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第133話 【こぼれ話】会いたい【リン】


「悪いけど、ここまでよ」


 ハンナ=ジーゲルから告げられた宣告はかつて味わったことのない衝撃であり、リンを大いに落胆させた。

 エストを恐慌の渦に巻き込んだ誘拐事件の手がかりを追う捜査班は、見事ポレダの港町で人さらい集団の隠れ家を発見したのだが、偵察ののち人質救出の為の強襲にうつる際にリンは編成から外されてエストへの伝令任務を託されることになったのだ。

 変化してポレダからエストへ急行する空の旅は快適そのもの、天候も良好で折からの海風に押される形で離陸直後の速度も出ていたにもかかわらず、彼女の気持ちが天気のように晴れやかでないのには理由がある。

 ハンナは伝令の重要性を説いたが、リンに怪我をさせない為の配慮からなされた編成替えであることは明白であったからだ。しつこく残留を主張して時間の浪費をさせることはしなかったが、心底納得して伝令を引き受けたわけでは決してない。


 かつてリンは王都の魔法学院に在籍していたことがある。

 魔法戦の学内対抗試合の代表を決める入れ札において、僅差で選からもれた時とは比較にならないほどの無念だ、と彼女は翼をはためかせながら過去に想いを馳せていた。


 当時は秘密の調査で忙しく、授業の合間にあちこち忍び込むので精一杯だった。もし代表に選出されれば、試合に備えた早朝練習やら居残り特訓やらで拘束されることになる。 

 そもそも学院に入った目的は行き詰ったラウル研究を打開する為だったから、落選したほうがよほど助かる、と思いながらも、わあ残念だわー代表の健闘をお祈りしますわー、などと、さして豊富ではない演技力を総動員したものだった。


 そのラウル研究だが、ここにきて若干の方針変更が必要になってきている。

 もともとはラウルの魔法不能を治療ないし緩和する方法を探し求める書籍漁りの延長が魔法学院への進学、調査が終了した結果としての中退だったわけだが、収穫祭以降は“いったいラウルは何者なのか”という研究項目が追加された。

 これは元大聖堂の治癒師コリンが発見したラウルの身体的特徴に基づいている。彼の規格外の頑丈さ以外にも、魔力の自然回復や魔法の詠唱方法が他者と全く異なる点は、あらゆる種族の患者を丹念に診察してきたコリンだからこそわかることであり、疑う余地のない事実であった。


 ラウル=ジーゲルは人間ではないかも知れない。

 クルトとハンナから生まれた彼にいったいなにがあって、人外の存在たらしめたのか、自然にそのようなことが起こるはずもなく、何者かの常ならぬ力が働いているのは間違いないのだ。

 コリンは、ラウルが何者であっても信頼は変わらない、とリンに先んじて告白したが、彼女も全く同感であり出遅れたことのみが悔やまれた。

 いろいろ想いは尽きないが、今は伝令に集中して翼を動かすべきだ、と思い直したリンの高速飛行によって、捜査班がポレダの倉庫街で突入作戦を開始した、という一報はほどなくしてブラウン男爵のもとにもたらされた。


 ブラウン男爵は拘置していた露天商や芸人一座の釈放をすみやかに実行したらしく、村の広場からは大天幕が消え、代わりに小さな天幕がいくつも張られていた。王都とエストの中間にある騎士団の駐屯地から先遣隊が到着していたのだ。騎士は宿屋に分宿し兵卒は野営して、王都から駆けつける本隊の受け入れ準備と情報収集を並行して行っている。


 捜査の成功を聞いたブラウン男爵は相好を崩して喜んだが、突入作戦が進行中である旨の報告が続いた時には緩めた頬を引き締めて真剣な表情になった。もちろん、リンはハンナが託した伝言のうち、“偶然”を省いて正確に伝えたのだが、男爵は村民の捜査に借り出した民間人部隊に荒事までさせてしまうことになった自らの判断を悔やんでいるようにも見受けられた。


「もういくらも時間的余裕が無い、との捜査班長の判断です」

「……だろうな。船に乗せられたら万事休すだ。ジーゲル夫人の判断を尊重する」

「実は、沖合にそれらしい船が停泊していました」

「なんと!間に合えばまさに間一髪だな。いくら礼を言っても足りない。このところジーゲル家には世話になりっぱなしだ……成功の見込みは……と、これは酷な質問だったな」


 男爵は自重して詫びたが、本当に厳しい質問だ、とリンは思う。

 何しろ彼我の戦力についても事前偵察以上のことは不明、さらわれた子供たちが分散して監禁されていたりしたら、同じような作戦をもう一度やり直すことになる。やけを起こした悪党が人質を処分することはない、と信じたいところだが、それも状況次第でどうなるかわからない。

 ジーゲル夫妻の無双ぶりは伝え聞くところだが、不死身でない以上安心できるものではない。ましてや人質救出作戦では魔獣を蹴散らすのとは勝手がちがうはずだ。


「男爵様にお願いがございます」

「なにかな?」

「作戦の過程であちこち壊したり巻き添えで怪我人を出してしまったりした場合……」

「弁償か?もみ消しか?私で出来ることなら何でもしよう。それより、ひどい汗だぞ。報告が以上なら一休みしなさい。ご苦労だった」


 衛兵詰所に設けられた捜査本部には、男爵家の使用人が一時的に出張して簡単な食事をとることができる休憩所をしつらえていたので、リンは果汁をしぼった水で一息ついた。

 ところが、報告任務をやり遂げた安堵のあまり、汗がそれまで以上に吹き出てしまい、男爵家の使用人が差し出した手ぬぐいでは追いつかなくなってしまった。

 これはもう着替えが必要ね、とリンは衛兵詰所を出て自宅へと向かうことにしたが、あることに気付いて歩みを止める。


(お父さんにも知らせておいた方がいいかな)


 クラーフ商会エスト支店は衛兵詰所のすぐそばなのだ。

 捜査中の事件を詳しく話すわけにはいかないが、なんとか目鼻がつきそうだ、くらいは漏らして構わないだろう、と身内に甘い判断をした。

 結果として、この判断は何の問題も起こさなかったし、支店長室で気をもみながら執務中だったグスマン支店長を大いに喜ばせたが、同時に彼を悩ませもした。

 クラーフ商会が関与を疑われている事件の始末を民間人部隊の捜査班に任せるしかないことが彼には申し訳なく思われて仕方ないのだ。


「やはりポレダまで追いかけていくことになったか……相手もただの無頼者ではあるまい。子供たちはもちろんだが、お骨折りいただいている皆さんも無事に帰ってきてもらはなくては私は立つ瀬がない」

「……うん」(本当にそう思うよ)


 リンの感想は嘘のない正直なものであったが、古今の人質救出作戦において、助けた数より死体の数のほうが多い結果はざらなのだ。

 今は死者の列に捜査班の面々が加わらないことを祈るのみだ。


「みなさんの無事を神に祈ろう」

「……それもいいけど、ポレダ倉庫の食糧とか医薬品を使ってもいい?作戦がうまくいっても失敗しても必要になると思うの」

「それもいい、とはなんだ、リン。どちらでも良いなんてことがあるか、不敬だぞ」

「お父さん、口ごたえを許してください……思い出してもみて、この騒動で教会の人たちは見ているだけだったじゃない?お父さんが殴られている間も……祈る暇があるなら私は手を動かすわ」

「うッ」


 ここまで娘に言われては、それこそグスマン支店長の立つ瀬がなかった。宗教論議を避けつつ彼の威厳と面目を保つためには、せいぜいクラーフの支店長として便宜を図る以外に方法が無かった。


「……わかった。伝票をこちらに回しなさい……その汗みずくでは風邪をひいてしまうぞ。マリン君を呼んで『浄化』してもらうか?」

「お願いしようかな……あ、でも熱いお湯で身体を拭きたい気分だから家に戻るわ」

「そうか……そうだな、そうしなさい」


 三段活用のような返事をしたグスマンはリンを送り出す。


「お父さん、いざとなったらポレダ倉庫に立てこもるからね。散らかしたり壊したりするかもしれないから、そっちのほうもよろしく」

「むむむ、やはりそうなるのか?」

「向こうの領主や衛兵さんたちの面目は丸つぶれ、人さらいの証拠ごともみ消しにかかるかも」

「その層にまで腐敗が及んでいないと信じているが」

「私もよ!」


 そう言ってリンは父親を安心させたが、内心では自分の言葉を微塵も信じていない。矛盾するようだが、ポレダの倉庫街に足を踏み入れた時から、大魚の口に飛び込んだような気がしてならないのだ。

 できるだけ穏便にな、と頼むグスマンの言葉を背にリンは自宅へと戻った。 


 この時間、クラーフ邸には母親のローザと下働きの少女がいるのみなので、リンは誰はばかることなく手荒い脱衣を実施しながら風呂場に突入した。

 一時期、入浴の最後に手桶一杯の水を頭からかぶる健康法を試していたこともあって、コリンの魔法による洗浄も捨てがたい性能と簡便さを併せ持つのだが、やはり物理的に浴びる湯水はどこか違う、という持論を持つ彼女である。


 ようやく心身ともに緊張を解いたリンは下着のみの気楽な格好で自室の寝台に腰かけている。彼女が考えているのは今後の予定なのだが、ハンナ捜査班長からの明確な指示が無かった為、騎士団の本隊と傭兵に帯同するか、あるいは倉庫街の先導を引き受ける任務が考えられる。

 本音を言えば、今すぐとんぼ返りでポレダに引き返して作戦の首尾を見届けたい。捜査班の面々を労って、何なら回復魔法の出番もあるかもしれない。

 しかし、彼女とてそうそう自分の意見が通る場面ばかりではないことは承知している。例えば、騎士団が民間人の作戦参加を渋ることも十分考えられる。その場合に役立つのは情報提供のみだ。

 彼女は倉庫街の略地図を記して男爵に託す準備を始めることにした。


 机の引き出しから筆記用具を取り出そうとしたとき、リンの指に木箱が触れる。 

 中身はラウルからの贈り物である空色の貴石がついたサーラーン製の首飾りだ。彼女は何とはなしに箱を開けて貴石の表面を指先でなぞり、ほんの少し魔力を込めた。

 微かに帯電した貴石は彼女の気持ちを後押しするようにわずかに温度を上げる。


(こうしちゃいられない!)


 彼女は凄まじい速さで倉庫街の状況図を描き上げると、新しい魔法服をひっつかんで部屋を飛び出した。おさまりの悪い翼や袖を通し前を留める作業が何とももどかしい。

 そこへローザの叱責が飛ぶ。


「スープぐらい頂いてからになさい!」


 彼女は娘に対して、おしとやかな物腰や慎み深い態度を要求するような真似はとうに諦めており、今回の叱責も基本的な栄養補給と母親なりの注意事項に過ぎなかった。


「五分です。ゆっくり食べて、その間に忘れ物や手抜かりがないか考えなさい。簡単に帰って来れらる場所でないなら尚更です」


 リンは一刻も早く離陸したかったのだが、母の言にも一理ある、と思い直して二人して食卓に着き、下働きの少女から少し早い昼食の給仕を受けた。

 スープを飲む動きが早くなりすぎると母親の目が光るので、食器の音を立てないように気をつけながら、母親の助言通りに忘れ物が無いか考えを巡らした。


 気になると言えば、ラウルが大怪我をした場合の対応だ。

 初歩の回復魔法や市販の回復薬では治癒が難しい場合、聖堂の治癒師なり専門家の手を借りることになるだろう。ジーゲル夫妻は教会を頼るなど思いもしないだろうが、背に腹が代えられない状況になったらどうだろうか。


 ラウルの身体に秘められた変異を知られるわけにはいかない。

 この時点でリンが打てる最高の手は、自分が今すぐポレダにとって返してクラーフの倉庫に陣取り、倉庫を拠点とした撤退支援の体勢を整えること、ラウルが負傷していても自分以外の誰にも触らせないこと、コリンを回復要員として騎士団の編成にねじこむことだ。

 ローザの“五分間”はこれだけの思考をリンにもたらした。

 

「ごちそうさまでした」

「ちゃんと考えたようですね。あなたが主人を……村の人たちを助けるためにいろいろやっていることは知っています。難しいことはわかりませんけど……急ぐときこそ立ち止まって考えなさい」

「はい」

「では、席を立ってよろしい……気を付けてね、リン」

「行ってきます、お母さん!」


 今度こそ勢いよく自宅を飛び出したリンはクラーフ商会へ向かい、コリンに事情を話して薬品の準備をさせ、グスマンから臨時職員マリンの出張許可をもらった。続いて衛兵詰所でブラウン男爵に倉庫街の地図を託し、コリンの部隊参加を要請する。


「クラーフ商会のマリンをぜひとも騎士団の編成にお加えください」

「薬師か?町中なのだし、治療は現地の治癒師や薬師に任せても良いのではないかね?」

「どさくさ紛れの毒殺や証拠隠滅を防ぐため、とお思い下さい」

「まさか、と言いたいところだが、可能性がないとも言い切れないな。現に悪党の拠点は町中にあったわけだし……わかった。その進言を必ず実行すると約束しよう」

「友人も、牢屋は困る、と申していましたのでなるべく早いお助けを」

「わかった、わかった。その友人はジーゲル家の跡取りか?勅命さえ届けば直ちに解放どころか、こっちが詰問できる立場だ。そんなに長く困らせたりはせん、と伝えてくれ」


 リンの発言は多分の嘘を含んでおり、男爵相手にすらすら口をついて出たことに彼女自身が驚き、自らの行為に心を傷めもしていたのだが、この際は方便と割り切ることにした。


 やがて、彼女は再び蒼空の旅客となり東へと羽ばたく。

 翼に力を籠める間も様々な想いが頭をよぎる。

 みんな無事だと良いが。悪党が思いのほか間抜けで油断しているともっと良いが。

 ラウルはどうしたろうか。案外平気な顔で、えらい騒ぎだったけど何とかなったよ、といつもの照れくさそうな笑みを投げかけてくれるだろうか。


 空色の貴石に触れた時に感じた温かみは魔力の作用によるものだが、彼女の心にはっきりとした変化をも同時にもたらしていた。

 その気持ちも今なら言葉にすることができる。


 あの人に会いたい。


いつもご愛読ありがとうございます。

伝令リンが何してたのか不明、次に会う時がエスト村、ではあまりにもヒロインの出番がさびしいので追加させてもらいました。

ちなみにスープのくだりは現代日本における母ちゃんの味噌汁です。塩分補給と鎮静効果は抜群だ!

徃馬翻次郎でした。

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