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第120話 エスト捜査網 ⑥


エスト領主ブラウン男爵の特命を受けた誘拐事件捜査班、略してエスト特捜班とでも言うべき民間人の一団は、衛兵隊とは別の指揮系統で独自の捜査を実施している。連絡や情報共有こそ密にしているが、なにしろ捜査班の中身はジーゲル一家にリン=クラーフを加えたものでしかない。人数は衛兵隊と比較するまでもないから、こちらは頭脳で勝負、といったところだ。


 現在、リンは元気飲料と称する液体の鑑定とヘリオット家への伝令に出かけており、ジーゲル一家は御者や厩務員に最近の村への出入りについて質問していた。

 すると、少し前に村を出入りしていた馬商人が、王都では巡礼として振舞っていたのではないか、という疑惑がラウルによって浮かび上がる。

 馬商人であれ巡礼であれ直接誘拐に関与した証拠は全くないが、犯行の下見をしていたとすれば身分を偽っての隠密行は非常に怪しいと言わざるを得ない。

 自称巡礼の一団を乗せて王都からエストへ来た御者たちは、誘拐事件の余波で車止めを食らって目下厩舎に留め置かれている。捜査班は事情を聞こうとしたものの、どうしたことか彼らの口が重く、思うに任せない。

 とうとうエストの御者が業を煮やして横やりを入れた。


「おめぇさんら、自分で何やってるかちっとも解ってねぇな。何事も包み隠さず申し上げねぇと、足がぴーんと突っ張っちまってからじゃ遅ぇんだぞ!」

 

 “足が突っ張る”とは縛り首に処された者の下半身を描写した言い回しである。

 彼は男爵が発行した令状の内容を彼なりの言葉に言い換えて、非協力的な態度を取る御者仲間を説得したのだ。


(絞首刑までは書いてなかったけど、ま、いいか)


 ラウルは様子を見守る。

 彼も協力要請と脅迫とではどちらが手早く証言を得られるか判じかねているところがあったからだが、脅しが強すぎたのか、話を聞きだす前に王都の御者たちは委縮してしまった。


(この塩梅が難しいな)


 飴と鞭ではないが、ただ脅かすだけでは非効率的な場合もあることをラウルは学んだ。ならば、今度は飴であやしてやらねばなるまい。


「人さらいに関わってない限り、何のおとがめもありませんよ。乗せたお客さんのことを少し聞きたいだけです」

「本当だか?」

「それならそうと……」

「ちなみに何が後ろめたかったんですか?」

「てっきり秘密の内職がバレたんだと……」

「ナイショク」

「んだ」


 彼らの言う内職とは、本来は定刻になるまで発車を待つ決まりを少し曲げて、規定料金以上の運賃上乗せをせしめた小遣い稼ぎのことである。


「あら、役得や余禄っていけないの?厳しいのね」

「奥様、お上の認可でやる仕事は何かと決まりが多いす。運賃の上げ下げひとつ簡単にできやしやせん。ましてや野盗騒ぎの最中に割増しで貸し切りをやってのけたなんて……これでさぁ」


 エストの御者は手首を腹の前でくっつけて捕縛の形をハンナに示す。

 都市間を結ぶ交通機関に必要なものは安定した運営であり、それに携わる者に好き勝手はさせない、従業員もその例外ではない、という統治者の意思がくみ取れる。


「それで?」


 クルトから王都の御者に発せられた問いかけは短いものだったが、王都の御者は巡礼について貸切り便の経緯について知る限りの供述をした。


「野盗は怖いし、せめてサーラーンの隊商に引っ付く形で、とお願いしたんですが」

「脅されたか」

「いや、本当は断りたかっただよ。でもなあ、巡礼を遅らせる気か、って言われるとなあ、おらも命が惜しいだよ」

「なるほど」


 しかし、巡礼の人数や人相風体に話が及ぶとエストの御者や厩務員が口を挿む。


「巡礼さんは全部で六人だったかな、男ばっかりでしたけど」

「馬商人と同じでやす、旦那」

「何人かはいかつい顔だったども、ほれ、改心したのかなあ、て考えるべ?巡礼さんなんだし……」

「だから、馬商人です、って言ってるでやんしょう!」


 厩務員たちも口々に馬商人説を支持して王都の御者たちを困惑させる。クルトとハンナは御者たちをひとまず落ち着かせ、ラウルの筆記用具を用いて人相風体の覚え書きを作成している。

 やがて、おおよそ巡礼と馬商人が同一人物で構成された集団らしいことが判明した。


「上手くいけば人さらいの下見組が面割れするわけね、ラウル?」

「うん。それもあるけど、衛兵さんが作成している自称村人……迷路屋さんの人相書きと一致したら捜査が一気に進むんじゃない?」

「むう……いや、ひょっとしたらひょっとするぞ」


 クルトはわずかな可能性と願望を口にしたが、実現すれば大金星である。

 目下、犯人と潜伏場所ないし根拠地は全く見当が付いていない状況だから、さらわれた子供たちへと繋がる手がかりはこれひとつきりなのだ。


 捜査班は御者たちへ礼を言って次の聞き込み先である宿屋へと向かう。厩務員から件の集団が蜜蜂亭で飲んでいたという情報を得たからである。

 蜜蜂亭への道すがら、ラウルは常々疑問に思っていたことを両親に尋ねた。


「亜人の嗅覚をかいくぐって人さらいに成功した、ってのが今でも信じられないんだけど」

「あら、狼でも犬でも嗅覚が万能無欠ってわけじゃないわ。鋭敏な嗅覚ゆえの弱点、とでも言うのかしら?そういうのも含めると意外と……」


 亜人が誇る嗅覚にも実は穴が多い、とハンナは説明する。

 そこへ話を聞いていたクルトが後を引き取って付け加えた。


「まず、雨がダメだ」


 これは臭いが流されてしまうだけでなく足跡等にも影響する。


「袋詰めにされたり、馬車に乗せ換えられると難しくなるわね。刺激臭のある薬品で鼻潰しをするのも効果的、逆にいい匂いがし過ぎるのも……」

「いい匂い?」

「ラウルはサーラーンの隊商で豆茶をご馳走になったんじゃない?」

「ああ」(あれか!確かに香ばしい)


 衛兵だけでなく被害者家族にも犬系亜人は多い。にもかかわらず周辺捜査が成果を上げていない理由はジーゲル夫妻が説明したことによるものだろう。つまり、もし雨が降れば追跡術の手がかり的には万事休す、となってしまうのだ。


(お天気、大丈夫だよな?)


 ラウルがそう思うまでもなく事態はひっ迫していた。時間経過と共に手がかりが消えてしまう、とクルトは言ったが、これには天候の変化も含まれている。自然現象は人間の手に負えないのだから焦っても仕方がないのだが、ラウルはじりじりと焼けつくような思いに身を焦がしていた。


 さて、蜜蜂亭の主人からはこれと言った新証言は得られなかった。確かに馬商人の一団を泊めた記録はあった。人相風体は巡礼団と一致している。宿帳の署名も念のため記録はしたものの、偽名の可能性を考えれば手がかりとしては薄いだろう。


「うーん、ウチ的には払いさえよければ良い客、それだけだからな」

「ですよねえ」


 ラウルは亭主が給仕した水を飲みほして相槌を打つ。

 クルトが示した令状をちらりと見ただけで、亭主はコップを並べはじめていた。令状で命令されようがしまいが、まずは捜査班を労おうとしたのだ。 

 その気持ちはジーゲル一家に心の潤いをもたらしたが、犯人や潜伏先の割り出しに至るようなネタまでは提供してもらえなかった。

 ところが、従業員から推定の域をでないが状況証拠を補完するような証言が飛び出す。東方出身の料理人であるギンジが、馬商人は沿岸部か東方諸島の出ではないか、と言い出したのだ。

 陽の高い間から一杯やる客は珍しくないが、隠し献立の東方料理、それも魚の生食について聞いてくる客は印象に残ったのだ。


「魚をナマで食べるの!?」

「せや、ぼん。サシミとかツクリ言うてな、まあ、醤油と山葵がなかったら何の感動もないんやけどな」

「あの……虫……」


 ラウルは寄生虫の心配をしている。

 彼は川魚を焼き魚以外で賞味したことが無いし、海魚も燻製くんせい以外は未経験である。

 ギンジの言う魚の生食がなかなか普及しないのも寄生虫のためだ。ほとんどの寄生虫は十分な加熱で無力化できるが、食通の中にはたとえ聖堂へ行くことになっても魚の生食に対する魅力を断ち切れない者もいるのだ。エストで生食するとしたら川魚だが、ギンジは絶対に出そうとしない。切り身を細かく切断して虫を殺す技術もあるが、できるだけ焼き魚で我慢してもらうように勧めているのだ。

 そのような事情を踏まえたうえでなお魚の生食を恋しがる人間は目立つ。美食家でないなら、はっきり言ってエスト周辺の人間ではない。


「ぼんの言う通りやけどな、虫は魚が生きとるうちはワタのなかやから、新鮮なうちに手早くしめてさばいてしもうたらええねん。そしたら身にはおらん。安全や」


 アジでもイカでも船の上でやるんが最高や、と刺身談義を始めようとしたギンジをジーゲル夫妻が慌てて遮る。


「つまり……」

「魚の生食ができるぐらい海の近くで育ったか、今現在も生活している人物……」


 ここで確認された格好や食の好みに偽装がなければ、アルメキア王国民なら沿岸部、大きい町ならポレダ周辺の出身ということになる。


「そうちゃうかな?知らんけど」


 ギンジが最後に付け加えた言い回しは無責任なようにも聞こえるが彼に悪意はない。東方諸島の一部地域で使用される独特なものであり、“証拠はないが”“確信は持てないが”等のような意味で使用されていた。

 その通り、確証はないがエストを騒がしている悪党の臭いが何となく東から漂ってきている気がするのは捜査班の面々も同じなのだ。

 

「けっこう情報が集まった気がする」

「そうね。いったん天幕に戻りましょうか。リンちゃんが帰って来てるかもしれないし」

「おう」


 ジーゲル一家は蜜蜂亭を辞すると大天幕へ向かった。

 捜査班としては集めた情報を整理する時間も必要だし、リンからの報告も聞きたい。ウィリアムが来ていたら製材業者として犯人と接触していたかどうかを確かめる必要がある。

 捜査は徐々にではあるが全体像をあらわにし、核心へと近づいていた。


いつもご愛読ありがとうございます。

捜査が少し進展したところでお話は後編へ続きます。二時間ドラマに出てくる崖の上とかはありません。念のため。

がんばれラウル!子供たちを救うのだ!

徃馬翻次郎でした。

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