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第8話 エスト村へ ②


 ようやく、村内の負傷者対応が一段落した。

 無事な者、回復した者は老いも若きも総出で生産手段や住居を回復・修理する。商店主のなかには損害を調べて書き付けている者もいる。


(どうやら一応の終息はしたようだが)


 ハンナは村の様子を遠望からだが一見して思わずほっとした。慌てて飛び出してきたものの想像していたより被害がずっと少ない。手伝うこともなくなったので帰ろうかとも思った矢先、事件の発端となったらしい採掘現場で怒鳴るような言い合いが起こった。

 ジーゲル一家は遠巻きにして事態を見守る。村内に侵入した魔獣は鎮圧したようだが、不穏な空気は問題が全て解決したわけではないことを示しているからである。

 リンは着陸して変化を解除し、隣に来ていた。ラウルの袖を引っ張って説明を求める。


「ね、ね、ラウル?」

「ちょっと待って」

「うん」

「魔獣騒ぎだと思う」(クモって大きさかよこれ……)

「これで終わりだといいけど」

「そ、そうだな」(怖いことをいわないでくれよ)


 ラウルたちの前に並んで同じく事態を見守っていた人たちのうち、何人かが親切にも状況を教えてやろうと振り向いたとたん、声をあげて腰を抜かした。


「ぎゃあっ」

「ひっ」


 最近エスト村に移住してきたハンナの銀狼形態を知らない人たちがびっくりしただけなのだが、貴種が放つ気配と狼系亜人の変化平均をはるかに超えた大きさの体躯に圧倒されてパニックを起こし、ほかの人にも伝染しかけている。

 ところが、発生しかけた狂乱の連鎖をいくつかのささやきが封じ、鎮めた。


「い、犬神様じゃ」

「おお、あれが」

「きっと様子を見にいらしたに違いない」

「ありがたや、ありがたや」


 ささやき始めは、どこの村にもひとりはいる物知りオババみたいな亜人の老婆だった。とうとう老婆は伏し拝みだしたが、教会や聖騎士の連中に見つかるとややこしいので勘弁してもらう。ラウルは老婆を立たせて膝の砂を払ってやりながら、お声を小さく、と口に指をあてる仕草でお願いするのを忘れなかった。 

 クルトは槍の石突を地面に突き刺して待ちの姿勢に入ったが、成り行きが気に入らないらしくいつにもまして機嫌が悪い。犬神様信者の中に見目麗しい美女がいないか物色していたラウルと違って、きちんと聞き耳を立てて情報収集していたのだ。


「奴ら、わざと崩落事故を起こしやがった」

「ほう」

(犬神様が興味をお持ちです)


 思わず漏れたラウルの心の声だが、当のハンナは興味だけではなく、すでにきな臭いものを嗅ぎとっている。

 クルトによれば、掘削工事中に蜘蛛型魔獣の巣を掘り当てたことが事件のおこりらしい。ものすごい数に押し切られて、従業員だけで対応できなくなった結果、魔獣が村にあふれ、衛兵隊が出動する騒ぎとなる。教会は怪我人の治療にあたる一方、聖騎士に命じて坑道入り口を土魔法と爆発系の火魔法で崩落を起こし、封鎖した。

 それはいい。ならどうして責任者と思しき立派な身なりの人に鉱山作業員の連中が詰め寄って、聖騎士や衛兵たちが間に入って止める図式ができているのだ。

 おまけにラウルは見習いと思われる聖騎士団員に見覚えがあった。身なりは随分と立派になっているが、いじめっ子の一人に間違いない。大きくなっても人を小ばかにしたニヤニヤ笑いは治っていないようだ。

 双方の事情を聞くまでもなく、ラウルは作業員たちに肩入れしたくなってきた。できることなら犬神様をけしかけてやりたいとまで思っている。

 騒ぎを聞きつけたエストの領主ブラウン男爵も屋敷から出てきて衛兵隊長らしき人物と相談していたが、作業員たちはますます熱くなっていた。


「だから、まだ取り残された仲間がいると言ってるんだ!」

「はやくしねぇと蜘蛛のエサだ」

「ちょっと見るだけでもいい。穴を掘らせてくれ!」

「お願いだ。頼む。この通りだ!」


 これは生き埋めだ。

 救助を懇願している作業員たちは、魔獣を相当数倒してなお生き残った強者たちである。負傷して手当も終わってないが、仲間の救出作戦を主張し、けっこうな剣幕で聖騎士を押しのけ、もみ合いながらも、鉱山の権利を持っているのであろう恰幅のいい男性に頭を何度も下げていた。


 採掘作業は過酷な肉体労働ゆえ、力持ちの亜人、特に岩ネズミ亜人が請け負うことが多い。岩ネズミ亜人は変化して大土竜となり、坑道掘削の主力として大いに力を発揮する。たかが作業員と馬鹿にするなかれ、坑道を強化する土魔法、漏水や湧水を凍結止水する水魔法等の魔法に習熟しているほか、つるはしやシャベルを用いた独自の近接格闘術すら身につけている。

 そして、なによりも仲間を大事にする。いつ自分が生き埋めになって助けを呼ぶことになるか分からないからである。


「ダメだ!ダメだ!」

「どうして!」

「もう一度村を蜘蛛だらけにする気か?もう弁償だけで大赤字だ」

「だからって見殺しはあんまりだろう」

「見舞金は出す」

「もういい!どいてくれっ!」


 我慢の限界に来た作業員たちが塞がれた坑道入口へ押し要せようとしたその時、司教たち教会関係者が間に割って入り、まずは手当をさせてください、と申し出た。もっともなことでもあるし、作業員たちは提案を受け入れてその場に座り込む。

 張りつめていた空気が緩和され、とりあえず衝突が回避されたことに詰め掛けていた人々は安堵する。どうにかしてなだめようとしていたブラウン男爵や、場合によっては力づくで暴動を鎮圧することになる衛兵たちも同じだ。ところが、気を抜かずに見張っていたクルトは鉱山主が司教に目くばせを送った瞬間を見逃さなかった。


(なにかやる気だな)


 やがて回復魔法が発動し、作業員たちを優しい光が包む。確かに治療は行われたが、不思議なことに、先ほどまでいきり立っていた作業員たちが随分大人しくなってしまった。


(やりやがったな)


 クルトは口には出さずに心の中で罵ったのだが、ハンナも気づいたようで銀色の美しい毛並みが逆立っている。

 この頃には、他の採掘現場からも作業員仲間が駆けつけていていた。彼らも仲間の異変に気付き、口々に詰め寄ろうとする。


「待て待て、鎮静魔法までかけたのかよ」

「なんのつもりだ!」

「黙らしちまおうって魂胆か」

「この野郎!」


 もうこうなっては騒ぎは収まらない。止せばいいのに司教は事態の収拾を図るべく、説教を一席ぶつことにしたようで、裏返りかけの声で懸命に叫ぶ。


「みなさん、いいですか、今日起こったことはまぎれもない悲劇です。これ以上の流血はみなさんだけでなく、神もお喜びになられないでしょう。入口を封鎖したのはこれ以上の犠牲を出さないためなのです。村を救うために犠牲になった仲間の冥福を祈りましょう」


 司教が発した感動的なことこの上ない説教は、作業員たちの怒りをこれ以上はないというくらいに掻き立て、群衆がそれに乗っかる形で騒ぎを倍増させる効果を生み出すこととなった。もはや暴動は一歩手前、聖騎士団員は剣を抜いて構え、ブラウン男爵は頭を抱えながらも衛兵隊に制圧命令を下そうとした。

 その瞬間、


「まことかッ!」


 きわめて短くしかし他の一切を圧する声で事態を収拾したのはハンナだった。リンは声に含まれる凄まじい威圧に驚いて身を固くしただけだが、クルトとラウルは、ハンナの声に激怒を感じ取って内心戦慄していた。


(犬神様がお怒りです)


 またもやラウルの心の声だが、うっかり声に出すとオババたちが騒ぎ出しかねない。


「しもべを見捨てよと、神が確かにのたもうたのか司教殿よ」


 いい加減な返答は許さぬという威厳に満ちた声は、ジーゲル家ではそれこそ神の声そのものだが、司教に対しても大いに威力を発揮したと見え、震えているうえに顔面蒼白だ。 

 暴動寸前だった民衆も振り上げた拳を下ろし、なりゆき如何と見守っているが肝心の市況は何も答えることができない。


「たいへん失礼だが生死はすべて神の思し召し、の言い間違いではないかな、司教殿?」


 抑制の利いた幾分穏やかな声でハンナが助け舟を出してやると、司教は首を激しく上下に振って発言を訂正した。


「では同朋を助けるべく集った我らも神の徒に違いない……神を讃えよ!」


 歓声があがり、採掘作業員たちが役割分担して救出作業を開始する。ラウルは聞きながら、母にはこのような才能もあるのかと感心していた。論理の飛躍も甚だしいが、暴徒の熱狂を救助作戦へと巧みに誘導している。悪目立ちして聖騎士に目を付けられるのは勘弁だが、最後に神と教会に花を持たせていた。


 ブラウン男爵も腹をくくったらしく、鉱山主や応援の冒険者連中と交渉を始めている。捜索なり討伐依頼なり、相当の出費は痛いが、魔獣の巣を放置してはエスト村の将来は暗く、自分の将来はなお暗い。子爵やエスト辺境伯に栄達する前に、自領の管理不行き届きで出世街道が永遠に封鎖される。

 脂ぎった出世欲の権化が多数を占める貴族連中と比べたら、ブラウン男爵はかなりあっさりした上昇志向の持ち主だ。欲の皮が薄い男爵から見ると、強欲な鉱山主が企んでいたらしいもみ消し策は一時しのぎの悪手としか思えない。自己保身に走るのは仕方ないが、始末ぐらいは自腹を切ってでもつけたらどうだと思っている。騒動の原因である魔獣よりむしろ鉱山主の方に腹を立てていた。

 その鉱山主は、なんとか自分が責任をとらずに済む方法はないものかと、ずるい目であちこち見回していたが、そうそううまい手が見つかるはずもない。隙を見て抜き足差し足で逃げ出そうとしていたところを衛兵隊につかまって連行されてきた。男爵の前まで引き立てられている間に、群衆に幾度か小突かれているが自業自得だ。男爵は口をきくのもいやだったが鉱山主から事情を聴くことにした。


 冒険者連中は強制的に鎮静化された作業員たちを治癒師の魔法や気付け薬で覚醒させ、要救助者や坑道の様子を聞き出そうとしている。こういう場面に慣れているのか、万事手際が良い。


 ハンナは獣化を解除してクルトから槍を受け取り、外套をまとう。そこへブラウン男爵が近寄り、気さくに言葉をかけてくるが、なにしろ相手は貴族様だ。ジーゲル一家とリンは深々とお辞儀をした。


「いやあ、先ほどは助かった」

「いえ、我々は何も……男爵様」

「救出を無理強いしてたいへんご迷惑を」

「みんなが呼んでおる“村長”でかまわんよ、ジーゲル殿」


 言いかけたハンナをブラウン男爵は手を振って制した。そして、鉱山主の妙な思惑には途中で気づいたが、教会の連中に逆らうわけにもいかず困っていたことを正直に告げた。暴動発生ともなれば、鎮圧するための命令を衛兵隊に出さねばならず、そのほうが辛かったことを簡潔に付け加えて、このような事故は村を拡張する以上遅かれ早かれだったのだ、どうか気にせんでくれ、と締めくくった。

(なんか良いひとそうだな)

 ラウルは頭を下げながら思ったが、ブラウン男爵のような庶民派は異例中の異例である。

この後ラウルはいろいろな国で王侯貴族と付き合うことになるが、男爵のような出来た人間は数えるほどしかいなかったと思い出すことになる。


「そう言っていただけると……」

「あなた、私たちも何かお力に」

「実はその件で相談があるのだ」


 これに先立ち、ブラウン男爵は鉱山主に権利放棄をさせた。鉱山の所有権及び管理をブラウン家に移すかわり、この後の捜索や魔獣討伐に関する費用はエストの領主たるブラウン男爵が持つという取引だ。

 男爵が鉱山を欲しがったわけではなく、この時点以降の責任を明確にするためだ。救助作戦の途中で、そんなことをしてもらっては困る、何々を壊すのは認めないなどと言うふざけた横やりを入れさせないためでもある。

 すると意外なことに、二つ返事で鉱山主の了承が得られた。想定外の素直な対応をいぶかる男爵に元鉱山主は理由を説明した。    

 曰く、魔獣の巣を掘り当てる以前に、この採掘現場ではすでにエスト魔砂土の産出が枯渇傾向だったらしいのだ。


 魔道具の発達・改良により、特定の鉱物資源を探知することは今や容易であり、さらに、大きな魔力の持ち主は探知範囲も大きくなる。この組み合わせは、効率的な採掘を可能にする一方で、今回のような事件の原因ともなる。つまり、採掘の成果に目を取られて安全配慮がおろそかになるのだ。

 むろん、鉱山主や現場監督の性格や方針によるものが大きいのは言うまでもないが、近年の魔力偏重・効率重視の傾向は、こんなところにも影響を及ぼしている。欲に目が眩んだ結果、こうして魔物の巣を掘り当ててしまう例はよくある話だから、男爵は元鉱山主の言い分を信じて解放した。 


 しかし、枯渇寸前の鉱山に作業員を生き埋めにするという構図は、魔獣事故を抜きにすれば全く別の意味合いを持ってくる。


(今はやりの人員整理ってやつかな)


 クルトは口にこそ出さなかったが、閉じ込められた作業員のことを想像して思わずひとつ胴震いをした。ハンナは気付いたかどうか、救出作戦終了までひとまず黙っておこうと心に決めた。もちろん、元鉱山主の命を守るためだ。

 ブラウン男爵の相談は救出部隊への参加要請だった。衛兵隊と冒険者連中で混成部隊を編成中だが、自分の面倒を見ることができる元冒険者夫妻にはぜひとも飛び入りをお願いしたいとのことだ。

 クルトとハンナは喜んで参加の意思を表明し、ラウルとリンにそれぞれ指示を出す。


「仕事だ、ラウル」

「はい、親方」

「リンちゃん、ちょっといい?」

「はい」


 ハンナは何事かをリンに頼んだらしい。お使いを承ったリンは半ば滑空気味に駆け出しているが、変化はしなかったので行先が近辺であることがわかる。

 ラウルは性懲りもなくリンのワンピースの裾がはためく様子を愛でていたのだが、まさかこれが見納めになるわけでもあるまいと鑑賞を中止し、クルトに付き従って坑道手前に設けられた仮設指揮所へ向かった。

 クルトが仕事と言えば、その瞬間からラウルの父親は親方になる。弟子は指示通り動いてくれないと困る、という意味では鍛冶も探索も同じだ。


 集まっていた群衆は解散し、それぞれ家路についたり村の復旧作業を再開したり忙しく働き出す。司教や聖騎士たちはいそいそと教会や宿舎に帰り、元鉱山主もとぼとぼと屋敷へ戻る。もっとも、彼は被害弁済のために金策に走る必要があるだろうが、同情している余裕はない。


 坑道入口の崩落現場では、すでに大土竜に変化した岩ネズミ亜人を主力として撤去作業が開始されている。指揮所らしきテントにいた衛兵隊長と思しき美丈夫は、簡単な作戦会議を開催すべく冒険者らしき亜人女性を呼び、ジーゲル一家をテントに招じ入れた。

 秋の太陽はようやく傾きだしていたが、ラウルの長い一日はまだ始まったばかりだった。


 いつもご愛読ありがとうございます。

 私の場合、オババは風の谷世界の老婆で脳内再生しております。テルマエのコンセサマ回でもいましたね、オババ。亜人界隈では聖タイモール教会は好かれていない、ということです。

 往馬翻次郎でした。



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