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第102話 雨中の客 ⑤


 聖堂が純粋な祈りの場や民草を救済する最後の砦ではなくなっていることを、誰もが気付きながら口に出せないでいる状況は近年その度を増しているように思える。

 些細なことならともかく、野盗の襲撃を装った証人抹殺を疑われても安穏としていられるとは、ラウルも聖タイモール教会のやり様は知っていたが、改めて聞くと恐ろしいものがあった。

 クルトもハンナも同様、理解はできるが納得はいかない表情であるが、ここでヴィルヘルムを問い詰めても仕方がない。教会が絡むと犯罪すら無かったことになる歪んだ仕組みは彼も承知している。


「よくわかった」


 クルトは重々しくうなずいて金貨袋をハンナに引き取らせた。


「申し訳ありません」

「隊長さんのせいじゃねえよ。泣く子と何とやらには勝てぬ、だ」

「そうですわ」

「……」(何とやら、は教会だよな)


 ラウルには意外と言うほかない事だったが、ジーゲル夫妻は男爵からの謝礼をあっさり受け取った。

 そして、その様子を見たヴィルヘルムは主命を果たせたことに喜んでいる。


「それでは任務に戻ります。お茶をどうも、奥様」

「雨が止むまでゆっくりされたらよろしいのに」

「部下も濡れていますからね、私だけ雨宿りはよしておきましょう」


 公正が服を着て歩いているようなエスト村の治安責任者は雨具を受け取って身に着け、ジーゲル家の皆に別れを告げて雨の中に姿を消した。

 家族三人で玄関先まで見送ったのだが、室内に戻ってからもラウルは金貨袋が気になって仕方がない。


「どうした?」

「うん。えっと、正直お金は受け取らないと思ってた……」

「これは説明しなくちゃね」


 ジーゲル家の出納責任者であるハンナ曰く、謝礼と手紙を受け取ったことである種の了解を返事の手紙を残すことなく伝えることになった、ということだ。

 詳しく説明すると、今回の件を男爵に一任すること、ジーゲル家で独自に黒幕を突き止めようとしたり騒ぎ立てたりしないことを誓ったことになる、ということだ。 

 金額はさして重要ではない。

 受け取った、という行為そのものが、勝手に動いて男爵にご迷惑がかかるような真似はしません、という言葉にかわる何よりの証になるらしい。


「それで男爵様はちっとは安眠できる」

「そうなの?」

「計算できる味方を増やした、とも言えるわね」


 なんの味方か、と聞こうとしてラウルはやめた。

 なにしろハンナの出自が貴族だと聞いたばかりだ。おそらく貴族同士の暗闘や勢力争いの際に地元有力者や豪傑の支援は欠かせない、と言いたかったのだろう。

 例えば、目下急成長中のエストは領主の地位を狙っている貴族も多い。ブラウン男爵の失態を演出するために、反乱や暴動をあおるような工作も十分ありうる。となれば、工作を未然に阻止するためにも地元固めは領主の義務でもあった。


 それが大人や貴族の付き合い方ならそれでいいが、とラウルは思う。しかし、得心しないことはまだある。


 一連の魔獣騒動は記憶に新しい。

 どうやら教会の連中が黒幕らしい、と領主や衛兵隊長を含めた皆の意見が一致しており、追加で口封じの殺人事件まで発生しているにもかかわらず事情聴取すら実現しない。今もって野放しとしか考えられない状況には、ラウルはこう言う他なかった。


「父さん、なんで教会がそんなに偉いの?」


 何故聖タイモール教会はそこまで大きな権力を振り回すことができるのか。まるでアルメキアの支配者然とした態度は王族以上ではあるまいか。確かに精霊契約の儀式を取り仕切っている以上、ある程度の権威と金が集中するのは仕方ないが、恐怖支配のごとき振る舞いはやりすぎではあるまいか。

 

 生まれてこの方ラウルが思っていたことをようやく口にできた。

 今までは何とはなしに、教会の連中は威張り腐っている、と思ってはいたものの、語彙ごいと社会経験の不足から問題点を指摘するに至らなかったのだ。


「三つ、ある」


 ちょうどいい機会だ、と珍しくクルトは長口舌でもって聖タイモール教の歴史と権力について語り始めた。

 本来なら、ミーン=メイの著作である『これはびっくり精霊魔法 宗教的権威の表と裏』を参照すれば理解が早いのだが、ジーゲル家はもちろん世間にも存在しないことになっているので、ジーゲル夫妻は自身が知っている範囲でラウルに説明するのだが、夫妻の話にはミーン=メイも知りえなかったであろう話も含まれていた。


 第一に、治癒師の認定、養成、派遣を一手に取り仕切っている現状があげられる。

 見合った寄付を納めれば大けがでも大病でも治してしまえる聖堂の治癒師はそもそもなり手が少ない。これは資質というものが多分に影響しているのだが、たいていの者は詠唱をいくら真似してみても発動しないか、小さな傷を治すのが関の山である。

 ただでさえ少ない治癒師の就職は聖堂が最も多く、給金も安定している。神職経験者の冒険者や傭兵はほとんどいない。クラウス学院長やリンのように攻撃と回復の魔法両方を使える賢者型と言われるような資質を持った魔法使いはもっと珍しい。コリンのような野良の治癒師にいたっては存在自体が確認されていない。

 病人や怪我人にとって聖堂の治癒師がいかに大事な存在かわかろうというものである。 


 腕のいい治癒師は常にひっぱりだこであり、どの街や村に治癒師を派遣するかの人事権を握っている大司教の権威たるや、医療体制が整っていない村から治癒師を引き上げればどうなるかを考えればこと足りるだろう。


 極論すれば王国民は治癒師を介して教会に命を握られているのだ。


「おまけに、治療費……要求される寄付金の値段がじわじわ上がっているとか」

「その点、ラウルは鉄骨で助かったわ。滅多に病気もしないし」

「ま、まあね!」


 息子を堅固建物のように言う母親も滅多にいないが、家計をあずかるハンナとしては健康こそ一番の財産である。付け加えるなら、鉄骨で治癒師いらずなのはラウルだけではなく、ジーゲル家全員だった。


 第二に、勇者制度の創設と異世界勇者召喚の儀式に深く関与していた、というまことしやかな噂だ。

 魔族によって滅亡寸前まで追い込まれたアルメキアを救った起死回生の秘策が人型兵器“勇者”であることは周知の事実だが、失われた技術であるとされる召喚魔法により異世界から呼びだした勇者を使役することを企画、実行したのは王家ではなく聖タイモール教会である、となれば権威が王家を上回っていても不思議はない。

 この件に関しては、それこそ何世紀にもわたって注目されてきた。信者から質問されることも多かったが、作家から取材されたこともある。

 長期にわたって民草の口の端に乗り続けていた話題なのだが、歴代大司教の回答は否定も肯定もしない、現在こうして我々が生きていることこそが重要、というものであった。


「あくまでも噂の範囲ね」

「召喚魔法にしても見た奴はいない」

「否定しないところが嫌らしいなあ」


 大司教の回答に対するラウルの感想は想像以上に民衆に浸透している。嫌らしい、と公言する者はさすがにいないが、聖タイモール教会が超常の力を密かに保有している、という感覚は誰もが持っていた。


 そして第三には、魔法との関連を指摘せねばなるまい。


「精霊契約の儀式がないと魔法が使えないから、あいつら偉そうなんでしょ?」

「そうだな」


 クルトの返答はごく短いものだったが、ハンナは話題を掘り下げるために、異なった切り口を出してきた。


「ラウルは魔法の発明とか発見について学校ではどう習ったかしら?」


 かつて魔獣に生活圏を圧迫された人々を気の毒に思召された神が、精霊を遣わされたとする伝説はラウルもことあるごとに聞いた。

 つまり、精霊こそが魔力の根源であり魔法の原初なのだ。

 その伝によれば彼は神罰が下って精霊からも見放されたことになるのだが、ラウルだけでなくジーゲル夫妻もこの説明に今もって納得していない。できるわけがない。


「ちょっと待って、発見、ってどういうこと?」

「ラウル、さっき話した奴隷王の話を覚えているか?」

「う、うん」


 ここからがミーン=メイも知らない驚愕の事実である。

 奴隷制度の廃止はアルメキア成立後しばらく経ってのことだから、奴隷王はアルメキア王国成立以前の人物である。

 奴隷王墓所の入り口にあった壁画は保存状態が良好であり、アンデッドの親玉が残した功績ないし被害を後世に伝えるものだった。

 

「なんせ“奴隷”王だしな」

「無理やりアンデッドに変えられてしまった奴隷も大勢……」


 その当時の奴隷は何の遠慮もなく酷使されており、奴隷王に至っては狂気と言って差し支えない扱いを強いていた。


「人を人とも思わん奴だった」

「直撃すると鎧に穴が開いてしまうような電撃魔法……」


 要するに、アルメキアも聖タイモール教会も成立以前であるにもかかわらず、魔法を好き勝手に振り回す人物がいたことになる。


「精霊と契約しなくても魔法が使えるってこと?」

奴隷王あんなやつと契約する精霊がいるとは思えん」


 クルトの言葉にはラウルをくすりと笑わせたが、本人はいたって真面目である。仮に出生時はまともだったとしても、あの悪夢のような魔法の使い方をされても契約解除しない精霊がいたらどうかしている、といわんばかりだ。


 しかし、発言の内容は重大である。

 教会が取り仕切っている精霊契約の儀式を間接的にではあるが否定するものだ。

 一方、ハンナは件の儀式を直接的に否定してみせた。


「ウチの実家周辺では精霊契約の儀式は省略だった……と思う」


 ここだけの話、と彼女は言うがハンナもその周辺に含まれている。

 ヘルナー家ではロスヴィータの指導の下、一族そろってタイモール教会を無視していた、と言うほうが“省略”よりは表現として正確だろう。

 それでもラウルに出生の祝福を授けてもらう手配に同意したのは、エストで暮らしていくために現地の習俗に則ったまでのことだった。


「実は俺も」


 とクルトがハンナに続くが、これは聖タイモール教会における精霊契約では、儀式後に記念品が授与されるのだが、その存在をラウルの儀式時に初めて知ったからだ。

 幼少時の貧困を考えれば、おそらく誕生の祝福を受けはしたが、寄付金が必要になる精霊契約の儀式は見送ったのではないかとクルトは推測している。

 ちなみにラウルの記念品は火の紋章が刻まれた首飾りだったが、彼がかなり早い段階で鍛冶場の炉に放り込んだ。


 ミーン=メイも発禁本のなかで精霊契約の儀式がうさん臭いことを力説していたのだが、それを実証する前に多数の著作が焼かれてしまっている。しかしながら、彼が実証しようとしていた“精霊と契約しなくとも魔法は使える”説の生きた証拠がジーゲル夫妻なのだ。


いつもご愛読ありがとうございます。

どうして一宗教勢力が大きな顔をしていられるのか、答えは彼らが国家権力そのものに近いから、というお話でした。この重苦しい話は当分続きます。相手が何か事を起こしてくれないとどうにもなりませんから。

がんばれラウル!その日に備えて自らを高めるのだ!

徃馬翻次郎でした。

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