第108話 剣術指南 第一番 風車 ②
凄まじい速さで双剣が繰り出され、突き、払い、弾き、斬り伏せる動作は舞踊かなにかのようであり、もしこの場に音楽があれば、さながら剣舞を得意とする舞姫が芸を披露しているようにも見えたことだろう。
双剣の使い手はハンナ=ジーゲル。職業、主婦。
得意料理は煮込み。
本日、ラウルが初めての対人訓練をするにあたり、栄えある一番手に選ばれた。
名門貴族の血を引く古今無双の槍使いであり、名工クルト=ジーゲルの妻である。目下披露している双剣術の模範演武は、愛息ラウルが訓練用防具を装着している間に、余興と木剣の出来栄え確認を兼ねて、見る者の目を楽しませている。
余興とは言っても、彼女は演武のなかで想像上の敵を既に何体も倒していた。武術に疎いリンやコリンの目にもハンナを包囲しては撃破される敵の姿が何となく見えるほど、彼女の演武は真に迫っている。
なお、足さばきを考慮してズボンに履き替えているが、それ以外の防具は鍋つかみ用のミトンを装備しているだけだ。耐熱の魔法防御はかかっているが、今回の訓練とはまったく関係が無い。
相対するはラウル=ジーゲル。職業、鍛冶見習い。
好きな料理は煮込み。
今日までひとりで黙々と続けてきた鍛錬の成果を試す緊張に胸を高鳴らせている。
魔力はからっきしだが、父親譲りの身体と腕力は同種族の同年齢平均をはるかに上回る。近年では鍛錬と家業の手伝いが肉体にますます磨きをかけている。
現在装着中の防具は熟練の職人ミルイヒ=ヘーガーが手掛けた逸品であり、今日は製作者本人が応援と手伝いに駆けつけていた。
たとえ訓練であっても油断はできない。騎士団や傭兵旅団のようなところでも訓練中の死傷事故は発生する。それはいくらラウルが頑丈でも同じことである。そのような目に遭わないための防具であり、クラーフ商会エスト支店の支援により医療班も待機している。
鍛冶屋『ジーゲルの店』裏の試射場が、今日に限っては近接戦闘の訓練に供されており、弓矢や投擲武器の出番はない。
ようやくラウルの防具装着が終わり、双方礼をして訓練開始となった。
「母さん、木剣木剣!」(武器無しとかどんなシゴキだよ)
「あらやだ、演武に熱中してたわ」
「早く!」
「そう?じゃ、投げるわよ」
実はこの瞬間、ラウルは投げ剣を警戒していた。
母さんのことだ、油断大敵、とか言って一本取るつもりだろう、と珍しく危険予測を働かせて身構えていたのだ。
ところが、投げられた木剣はラウルが受け取りやすいように楕円軌道の優しい曲線をゆっくりと描いたので、彼は投げ剣に対する警戒を解き、両手を伸ばして木剣を受け取ろうとした。間抜けなことに口も少し開いている。
その無防備な姿勢をさらしながらも木剣を受け取った瞬間、ラウルの身体に驚くべき衝撃が走った。
彼の視覚はハンナの動きを捉えることには成功しているものの、全く身体が対応できずにいる。結果として、木剣を受け取ろうとしている間に一瞬で間合いを詰められ、手を伸ばしたためにがら空きになった右脇腹めがけてハンナが低い姿勢から繰り出したすり上げ気味の一振りが見事にめり込んでいたのだ。
ラウルがこの一撃で気絶もせず戦闘不能にもならなかったのは幾つか理由がある。
ひとつには、わずかに身体をひねって衝撃を逃がすことに成功したことであり、鍛えられた肉体とヘーガー製の特注防具も衝撃をいくらか吸収している。
とはいえ、打撃の瞬間に床板がきしむような音と生木を折ったような音が自分の体内で鳴ったのをラウルは聞いていた。興奮で痛みは直ちに感じないものの、なかば窒息気味に身体を硬直させてしまい、かろうじて木剣を構え直した時にはハンナは姿勢を常態に戻し、十分に力を込めた第二撃を用意していた。
彼女は顔の高さで剣を水平に構えている。
つまり、これは刺突の構えであり、一撃必殺の気配が剣先に充満していた。
(刺されるッ!)
ラウルがなおのこと身を固くしたのも無理からぬことだ。急所への直撃を避け、構え直してさばかねば木剣と言えども大怪我をする可能性がある。
ところが次に彼を襲った衝撃は左足だった。
(へッ!?)
これはハンナが大して力も入れずに放った足払いによる。
棒立ちになっていたラウルは抵抗できない。粉ひき小屋の風車のようにくるりと回って地面にたたきつけられた。もちろん、受け身を取ることも出来ず、したたかに左半身を打って息が詰まりそうになる。
「ウッ、ぐ、は……」(い、息ができないッ)
悲鳴をあげることもできず、起き上がることもできないラウルを見下ろすハンナは犬神様の声で無慈悲に告げた。
「ぬるい……あまりにも……」
何くそ、と立ち上がりかけたラウルだが、ハンナの木剣が彼の鼻先で停止している。
つまり、降参の一言を宣言しなければならなかった。
彼は情けない声をやっとのことで絞り出す。
「ま、参りました」
そこでようやく医療班がかけつけた。
「ラウル!」
「ラウルさん!」
「ラウルちゃん♡」
明らかに医療班員でない者が混ざっていたが、ハンナはその勢いに圧倒されている。
「な、なに?あなたたち」
「治療します!」
「リン姉、ラウルさんを動かさないで」
「待ちなさいッ!脱がすのは私の役目ッ!」
ヘーガーが素早く革鎧の留め具をはずし、わき腹をあらわにする。赤い棒状の腫れが認められるが、出血はしていない。
「ラウルさん、コリンです。わかりますか?」
頭を打っている可能性もあるので、コリンは問いかけからはじめる。
「うん……ああ、面目ない、コリン君……」
「良かった!えっと、こんな時に申し訳ないんですが、問診と投薬を……」
ヘーガーの膝枕はラウルにとって危険極まりないのだが、文句は言ってられなかった。リンが記録係になり、コリンが患部と思しき肋骨を触診している。
身体をねじれない、動かすと痛む、呼吸が辛いことから骨折ないしひび割れになっていると思われた。
「ラウルさん、ちょっとだけ押しますよ」
「う、うん……アッー」
圧迫痛とコリンのひんやりとした手の触感が混ざって妙な声を出してしまったラウルだが、その声にいち早くヘーガーが反応する。
彼は衣服をさらにめくってラウルの乳首を探そうとするが、またもや手をはたかれて阻止された。
「ん、もう♡」
「店長、お願いですからじっとしていてください」
「ラウルちゃんのお願いじゃ仕方ないわね、わかったわ♡」
「リン姉、小回復薬を頼みます」
「……」(ぅおのれヘーガー!)
「リン姉?」
「ん?」
「薬」
「ご、ごめんなさい。えーと、これね」
ようやく治療班が機能し始めるが、単に治療するだけでは終わらない。回復薬の効果を測定して記録せねばならないのだ。
「ラウル、どう?まだ痛い?」
「息はしやすくなった。動かすと……痛い。力も入らない」
「やはり骨折ですね。ラウルさん、もう一本いきましょう」
「コリンちゃーん、その飲み終わった瓶貸してくれない?」
「ダメです」
「ダメよ!」
「ケチ!」
「……」(まじめにやってくれよ、けっこうな怪我なんだぞ)
一方、ハンナは暇を持て余していた。
確かに、負傷しても直ちに復帰して訓練再開できるのは治療班の利点だ。たった今叩きのめしたばかりの息子を介抱するのも自尊心を傷つけそうで怖いから、治療を誰かに頼む方式は有用に思える。
しかし、その間自分が手持無沙汰になる感は否めない。かと言って彼が復帰するまで刺繍や編み物をするのも変だし、けいこの総評をするにしても一合も打ち合ってない。
「ラウル、まだやれるかしら?」
「待ってよ、もう少しだけ……」
仕上げにリンの回復魔法が掛けられる。かつて王都大聖堂最高の癒し手と呼ばれたコリンは、一流の治癒師であるとともにリンの師匠でもあった。
「祈り……は省略しましょうか、急ぐことですし」
「大丈夫かな?神様怒ったりしない?」
「緊急時です。お許しくださいます」
元神職とは思えないコリンの発言が飛び出すが、それでもリンの回復魔法は効果を発揮してラウルを立ち上がらせた。
(もう起きてきた)
あまりにも温い、と息子を容赦なく面罵していたハンナだが、回復薬と魔法の力を借りたとはいえ、彼が短時間で復帰したことに驚いている。
彼女は全力に近い速度で距離を詰め、ラウルの胴を十分に斬った、と手応えを感じていたのだが、木剣でも殺しかねない勢いで先制攻撃をしかけたのには理由がある。
それは、この剣術指南が行き着く先を考えればこと足りる。最終的には木剣を卒業して真剣、訓練が終わって実戦になったら彼は何を斬るのか、ということになるだろう。
自衛のための訓練である以上、仮想敵は野盗やその類ということになるから、生きている人間や亜人と戦って生き残り、対象を無力化するための剣術指南である。無力化、と簡単に言うが、できることなら人を殺めざるを得ないような事態に巻き込まれませんように、とハンナは願っているし、クルトも同様である。
しかし、現実は非情かつ残酷だ。
野盗や山賊は目的達成のためには手段は選ばないし、手加減もしない。
彼女が不意打ちのような真似をしてみせたのも、ラウルに現実を思い知らせるためであり、打ち込みに一切の手加減をしなかったのもその一環だ。
そうまでしても、なお、はたしてラウルは人を斬れるのか、という問題は残るが、こればかりは実際に直面してみないと確かめようがなかった。
ひとつ付け加えるとするなら、彼女の剣技『風車』は見事にラウルを回したが、本来、最後の足払いは剣撃のはずだった、ということが挙げられる。真剣なら最後の払い斬りで片足を斬り飛ばすことを見据えている剣技なのだ。
優しい足払いで地面に転がしたのは、彼女が母親ゆえに息子に対して残酷になり切れなかった証左とも言えるのだが、ヘーガーなどはハンナの気持ちも知らずに、この馬鹿力、ラウルちゃんが壊れたらどうするのよ、と憤っていた。
いつもご愛読ありがとうございます。
ラウルは初弾命中で大破、といったところでしょうか。もちろん、ハンナがえぐい先制攻撃をしたのには理由があります。
ラウルが母親の愛を感じ取ってくれればいいのですが、どうでしょうか。
徃馬翻次郎でした。