第138話 後始末 ①
エスト村を騒がせた誘拐事件はついに終焉を迎えた。
村人有志からなる捜査班は執念深い追跡により人さらい集団の隠れ家をポレダの港町に発見し、王の勅命を携えた騎士団の到着を待たずに若干の非合法行為を含む突入作戦を実施する。最終的には海賊船をも襲撃して拉致被害者を全員無傷で救出した。
捜査班の功績は万人から称賛されるべきなのだが、非合法という拭い難い汚点がある。具体的には潜入捜査のために身分を偽っており、他人が所有している倉庫に侵入し、備品や什器を多数損壊している。さらにはポレダを治める領主の司法権を無視した無許可作戦は到底看過されるとは思えない。
捜査班長のハンナは騎士団到着までクラーフの倉庫に立てこもることでポレダ領主の追及をかわし、証人と奪還した子供たちを保護して事件の隠ぺいを防ぐつもりである。
やがて、捜査班によって拿捕された海賊船が静かに入港して係留されたが、港と船の間に設置された渡し板を最初に降り立ったのはハンナであり、ウィリアムとクルトがハリー少年をはじめとする子供たちの手を引き、あるいは抱きかかえたり肩に乗せたりして後に続いた。
後には捕虜になったあと更生の意思を示した元海賊たちがぞろぞろと続く。これには埠頭にいた税関吏が驚く。入港してきたのに荷下ろしがなく、荷運びの沖仲仕も暇そうにしているのだから当然と言えた。
船の舷側を見れば数名が逆さ吊りになっている。生きてはいるようだが、この状況が指し示すものは乗組員の反乱しか考えられない。
ややびくついている彼への対応は隊列の最後尾を守るヴィルヘルムに一任された。
「あのう、申告される貨物は?」
「あー、はい。我々にはありません」
「我々?」
「船の中には他人の所有物や禁制品が山と積まれている可能性がありますが、えー、何と言うか、我々のあずかり知らぬところであります、税関吏殿」
「な、なんですとォッ!?」
これは重大犯罪の自白ともとれる発言だ。
税関吏が食い気味にヴィルヘルムに迫るが、その間に子供連れの奇妙な隊列は行進を続けて埠頭を後にしてしまっている。
隊列の先頭集団は家族連れに見えないこともなかったが、後に続く船乗り集団が異様だった。輪番制で上陸するにしても陽気にはしゃいだり歓楽街へ急ぐ様子が全く見られない。
彼は珍妙な隊列を追いかけるべきか目前の大手柄を優先すべきか迷ったが、港湾勤務の衛兵を呼び集めることにした。
相手が犯罪者なら遠慮は不要と、彼はいつもの威厳と元気を取り戻し、ヴィルヘルムに甲高い声で命令する。
「り、臨検するッ!船長はどこだ。船員名簿と積荷目録を出せッ!」
盗品や密輸品を自主的に申告する者も珍しいが、犯罪者にしてはヴィルヘルムの態度があまりにも堂々としていて犯罪の臭いがしないことに税関吏は戸惑っている。臨検を妨害するどころか、どうぞどうぞ、といった感じでどうも調子が狂うのだ。
「えー、船長は舷側にぶら下がってますね」
「なんだと!?やはり反乱か!?」
「船員名簿はこちらです」
「ふむ……三分の一以上が脱走!?おい、何があったんだ?」
「積荷目録は発見できませんでしたが、船長を締め上げてみてはいかがです?手帳や書付の類なら持っているかもしれません」
「締め上げろ、ってお宅の船長じゃないの!?」
ヴィルヘルムは首を横に振って否定する。
「こんな生白い船乗りはいないと思いますがね、税関吏殿。もう行ってよろしいですか?」
「ダメだよ!だいたいお宅はこの船で何してたの!?」
「ああ、それはですね……」
ヴィルヘルムの語り口は丁寧で優しいものだったが、税関吏は聞いているうちに、先ほどの興奮はどこへやら、血の気が引いてきた。
先ほどの隊列はエスト村で誘拐された子供たちと奪還に来た保護者集団であり、列の大半を占めた船乗り立ちは元海賊で“説得”に応じて船長を裏切ってくれた協力者であることを淡々と述べるヴィルヘルムに対して、税関吏の身体からはどっと汗が噴き出した。もうこれは税関の範疇を超えている。領主様へ注進して指示を仰ぐ局面だ、と海賊船の見張りを衛兵に命じて港を去ろうとした。
「あー、お待ちを。税関吏殿」
青くなったり赤くなったり忙しい税関吏をヴィルヘルムが引き留める。
「何か!?」
「船長をはじめとして反抗的な連中は吊るしました。降参した者からは武装を取り上げはしましたが、彼らの気が変わらないうちに拘束するなりしたほうがいいと思いますよ。なにしろ海賊なんですからね、税関吏殿」
大混乱に陥った埠頭からヴィルヘルムは悠々と歩いて脱出した。
これより先に、ハンナは捕虜に取った海賊たちを三つの組に分類している。
一組は襲撃の際に最後まで抵抗することを止めなかった為に、もはや更生の余地なしと判定された者たちであり、全員が舷側か帆桁に吊るされている。二組は降参はしたが海賊の廃業に同意しなかった者で、三組が服役後の社会復帰を希望したものたちだ。
つまり、船に残っている者たちは一組と二組からなる濃い海賊要素を持っている連中であり、異なった言い方をすれば、彼らには反省の色が非常に少ないか毛頭ないのだ。
混乱の原因は上記の組分けを知らされた税関吏の絶叫に似た非常呼集であり、降参した海賊が不安になって発生した衛兵隊との小競り合いだった。
市街地や商業区からも衛兵の応援を呼ぶ破目になっても事態の収拾は一向につかず、衛兵隊長が公正な裁判を約束してやっと鎮静化したが、そのころには陽が傾きかけていた。
埠頭が官民賊の三つ巴で滅茶苦茶になっていた時、すでにクラーフの倉庫には下船した隊列が収容されて、皆が思い思いの格好でくつろいでいたのだ。
ただし、急ごしらえの寝台にラウルが寝かされている一角だけは沈鬱な空気に支配されていた。
倉庫の守備にクルトとヴィルヘルムを残し、海賊の隠し港にラウルを迎えに行ったハンナとウィリアムは血みどろの殺人現場に遭遇する。ウィリアムが迎えに付いて行ったのはハリーの救出の祝いと礼を言うためだ。
ところが、二人が最初に発見したのはラウルではなく出口に近い位置で息絶えている衛兵であり、慎重に階下を探って異形の者としか思えない死体を三つ、上半身だけになった槍使いを見つけることになった。
肝心のラウルは素っ裸で隠し港に転がされていた。呼吸も脈も感じ取れる。しかし、どうしたことか目を覚まさないのだ。周辺状況から怪異に巻込まれた可能性が高いのはわかるが、本人から事情を聞いてみないことには何とも言えない。
ハンナは集められるだけの証拠をさらい、ウィリアムはラウルをおんぶして撤収した。
ラウルを捕虜の監視として隠し港に残したのは、海賊船襲撃と比較して生命の危険が少ないと踏んでのことだったのだが、こうなっては捕虜を無視して強襲班に加えた方がよかったのでは、とハンナは後悔しきりであった。実は、彼女にはラウルに対するある種の疑念が持ち上がっていたのだが、この場で開陳するべきか迷っている状態だ。
クルトが彼女の肩を抱いて励ますが震えが止まらない。ウィリアムが捕虜の監視と尋問を引き受け、ヴィルヘルムは歩哨に立っている。エストへの伝令を終えたリンがとんぼ返りで戻ってきたのはそのような時だった。
リンは着陸前に港と倉庫街上空を一周している。ポレダ出発時には停泊していなかった船が一隻増え、埠頭が乗組員らしき集団と衛兵隊たちで混雑している状況が見て取れたので、襲撃班の手柄だと察しがついた。
後は捜査班の面々と子供たちに被害が出ていなければ大成功、騎士団を中核とした増援到着までクラーフの倉庫で粘り、赦免を得てエストに帰還すれば父親に対する疑惑も晴れて万々歳になるはずだった。
ところが、倉庫内の様子がおかしい。
奪還した子供たちや捕虜に取った海賊たちのような倉庫に似合わない者らでごった返しているのはいいとして、まず、倉庫に招じ入れるヴィルヘルムの表情が冴えない。
ご苦労さん、とリンを労う言葉に申し訳なさそうな気落ちが含まれているのはなぜだろう、とリンは訝っていたのだが、寝台で身動き一つしないラウルを見た瞬間にはじめて事の重大さを理解した。
「なに、うそ、ラウル……冗談でしょ……」
リンは木箱と帆布で間に合わせた寝台に駆け寄り、ラウルの肩を乱暴にゆする。
「やだやだやだ!起きなさいよ、この寝坊助!」
誰はばかることなく取り乱し、身も世もなく嗚咽を漏らすリンの肩にクルトの手が置かれる。
「全くだ。早く目を覚ますように言ってくれ」
「……え!?」
「息はある。目立つ外傷はない。だが、起きない」
リンはてっきりラウルが帰らぬ人になったと思い込んでいたのだが、クルトの説明でようやく真相を知った。彼が生きていると知った彼女の喜びようはたいへんなものだったが、昏睡状態から復帰しないとあっては手放しではしゃげるものではなかった。
「よかった……」(こんなに泣いて恥ずかしい……)
リンは涙と鼻水を拭いてからクルトと握手しハンナと抱き合って捜査班の労苦をねぎらう。ウィリアムとはハリー救出を祝い合い、クラーフの倉庫番には今後の予定を伝えた。
「申し訳ありませんが、しばらく御厄介になります。正確には立て籠もる、と言いますか……」
「乗りかかった船です。どのみち船止めで開店休業ですからね。それに、ウチの倉庫には何でもそろっておりますので」
雑貨と食料品を扱うクラーフ商会の倉庫には大勢の人間がしばらく兵糧攻めをしのげる量の物資が集積されている。もちろん売り物なのだが、エスト支店長グスマンが下した自腹覚悟の決済により、処分が捜査班に一任されている。
好き勝手に飲み食いしていいわけではないが、当面の衣食住が確保されていた。
「よろしくお願いします。そう何日もお邪魔することはないはずですので……」
「どうぞお気遣いなく。皆様に何か温かいものをお出しする支度がありますので、失礼しますよ」
倉庫番は従業員たちの先頭に立って救出した子供たちの世話を焼いている。見ていた元海賊たちも手伝い始めたので、倉庫内は以前の賑わいをにわかに取り戻した。
一息ついたリンはハンナ捜査班長にブラウン男爵への伝令完了を復命する。
「騎士団の先遣隊は既にエストで野営中でした。二日も頑張ればきっと……」
「二日か……何とかなりそうね。村の様子やお父様はどう?」
リンは知る限りの情報を伝達する。
騎士団の進駐もあってエスト村はかつての平穏を取り戻しつつあり、父グスマンには隠し港突入以前の状況までしか伝えられなかったが、それでも捜査の目鼻がついたことに喜んでいたことを報告した。
「ふむふむ。どうやら村は一安心みたいね!」
「あの……ラウルはどうするんですか?」(ハンナさんは心配じゃないのかな?)
「うーん、気付け薬が全然効き目無しなのよ……癪だけど、聖堂に運んで治癒師さんに診てもらう以外に手だてがない……気が進まないけどね」
気が進まないのはハンナだけではない。
ラウルを聖堂へ運びこむ、とはリンやコリンが最も恐れていることだ。
ラウルの身体が人間離れした回復力と強靭性を有していることが発覚するかは五分五分だが、あれこれ探られたり、教会に目をつけられるきっかけをわざわざ作ってやる必要はない。
「ハンナさん、増援の騎士団に、えーと、マリンちゃんを加えてもらえるよう、男爵様にお願いしてきました。到着するまで教会を頼るのは待ってもらえませんか?」
マリンとはコリンの変名だ。
かつて大聖堂最高の治癒師と呼ばれたコリンの腕前は、剣術訓練の過程でハンナも知るところではあるし、助けを呼べるなら今すぐにでも来て欲しいくらいだ。
ところが、ハンナは行き届いた手配りを感謝すると同時に、リンが冷やりとするような言葉を口にした。
「……私の知らないラウルの秘密」
「は、はい!?」
「リンちゃんは……コリン君と共有してるのね。ラウルも入れたら三人かしら?」
「うッ……」(どこをどう聞いたらバレるの?)
わずかの会話でラウルの秘密を看破されたことはリンにとって飛び上がるほどの衝撃だった。一方のハンナは返答に窮した彼女を逃がすつもりはないらしい。
「はっきり言いましょうか」
「……」(ゴメン、コリン君。秘密は守れないかも……)
「この子は、いえ、この生き物はラウルではありません」
リンは腰を抜かさんばかりに驚いた。
これはコリンとラウルを含めた三人で守ると誓った秘密の内容とは全く違う。違い過ぎて彼女は軽くめまいがした。目の前で眠り続けている人物がラウルでないとしたら一体誰、いや、何だと言うのか。
意外な話の成り行きにクルトだけでなくウィリアムまでが耳をそばだてている。
寄せ来る波の音がかすかに響くなか、捜査班は新たな事件とも言うべき怪異に直面することになった。
いつもご愛読ありがとうございます。
最初は『二泊三日の籠城』と銘打った長い話でしたが、分割して書き直しました。主人公が寝たまま終わりを迎えてしまうお話ですが、ラウルの周囲で発生する悲喜こもごもが上手くお伝えできれば幸いです。
ちなみに、このお話におけるヴィルヘルムは普段できないことをやります。衛兵は辞めたので。
頑張れヴィリー!みんなでエストへ帰るんだ!
徃馬翻次郎でした。