第132話 竜の目覚め ④
何百年か前まではタイモール大陸には竜が存在したらしいし、伝説では魔族と戦うために竜が力を貸してくれたとか、その後仲違いして恩知らずにも絶滅させてしまった、などという昔話程度の情報しか提供できないラウルだが、オトヒメは興味深く聞いていた。
「わかりました。これは私からの要望なのですが、機会があったら図書館か書店にお立ち寄りいただいて、情報を取り込めるようにしてくださいますか?」
「ううッ、勉強はあんまり得意じゃないんだけど……」
「どうぞご安心を。そちらのほうは私にお任せください。主様が身に着けるべき素養は他にございます。新しい身体の動かし方、竜語……仕組みの説明が途中でしたね」
オトヒメは精巧な人体模型の胸部を指し示し、ラウルに集中を要求する。
「さきほど竜王様のお話にもでてきましたね」
「えーと、竜核と竜魂でしたっけ」
「そうです。竜核は人や亜人における心の臓に近いもの、とお思い下さい。身体に血液を循環させる機能はもちろん、同時に竜気……魔力を蓄積させ、様々な用途に使用することができます。例えば……」
「ち、ちょっと待ってください」
ラウルは慌ててオトヒメの説明を遮った。
聞き間違いでなければ、竜王は自らの竜核を取り出してラウルに移植する算段を話していたはずだ。
生物にとって心臓を取り出すことの意味は言わずもがなではないか。
「竜核を複数持つ竜王様だからこそできる業です。たくさんあるからと言って徒やおろそかに思ってはなりませんよ?命を分け与える意味の重さはご存知ですよね?」
「は、はい」(いよいよ逆らえなくなった)
超極大爆発魔法の燃料にもできるらしいですよ、とオトヒメは付け加えてラウルを震え上がらせた。
まったく、竜王様というお方は救いの神なのか破壊神なのか、心臓にまで二面性を持たせているのはどういうことだ、と言いたい思いだったが、今はとにかく彼の竜核によって命を長らえさせてもらう予定になっているのは間違いのない事実なのだ。
「主様の竜核は当分の間ひとつきりですからね。もし胸部貫通が発生して竜核が破壊されたら今度こそおしまいですよ。まあ、そう簡単に壊れるものでもありませんが」
「き、気をつけます」
しかし、自らの命を分け与える行為は自己犠牲という究極の慈愛である。
竜王はやたらと粛清を口にする恐ろしい神だが、自分の代理人である竜の子の為とはいえ、それこそ面倒見のいい神の部類に入っているのではないか。そう考えると何やら温かい気持ちになるラウルだったが、これから先に破壊の面を担わされる可能性も十分あるのだ。悲しいが、油断して気を許せるものではなかった。
「その竜核に蓄えられた竜気を練って生み出されるのが竜魂です。見える人にはものすごい魔力の塊に見えるかも知れませんが、竜人が変化して竜になるために必要な力の源泉ですね。竜化した際の大きさや出来具合に影響します」
言うなりオトヒメは扇子を鳴らして閉じた。
それが合図となって大きなトカゲが鎧を着て二足歩行しているような人形が出現する。肩回りが人間と似た造りになっていて複雑な運動にも対応できそうな点や、太ももを中心に後脚の発達が著しいあたりが特徴的だ。
「これは?」(父さんより少し大きいくらいかな?)
「ご参考までに、四十八分の一竜王様、名付けて竜神形態です」
「魔法!?」
「本来、主様も行使可能になるお姿のはずでした」
確かに、その大きさならポレダの港町を“清掃”するのは容易いことだ。さらには放たれる攻撃も尋常一様の火力ではないのだろう。
まさに神の名に相応しい威容と言えるが、翼状のものが見当たらない。
「竜王様は空を飛んだりしないってこと?」
「飛ぶ必要がございましょうか?」
「そりゃあ、飛べたら便利なんじゃないの?」
「人も亜人も地に足をつけねば生きてゆけませぬ。空を飛び続けるわけにも、水中に隠れ続けるわけにも……」
「はぁ」(そりゃ畑だって家だって宙ぶらりんじゃできないよ)
「地上を焼き払い、押しつぶすのに翼はむしろ邪魔かと」
つまり、竜神形態は人が住まう場所を標的に大量破壊を行うことに特化されたものなのだ。たとえ羽付き共が押し寄せても竜王様は射的をお楽しみになるだけです、とオトヒメは対空防御の備えについても匂わせた。羽付き、とはおそらく飛行型の魔獣か鳥系亜人の蔑称と思われるが、そんなことよりも、ラウルは竜王の竜神形態が実戦に投入されたかのような彼女の口ぶりが気になった。現世への直接介入を禁じた神々の協定については先ほど竜王本人の口から聞いたばかりだ。
「竜王様はそもそもこの世界の住人ではございません」
「ええッ!?」(ナ、ナンダッテー!?)
「主様、勇者召喚の儀式はご存知ですか?」
「聞いたことがあるような、無いような……」
正直なところを言えば、勇者制度は知っているが召喚術とその組み合わせついてはまったくわからない、というところだ。
「国難を払いのけるために異世界より召喚され、艱難辛苦を乗り越えた冒険の末に見事お役目を果たした……までは良かったのですが……」
「……」
「狡兎死して走狗煮らる、と言いますか」
「はぁ」(料理かな?)
「……用が済んだらお払い箱、という意味です」
「それはひどい」
どんな事情であれ、他人を勝手に呼んでおいてこき使った挙句に放り出すとはなかなかの了見である。おそらく邪魔になったのでお世話になった歴史ごと消してしまおうとしたのだろう、とラウルは推測した。
実際はそれ以上のことが竜王に対して行なわれたのだが、ラウルがそのあたりの事情を知ることになるのは先のことだ。
「竜人族の力に加えて、冒険の過程で不老不死の術やら様々な神通力を手に入れた竜王様はもはや定命の者ではございませんでした」
「その力でもって裏切りに対する仕返しをしたと?」
オトヒメはうなずきながら大広間の壁際に寄る。
「主様は東方諸島がかつてはタイモール大陸の一部、半島のような形状だった、と言えばうんと驚きになるでしょうね」
彼女が扇子の先で壁を軽く叩くと地図が出現した。
ラウルもアルメキアの地図は持っているが、タイモール全土を描いたものは初見である。
大陸の全体図を初めて見たラウルはアルメキアが思っていた以上に平べったい印象を受けたが、それはポレダの港町から北東に陸地が伸びているからであった。
「えーと、『東方半島』!?なにこれ!?」
「お怒りになった竜王様が、星を落とし山を海に沈め……」
オトヒメの言葉に応じて地図が変化を見せる。
水滴を落としたように陸地の表示が円形の海洋表示に変更されるのは、落下した星の衝撃波と海水の流入によるものだ。きれいな虫食いのようにも見えるが、その場にいた生き物はほぼ絶滅したと思われる。
やがて諸島と呼称されるにふさわしい姿に変えられた東方半島は、面積で言うなら一割以下に削り取られていた。
「当時、東方半島を統治されていた方が降参なさることで、ようやく竜王様は矛を収められ、今は御寝所で御休みあそばされている、という次第です」
「……」(ちょっと竜王様は沸点低すぎるだろ)
ラウルの感想はもっともなものだが、竜王にはそれだけの理由があったのだ。その原因をぜひ知りたい、とラウルは思ったのだが、オトヒメは説明するつもりが無いらしい。
話がそれました、と言って新生ラウルの説明へと彼を引き戻した。
「主様は、竜化するには竜魂が足りません」
「そう聞きました」
「そこで、竜人族の戦士が用いる変化の術をもって、今回の危機を切り抜けます」
「竜になる以外にも変身の術がある?」
「はい。牛刀割鶏ではないですが、例えば竜神形態は都市攻撃や大量破壊に特化されてますからね。よしんば主様が竜化できるようになったとしても、細かい仕事は難しいのでは?」
「なるほど」(ギュウトウカッケイ……料理の名前……じゃないよな)
素体を小、竜形態を大とすれば中規模の変化が用意されている、と聞いたラウルは胸の高鳴りを押さえられなかった。きっと白銀の鎧に身を固めた騎士のごとき装いか、あるいは竜鱗を煌めかせた精強な戦士を想像したのだ。いつもの伝で行けば、このあとオトヒメが扇子を鳴らして人形を用意するはずである。
はたして彼女は彼の予想通りに人形を出現させたが、その姿かたちは想像していたものとはかけ離れた奇怪な姿であった。
「うぉッ!?」(父さんよりデカい!)
「名付けて竜戦士形態、もっとハイカラな名称がよろしいですかね?ドラゴン・ウォリアーなんてどうでしょう。大きさは原寸大、重さは……」
「待ってよ、オトヒメさん」(どこから突っ込んでいいのか……)
「片腕の件ですか?申し訳ございません。材料不足で十分な強度が確保できず……」
「いやいや、ぶっちゃけ化け物にしか見えませんよ!」
全体的に造りが大ぶりで筋骨隆々なのに加えて、犬か狼のような獣耳に鋭く尖った牙、歯の生え方も人間由来とは異なる。鋭い爪を備えた指は手足共に四本しかなく、手は前指三本後指一本で物をつかめるようになっており、足の指は後指一本が踵の役割を果たしている。欠損した右腕は回復されていないままである。
下半身は膝までがやたらと毛深く、なんと尻尾が生えている。長く太い尻尾はひれのついたトカゲ様のもので、これ以外に竜らしい特徴と言えば、背中に生えたコウモリによく似た翼ぐらいでしかない。
「なあんだ、翼があるじゃないですか。これで空を自由に……」
「飛べません」
「……」(じゃあ、なんで付いているんだよッ)
「将来的に拡張機能を獲得できれば、あるいは……でも、このままでは揚力不足です」
「はぁ」(カクチョウ……ヨウリョク?)
本当は複雑な計算なんですよ、と前置きしたオトヒメは、大雑把に言って翼の面積が全然足りない、と断言してラウルを落胆させた。
「なんか納得いかない」(全然竜の要素なくない?)
「何を仰いますか、よくご覧ください」
そう言ってオトヒメはラウルを励ます。
彼女曰く、両親の遺伝的特徴や摂取した動物性たんぱく質、さらには粘膜交換や接触による情報収集によっていくらでも強化や形状変更が望める、とのことなのだが、ラウルには何のことかちんぷんかんぷんだ。まるで未知の言語のようであり発音すら難しい。
かろうじて意味が取れたのは両親の部分だけだ。
「獣耳や下半身のフサフサは母さん譲りってこと?」
「そうです」
「やたらとガチムチの巨人なのは父さん?」
「そう」
「他の部分はオトヒメさん?」
「そッ……あれ?エラと水掻きだけのはずなのに……」
しつこいラウルの質問攻めにオトヒメは勢いで答えてしまったが、何らかの異変に気付いたようだ。表情からはうかがい知れないが、妙な間が空いて戸惑う様子が感じられた。
「な、なに?気になるんだけど……」
「率直にお伺いしていいものか……」
「いいよ。相棒なんでしょ、オレたち」
「では遠慮なく。主様……もしかして童貞でらっしゃる?」
「へッ!?」(な、何を)
「まさか今日日、清いお付き合い限定とか……」
何の関係があるのだ、と慌てふためくラウルにオトヒメは優しく説明する。粘膜交換とはつまりそう言うことです、と言われた彼はようやく意味を理解して赤面した。
つまり、ラウルに番や配偶者が居てやることをやっていれば、巡り巡って竜の力になるのだ。それは竜戦士の形状変化かもしれないし、能力の底上げかも知れない。あるいは竜化したときに想定外の破壊力や能力付与を生むかもしれない、ということなのだ。
スケベが竜を強くする、とは驚くほかない。
それはとりもなおさずスケベが世界を滅ぼす原動力になるということなのだが、ラウルが力の使い方や立場を変えればスケベが世界を救うことにもなりうる。
言い換えれば世界の命運はラウルのスケベにかかっているのだ。
いつもご愛読ありがとうございます。
ラウルの竜戦士形態はほぼキメラ状態、目撃した悪党には死んでもらうしかないわけですが、再生が不完全な状態でラウルは勝てるのでしょうか?次のお話にご期待ください!
最後のくだりでスケベの必要性が語られましたが、彼がどのようなスケベで力を得るのかにもご期待ください。多分ですが、当分弱いままじゃないのかな、という気がします。
徃馬翻次郎でした。