムに求めてきたが、彼は快く受け入れた。この際、警備であろうが監視であろうが倉庫の防衛能力を少しでも上げておきたかったのだ。むろん、怪異の再現に備えてのことである。


いつもご愛読ありがとうございます。

母ちゃんは誤魔化せなかった、ということですね。これはジーゲル家に限らないと思います。

ヴィルヘルムの特技『公務員相手の交渉力上昇』がうまく描けているでしょうか。ほとんどが彼の経験を逆手に取ったようなものですが、無理して付いてきただけの見せ場は用意した、といったところです。

徃馬翻次郎でした。


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