第112話 許す者と秋の休日 ③
遠景に収穫祭のエスト村を望む若者が三人、ラウル、リン、コリンは心地よい秋の風に吹かれながらコリンの壮絶な過去を共有しつつある。
彼だけではない。エルザもまた凄絶な人生を送っている。
もっとも、彼女が襲われることがなければコリンとの出会いも無かったわけだから、人生の交わりは複雑怪奇と言う他ない。
「コリン君がここにいるってことは大司教の野郎から逃げ切れたんだよね」
リンは珍しく男性に蔑称をつけてさげすんだ。家では両親にたしなめられるであろう言葉遣いである。
「おかげさまで命も拾いましたし、自由の身です」
「それなら女の子の振りは必要なかったんじゃないの?」
もちろん所在をつかませないための用心なのですが、と言いかけてコリンは口ごもった。
実は、騒動の後にエルザが調べたところによると、フルブライト家ではコリンの存在が抹消されていたのだそうだ。金の卵を産まなくなったコリンに用はないと切り捨てる親の感覚には驚きだが、本当のところは出戻りを受け入れて教会からにらまれることを避けた、といういかにも貴族らしい判断だったと思われた。
コリンがエストでクラーフに就職した時に名前も性別も偽ったのは、文字通り生まれ変わるためでもあるが、コリン=フルブライトの存在などこちらから捨ててくれるわ、という一種の面当てでもあったのだ。
しかし、そう簡単に親子の縁を切れるものかね、とラウルは半ば信じかねる思いでコリンの話を聞いているが、これは彼が貴族の習性について理解が浅いからであろう。
貴族は貴族以外の生き方ができない。
したがって、彼らが最も恐れるのは家門の断絶と領地の没収である。逆に言えば家門と領地の為なら何でもする、と言い換えることができるだろう。
フルブライト家にとって不良債権でしかなくなったコリンに帰る場所がなくなったのは、貴族の常識からすれば当然とも言えた。
それが人間のすることか、とリンがどれだけ憤ろうとも貴族や教会のやり様は変わらない。稀に自浄作用を働かせようとする改革派と称する変わり種が生まれても、圧力をかけられてあっという間につぶされてしまう。
なんともやりきれない、世知辛い時代であり世界だった。
「えーと、どこまで話しましたっけ?」
「エルザさんとの脱出作戦だろ?」
「そうでした」
「無理しないで、コリン君」
「リン姉、心配はご無用です」
身の周りに得体の知れない人間がいるのは気味悪いでしょうし、お二人には全部話しておきたいのです。なにしろ、エストで、いや人生で初めての友達ですから、と言ってコリンは話を続ける。
◇
《再び二年前》
王都の大聖堂は蜂の巣を突いたような大騒ぎになっている。
金の成る木もとい大聖堂最高の癒し手が姿を消したのだから無理もない。フォイヒトヴァンガー大司教は特別聖務を中断し、コリン捜索の指揮を取らねばならなかった。大司教にとっては優れた集金装置というだけではなく、お気に入りの特別聖務要員でもあるのだ。
「猊下、お客様です」
「なんだ、この忙しい時に!叩きだせ!」
聖堂を訪ねる者に対して、およそ聖職者にあるまじき暴言だが、それに気がいかぬほど彼は逆上していた。
「エルザ=プーマといわれるかたですが」
「うん?ああ……気前のいい探検家の亜人か……通せ、会ってやる」
大司教はたくさん金をくれる人は一度で顔をおぼえ、どんな時でも多少の融通を利かせる二重基準であった。貧乏人に対しては言わずもがなである。
「お目通りありがとうございます」
「これはこれはプーマ殿、冒険からお帰りですかな?何やら御用と伺いましたが、今日は少し立て込んでおりましてな……」
「そうでしょうとも」
「は?」
「目下、さる高貴なお方がコリン=フルブライトを保護されております」
「な、なんだと!?」
あまりの驚きに大司教の上品な化けの皮が一瞬ではがれた。エルザにつかみ掛からんばかりの勢いだが、彼女はひらりとかわして冷徹に告げた。
「その高貴なお方はコリンに何があったか、猊下の趣味も含めてご存知です」
高貴なお方も何も、コリンの味方はエルザ一人なのだが、彼女は一世一代の演技で背後に強大な支援があることを思わせぶりに匂わせた。
「何のことだかわからんな。思い違いではないかね?その高貴なお方が誰であろうと、教会としてはコリンの即時引き渡しを求める以外にない」
大司教も譲らない。
何とでも言え、我が権力でもみ消してくれよう、という自信は失われていなかった。
「コリンが求めているのは自由、ただそれだけです」
「認められんな。聖務を放り出して好き放題に聖堂を騒がせた責めを如何にするか、私の頭の中にあるのはそれだけだ」
「そうですか」
「そうだ、早いところ高貴なお方とやらにコリンを解放しろと伝えろ」
勝ち誇った大司教の残忍な笑みにはエルザも寒気がした。やはり、こんな人間の屑にコリンを近づけてはいけない。
「では、仕方ないですね」
「さっさと行け、亜人め」
大司教は言わなくてもいい一言を気晴らしに追加した。これで問題は解決だ、と勝手に喜んでいたせいでもある。
しかし、エルザの口撃が猛然と開始された。
「要求が受け入れられない場合、コリンは猊下との爛れた情事を歌にして、高貴なお方の御前で披露するそうです」
「な、なにい!?」
「彼の歌は万人が足を止め、聴き入ることでしょう」
「脅す気か、貴様、亜人の分際で!」
大司教はかなり血圧が上がってしまっている。
見苦しく罵る言葉もとぎれとぎれであった。何よりも歌というのが効いた。書物や印刷物はいくらでも没収して燃やせるが、歌は回収も焼却もできない。下手をすれば聞いた人の心に一生残ることになる。
「脅すもなにも、彼は実行するだけだ、と思いますよ」
なにしろ人生がかかっていますから、と言いながらエルザは大司教を見ていたが、一瞬彼の目線が大司教執務室の出口付近に動いたことに気付く。
そこには護衛と取次役を兼ねた聖騎士がいたはずだ、と彼女は危ういところで殺される危険を回避することに成功する。
「私はただの伝言役ですが、害をなしたり殺そうとなさった場合も歌は王都に響きわたることになる、とお含みおきください」
エルザの背後で武器を持ち直したと思われる金属がこすれるような音が鳴る。エルザはゆっくり振り向くと、まさに聖騎士が納剣する最中だった。彼女は余裕を見せるために、彼に微笑を投げかけたが、実のところは新品の前歯が音を立てそうになるほどの恐怖をかろうじてこらえていたのだ。
ややあって大司教は軽く片手をあげてエルザ殺害命令を撤回した。
「狡猾な亜人め、さぞかし気分がいいことだろうな!」
どうやら私は死なずに済んだらしい、と彼女は安堵したが、次はコリンの安全を確保しなければならない。
「猊下の神聖かつ無限の御寛恕に甘えまして、ひとつお願いがございます」
「……」(調子に乗りおって!強欲な獣は度し難いな!)
普段の説法で神の愛は無限である、と公言している以上、大司教自らが断るわけにはいかないので、彼はエルザを親の仇のようににらみつけたまま黙っている。
「彼に巡回治癒師の辞令をいただけませんでしょうか」
「なに?」
巡回治癒師とは各地の聖堂を行き来しながら、信者の治療に当たることができる教会の資格を指すのだが、エルザはこれをもって王都の正門を出るつもりだ。本来ならば、コリンほどの治癒師ならば城門どころか街中でも勝手に出歩くことは難しいのだ。
「今後も民草を助けるために働くのであれば、猊下におかれましても、コリンが大聖堂から姿を消したことについてもっともな大義名分になると思われますが」
「よかろう……すぐに用意する」
エルザはその場で気絶しそうなほど脱力したが、まだ作戦には最後の仕上げが残っている。辞令を受け取った彼女は巻紙を押戴いて執務室を後にしたが、やはりというか尾行が付いた。おそらく護衛兼取次役が武装を脱いで一般人に化けたと思われるが、エルザは振り返りもせずに進んで王宮門前に到着する。
尾行者は合流してしかと抱き合うエルザとコリンを確かに目撃した。
◇
リンは思わず嘆息する。
「エルザさん、頑張ったなあ」(私には無理だ……)
「本当は、告解の内容を他人に話してはいけないんですけどね。ボクが自分のことを話す時に漏らしてしまうのは構わない、と手紙に許可がありました」
「手紙……あー、あれか!」
ラウルが納品の旅で王都を発つ直前、エルザからクラーフ商会あてに預かった荷物のことだ。
「ラウルさんに対しては、何かの説明になる、らしいですよ?」
「え、オレ?」
エルザがラウルに対して説明せねばならぬ事とは何であろうか。
告解の内容は逆恨みで強姦されそうになったこと、臥竜亭で語った告解の続きは犯人に対する気持ちの整理だから、ラウルとは全く関係が無い。
そして、前歯治療後にエルザが口にした言葉は“男は当分勘弁だよ”だった、と考えてラウルはようやく思い当たる。
「オレがフラれた理由……」
「えーと、弱いから、って言ってなかったっけ?」
リンは無意識にラウルの心をえぐるが、それ以上に彼の心に芽生えたのはエルザに対する尊敬と感謝の念だった。強姦未遂、歯を二本折られる重傷、コリンの手助けで復讐の念から解き放たれはしたが、それでも男性との同衾に思うところがなかったはずがない。
ラウルを傷つけないようにスケベをかわし、師匠としての役目を放棄しない彼女はまさに彼にとって人生の導師であった。
彼が気になるのは、頻繁に王都に出入りしている彼女は安全なのか、という一事である。
「本格的に安全になったのはヘーガーさんが大聖堂に殴りこんでからです」
「ヘッ?」(なんでアイツがここで……)
「ど、どういう関係なの?」
コリン曰く、大司教はコリンをあきらめはしたが、監視の目を全く緩めるつもりがなかったので、聖タイモール教会の影響下ではどこへ行くにしても窮屈な思いをしていた。
これにしびれを切らしたエルザはかねてより革鎧と強化鞭で世話になっていたヘーガーに相談する。と言うのも、彼女は大司教がヘーガーの店王都支店の常連であることを知っていたからなのだが、ヘーガーは自社製品がコリンへの暴行に使用されていることまでは知りえなかった。
エルザから相談を受けたヘーガーは、黒光りする革製品をこよなく愛する同志だと信じていたのに裏切られた、と怒り狂って乙女走りで大聖堂に乗り込み、大司教執務室で何があったのかは不明だが、コリンとエルザの監視はなくなり、ヘーガーもなにがしかの戦利品を得て引き上げたらしい。
「……」(まさか回復鞭……)
「どうしたの、ラウル?」
「な、なんでもない」
回復魔法の効果を持った謎武器もしくはその部品の出どころにようやく目星がついた。
「つまり、もう安全なんだな?」
「おそらく」
「良かった!」
リンは無邪気に喜んでいるが、コリンには話の続きがあった。そもそも、このような話をすることになったきっかけについてだ。
「最初に、許せない気持ちについて聞きましたよね」
次の言葉は衝撃的だった。
「ボクは大司教猊下のことを毎日祈っています」
「な、なんだって?」(呪ってる、の間違いじゃない?)
「あんなひどいことされたのに?」
これはラウルとリンには意外を通り越して受け入れがたい発言である。
「だからこそです。そうでもしないと怒りや憎しみの炎は簡単に人間を焦がしてしまいます。だから祈ります。この世に人知を超越する存在がおわすならば、どうか、ボクにひどいことをした大司教猊下を許したまえ、と祈ります」
これこそ真の聖職者の姿であった。
人が人を許すのではない。大いなる存在が人を許すのだ。その存在を無視して怒りや憎しみに身を任せれば、人を呪わば穴二つ、の格言通りになってしまう。
コリンはラウルが呪いでがんじがらめになる前に、自らの痛々しい過去をさらしてまで、救いの手を差し伸べたのだ。
いつもご愛読ありがとうございます
ラウルがエルザに振られた件の補足説明、回復鞭の出どころが明らかになりました。
ラウルはコリンみたいな気持ちになれるでしょうか?忘れはしないが許す、誰でも難しいと思います。
徃馬翻次郎でした。