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第116話 エスト捜査網 ②


 “村へでかけています”


 ジーゲル家の玄関扉には木札がぶらさがっていて、こう書かれていた。

 泥棒や空き巣の類が木札を見たなら、好機到来とばかりに舌なめずりしながら侵入して物色したおすだろう。

 しかし、そのような現象はまず起こりえない。

 物色中に家の主人が帰ってきたら確実に命を落とす、ということを近辺の悪党たちは知っている。そうでなくとも犬神様のねぐらを荒らそうなどという罰当たりな挑戦者は絶えて久しい。

 それはエスト周辺で悪事を働こうとする者たちを思いとどまらせるのにも十分な抑止力を発揮していた。


 だから、治安に問題が無かったはずのエストで大量誘拐事件が発生したという一報は村民を大いにうろたえさせ、対応に走る治安当局者を慌てさせた。

 魔獣騒ぎのような目に見える脅威とは違って、正体を見せない人さらい集団の存在は別種の恐怖と混乱を村にもたらしている。

 なにかひとつのきっかけで騒擾そうじょうが起きそうな気配が刻々と濃くなっているエスト村にジーゲル一家は向かっている。


「できるだけのんびりした風を装ってね……家族で買い物に来た、みたいな」

「なんで?」

「なんで、だとォ?」


 クルトは呆れたようにラウルをなじる。

 このひりつくような空気のなかでそう言えるのは立派だが、もう少し気配や雰囲気というものに気を配らないと敵味方の区別に困るぞ、と呑気な息子を指導した。なにより、張り切って聞き込みをした挙句、住民を刺激して衛兵の仕事を増やすような真似は是が非でも避けねばならない。

 実際、三人は寸鉄も帯びていない。全くの非武装である。

 ハンナは魔法服の鎧下を着ているが槍も胸当ても装備していない。手がかりを探すことになったら、しゃがんだり這いつくばったりすることになる可能性を考慮に入れただけだ。ラウルは手控えとえんぴつを携行しているが、誰にとっても脅威たりえない。クルトは存在自体が凶器だが、これはどうしようもなかった。


 本当は揉め事に首を突っ込むのは勘弁なのだが、他ならぬヘリオット家の窮地、さらには被害に遭った子供も多数、という状況がジーゲル一家に臨時休業と訓練中止の変化をもたらして、村へ向かっているのだ。


 まずは情報収集だが、騎士でも衛兵でもましてや領主でもないジーゲル家の三人には手段が限定されている。さしあたっては衛兵隊長のヴィルヘルムをつかまえて捜索状況を確認させてもらうしかないが、捜査中です、の一言で門前払いをくらう可能性も十分あった。

 ところが、事態は予想外の展開を見せる。


「ジーゲルさん、貴方を見込んでぜひお願いしたいことが……」


 声を掛けてきたのはエスト村南口を守る衛兵の一人で、ずいぶんと思い詰めた様子だ。

 衛兵の頼みごと自体珍しいことである。むしろ、見逃してくれだの大目に見てくれだの、願い事をされることのほうが多かろう。


「なんだ?」

「隊長の様子を見てきて欲しいんです」

「あら、具合でもお悪いのかしら?」

「……」(働きすぎだよ)


 ジーゲル夫妻は問いかけたが、ラウルには聞かなくとも話の結尾が見えるような気がした。前々から、隊長は何でもかんでも背負い込み過ぎだ、と心配していたのである。

 はたして、衛兵の言う隊長の様子見は建前であり、その実応援要請に近かった。


「元冒険者のお二人ならきっと隊長の力に……」


 どうか隊長を助けてください、と頭を下げる衛兵に、見ていた他の衛兵たちも続く。クルトは衛兵たちに頭を上げさせ、衛兵詰所に行くことを約束した。

 

 しかし、事態は深刻である。

 衛兵にも面子というものがある。好き好んで村民や部外者を巻き込んだりあてにする事はしない。その衛兵たちが助力を請うということは、ヴィルヘルムがかなり追い詰められている、ということである。彼の性格を考えれば、外敵の侵入を許したことで己を責めていても不思議ではない。 



 村に入ると、鈍感なラウルにもクルトの言わんとしていたことが感じて取れた。

 エスト村にあふれていた長閑のどかな空気を押しやるようにして刺々しい不穏な空気が充満している。

 まず、子供の声がしない。

 学校へ登校させず、親が家に閉じ込めて自衛手段をとっているからだ。

 村の内外では行方知れずの子を持つ何組かの親が半狂乱で子供を探しては巡回の衛兵に制止されていたが、鋭意捜索中でありますからご自宅でお待ちください、と言われて、はいそうですか、で引き下がることができないのが親心である。したがって、この種の混乱は徐々に勢いを増しつつある。

 そうなっては商店も通常通りの営業をするのが難しくなった。

 暴動こそ起きてはいないが、打ちこわしのような事態に発展した時に一番割を食うのがクラーフのような商店である。彼らは店を閉めて急ぎの客以外を通さないようにした。


 なんと、領主が命じたわけでもないのに、戒厳令下に近い状態が自然発生してしまっている。ここに外出禁止令を出さねばならない状況が加われば、ブラウン男爵は騎士団駐屯地から応援を呼ぶ決断を迫られることになるだろう。

 ラウルは感じ取った雰囲気をどう表現するか迷った。あえて言うなら、魔獣騒ぎの時に感じた殺伐とした空気とは別種の強烈な不快感であった。


「と、父さん……」(やばいよやばいよ)

「わかったか」

「平常心よ、ラウル。ゆっくり歩いてね」


 ハンナの指導は適切であった。

 一刻も早く衛兵詰所に駆け付けたいが、急いでいる様子を村民に見られたら、すわ新しい犠牲者の知らせか、それとも目撃情報が入ったか、と無用の心配をさせてしまう。


「母さんは落ち着いてるよね」

「そう見える?頑張って平静に見せてるのよ」


 たとえ犬神様でも怖いものは怖い。

 ハンナもまた、エスト村の険悪な雰囲気に恐怖していた。その雰囲気を醸成しているのは恐怖や怒りで目が曇った人間である。そして、彼らは追い詰められたらどんな非道なことでもやってのける。彼女はそのような人の業を恐れている、と言った方が正確だろう。 

   

 さて、衛兵詰所は訓練場になっている中庭の荷物を片付けて天幕を張り、臨時の誘拐事件対策本部として作り替えられていた。

 本部長はブラウン男爵自らの出馬だ。家宰や使用人まで引き連れて参加し、簡単な食事を取れるようにしたり、雑事を引き受けて衛兵が任務に専念できるよう心を砕いていた。

 

 クルトは詰所の扉を警備している衛兵に、隊長と話せるか、と問いかける。衛兵は、お待ちを、と短く答えて中に引き込んでいった。つまり、今日に限っては衛兵詰所は民間人の立ち入りはお断りになっている、ということである。

 待つ間、詰所内の声が漏れ聞こえてきたが、どうやらヴィルヘルムがブラウン男爵の叱咤を受けていると思われた。


「隊長、怒られてるのかな?」

「あの人のことだから、ワタクシの責任であります、とかじゃないかしら?」

「ありえるな」


 ラウルの問いにハンナは一部声真似を混ぜて答えたが今日ばかりは笑えない。クルトに至っては本気で心配している。


「隊長のせいじゃないのに……」

「そうね。誰かが責任を取らなきゃならないでしょうけど、隊長さんひとりじゃないことは確かね」

「うむ」

 

 ジーゲル家の結論はそれでよかったが、衛兵たちはそうはいかない。

 例年通りなら、祭りの後は警備の成功と村民の無事を祝って打ち上げと決まっている。領主からの差し入れがあり、非番になったら一杯飲めるはずだったのだ。

 ところが、現実はどうか。

 夜を徹して這いずりまわるような捜索活動を強いられているところに、被害者家族に詰められて説明を求められる。文句を言いたくなる相手の気持ちもわかるから、声を荒げて追い返すわけにもいかない。

 たった一日のことだが、衛兵隊は精神と肉体の両面で疲労しきっていた。


 もちろんヴィルヘルムも例外ではない。

 対策本部に通されたジーゲル一家が見た衛兵隊長は責任の重圧と疲労で一回り小さく見えた。はげましの声を掛けているのはブラウン男爵だ。


「いいか、ヴィリー、お前が頼りなんだぞ」

「は、閣下……しかし……私は……」


 先ほど来漏れ聞こえてきたやり取りはハンナの予想が正しかったようだ。

 ヴィルヘルムは戦意喪失気味に唇を噛みしめていて、しかも顔色が悪い。しかしながら、事態は急を要する。酷なようだが彼に立ち直ってもらわなければならない。


「そうだぞ」


 男爵の声に言葉をかぶせたのはクルトである。


「今、この瞬間に野盗の襲撃があったらどうする。集団戦闘や拠点防御を指揮できる者なんぞそうそういやせん」


 ヴィルヘルムは驚きの表情でジーゲル一家を迎えた。どうしてここへ、と尋ねる声に元気がない。


「ヘリオットの坊主もやられた。友の窮地は放っておけん。助太刀する」

「め、面目ない。村の外とはいえ……」


 ヴィルヘルムの舌がもつれるのをラウルは初めて見た。

 そして、クルトの台詞もいやに長い。論理的な説得や励ましが有効な相手には彼も言葉を尽くすのだ。


「まだ事件は終わっていない。エストで子供に手を出したらどうなるか思い知らせてやる。隊長さんの反省会はそのあとだ」

「わ、わかりました」


 一方、ハンナは男爵と交渉中だ。


「男爵様、捜査に参加する許可を」

「無論だ。恩に着る」

「押しかけ助っ人とでもお思い下さいまし」


 珍しい押し売りだな、と男爵から小さな笑いが漏れて天幕内の空気を僅かに明るくした。

 ようやく戦う気力を取り戻したヴィルヘルムにクルトが要請したのは休息、具体的に言えば短時間の仮眠である。


「は、えー、仮眠ですか?」

「そうだ。こう言っちゃなんだがヒドイ顔だぜ。隊長だけじゃない、衛兵たちも交代でちゃんと休ませろ。寝不足の頭からは何も生まれん」


 しぶるヴィルヘルムをクルトは説き伏せる。オレに言うことを聞かせる時とずいぶん違う、とラウルは思う。思い出すまでもなく、親から子への指導はもっぱら短い命令もしくは拳骨だったのだ。

 一方のハンナは男爵と談合して捜査方針を決める材料を探している。 


「男爵様、状況を教えていただけますかしら?」

「うむ。村の出入り口は監視を強化、封鎖こそしていないが始終見張っている。被害集計は完了しているし、王都へ向けて騎士団の応援と傭兵の派遣を要請したところだ。追跡術は傭兵のほうが長けているからな。一応、亜人の衛兵に命じて周辺を捜索させたが成果は芳しくない。あと、そうだな、身代金の要求とか犯人からの接触は一切ない。それから、露天商や芸人たちは事情聴取の最中で、これは大天幕を徴収……提供してもらっている」


 クルトはヴィルヘルムを簡易寝台に押し込み、ブラウン男爵はハンナの問いに淀みなく答えた。“徴収”を“提供”に言い換えたのは、居丈高な言い方を自ら恥じた為らしい。

 衛兵隊まかせにしない男爵の陣頭指揮は的確であり、報告と応援要請を素早く終えている点も含めてこれ以上は望めないものだったが、いかんせん時間が無い。


 その間、ラウルは何をしていたかというと、壁に貼り付けられた村内地図をぼんやりと見ていた。これはブラウン男爵の家宰が作成したもので、被害者の住まいがある地点に待ち針を突き刺すことで被害状況を視覚的に把握するものである。例えば、不審人物等の聞き込みをする際に待ち針の周辺は重点捜査区域になる、といった具合だ。

 ちなみにヘリオット家は村の柵外なので、地図の隅ぎりぎりに刺さっている形で仮表示されていた。


 ハリー少年の安否も気がかりだが、ラウルは針が刺さっている場所の分布が気になって仕方がない。


(最後に目撃された場所でもないのに……)


 針が指し示すものは被害者の住所であり犯行現場ではないのだが、ヘリオット家をのぞいて何となく分布がまとまっている気がする。これが何を意味するのか、ラウルは判じかねているのだ。

 

ハンナは男爵に一筆書いてもらって捜査令状の代わりにするつもりらしく、何やら交渉している最中なので、ラウルは針の分布についてクルトに質問してみることにした。


「父さん、これ一か所に集中してない?」

「……そうか?」


 針の一本一本に集中して地図に顔を近づけすぎてはラウルの問いが意図するところから遠ざかってしまう。少し距離を置いて地図を見るようにクルトを促す。


「もうちょっと離れて見てよ」

「うむ……ああ、これは……下町だ」


 エストでは貴族の別邸は見晴らしのいい丘の上、日当たりと水はけのいい土地は富裕層の住宅地が多い。庶民が柵の中に住もうと思えば、それ以外の場所を探す必要があった。

 王都の貧民街ほどではないが、お世辞にも美しいとは言えない平屋が立ち並ぶ一角をクルトは“下町”と呼称したのだ。

 

 その下町に被害者が集中していた、という事実が何を意味するのか皆目わからないでいるラウルの耳に屋外から押し問答のような声が飛び込んできた。

 どちらかと言えば罵声に近い。


いつもご愛読ありがとうございます。

特定の派閥に属する貴族の荘園を襲って敵対勢力の内部分裂を図ったのはハンニバルでしたっけ?金持ちの子供を意図的に見逃すことで暴動をねらった犯人の感覚が伝わっていれば幸いです。

徃馬翻次郎でした。

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