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第123話 港町に消ゆ ③


 誘拐犯の尻尾を押さえたと思いきや、実はそれを見越した罠でした、という展開はラウルの神経を逆なでするのに十分な悪辣あくらつさであった。


「畜生ッ!」


 彼は巻物を地面に叩きつける。


「ラウル、よしなよ」

「一番つらいのはウィリアムさんよ、ラウル」


 リンとハンナが止めるが時すでに遅し。ウィリアムは膝を落としてしまった。

 ラウルも自らの短慮に気付いて謝罪する。しかし、ウィリアムは片膝をついた姿勢のまま、無言で手を振って、ラウルに気にしないよう求めるのが精一杯だった。


 その瞬間、異変が起こった。

 ウィリアムが突然腹ばいになってトカゲのような低姿勢をとったのだ。


「う、ウィリアムさん……」

「静かにッ」


 声を掛けようとしたラウルをクルトが黙らせる。


かすかだが……ハリーの臭いだ。それに……この臭いを打ち消すような強烈な刺激臭は……元気飲料!」


 言いながらウィリアムはリンに向かって手を差し出す。察しのいい彼女は元気飲料の小瓶を取り出して彼に渡した。

 ハンナにも感知できなかった僅かな臭いをウィリアムは嗅ぎ取ったようである。再度、元気飲料の現物と比較して、その感覚は確証に変わった。


「間違いないッ!」


 ウィリアムは小瓶をリンに返すと低姿勢のまま臭いを追い、小部屋から出てしまった。外で見張りをしていたヴィルヘルムは突然のことに面食らったが、続いて出てきたクルトがうなずくのを見て捜査担当の衛兵たちを呼びに走った。


 ウィリアムは順調に臭いを追ったが、迷路からほんの少し北上した場所でハリーの臭いを感知できなくなった。


「消えた……いや、馬車に載せたのか?」


 彼が疑問を口にするまでもなく、深く沈んだわだちがすぐに見つかった。これは積み荷が重いことを意味する。容疑者全員が乗り、さらには気絶した子供たちを荷物のように詰め込んだのだろう。


「車輪の跡が相当深い……蹄鉄はおおよそ東向き、それにこの刺激臭……」


 ウィリアムは追跡術にも長けているところを見せるが、彼は息子の安否を案ずるあまり、後先考えずに追跡続行を宣言した。


「まだ追えるッ!いなッ、追うッ!」

「待て、ウィリアム」


 ひとまず落ち着け、と言うクルトの提案を頑として受け入れなかったウィリアムだが、たとえ追跡に成功しても接近を察知された時点で子供たちが危険になることを考えねばならない。精鋭をもって可能な限り隠密接敵し、人質に損害が出る前に短時間で悪党を圧倒する必要がある、と力説するハンナに折れて、ようやく単独追跡を断念した。


「ぐ……だが、どうする?どうすればいい?」

「あなた、私たちで追跡……押し込みをするしかないわね」

「だな」

「母さん、押し込みだなんて……」(強盗かよ)

「人さらいのお宅にちょっとお邪魔するだけよ」


 ジーゲル夫妻が押し込むのだ。相手が誰であれ無事ではすむまい。


「あの、それでしたら、クラーフの社内便に化けるのはどうでしょう?武装も道具も積めますし、社内便が東向きに走っていても不審じゃありません。そのままポレダの倉庫街まで入れますよ」

「ち、ちょっと、リン!?」


 慌ててラウルがリンを制止しにかかるが、彼女自身、今回の事件の成り行きには腹に据えかねているのだ。人さらいには死なない程度にひどい目に遭ってもらわねば、という気持ちを抑えきれないでいる。

 さらに言えば、彼女の優先事項はさらわれた子供の奪還と捜査班の安全であり、その他に何が起こっても事故ですますつもりなのだ。


「あら、リンちゃんはラウルより肝が据わってるわね。グスマンさんは協力してくれるかしら?」

「今回の件ではクラーフに濡れ衣を着せられて、父も思うところがあるかと。それらしい仕事をでっちあげてもらえるよう頼んでみます」

「気に入ったわ!ほんと、ラウルにはもったいないくらい……」

「な、何の話をしてるんだよッ!」


 話が予想外の方向に流れ始めて狼狽ろうばいしたラウルにウィリアムが止めをさす。


「リンさん、ご協力痛み入る」

「ウィリアムさんもおかしいよッ、通報が先でしょ、常識的に考えて」

「聞け、ラウル」


 クルトはラウルをなだめながら説明する。その間にリンは文字通り飛ぶようにして自宅へ戻って行った。グスマンの説得が成功すれば馬や馬車の準備に忙しくなるから寸分を惜しんだ。


「お前の言う正規の手順を踏むとどうなる?」

「衛兵隊から男爵様へ注進、男爵様は追跡部隊を編成……」

「もし悪党の隠れ家が他所様の私有地や貴族の領地内だったら?」

「えーと、持ち主の許可がいる」

「断られたら?」


 ここでラウルは言葉に詰まってしまった。

 正規の手順では時間がかかりすぎるうえに、事の成否も定かではないことに気付いてしまったからである。仮に貴族の私有地を捜査する場合は証拠をそろえて王宮へ出向き、何らかの勅命を賜らねばならないが、勅が下るのがいつになるかわかったものではないのだ。

 反論できずにうつむいたラウルをハンナが優しく諭す。


「本当はラウルの言ってることが正しいのよ。理由が何であれ王国法を無視して自力で取り戻すなんて野蛮よね」

「だったら……」

「お金や物品ならそうすべき。でも人の命が懸かっているときは別よ。巡回裁判?勅命?待ってる間にさらわれた子たちは煙みたいに消えちゃうわ」


 ラウルとてハンナの言うことが理解できないわけではない。

 ただ、力づくの状況もありうる自力救済に踏み切るまでに両親が要した時間があまりにも短く、さらには、あっという間にリンまでが加担したことに衝撃を受けたのだ。ウィリアムは被害者家族としての立場があるので一概に言えないが、息子の為なら簡単に一線を越えて人殺しをやりかねない懸念があった。


「私たちじゃなくても、悪党が力いっぱい抵抗したら同じことが起こるわよ。大人しく降参してくれない限りはね」

「そ、そうだけど……」


 この逡巡しゅんじゅんはコリンと交わした約束と無関係ではない。

 ラウルは魔神のごとき力を有するに至っていないが、力の有無によらず人死にを避ける努力を試みるべき、と思っている。

 要するに、この期に及んでもなお、奪還作戦が凄惨な報復劇へと発展しない保証のようなものが欲しかったのだが、この世界においては甘ったれた理想論でしかなかった。


 しかし、ハンナはラウルの駄々を母の慈愛で受け入れた。


「誓うわ。母さん、戦闘になっても悪党を殺さないように頑張るから……できるだけ……」

「わ、わかったよッ……でも、嫌なら留守番しとけ、って言わないんだね」

「捜査班で悪党に顔が割れてない可能性があるのはラウルだけなのよ。私とクルトさんはお祭りに参加してたし、ウィリアムさんは直に露天商と接触してるでしょ?リンちゃんだってどこで見られてたかわからないから……」


 ラウルが頼りなのだ、とハンナは言う。

 これは、重要な局面で彼を偵察任務へ送り出す状況を想定している、ということである。人さらいの鑑別に際しては人相書きに頼ることになるが、悪党のねぐらを村や町で探し当てた際には、彼らに存在を知られていないラウルが役に立つはずだ。


「まだ荒事になるのが決まったわけじゃないから先の心配はよしましょう。これが追っている本筋かどうかもわからないし、お留守の間にささっと忍び込んでぱぱっと奪い返せるかもしれないし」


 本筋、とは見事人さらいの根拠地かさらわれた子供たちに繋がる線、という意味だ。


「うん……そうだね」


 同意はしたものの、ハンナが言うような都合のいい隠密作戦を完全に遂行できる可能性はほとんどないことくらいはラウルも承知している。

 ラウルもとうとう覚悟を決めた。

 さしあたってはハンナが誓った不殺の努力を信じることにしたラウルだが、それでもこの作戦にはまだ疑問がある。

 確かに、リンが考えたクラーフ商会の社内便馬車を移動式の基地として使用する案は優秀に思えるが、速度重視の基本方針から逸脱するのではないか、ということだ。

 ハンナやウィリアムが変化して捜査班員を乗せたほうがはるかに速い。荷馬車ではその有利を自ら放棄することに他ならない点を両親は考慮していないのだろうか。


「ああ、それね」

「うむ」

「それね、ってちゃんと考えてるのかよ?」


 ところが、ジーゲル夫妻は社内便の話が出た時点で速度問題を解決する手段に心当たりがあったらしい。


「ウチの神の子様が何とかしてくれるんじゃないかしら?」

「正確には、あの妙てけれんな鞭、だな」

「へっ?」


 二人の言う通り、回復鞭を適度に振るえば馬は疲れ知らずで高速を維持できるだろうが、また曰く付きの道具を披露せねばならぬのか、と思うとラウルは頭痛がした。


「さあ、そうと決まれば男爵様に事情をお話申し上げて暇ごい、そのあとは各自武装と旅の準備よ!」

「承知した。いわゆる秘密作戦だな?」

「ああ。人さらいの家を突き止めて強盗に入ってやるんだ」

「……」


 ハンナが作戦の音頭を取り、ウィリアムとクルトがそれに和して気勢をあげている。

 ラウルが観念して瞑目めいもくすると、まぶたの裏に乙女走りで迫り来るミルイヒ=ヘーガーの姿が鮮明に浮かび上がった。


いつもご愛読ありがとうございます。

ハンナとの約束云々も若干原作をなぞっている感じを出そうとしています。干拓事業で血まみれになるのとは趣を異にしますが、息子のための骨折り、みたいな体で寄せてみました。

時間的なつじつま合わせは変態武器に頼る始末が定番になってしまいましたが、ヘーガーは喜んでいると思います。

急げラウル!子供たちを救うんだ!

徃馬翻次郎でした。 

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