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第98話 雨中の客 ①


 糸雨、細雨、小糠こぬか雨と地域によって名称は様々だが、要するにとても細かい水滴が落下するので地面に落ちる音が聞こえないか、あるいは非常に小さい音しかたてない雨模様のことを指す言葉だ。

 だからこそラウルはクラーフ商会で話し込んでいるうちに天候の変化を見逃したのであり、片付けるのが面倒くさい雨具を濡らす結果になったのだが、今は何よりも身体の芯から冷える前に家にたどり着けたのが嬉しかった。

 彼の雨具に魔法効果は一切付いていない。保温も乾燥も自分で工夫する必要があった。


 それでもハンナは、なかなか似合ってるわね、と言いながら雑巾をラウルに渡して、雨具を軽く拭いてから部屋干しするように命じ、彼もそれに従う。

 クルトは、早かったな、と自分の予想より早い息子の帰着を喜んだ。


「先に仕事の報告をするよ」


 ラウルは帰路の間に決めていた優先順位を守って、納品の報告をすまそうとする。


「あら、一息ついてからでもいいのよ?」

「忘れないうちにやっておきたい」

「聞こうか」


 本当のところは、両親の過去に関するややこしい話をする前に仕事の話を完了したいだけである。


「あと、エルザさんから荷物を預かってきたんだ」


 まず、ラウルは納品書とエルザの小包をクルトに渡す。次に、買ってきた商品を並べて、自分の手控えで作成した明細をハンナに示す。

 彼女はざっくり銀貨だけを勘定してみたが、これと言って無駄遣いが見当たらないし、何しろ大銀貨を無傷で生還させている。その意味では息子の試しは合格だった。


 馬車賃の銀貨が二枚、クラーフ本店の野営道具が同じく八枚、骨董品店で中古品の道具が同じく二枚、なぜか復路の馬車賃が計上されていないかわりに、首飾り代金として銀貨一枚を支払っている。

 強いて言えば、帰りの運賃が計上されていない点が気になる。首飾り代金というのもよくわからないのだが、ハンナの感覚からすれば安すぎて装飾品を買ったとは思えない。悪くとれば使途不明金である。


「ラウル、この首飾りってなに?」

「それを説明するには、帰り道はサーラーンの隊商に混ぜてもらったところから話をしないとね……長いけどいい?」


 クルトはエルザからの手紙を熟読している。

 ハンナは、手短にね、と言ってラウルに説明させた。ラウルは先刻リンにしたのと同じ説明を繰り返すことになったが、ハンナは奴隷を処刑から救ったくだりで口を挿んだ。


「ずいぶんと危ない橋を渡ったわね」

「むこうの手代頭さんにもそれとなく注意されたよ」

「せっかく良いことをしたのに褒めてあげられないのは悲しいけど……手代頭さんの言う通りね」


 ハンナは評価と複雑な思いを口にした。

 善悪で言えばラウルは自慢の息子だが、正誤で言えば異国の習俗にケチを付けた形になり、無意識のうちに命を危険にさらしてもいたのだから、間違っていた、と評価せざるを得ない母親の苦悩が彼にも伝わってくる。

 

 彼女は息子の頭を撫でようとして手を引っ込めた。

 もういい年齢なのもあるが、たった二日の間に大人びた目をするようになったラウルに気後れしたのだ。

 もう彼には頭撫では必要ない、と彼女に思わせるような目、いろいろなものを見て学んで、気のせいか若干傷ついたような目に圧倒された、と言い換えてもいい。 


 ようやくクルトがエルザの手紙を読み終わってハンナに回覧する。


「ご苦労だったな」

「任務は達成?」

「ああ。他に報告することはあるか?」

「クラーフ本店以外で?」

「うむ」

「魔法学院に校長先生を訪ねて、お土産に絵本をもらって……」

「ほう」

「傭兵旅団本部にも行ったよ」


 クルトとハンナの動きが一瞬止まった。

 ラウルは両親の反応を待つ。

 数瞬が流れたが三人とも押し黙ったまま、誰も口火を切らない。


 やがて、エルザからの手紙を閉じたハンナが口を開く。


「ラウル、私たちが……」

「待て、俺から話す」


 ハンナがしゃべりかけたのを遮ったのはクルトだった。

 彼は弁が立つわけでもなく、どんなに頭を回転させても美辞麗句は出てきそうにない。現に早くも首筋に汗を浮かべているのだが、それでも父親として正面から疑問に答えようとしている。

 その役割を妻にまかせて見物を決め込むつもりは毛頭なかった。


「聞いたんだな?」


 ここだけ聞けばクルトの質問は意味不明だが、ラウルにはそれで十分だった。


「傭兵旅団長から少し。えーと、フライホルツっておば……お姉さん。エルザさんからも少し。旅団の受付さんからも……」


 傭兵旅団時代の両親と直接面識のある人物は含まれていなかったが、全員の反応を総合すると両親が凄腕の傭兵だったことは嫌でもわかった。

 王都の衛兵にも“あのジーゲルか”と聞かれたが、それとて名工のことなのか、それとも伝説の傭兵を指していたのか、今となっては分からない。

 

 騙されていたと分かった時は気分が悪かったが、今はもう怒っていない、とラウルは付け加える。聞きたいのは理由だ。旅団で犯罪などをやらかして追放され、恥ずかしい過去を偽る必要があったのではないというなら理由を聞かせてくれ、と結んでラウルは再び両親の反応を待った。


 繰り返しになるがラウルは、今はもう怒っていない、と言った。しかし、


「まず、謝らせてくれ」


 と、クルトは頭を下げた。


「だから、もう怒ってないって」

「違う。聞け、ラウル」


 クルトは汗をかきかき、ラウルの留守中のことを話す。


 息子を王都へ送り出した後になって、自分たち夫婦は傭兵の過去が露見する可能性に気付いて、慌てて息子を言いくるめるための辻褄合わせを実施した、と素直に述べた。

 つまり、もう一度息子を騙そうとした、という自白だ。

 もちろん、その後すぐに反省して息子の問いかけには正直に話そう、答えよう、という方針転換をしたが、一度ならず二度までも息子を騙そうとしたのだ。

 

 そのことについての謝罪であり、罪作りな取り繕いはもうしない、という宣誓をしてからでないと気が済まない、というクルトなりの詫びだったのだ。


「あなた……あなた一人の責任じゃない。私だって……」


 ハンナも申し訳なさそうにうつむく。ここまでへこんだ犬神様をラウルが見るのは初めてだった。


「理由があるんだよね?」


 両親の謝罪を受け入れたラウルは優しく問いかける。


「家族、子供……それしか頭になかった」

「そこに至るまでが長い長い、込み入った話なの、ラウル。聞いてくれる?」


 ラウルはハンナを真似て、手短にね、とは言わない。

 あえて短縮版ではない完全版を選択した。自分にとって大事な事だから、端折りも省略もない話を聞きたかったからだ。


 本当に長くなってしまったので、後半はハンナが時々夕飯の支度に席を離れることになるほどだったが、三人はたまに水を飲む以外はぶっ通しで語り合った。


 アルメキアの西端、アイアン・ブリッジの傭兵旅団で活躍していた二人が、アンデッドの親玉を討伐したのをきっかけにして付き合うようになり、新しい家族が増えるのを見越して転職し、傭兵以外の生活基盤をエストで構築した、というあらすじはラウルにもよくわかった。


 まだ見ぬ子供の進路を複数用意してやるために自分たちの生き方から変えた、という話も理解できるし、子供としては、そこまでしてくれたのか、と敬服する思いである。

 しかし、それでは傭兵の過去を隠して田舎に引っ込む理由になっていない。


「事情が、できた」

「事情?」

「目立つと神に目をつけられる」

「はい?」


 これはラウルには理解不能だった。

 よりによって神とは何だ。言い訳にしては稚拙ちせつ過ぎはしないか。それで全部説明された気になられても困るだけではないか。

 彼にとって当然の疑問を受け止めたのはハンナである。


「実家の……ヘルナー家の話は聞いたことなかったわよね?」

「初めて聞いた」

「ごめんね、ラウル。母さん、本当はノルトラントの領主……辺境伯の……」

「へっ?」


 どこかいいところのお嬢様らしいとは思っていたが、自分の母親が元伯爵令嬢とは初耳であり、まさにラウルの度肝を抜いた。

 しかも、実家がノルトラント辺境伯云々は話の枝葉末節であり重要な部分ではないと知って、彼はますます混乱してしまう。


(それ以上にびっくりすることってある?)

 ハンナはラウルを落ち着かせるために、実家に伝わる聖者伝説から始める。

 彼女の先祖が神が遣わした聖者と協力して怪異を鎮圧した話だけを聞けば、よくある英雄譚えいゆうたんとしか思えない。実際、昔話好きのラウルは興味深く拝聴したのだが、内容を自分の両親に当てはめると、事態は相当深刻である。

 ましてや、聖者の加護とそれに伴う神の依頼が子々孫々まで影響するとなれば、影響はラウルにまで及ぶ可能性もある。


「じゃあ、その奴隷王をやっつけるために聖槍を潰しちゃったから……」

「潰し……まあ、そうだ」

「その時点で目印が付いたかも知れないし……」


 そう言いながらハンナは自分の指に輝く指輪をラウルに見せる。


「これ、もとは槍なの!?」

「粉々になって残った一部ね」


 クルトも自分の指輪を示すが、指にはめた時はちょうどいい結婚指輪ができたくらいにしか考えていなかったこと、目印となる可能性については、その後にハンナの祖母と話をする過程で出てきたことだ、と補足する。

 

 しかしながら、ラウルはまだ得心がいかない。

 神の目を避けるためなら、エスト第四番坑道の魔獣騒ぎは無視すべきではなかったか、という当然の疑問だ。無視どころか巨人の舞を披露していたではないか。エストに犬神様あり、と示してしまったではないか。

 それとも油断して神の目を忘れていた、とでも言うつもりなのか。


「油断……確かにそうだ」

「もう二十年近く何もなかった……誰も来なかったから……」


 しかし、両親には油断という言葉は似合わない。

 本当にそれだけなの、といぶかるラウルにクルトはつらそうに答えた。


「お前の魔力だ」


 クルトはラウルのせいにするのが気に入らないようだが、詳しい説明はハンナに譲る。


「神の目を逃れた、と思った……浅はかよね?でも、これでラウルも私たちも危ない目に遭うことがない……そう思って安心したのも本当のことなのよ」


 ハンナはそれだけ言うと台所へ向かった。

 間もなく夕飯時だ。ラウルは食欲をなくしているかもしれないが、だからと言って主婦の務めを放棄するわけにはいかない。


 彼女は自らを浅はかと断じたが、聖槍を解放したり、その性能を引き出すには魔力が必要不可欠である以上、聖槍を携えて神の使命を受けよ、聖者の共をせよ、という事態は魔力不能者であるラウルには起こりえない。

 魔力不能のせいで彼はいじめられ、ジーゲル夫妻もあることないこと陰口をたたかれたのだが、安心した、と言うのも親として無理からぬことであり、できることなら子供を危険な目に遭わせたくない、というのも正直な心情の吐露だった。


 我が子に魔力がないなら、神様の依頼も聖者様のお供も命の危険もなし。

 早い話がジーゲル夫妻はそう解釈したのだ。

 ただし、魔法が使えないのだから、目の届かないところで危ないことはさせない。

 過保護と言われようが、そう決めたのだ。


 一方のラウルはどうだったか。 

 神の依頼もない代わりに何の加護もない。

 それどころか魔力不能者ゆえに陰惨な少年時代を過ごし、かつては手の付けられない暴れ者、近年は臆病なまでの非暴力傾向という両極端を経験した。両親が見ていて心配になるような感情の振れ幅はやがて彼の魂を燃え尽きさせてしまうのではないかと思われた。


 そこへ例の魔獣騒ぎがエストで発生する。


 クルトとハンナは長い年月をかけて彼らなりに学習していた。 

 どうしたことか、危ないからと言ってラウルを守ろう、隠そうとすればするほど、彼はいびつで救いようのない人生の袋小路にはまり込んでしまう。 

 ジーゲル夫妻が、危ないことはさせない、という既定の方針を修正して、魔獣掃討作戦にラウルを参加させたのは、エスト村民の人命救恤きゅうじゅつだけでなく、彼の袋小路を破るひとつの賭けだったのだ。


 賭けは成功し、エルザの指導で若干立ち直り気味に人生の修正をし始めたのはつい最近のことだ。彼自ら“生身の限界に挑む”という目標を打ち立てて、大勢の人がそれを支援している。

 しかし、エルザと偶然出会わなければ、彼は人生と向き合うこともなく、じりじりと魂のみが摩耗する日々をおくったことだろう。そもそも、魔獣騒ぎの時にラウルを留守番させていれば、彼とエルザは出会うこともなかったはずだ。 


 逆に考えれば、息子から危険を遠ざけようとして嘘をついてきたジーゲル夫妻だが、そのせいでラウルに人生の遠回りをさせていた、とも言える。

 

 なんとも皮肉としか言いようのない運命の巡り合わせであった。


いつもご愛読ありがとうございます。

『雨中の客』はいわゆる説明回です。

最初のお話は、箱入り息子が箱の中で腐っていたので箱から出して空気にあてることにした理由、とでもいいましょうか。

もう少しでラウルは冷蔵庫の奥のほうで液状化している人参のようになるところでした。

あまり大事にしすぎると人間も野菜も腐ってしまう、というのは一般論ですが、ラウルの場合はもう少し込み入った事情があった、あるいはそうせざるを得なかった環境にあった、ということになりますか。

徃馬翻次郎でした。

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