第134話 竜戦士ラウル ①
一部ゴア及びグロ表現にご注意ください。
《》で時間が行きつ戻りつします。
「いやはや、私はポレダ有数の働き者ですねえ、まったく」
ポレダの民を裏切っているだけでなくエスト村民まで手にかけた倉庫街担当の衛兵は、自称働き者の名に恥じない勤勉ぶりを発揮していた。捕まっていた海賊一味の拘束を解き、先ほど殺害した人間の始末をする必要があるのだ。
それこそ猫の手も借りたい状況なのに、捕まっていた連中がどうもだらしない。景気づけに蒸留酒の小瓶を渡して回し飲みさせるといくらかはましになったが、目から怯えの色が抜けていない。
「いったい何事です?海賊が監禁されるだなんてお株を奪われたのも同じじゃないですか?」
「その場に居合わせなかったからこそ言える言葉だな!」
力強い言葉で反論したのは槍使いの男である。
警備に手抜かりがあったわけではない。襲撃してきた連中があまりにも手際よく、接近を感知させなかったのだ。第一、倉庫街の出入りを監視している貴様からの警報がなかったではないか。一体いくら払っていると思っているんだ、とまくしたてた。
「カチこんで来たのはエストの巨人と銀狼だ。間違いない。他にも殺し屋みたいな奴がいた。そいつに裏取りされて武装解除されたんだよ!」
「それで全員ですか、敵は?」
「そこで転がってる兄さんと、あともう一人、優男がいたはずだ……」
槍使いは誘拐した子供の半数を失ったこと、仲間が一人さらわれて船への接近に利用される恐れがあること、既に船が襲われている可能性があることを告げる。自身が拷問されて辱めを受けたことは省いていた。
「なるほど……よくわかりました」
「こっちも聞きたいことがあるんだがな?」
「なんです?」
「殴りこんできた連中だよ!なぜこんなに早く足が付いたんだ?最低でも一日、上手くすればそれ以上の余裕があるって話だったよなあ?」
槍使いは、予定が狂った、と彼を責めるが、誘拐の作戦担当は彼ではなく元気飲料の露天商だったから、衛兵に責任を取らせる訳にもいかないので追及は鈍いものでしかない。
殴りこんで来た連中の人相風体を聞くと、鳥系亜人がいないことを除いて今朝倉庫街へ通したクラーフ商会の作業員と特徴が一致する。しかし、彼らは王都の身分証明書まで持っていたし、本店の人間が監査と作業の応援に来た、と言われればそれ以上疑いようがないのだ。
とはいえ、ひとまずこの場を収集するために監視をすり抜けられた失態を衛兵が詫びたので、表面上は協調体制が戻った。
「さあ皆さん、手伝って下さい。協力して掃除、その間に今後の方針を決めましょう」
衛兵は理想的な小隊長であるらしかった。
別組織に所属している連中を協力させ、明確な指示と優先順位付けで気を散らさない。彼が犯罪組織に首までどっぷり浸かってさえいなければ、軍隊のような組織ではさぞ重宝がられたであろう逸材だった。
彼の職務熱心さは証拠隠滅にも発揮されていたのだが、死体が浮いてこないように腹部を入念に損壊する作業に精を出す様子は、百戦錬磨のはずの海賊たちも怖気を振るった。
「お、おい、そこまでやらなくても……おうぷッオロロロォ」
「汚いですねえ。魚のエサなら間に合ってます。文句を言う暇があったら、血を洗い流すとか簀巻きに使える材料を探すとか手伝って下さい」
「了解……」(コイツ……)
「お、おう」(キてやがる)
海賊たちはそれぞれ衛兵に思うところがあったが、命令されたことはきちんとこなした。これは海賊の構成員教育が行き届いていたことによる。証拠隠滅作業は滞りなく実施され、若い男の死体は重しを付けられて隠し港に投棄された。
気の進まない仕事をやり終えた海賊を衛兵が労う。
「どうです?ちゃんと沈みましたか?」
「ああ、間違いなく……」
「今晩中には蟹のエサだろ」
衛兵は海賊たちの働きぶりが平常に戻りつつあることを喜んだが、この後に増援部隊として役に立つかについては極めて懐疑的だった。
槍使いも含めて全員が及び腰なのだ。清掃と後始末の作業中に船の様子だけでも見てくるよう、さかんに水を向けたが誰も乗ってこない。
はたして、槍使いが撤収案を口にしはじめた。
「この際、船が制圧された可能性も考えるべきだ」
ああそうですか臆病者はもう不要です、と言いたい気持ちをこらえて衛兵は槍使いの主張を聞いている。
彼の意見には一応聞くべきところがあり、筋が通っていないわけではなかった。
槍使い曰く、海賊の本拠地には浜にどしあげて船腹を修繕中の船がある。捕まって案内役をさせられているであろう仲間が洗いざらい白状すれば、この場所や今いる人間だけでなく、留守番の連中や修理中の船がまとめて危険になるだろう。その可能性を考えれば、東方諸島へ渡航できる小型船を失敬してでも報告に戻る必要がある。海賊の戦力培養と再編成が完了次第、押収された船を奪い返すか、何ならポレダ襲撃を企ててもいい。
「貴様だけが面割れしてねえんだ。警備の甘い船を見繕うぐらいのことはやってもらうぜ。そこで残った軍資金を分配する」
「ポレダへ舞い戻るときは一枚噛ませてくれるんでしょうねえ?」
「当たり前だ。まだまだ働いてもらうぜ」
「ふふふ。契約成立ですね」
さしあたり衛兵にとって冒す危険が少ない、というのが決め手だった。
将来的にはポレダに対する重大な裏切りと海賊襲撃時の引き込みをすることになるが、衛兵にはどちらも生活の手段でしかなかった。それぐらい振り切れていないと悪党は務まらないのだろうが、その生活設計の為にも海賊たちには無事逃げおおせてもらわなければならないのだ。
衛兵は仲直りと称して小さな薬瓶を取り出して海賊たちに配る。
「逃げるにしても船に駆け付けるにしても、貴方達にはこれが必要でしょう」
「何の薬だ?」
「夢の薬ですよ」
「おい、ふざけてるのか!?」
「この状況で大幅な身体強化が得られたら夢の薬というのは大げさではないでしょう?」
槍使いはご機嫌斜めのままひったくるようにして薬瓶を受け取る。三人の海賊仲間はようやく正気を取り戻したようで、衛兵の差し入れを好意的に受け取っていた。
握手こそしなかったが、今後の方針が定まったことに満足した海賊たちがほっと息をついた瞬間、かなり大きな海鳴りが響いて衛兵を除く四人が思わず身を固くした。
「どうしました?」
「しィーッ!」
「海鳴りだ……」
「聞こえたよな」
「確かに聞いた」
港湾勤務とはいえ、やはり衛兵は陸者である。天気の良いベタなぎの状況での海鳴りは非常事態を知らせる怪異と言っていい。衛兵も海鳴りの存在自体は知っているが、さして注意を払っている様子はない。
その音が似ていることから遠雷や落石になぞらえられることの多い海鳴りだが、実は時化や荒天時に湧きたった大波が崩れ落ちる際に生じた音の反響であり、船乗りや沿岸に起居している者なら誰もが知っている自然現象である。
天候が下り坂にある時は天気予報として活用し、嵐に備えるなどすればよいのだが、今日のような抜けるように澄んだ青空と鏡のような海面という状況での海鳴りは、とかく迷信深い船乗りたちの心を不安で一杯にした。
そして、海賊と言えども例外ではなく、いくら没収されていた武装を再装備して気分が盛り上がっても、長年の海上生活で身に付いた海の常識や習慣には逆らえない。
さらに言えば海鳴りの音源がやたらと近く感じる。
何かが来る、と衛兵以外の四人が身構えた理由とはそのようなものだった。
海鳴り自体は嵐の前触れかも知れないし、水棲系の超大型魔獣が海底で寝返りをうっただけなのかも知れない。
しかし、海の男たちは全身が総毛立つのを止められなかった。
それは超常の存在が出現するのを恐れつつも期待してしまった証拠なのだが、次の瞬間に隠し港の海水面から飛び上がってきたのは、その恐怖と期待が具現化した怪物だった。
「うぉッ!」
「ななな、なんだ!?」
伝説の合成獣や鵺もかくやあらん、見るからに恐ろし気な怪物はどうしたことか片腕だが、海賊の疑問に聞いたこともない言葉で答える。
『ト・カラーセ!』
その言葉は颶風のように海賊たちに襲い掛かり、腹にこたえるような衝撃と不思議の力で全員をその場に釘付けにした。
つまり、これは怪物の自己紹介などではなく、何らかの魔法かそれに類する攻撃を受けたのだ、と気付いた時には衛兵は足がすくんでおり、三人の海賊はへたり込んでいる。かろうじて無事だったのは槍使いだが震えが止まらない。
発現した効果の違いは魔法防御や気力の差によるものだろうが、たった一言で五人が一度に戦意を失うとは想定外の威力である。
その槍使いが震えを振り切るようにして攻撃を決意したのには理由がある。
それは怪物が片腕だったからだ。
こちらの攻撃が通るかは不明だが、片腕ということは負傷させた者がいる、ということであり、槍使いの修練が実を結ぶか試す機会でもあった。
おそらく逃げ切れない、という彼我の実力差を冷静に分析した結果でもある。
一方の衛兵は地上に出て衛兵隊の応援を呼ぼうと考えている。
倉庫街で正体不明の怪物が暴れている、と通報すれば数分のうちにあたりは屈強のポレダ衛兵で埋め尽くされ、傭兵旅団の支部や冒険者連中の応援も期待できる。
問題は海賊たちをどうするかだが、悪党の衛兵に抜かりはない。
「みなさん、今こそお渡しした薬の出番ですよ!」
「お、おう」
「くッ、手は何とか動くぜ……」
三人の海賊が薬瓶を取り出すのと槍使いが怪物に突きかかるのとは同時だった。
「ぬうんッ!」
掛け声こそ地味だが、十分の気合と力が込められたは突きは怪物の喉を狙った必殺の一撃であった。
ところが、怪物の体はその大きさに似合わぬ足さばきで円軌道を描き、槍使い渾身の一突きを難なくかわす。
なんてことだ、この怪物は防御や回避が身についている。そんな馬鹿な、と絶望する槍使いの意識もそこまでだった。
怪物は回避と同時に身体の回転を生かして尻尾による打撃を放っていたのだ。
全身全霊を込めた槍使いの一撃は生じる隙も大きく、怪物はその間隙を見逃すことなく脇と腹の間に鞭のようにしなる尻尾を叩き込んだ。
尾撃は鍛え抜かれた彼の胴体を飴細工のように叩き折り、切断された上半身は臓腑をまき散らしながら隠し港の側壁にぶつかって落ちた。下半身は依然として突きを放った姿勢のままである。
生き物の尻尾とは思えぬ凄まじい切れ味に見ていた全員が肝を飛ばした。
激しい心理的衝撃を受けながらも、ようやく身体の自由を取り戻した衛兵が折りたたまれた紙片を取り出しながら、海賊たちに声をかける。
「さ、早く、私が時間を稼ぎます」
取り出したのは『火炎球』の魔法陣であり、いざとなったら倉庫を灰にして証拠を消す放火用に所持していたものだ。
「す、すまん」
「恩に着る」
海賊たちは口々に感謝を述べながら薬液を飲み干した。
異様なことが起こったのはその時である。
怪物が攻撃を中断し、槍使いの下半身から衣服やブーツをはぎ取りだしたのだ。
蹴り転がした死体を足で抑えながら野菜の皮でもむくかのように、片腕の爪で器用に衣服を切り裂く。最後に片足づつに切り分けると音を立てて食べ始めた。
「ひ、人食い鬼だぁッ!」
海賊の悲鳴に怪物は一瞬動きを止めたように見えたが、すぐに食事を再開する。
一方の衛兵も魔法陣の準備を完了していた。ブーツナイフと自らの血液でもって署名を書き込まれた『火炎球』の魔法陣を外しようのない距離で怪物に向かって掲げる。
隠し港に限らず港湾設備には可燃物が多い。乾燥した木材はもちろん帆布や防水用の黒炭液などが山と積まれているから、いったん火災になれば鎮火させるのが非常に手間なのだが、衛兵はむしろその状況を狙っていた。
あわよくば熱傷で怪物を行動不能にし、最低でも火と煙で逃走を容易にするためだ。
「化け物め、これでもくらいなさいッ……キェェェェェッー!」
署名された攻撃型魔法陣に必要なのは正しい射出方向とほんのわずかの魔力であり、本来は罵言も奇声も一切不要だ。術名を叫ぶ必要すらない。
あえて説明するなら、衛兵は腹が立っていたのだ。
圧倒的な力の差を見せつけたかと思えば、食事に熱中してこちらに見向きもしないのだから、馬鹿にされたと思って頭に血が上ったのも無理はない。
怒りのこもった『火炎球』が怪物に迫った。
いつもご愛読ありがとうございます。
頑張って戦闘の描写をスピィーディーに書こうとしたのですが、結果はご覧の通りの平常運転でした。
なるべく擬音語を使わないスタイルを貫いているんだな、とご賢察いただければ幸いです。
徃馬翻次郎でした。