第131話 竜の目覚め ③
オトヒメとはいかなる人物であろうか。
見たこともない装束に垂れかかる豊かな黒髪は艶やかな光沢を放っている。身体の線や乳房の形まで丸わかりの薄絹をまとった彼女からはどことなく高貴な空気も漂っており、彼女をスケベ視線で見ることをラウルにためらわせた。
見た目から判断すると年のころはラウルとそれほど変わらないか、やや年上という感じしかしないのだが、言葉の端々が今風ではなく、彼女が見た目通りの年齢でないことをにおわせていた。
むろん、彼女はラウルと同じく魂だけの存在なので、その魂がつい昨年にできたものなのか、高級蒸留酒のように二十年、三十年前の年代物なのか全く判別がつかない。
ラウルの指導係を任せられるからには優秀な人物の魂なのだろうが、師匠として敬うべきなのか、同じ魂状態の者として対等に接するべきなのかが悩ましいところであった。
「オトヒメでーす!主様、コンゴトモヨロシク……」
「へっ!?ああ、はい。こちらこそ、どうもご丁寧に」(さっきと口調が違う)
「あれ?こういう挨拶がウケる、って聞いたんですけどー」
「はぁ」(誰から聞いたんだろう)
先ほどとは打って変わって砕けた感じの会話はいったいどういうことだろうか。それに、主様、ということは主従関係を意味している。彼女は先輩か同輩かで悩んでいたのに、主筋がこちらとは予想外だ。
どちらにしても口調はもう少し改めて貰わねばなるまい。ラウルは早速改善要求を出すことにする。
「ええー!いきなり苦情ですかあ?現代っ子の主様に合わせてあげたのにー!」
「い、いや、年恰好はそんなにかわらないですけど、ここではオトヒメさんが先輩なわけだし、まっるきり友達みたいなのも変ですよ」
「まさか実年齢相応の妾口調がご所望とか言いませんよね?」
「困ったなあ」
相談の結果、普通にしてください、というラウルの要求は受け入れられ、口調に関しては修正ができたのだが、実は彼女自身の言語能力に問題があって、ごくまれに昔の言葉が飛び出してしまう事故が発生するかも知れない、と事前通告を受ける。
もちろん、重要な事柄は現代語訳するように心がけるが、基本的に聞き流してもらって構わない、とも付け加えた。
そう言われても、彼女の言う“昔”がいったいどの程度のものなのかは気になる。
結局、女性に年齢を聞くのは非礼と承知の上で、彼女の歴史についてラウルはできるだけ丁寧に聞いてみることにした。
「オトヒメさんはとてもお若いように見えるんですが、たいへん失礼ですけどいつ頃のお生まれなんですか?」
「主様はお上手ですね、えー、この世に生を受けてから六百二十年ほどに……」
「ひょっ!?」
「……七百だったかも」
もう結構、大きいほうを省略して二十歳ということにします、という四捨五入の逆立ちよりひどい計算はオトヒメを上機嫌にした。実際、その程度の年齢にしか見えないのだが、彼女に言わせれば、表示上の問題でしかない、とのことである。
意味はよく分からなかったが、これ以上年齢の話を深く掘り下げるのはまずい、と本能的に察したラウルは話題替えを試みることにした。
「それはそうと、竜王様とずいぶん話し込んでしまいましたけど、大丈夫だったんでしょうか?」
「何十年ぶりかのお客さんでしたからね。それに、主様はお若いから少々無礼があっても問題になさらなかったでしょう?竜王様だけじゃありません、みんな喜んでいましたよ」
「はぁ」(表情からは読み取れなかったな)
もうひとつ、ラウルは気になっていることを尋ねる。
それは時間的余裕についてだ。
こうして会話を続けるうちに、蘇生が困難な状態にまで刻まれたり灰にされたりしていた場合は復活計画がご破算になりはしまいか。
「現世と竜王様の精神世界では時間の流れが違う、と思っていただければ……」
「それって、時間よ止まれ!的な魔法かなにかですか?」
オトヒメは首を横に振り、処理速度の極端な違いです、としか答えなかった。それ以上は秘密か、もしくはラウルには理解できないと踏んだらしく、三日三晩過ごしたとしても現世では数時間しか経過していないと思います、と言い切って彼を驚かせたものの、それ以上説明することはしなかった。
急ぐ必要がないことが判明したが、オトヒメは時間を無駄にするつもりがないらしく、早速、新生ラウルの説明を開始した。
教材はラウルの死体を模した人形である。
「えー、まずは一分の一ラウル=ジーゲル……死体ですね」
「はぁ」(もういいよ、片してくれよ)
「残念なことに、あらゆる臓器や器官はもちろん、骨や筋肉に至るまで、そのまま再利用することはできません。代替器官に置き換わるか、組織を組み替える形で再形成されます」
「人間じゃなくなるみたいに聞こえる」
「その理解で結構です」
オトヒメは無慈悲にラウルの感想に満点をつけ、何処から取り出したのか扇子を一振りして合図を出すと、別のラウル人形を出現させた。
「次、同じく原寸大の主様……の完全修復がなった予想ですね」
「あの、あんまり鏡で自分を見たことはないですけど、特に変わった様子が……」
ラウルが言う通り、人間ではなくなる、とオトヒメは宣言したにもかかわらず、二体目の人形は元気なラウルが腕組みして直立しているようにしか見えない。
「ご冗談を!竜人族仕様の身体なんですよ、主様」
「いや、オトヒメさん、そうは言うけどさあ」
「あまりにもガワが別人だったら、ご家族が心配なさるのでは?」
見た目を大幅に変更しなかった理由は、今後の日常生活を配慮してのことらしい。
「では、上から順番にご説明申し上げます」
「え、ええ……」(新商品の口上にしか聞こえない)
「まず、主様のお脳の辺りはずいぶんと多機能になる予定ですが、これは全部説明するよりも実装と通電が確認されてからにしたほうがよろしいかと思います」
「あー、現場で使ってみて、分からなかったら聞く、とか?」(ツウデン?)
「その通りです、主様。私もここに引っ越してきますので、その節はどうぞ宜しく」
「引っ越し!?」
ラウルは話に付いて行くのがやっとなのだが、己の脳内に居候を入れる感覚が到底理解できなかったし、予測不可能だった。
彼を無視してオトヒメの説明は続く。
「文字通りの目玉は竜眼ですね。これは便利ですよ。索敵や脅威対象の評価はもちろん、敵意の有無も調べられます。他にもいろいろ使えるのですが、慣れるまではちょっと大変かもしれません」
「どうたいへんなの?」(言ってることが半分もわからん)
「視界に流入する情報量が多すぎて頭痛を起こしたり気分が悪くなったりします。これは文字の明るさとか一度に表示される量を加減したり、細かい情報を非表示にしたりすることで調整できます……と言うよりするべきですね」
「わかりました」(本当はよくわかってないけど)
ラウルはオトヒメの言うことを素直に聞いている。
彼女の操る専門用語は難解だが、この後付き合うことになる己の身体のことなのだ。
「次は口、というか舌なのですが……」
「ひょっとして火とか吐けるんですか?」
「吐きたいんですか?」
「いや、ほら、竜といえば火炎の息でしょ」
ラウルの知識は伝説や絵本どまりだが、これはどうしても聞いておきたかったのだ。
「主様、その仕組み御存じです?」
「へっ?」(知らない)
「肺とは別に気嚢って器官があってですね、そこに貯めた可燃性の気体を吐き出して牙で火花を飛ばすことにより着火するんです」
「あれってゲップだったの!?」(魔法的な何かだと思ってた)
「……主様の気嚢は未実装。実装される予定はございません」
要するに、どう転んでも古来より竜族が得意とした方法でラウルが火炎放射するのは構造上不可能なのだ。
オトヒメは話の腰を折られたわけだが、気にすることなく話を続ける。彼女が言いたかったのは竜族やその眷属に伝わる竜語のことだった。
魔力を乗せれば現世のあらゆる人、物、果ては自然現象にまで影響を与えることができる竜語はラウルが習得すべき必須技能と言えた。なにしろ竜が絶滅した世界で竜語を知る者は少ない。身に着けさえすれば、現世で竜語を用いて優位に立てる可能性があるのは竜王とラウルだけなのだ。
これは単純にラウルを喜ばせた。
今までさんざん魔力不能でいじめられてきた反動と言い換えてもいいだろう。魔法など目ではない力を行使できるのだ。
何をそんなにはしゃぐ、と問うオトヒメに、ラウルは現世の説明、とりわけ竜族の現況について知るところを述べた。
「主様、現世に竜はいない……のですか?」
「少なくとも飛んでいる奴を見たことはない、と思う」
「弱りましたね……」
「何が?」
「これから世界中を回るのに徒歩や馬では時間が掛かりすぎます」
「えーと、つまり?」
「手ごろな飛竜を『服従』させて足にする案が潰れてしまいました」
要するに、オトヒメが立案した計画では、蘇生して危地を切り抜けた後はちょっとした冒険と快適な空の旅を予定していた、ということになる。彼女にとって全くの想定外だったのは竜族の絶滅という現世の人間なら知らない者は居ない事実だった。
「まあ、仕方ないです。竜族同士の喧嘩に巻き込まれる心配もありませんし、悪いことばかりではない、ぐらいの考えで行きましょう、主様」
彼女は前向きな性格らしく好感が持てるが、先ほどからラウルは気になっていたことがある。どうも竜王もオトヒメもここ何年かの現世の様子に疎いのだ。
「あの、唐突ですけど、オトヒメさんは普段何してるんです?」
「普段と仰いますと?」
「いやあ、魂だけになってしまった人たちの日常、というか……」
「ああ、そういう意味でしたら、何もありません。無、です」
「無?」
「他の方々はどうか分かりませんが、私たち寵姫に限って言えば、竜王様がお呼びにならない限り、まあ、人間で言うと睡眠に近いのでしょうか……」
「寝てるんですか?」(チョウキって何のことだろう)
「正しくは“休止状態”です。夢は見ませんし意識もありません」
おそらく竜王もよく似た状態なのだろう、といラウルは一人で合点した。
夢の中でラウルに語りかけてきたような例外はあるとしても、現世と遮断された状態で来客もなく眠り続け、たまに目覚めた時は恐怖と破壊の僕として竜の子を指導することになる。
神として宿命づけられた役割かも知れないが、その繰り返しが永遠に続く生涯とはある種の拷問ではないのか。人が何人死のうが全く心が痛まない、などということがあろうか。
オトヒメやその同僚にしても出番がなければ闇の中である。竜王も彼女もえらく親身になって話をするものだ、とラウルは思っていたのだが、ここへきて、ひょっとして彼らは寂しかったのではないか、という考えに至る。
ラウルは初めて竜王とその眷属を気の毒に思った。
いつもご愛読ありがとうございます。
主様はヌシサマでお願いします。里言葉っぽくなってしまうかもしれませんが、ご主人様と違う表現を探していたらこうなりました。残念ながらラウルのご希望通りとはいかず、火炎放射はできないようです。人間を辞めることになった彼ですか、温かく見守ってあげてください。
徃馬翻次郎でした。
コンゴトモヨロシク……