第119話 エスト捜査網 ⑤
大天幕を飛び出そうとするリンから口書きの紙束と筆記用具を返してもらったラウルは半ば震える思いでクルトに尋ねる。用意周到な人さらい集団に改めて恐れをなした、と言い換えてもいい。
犯人と思しき人物は浮上したものの、気付いた頃には姿を消している手際の良さ、混乱の種を蒔いて撤収を支援する人物の存在など、野盗団とは明らかに出来が違う。
はたして我々は人さらい集団を出しぬくことができるのだろうか、ハリー少年をはじめとする被害者に手がとどくのか、と彼は率直な思いを口にした。
「確かに、手強い」
だが、諦めるな、とも彼は力説する。
えてして複雑な策を弄する者ほど初歩的な失敗を犯す。頭が良すぎてしくじるのだ。なるほど、村民も衛兵も人さらいの策にはめられて振り回されっぱなしではあるが、必ず逆転の機はおとずれるから辛抱強く捜査を続けよう、と息子を励ました。
「う、うん」
「どうした?まだ不安か?」
「いや、あの……」
「言ってみろ」
「えっと、そんな悪知恵の回る奴らがさ、下見もせずに一発勝負をするはずないよね?」
「むむっ」
身代金目的で金持ちの子女をひとりだけ的にかける場合でも下見は入念に行なうはず、ましてや複数標的の場合は言わずもがな、というラウルの指摘はもっともである。人さらいが身分を偽って潜入していたとしても不思議ではない。
「続けろ」
「うん。衛兵や厩舎の人に団体さんの出入りを聞きたい。宿屋さんには長期の泊り客について。これでどうかな?」
「ラウル……お前……」
「なんだよ?」
「いや、なんでもない」(立派になったな)
リンが頼まれた用事を終えて帰ってくるのには時間がかかる。人相書きの完成もまだ先のようだ。ジーゲル一家は聞き込みをするために、エスト北口へと向かった。今のところ、村には厩舎がひとつしか存在しない。衛兵も村への出入りを見張っえはいるが、厩務員のほうが旅客については詳しいはずだ。
三人は厩舎へと歩きながら話す。
「母さんは事件捜査の手順とかに詳しいね」
「そう?鼻が利く亜人の傭兵とか冒険者にはよくある依頼よ。人や物を探してくれ、とか怪奇現象の究明とか、ね」
「アイアン・ブリッジは魔の国に近かったからな」
クルトは地方によっては魔獣がらみの事件も多いことをほのめかす。エストにいては分からないことだが、魔獣騒ぎの頻度で言えばアルメキアの西へ行けば行くほど上昇傾向にあるのだ。
アルメキア最西端のアイアン・ブリッジで傭兵をやっていれば嫌でも身に着く知識だが、なかにはそのことを逆手に取った犯罪もあった。
「聞かせてよ」
「果樹園が魔獣に荒らされた事件とかね、本当は人間の仕業だったんだけど、ものすごく手が込んでいたのよ。獣の足跡をつける道具とか、かじられた果物とか……」
「それで、それで?」
「追跡術と張込みで犯人を捕まえたわ……お隣の同業者さんだったけど……」
「お百姓さんがお百姓さんちへ泥棒に入ったの!?」
かつてハンナが関わった捜査の事件簿は決して後味の良い結末とは言えなかった。怪奇現象のはずが蓋を開けてみれば人間の仕業、という始末は枚挙にいとまがなく、捜査にあたった者の心を暗くしたのである。
「なんだかやりきれないな」
ラウルには思うところがあるようだが、果物泥棒にしてみれば、盗む品の目利きができ、果物を傷めずに収穫する方法も熟知している。盗んだ果物を売りさばく販路も確保されているわけで、同業者の泥棒というのは理にかなっているのだ。
彼の言う“やりきれない思い”は、合理的な思考の結果、隣人の成果をかすめとる犯罪が発生したという事実が悲しかったことによる。
「まあ!ラウルが優しい子で良かったわ!悪党のすることに慣れちゃいけないし、他人を信じられなくなっちゃうものね」
「魔獣より人間のほうがよっぽど怖い、ってことは覚えておけ」
クルトは釘を刺すのを忘れなかった。
ハンナが言うように他人を信じることは大事だが、他人の悪意に全くの無警戒というのも困る。それが時には命の危険に及ぶとあっては一言挟まずにはいられなかったのだ。
さて、捜査班は厩舎に到着した。御者はすぐに見つかったが手持無沙汰のようである。誘拐事件は運行停止という形で駅馬車にまで影響を及ぼしていたのだ。
「おや、ジーゲルのみなさん、おはようごぜぇます」
「おじさん、景気は……良いはずないよね」
「神の子の坊ちゃん、おっしゃる通りです。早いとこ車止めを解いてもらわにゃ、うちらはオマンマの食い上げですよ」
「ラウル……お前……」
「いつから神の子になったの?」
ジーゲル夫妻のために、ラウルはヘーガーの回復鞭について短く説明する。馬車を曳く馬があまりにも疲れていたので、という理由は一応、二人の胃の腑に落ちたようだ。
「うーん、人助け、かしらね?」
「まあ、いいだろう」
尋問に入るべく、クルトは令状を取り出して御者に示す。
「えーと、何て書いてあるんですかね?お願ぇします」
願います、とは代わりに読んでくれ、という意味だと気づいたラウルは、クルトに申し出て代読させてくれるよう頼んだ。文面そのままでは無駄に高圧的になったり、御者を委縮させてしまう、と考えたからだ。
ちなみに、令状の文面は以下の通りである。
◇
エスト領主たる余の臣下にして友人であるジーゲル一家に巡察使を命ずる。この者らには今般の誘拐事件捜査を一任するので、エスト村民は捜査及び協力要請に万難を排して応えるように。
万一、余の命に従わぬ者は処罰対象として投獄、追放もあるものと心得よ。
署名 押印
◇
(こんなの御者のおじさんが聞いたらひっくり返っちゃうよ)
ラウルは文面そのままを伝えずに工夫し処罰のくだりを割愛して、男爵に頼まれて調べものをすることになった、と平易な言葉で御者に説明する。
「するってぇと、坊ちゃんは御出世ですかい?」
「今回だけだよ。臨時だよ」
「へえ!何にしても目出度い。いや、人さらいのことでしたっけ。じゃあ、喜んでもいられやせんね」
「うん。手伝ってくれる?」
「合点、何でもおたずねくだせぇ」
ジーゲル夫妻は、ほう、という驚きの表情で息子の尋問を見ている。
方法はともかく、聞き込みや事情聴取をする相手に警戒や委縮をさせない、という捜査の第一関門を突破していた。特に教えたわけではないので、ハンナのやりようを見て学んだとすれば及第点以上である。
「えー、団体のお客様ですかい?」
「うん。祭り以前で目立った駅馬車の客、通過して行っただけの人でもいいよ」
「そんなら、サーラーンの隊商ですよ」
残念ながら、これはハズレである。
ハディード商会なら人さらいなどという犯罪に手を染める危険を冒さない。彼らなら母国へ帰って用途に応じた奴隷を市場で購入するだろう。ラウルは短い期間だが、その隊商と行動を共にしている。文化や習慣の違いこそあれ、犯罪組織らしい感触は微塵もなかった。
「そう、そんな感じでもっとない?その前後で」
「その後は野盗騒ぎで王都向きの馬車は止まっちまいましたでやんしょう?再開してからはいつも通りでしたし、特になんも……いや、ちょいと待ってくだせぇ……馬商人の連中が王都へ向かいました」
「いつのこと?」
「ですから、ほれ、例の貴族様が野盗に襲われた日ですよ。間違いねぇです」
ラウルは両親を振り返る。
ジーゲル夫妻はラウルの尋問が上首尾なので任せっきりにしていたのだが、この新情報にはいささか興味をひかれた。
「どんな連中だ?」
「へ、へぇ。頭巾をかぶってましたからね、人相はあんまり自信がないっす。人数は六人。銀貨をもらって何日か世話しましたけど、ほんといい馬なんすよ。あんまり立派だったもんで、いくらだい?って聞いたんでさ」
「ほう」
「そしたらね、ニヤニヤ笑ってまともに答えないんすよ。あなた買えますか、ってな具合でさ。いけすかねぇ野郎どもだ」
確かに馬はおいそれと手を出せる買い物ではないが、商売っ気のない馬商人とはいよいよもって奇妙である。
「野盗には遭わなかったのかしらね?」
「そうだと思いやす、奥様。王都で馬が売れたんでしょうね、駅馬車に乗って帰ってきやした」
「この辺の方々?」
「いいええ、知らない連中す。そうだ……たぶん、何人かは陸の人間じゃありやせん。日焼けからして海のもんですよ。こう、何色って言うんですかね」
「赤銅色?」
「シャクドウイロ……あかがねってことでしたら、そうっす、奥様」
別段、船乗りがエスト周辺をうろついていても咎められることはない。
先般より海賊被害の報告も多い。海人が陸へ上がって食いつなぎに臨時の仕事を引き受けることもあるだろう。
しかし、問題は彼らがエストへ戻ってきた日である。
「きっと懐が温かくなったんでしょうな。一両まるっと貸し切りにして……」
「おじさん、それっていつごろの話?」
「サーラーンの皆さんが来た日すよ。隊商よりは早く着いた、ってとこすかね」
この証言は重大である。
野盗の襲撃事件を知ったうえでよく駅馬車を出せたな、という一事もそうだが、ラウルは駅馬車を貸切って出発させた団体を知っている。
確か巡礼の一団ということになっていたはずだ、と思い出した。
「その貸し切り馬車の御者さんたちって話せる?」
「ええ、早く王都に戻りたいのに車止め、とかぶつくさ言ってやすけど話はちゃんとできやす。呼んできやしょうか?坊ちゃん」
結局、御者が呼んできたのは厩務員を含めた職員すべてだったのだが、貸し切り馬車の御者二名は明らかに動揺が見て取れた。
いつもご愛読ありがとうございます。
口調で純朴な御者の感じを出そうとしているのですが、うまく伝わっているでしょうか。海外小説の日本語訳で見かけるんですが、教育程度や生活環境なんかも口調で書き分けできるようになるのが目標です。
徃馬翻次郎でした。