第101話 雨中の客 ④
エスト村で起きた魔獣騒ぎの原因となった古代遺跡の情報がどのようにして元鉱山主の貴族にもたらされたか、ジーゲル夫妻とヴィルヘルムの推測は一致している。
騒ぎを起こした張本人は死んでしまったが、王家に並ぶ権力の持ち主が後ろについていると思われる状況証拠は十分そろっていた。崩落事故を起こして隠蔽を共謀した形跡もある。
それに、明確に元所有者を示す記述はないが、設計図や古文書のような物的証拠も押収していた。
教会の連中が怪しい。
それぞれが思っていても口に出すのをためらっていた言葉だ。三人はお互いの気持ちを察して黙っていたのだが、空気を読み損ねたラウルが質問をしてしまった。
そのラウルも、当日あの場所にいた人間を思い出してみろ、とクルトに言われてようやく気付く。
採掘作業員や村人はその場にいても不自然ではない。当事者と救助にかけつけた周辺住民や通りがかりの人々、それに野次馬はどんな事故や事件の現場にも共通する登場人物だからである。
事故発生当初、当事者のような関わり方をしていながら、煙のように退場していった人たちが何人もいたではないか。
たいした時間をかけるでもなく、生き埋め作戦で事態を収拾しようとした司教や元いじめっ子の聖騎士団員の顔が即座に思い出されたが、とにかく、ヴィルヘルムが気を遣って言葉を選んでいたのを無下にしたラウルは詫びねばなるまい。
「ごめんなさい、隊長」
「いいんだ。はっきり言えない我々こそ謝るべきだ。それよりラウル君、さっき本がどうとか……」
「は、はい。これです」
ラウルはクラウス学院長から贈られた『まじゅうのひみつ』を取り出す。
「おっ!『まじゅうのひみつ』じゃないか。懐かしいなあ!」
思わず本を手に取ったヴィルヘルムは、前半部分の内容を見ているうちに何事かを閃いたようである。
「そうか!思い出したよ。『たたかうまじゅう』なんだな?」
「そうです、隊長」
「この何々型とか何号とか昔は諳んじられるぐらい覚えてたのになあ。すっかり忘れてしまっていたよ」
「……」(働き過ぎじゃないかな)
はしゃぐ衛兵隊長を横目にラウルは本のあらすじと魔獣騒ぎの関連を両親に説明する。
かつて魔族侵攻の折にはアルメキアに無数の迷宮の種がまかれ、兵器工房が建造されたのだが、現在は遺棄されたまま冒険者の訪問を待っている。
傭兵旅団の活躍によって迷宮や危険な遺跡の数は徐々に減少しつつあるが、なかにはエスト第四番坑道のような手違いが起こることもよくある。
つまり、迷宮の掃討が厄介なので盛り土をして封印し、後回しにした状態のまま担当者が死亡したりすると、数十年後にはすっかり忘れさられてしまうのだ。今回の件では、古文書と言う形で担当者の覚書が残っていたわけだが、それも公開されていなければ意味がない。
かくして危険な遺跡や迷宮の真上に住宅や産業施設が立ち並ぶわけだが、再開発や坑道延伸によって掘り当てるまでは住民は命の危機をまったく感じないのである。
実は、『まじゅうのひみつ』の手を借りなくとも、ラウルは真相にあともう少しのところまで迫っていた。ジーゲル一家が冒険者部隊に帯同して坑道の最奥部から遺跡内に侵入した時のことだ。
卵殻を割って出ようとしたまま力尽きていた蜘蛛型魔獣を見たラウルが“不良品かな”とつぶやき、クルトとハンナが口々に息子の着眼を褒めていたことがある。
つまり、その時点でジーゲル夫妻は遺跡の正体に気付いていたのだ。おそらく『まじゅうのひみつ』を所有していたクラウス学院長も同様であろう。
もしラウルに熟練冒険者としての経験があれば、即座に遺跡が魔獣兵器工房であったことを見抜いていたかも知れない。
「やはり魔獣兵器だったか」
「掘り出して金に換えるつもりだったのかしらね?」
ジーゲル夫妻はそれぞれ感想を口にするが、今となっては死人に口なし、確かめるすべは失われてしまった。
仮に魔獣騒ぎの黒幕が聖タイモール教会の連中だったとしたら、彼らの天井知らずな金銭欲は十分動機になりうる。
魔獣兵器の制御に失敗して死傷事故まで起こしているあたりは間抜けという他ないが、鮮やかな口封じの手際が何とも不釣り合いではあった。
それにしても、物的証拠に全く痕跡を残していないのが見事と言えた。おまけに真相に迫れそうな証人は躊躇することなく消してしまう。これではどれほど動機と犯行現場があからさまでも教会関係者を容疑者として捕まえるわけにはいかなかないのだから、ヴィルヘルムの無念は察して余りあるものがあった。
場の空気を悪くした責任を感じているラウルは、気分転換に本の話題をヴィルヘルムに振ってみることにする。
「ヴィリー隊長は読書家なんですか?」
「うん?ああ、祖父が本好きでね。一昔前までは蔵書もたくさんあったのだが」
大量の蔵書、という言葉自体が富裕層出身であることの証左である。
はたして、ヴィルヘルムは祖父の代まで王都暮らしであったことを述べる。これはジーゲル夫妻には初耳だったが、お互いエストでは新参に属する部類の村民だったのだ。
「ほう」
「王都を出ていらしたの?」
ハンナには普通の受け応えだったのだが、ヴィルヘルムにとっては辛い過去を思い出させる結果となる。つとめて明るく話してはいるが、それも場を和ませるためのものだ。
「父がどうしようもない飲んだくれで、祖父が残した遺品、えー、本をですね、片っ端から、まあ、その、酒に変えるんですね。それに母が愛想をつかしまして……」
「まあ!」
「むむ」
「……」(酷い)
品行方正な正直者が報われるとは限らない、その生きた見本がヴィルヘルムであった。過去は家庭に問題があり、現在は超がつくほどの多忙とくれば、きっと神様はよそ見をしているに違いない、と思うラウルである。
過日、彼が衛兵隊詰所を訪問した際、衛兵隊長の机上にはけっこうな数の書籍が並んでいた。あれは酒臭い魔手を逃れた品だったのだ、と気付くとその思いはさらに募る。
「それは存じ上げませんで……」
「すまん」
「ハンナさん、クルトさんもどうかお気になさらず。祖父の縁でブラウン男爵に親子ともども拾っていただいてからは何とかやってこれましたし、今でも酔っぱらいに絡まれることはありますけど、あー、何と言いますか、父に比べれば皆大人しいものですよ」
「……」(酔った父親に殴られたのか……)
確かに、衛兵の任務として酔客の喧嘩を仲裁したり、泥酔者の一時保護をすることはよくあるが、楽しい仕事ではあるまい。
はっきりとは言わないが、おそらく、本を売られまいとして父親に暴行されたこともしばしばあったのだろう。それでも直接的な物言いをせずに言葉選びができるヴィルヘルムは自制の塊のような人物である。
エスト第四番坑道掃討作戦後の宴会でも、ヴィルヘルムは御用繁多を理由にさっさと引き上げていたが、それとて自らに深酒をしない制約を課している可能性もあるのだ。
さらにひとつ付け加えるとすれば、思っていた以上にヴィルヘルムはブラウン男爵に近しい、ということであった。確かに騎士でこそないが、男爵の私信を託されるあたり、大いに信頼されている。
「それで、捜査のほうは?」
「野盗の線で追っています……待ち伏せではなく、馬を使ったようなのですが」
「最近の野盗は馬までそろえてるの?ほんとうに物持ちね」
ハンナの言葉には、野盗なわけないだろ、という皮肉がこもっている。
しかし、襲撃を野盗団の犯行とでもしないと捜査を継続できない事情はなんとなくわかる気がした。
なにしろジーゲル夫妻は二十年前にもよく似た経験をしている。
“聖水”と称する薬物が傭兵旅団に深刻な被害をもたらしたのだが、事件の真相に迫ろうとしても教会の圧力で領主や衛兵隊が及び腰になったのだ。
この光景は今やアイアン・ブリッジだけではなくアルメキア全土で見られるありふれたものになりつつある。
今般、聖タイモール教会の勢いは王家をもしのぐ勢いであり、たとえ王族でも面と向かって批判をしにくい状況にあった。
厳密に言えば、教会の批判や悪口を公言したところで何も起きはしないのだが、直ちに監視が付く。これは身分や財産に関係なく行われる。
この時点で口をつぐめば要注意人物として記録されるだけで済むが、調子に乗って声を大きくしてしまった人には聖騎士団による家宅捜索が実施されるのだ。
それは発禁本や邪神像が必ず発見される恐怖の強制捜査である。
踏み込まれて縛り上げられた人々は、身に覚えがない、私の持ち物じゃない、と決まって言うが、もちろん聞き入れてはもらえない。
有罪が確定すれば、与えられる刑罰は国家や王家への反逆と同等であった。
批判を許さぬ教会への反感は地下に潜り、人々の不満は回りまわって、発禁本を見せて金を取っているマグスの裏稼業を繁盛させた、というわけだ。
いつもご愛読ありがとうございます。
雨の中をやってきたお客さんはヴィリー隊長でした。
彼のような人物こそ幸せになるべきなのでしょうが、反面教師の父親がエグかったために、自分が所帯を持つことに二の足を踏んでいるというか、同じ轍を踏まないように必死になっているというか。
実はモテまくっているという裏設定をつけたしても許されるんじゃないか、という気がします。
あと、衛兵=捜査権も持つ治安職員、書籍は貴重品、という体でお願いします。
徃馬翻次郎でした。