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第118話 エスト捜査網 ④


 通常の犯罪捜査においては、聞き込みなどで容疑者を絞り込みつつ犯行現場を確定し、遺留品や物的証拠を収集する。容疑者が自白した場合は動機の解明も重要になる。何者かに指示されていたり唆されていた場合は背後の黒幕や犯罪組織の摘発に繋がるからだ。


 現在、エスト村を騒がしている子供の大量失踪事件では、おそらく誘拐であろう、という容疑事実以外に確かなことが何も言えない。不審人物の目撃情報もなく、身代金要求や犯行声明も届いていないことから、犯人像も不明である。人さらい集団による犯行と思われるが、犯行現場も明らかになっておらず、捜査状況を一言で言い表すなら“混迷”が至当である、と思われた。

 その矢先にクラーフ商会エスト支店の倉庫搬入口付近で被害者が身に着けていたと思われる遺留品が住民の手によって発見される。唯一の物的証拠に興奮した被害者家族はグスマン支店長に説明を求めて詰め寄り、もみ合いに発展した。

 犬神様の一喝とクルトの説得によって住民同士の争いは鎮静化されたが誘拐事件は未解決で有力な手がかりも見当たらない有様だ。

 その捜査にジーゲル一家が乗り出したのはヘリオット家に助力するためだが、今やクラーフの冤罪を晴らす目的も加わった。


 正式の男爵の許可を得たジーゲル一家にリンを加えた臨時捜査班は、芸人一座や露天商を拘置してある大天幕へと向かっている。


「ラウル、口書きは読んだかしら?」


 自然な流れで捜査班長をつとめることになったハンナが尋ねる。口書きとは供述調書のことであり、ラウルが預かっていた紙束である。


「ざっとね。何も知らない、見ていない、聞いていない」

「どう思う?」

「質問の仕方が悪いのかな、と」

「うむ」


 唸って同意したのはクルトである。

 一様に、怪しいものを見なかったか、何か心当たりが無いか、と露天商たちが聞かれている光景が目に浮かんだからである。さらに、厄介ごとに巻き込まれるのを避ける為に、知らぬ存ぜぬを貫いているかもしれないのだ。


「リンちゃんはどう?」


 捜査班長は新入りにも意見を聞く。


「見た限りでは、芸人さんが疑われているみたいで」

「そうね」

「毎年来てくれている方々なのに……悲しいです」

「むむっ」


 またしても唸ったのはクルトだった。

 リンの意見は半分感情論だったが、毎年祭りに参加している、という点は看過できないい事実である。

 エストでの興行が盛況であるのにもかかわらず、芸人や露天商が人身売買に手を貸すだろうか。少し考えればわかる話なのだが、旅芸人が子供をさらって芸を仕込んで見世物にする、といった風説が捜査に影響している可能性は否定できない。

 

「うーん……もう一度、聞いてみましょうか」


 捜査班長は原点から洗い直す判断を下した。

 捜査に先入観は禁物である。口書きを鵜呑みにすることなく供述を取り直す作業は無駄足に見えるかも知れないが、似たような質問でも微妙な違いや質問者の差で答えが変わることもありうるからだ。


 大天幕は衛兵に監視されており、芸人や露天商が順番に詳細な取り調べを受けているところだった。雰囲気はお世辞にも明るいとは言えないのだが、ある種の諦観のような空気も漂っている。何か事件が起これば余所者が疑われることに慣れているのだ。

 監視の衛兵はクルトが示した令状を目にするとしゃっちょこばって敬礼し、天幕内へと捜査班を通した。捜査を担当している衛兵が現状をおおまかに説明したが、有力な情報はまだ得られていないようだった。


「座長さんとお話できるかしら?」


 ハンナは手慣れた様子で尋問を始める。ラウルは筆記用具を取り出したが、リンのほうが字が綺麗で読みやすかろう、と思い、彼女に書記を任せる。

 座長は疲れた表情で呼び出しに応じたが、クルトの示した令状を見た途端、平伏する勢いで態度が改まった。


(何が書いてあるんだろう)


 ラウルは令状の文言が気になったが、今は取り調べに集中しなければならない。なにより、質問の切り口を考える必要があった。

 “質問の仕方が悪い”と批評家のような感想を口にした以上、尋問で何らかの成果を出さねば格好がつかない。


 ラウルは口書きを再度見直す。

 その間にハンナは芸人一座の長を尋問しているのだが、遠いところをようこそ、といったところから始めていた。これは相手の緊張をほぐしてしゃべりやすくする尋問技術のひとつだ。


「座長さん、災難でしたわね」

「お気遣いをどうも。事件が何らかの形で片付かない限り、ここに留め置かれることになるんでしょうが、本当は一刻も早く次の巡業地に向かいたい……露天商の何人かも同じ気持ちです」

「お察ししますわ」

「私どもは余所者ですからお疑いになる気持ちもわかります……けれども人さらいなんて、そんな恐ろしいこと……」


 ハンナが後ろ手を振って呼んでいるのがラウルの目に入った。

 彼の出番である。


(まだ考えがまとまってない……)


 ここで彼は、下手の考え休むに似たり、の精神で開き直った。奇をてらうより聞き取り調査の開始地点に戻ってみることにしたのである。

 新米捜査官としては賞すべき第一歩であった。

 ちなみに、捜査官とは正式な役職呼称ではない。男爵が発行した令状の中では“余の臣下にして友人である巡察使”として“捜査を一任”されている。


「えーと、繰り返しになると思いますが、エスト村へ到着してからのことを順を追ってお話しいただけますか?」

「ええ、お役に立ちますなら……そのようなお尋ねは初めてですよ、実際」

「はぁ」(あれ?)


 ラウルは首をかしげる。

 彼的には至極基本的な質問だと思うのだが、捜査担当の衛兵は焦っていたのかいきなり細部を詰めようとしたとしか思えない。

 振り返るとリンが頷いて書記係の準備完了を伝えてきた。


「では、お願いします」

「あー、そうですな……」


 芸人一座の興行はポレダの港町を皮切りに、北上西進する形でアルメキア各地を巡業する。ポレダでの興行を終えてエストへ到着したのは三日前、休養と大天幕の設営を計算に入れた余裕のある日程だった。

 ちなみに一番人気の出し物は奇術師の舞台なのだが、ラウルは奇術自体をほとんど理解していない。


「キジュツ……」(知らん)

「帽子から鳩出したりするやつでしょ?」

「な、なにそれ」(魔法かな?)


 ラウルは祭り自体を避けていたから奇術師の舞台を見たことが無かった。一方のリンは経験豊富らしく、目くらましの見世物だよ、とラウルに小声で耳打ちする。


「左様です。ウチは絶世の美女と謎の紳士の二人組が大好評でしてな」

「び、美女ッ!」

「おや、見逃されましたかな?来年はぜひご来場を」

「……続きをどうぞ、座長さん」(そんなんだから精神操作にかかるんだよ、スケベ!)

「これは失礼。着いてすぐに男爵様のところへ興行のご挨拶に……」


 挨拶の後、力持ちの亜人座員たちがあっという間に大天幕を設営したので、二日後の開場まで休養に当てるか予行練習をするか、どちらにしても手の空いたところに、エスト村民の訪問があった。

 訪問の用件はエスト収穫祭の新名物である迷路屋への協力要請である。

 日当は出すので力自慢の座員さんに設営を手伝っていただきたい、という丁寧な申し出に座長は迷うことなく快諾し、座員たちも想定外の臨時収入で大いに気分を良くした。


「迷路屋さんって村の出し物だったっけ?」

「うーん、聞いてないな……てっきり芸人さんの新企画だと」

「ご冗談を!その男性は男爵の許可を得ているとおっしゃっていましたし、もしも我々があれほど大量の板切れと杭を背負ってしまったら巡業に差し支えますよ」


 ラウルとリン、それに座長の三人は顔を見合わせて、おやおや、と怪訝な表情になる。話の流れを黙って聞いていたクルトがつぶやいた。


「臭う」


 ようやく捜査のとっかかりを得たのだが、実は、新米捜査官が一発で手がかりを引き当てたことに驚いている。ハンナは直ちに捜査を担当していた衛兵を問いただす。


「ウチでは芸人さんの出し物だと聞いていましたよ。男爵のところにも挨拶があったみたいであります。道化の衣装と化粧でもってチラシを持参して……」


 そこまでしゃべったところで衛兵も異常に気付いた。

 消えたのは子供たちだけではない。正体不明の迷路屋も姿を消していた。村民としての身元確認が取れていないとすれば、有力情報どころではない。


「た、たいへんだッ、すぐに男爵に報告しないと!」

「衛兵さん、落ち着いて。まずは自称村民の人相書き作成ですわ」


 ハンナの提案は的を得ており、泡を食って取り乱していた衛兵もようやく落ち着きを取り戻す。

 謎の男性は身分を偽り、男爵の許可をにおわすことで祭りの出し物を勝手にこしらえたのだから、たとえ興行収入による金銭目的であっても許されることではない。誘拐事件の前後で姿を消しているともなれば、人さらい集団か協力者の疑いも追加して真っ先に追わねばならなかった。


 捜査班とすっかり打ち解けていた座長も人相書き作成に進んで協力している。

 人相書きが完成したら、念のため村民に該当人物がいないか確認する。男爵に報告して行方をくらました迷路屋の足取りを追うのはそれからだ。


 リンは黙々と紙束に新事実を書き込んでいたのだが、ひとつ気になることがある。

 それは、エストに潜入した悪党はこれで全部か、という懸念だ。


「あの、露天商の皆さんってこれで全員ですか?」


 これには捜査担当の衛兵が答える。ここに拘置されている露天商は基本的に外部の人間である。村民が出していた屋台の主は身元を確認し、お決まりの質問をしただけで帰宅を許可していた。

 つまり、少ない感じがしても不思議ではない、ということである。


「リンちゃんは何か気になるのかしら?」


 ハンナが問うが、リンが感じる違和感は漠然としたものだ。


「買い物の時に一通り見ただけですから……何が、って言われると……」

「誰かが足りない、か?」

「はい。思い違いかもしれませんが」

「うむ……その直感はひょっとすると脈ありだな」


 クルトはリンの直感に基づいた確認作業を考案する。

 露天商たちに両隣の店が何だったかを思い出してもらう取り組みである。商店主がここにいる人物なら問題なし。村民が出店した屋台である場合も同様。問題は村民でないのに拘置されていない商店主の場合である。

 この取り組みは図に当たり、ものの数分で疑惑の露天商があぶり出された。


「元気飲料のおやじが居ない!」


 叫んだのは南国風果物売りである。

 ただちに人相書き作業へと回されたが、お近づきの印としてもらった、と言いながら小瓶に入った元気飲料を証拠として提出してきた。


「飲まなかったんですか?」


 ラウルは無邪気に質問する。


「お兄さん、帰宅して嫁さんの機嫌を確かめてからじゃないと、もったいないよ?」

「じゃあ、元気の意味って……」(スケベ飲料かよ……)

「ちょっと、ラウル、そこは掘り下げなくてもいいんだって!」(スケベ!)

「そう言うこった。ガハハ!けっこう売れてたぜ、デュフフ」


 果物売りは豪快かつスケベを多量に含んだ笑いを放ってラウルとリンを赤面させたが、ジーゲル夫妻は表情がさえない。

 やがて、ハンナが絞り出した言葉は大天幕内の全員を慄然りつぜんとさせるものだった。


「リンちゃん、クラーフの薬師さんに分析してもらってくれる?」


 果物売りの笑いは止まり、顔面がひきつる。


「ま、まさか毒!?」

「大量に摂取しなければ……おそらく、問題はないはずですわ」

「ハンナ、何を言ってる?」

「あなた、何か思い出さない?」

「むむッ……もしや……聖水!」


 “聖水”はジーゲル夫妻にとって忘れられない過去の一部であり、薬物汚染を端的に物語る一言であるが、この場の人間に対しては説明不足であろう。

 よって、夫妻はアイアン・ブリッジにおいて薬物汚染問題があったことを簡潔に説明した。同じ薬物かどうかは分析の結果を待つしかないが、それならクラーフ商会エスト支店の店先で起こった小競り合いの説明もつく、と言う。


「確かに、やたら喧嘩になるまでが早かった」

「村の雰囲気がやたらとピリピリしてるのも……」


 衛兵たちは口々に思い当たるところを述べる。

 クルトも同意したが、ひとつ言葉を付け足す。


「逃がし屋だな」

「父さん、逃がし屋って何?」


 ラウルは初めて聞く言葉である。

 一言で言えば、犯罪者が捕縛や追跡を逃れるための補助を行う専門業者、が近いだろうか。野盗が襲撃後に放火や爆発騒ぎを起こして逃走するのに似ているかもしれない。

 今回の場合で言えば、興奮するような薬物をばらまくことで村内に混乱をもたらし、衛兵隊を手一杯にして捜査や追跡を妨害する目的で仕込まれたのが“元気飲料”というわけである。


「リンちゃん、ついでにひとっ飛びして、ヘリオット木材のウィリアムさんに来てもらえないか、言伝をお願いできるかしら?場所はわかる?」

「は、はい。あの、どうしてウィリアムさんなんですか?」

「迷路の調査を手伝ってもらいたいのもあるけど、ほら、大量の木材をどこから仕入れたのかな、とか気にならない?」

「気になります……そっか!犯人の顔を見ているかも!」


 早晩リンと母親の二人に任せておけば事件は解決するのでは、と思うラウルだが、心の底では二重三重の罠を張り巡らせている人さらい集団に恐怖を感じている。

 一石二鳥どころか、エストの治安を一気に悪化させ、住民同士の対立まで煽っている。ハンナの予想が当たっていれば薬物汚染の問題も浮上することになり、それらは領主であるブラウン男爵の失態であり、結果として統治能力を問われかねないのだ。


いつもご愛読ありがとうございます。

やっと刑事ドラマらしくなってまいりましたが、時刻表とか密室とかは出てきません。

徃馬翻次郎でした。

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