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第97話 垂れこめる暗雲 ⑪


 二人の関係について、ここ何年か同じ状況が続いている、というのは前にも述べた。


 ラウルはリンのことを高嶺たかねの花だと思い込んでいる。リンはできることなら今すぐでもラウルのもとへ飛んでいきたいが、太陽を追いかける向日葵のような状況だ。

 傍で見ている方がやきもきるすような、この肝が煮える構図が崩れるにはいま少しの時間を必要とする。


「あ、あのね、私、そんなの気にしないから……」

「そうだ!お土産があったんだ」

「……はぁ」


 このようにせっかくリンが振り絞った勇気をラウルが折ってしまうことも多い。しかし、落ち込む暇もなく彼が取り出した木箱の中身に彼女は瞠目することになる。



 商会の業務内容には買取も含まれる。リンも熟練の鑑定眼を持っているとは言えないが、それなりに目は利く。この首飾りを購入するには銀貨十枚かそれ以上ではないか、と見当をつけるが、問題はそこではない。

 ラウルのお小遣いでは買えっこない、という点が見過ごせないのだ。


「これ……私に?」(キレイ!)

「うん」


 喜ぶ前にリンは確かめねばならないことがある。


「ジ―ゲルの店のお金じゃないよね?」(だったら受け取れない……)

「あの親ども相手にネコババする勇気はないよ」


 まだ、ある。


「ハディード商会からの紹介料とか賄賂とか……」(お願い!神様!)

「それは断ったよ」


 ネコババはジーゲル家の問題だが、商談予定の商人との癒着は洒落にならない。

 リンはそれこそ神に祈る思いだったが、ラウルが慌てる様子もなくあっさりと否定したのには正直ほっとした。


 それでは首飾りはどういうことなのか、という説明をするためにラウルはサーラーン人が祈りを捧げるために必要な魔法道具が故障した件と、責任を追及されて殺されかかった奴隷の件を詳しく語ることになったのだが、彼女もサーラーンの習俗は浅く狭い範囲で承知しているものの、処刑しても弁償で済ませる云々の話は寒気がした。


「ラウルは人助けをしたのよね?」

「まあ、そうなんだけどさ」

「違うの?」


 荷馬車内で元奴隷のハキムと話し合ううちに、自分が買って出た仲裁は、相手を余計に怒らせるぎりぎりの線をかいくぐって丸くおさめていたに過ぎないことが分かった。

 ゆえに、今となっては自慢できることではないのだが、それをリンに説明するのは難しい。異国人のやる事に口を挿むときはよくよく考えないとダメだな、と言うほかなかった。 


「隊商長さんがお嬢さんを連れての旅だったから、血を見せたくなかったんだと思うよ」

「そのお礼ってわけね」

「ただでもらうのも良くない気がして、一応買ったことになってる」


 リンはやっと落ち着いた。

 自分用に淹れた茶はとっくに冷めてしまっていたので、行儀悪く一気に飲み干す。それほど喉が渇いていたのだが、これはラウルの身を案じてのことである。サーラーン人への口の利き方次第では、刃がラウルに向けられていてもおかしくなかったのだ。

 黙って奴隷の処刑を見守るような男ではないとわかって彼への敬慕を募らせたが、それでも危ないことはできるだけ控えてほしかった。


「お嬢様はどんな人?」


 これは外せない質問だった。嫉妬という訳ではないが、商会幹部の娘というよく似た境遇も気になったのだ。


「ウルケシュ・ナジーブ・ファラーシャって言うはず」

「はず?」

「たぶん岩ネズミ系の……」

「たぶん?」

「一回も見てないんだよ。客車の中にいたはずなんだけどな」


 リンが知るサーラーンの習俗に照らして、ラウルの説明は筋が通っていたし、使い込みでも賄賂でもないと知って、リンはようやくラウルの尋問をやめる。


「じゃあ、ほんとに、ラウルが、自分で、稼いで、私に、お土産……」


 なぜかリンは文節に句切って呟く。心なしか目も潤ませている。

 それを見聞きしたラウルは、いったいオレはどんな畜生ではた迷惑な野郎だったのだ、と抗議したい気持ちに駆られたが、やっと彼女が貴石の首飾りを手に取ったのでさしあたり黙っていることにした。


「魔力を流すと帯電するらしいよ」

「これに?」

「うん。肩こりに効くとかって聞いたな」

「どれどれ……ほんとだ!」


 すると装飾品ではなく実用品をくれたのか、とリンは思ったが、ラウルには別の思惑があって、血行促進機能はあくまでもオマケである。


「空みたいな色だろ」

「うん」

「見た時にリンを思い出してさ」

「えっ♡」


 ハキムから説明を受けたときに、肩こりと聞いてとっさに思い出したのはクラウス学院長だったことを忘れているラウルだが、首飾りの清楚な趣がリンを思い起こさせたのは嘘偽りのない事実だ。


 事実であり、ラウルにとっては何気ない一言だったのだが、リンは強烈にしびれた。


 彼女は自分の耳に聞こえてきそうな心拍数の上昇を感じながら、首飾りを身に着けてみたが、手が少し震えて金具がうまくかからなかったたのは仕方のないことだ。


「どう?」

「……」(もう何にも言えない)

「えーと、リンさん?」

「ありがと……ラウル……あったかいね……」


 貴石には帯電以外にも発熱の効果があったことをラウルは失念していた。しかし、その温かみ以上の何かをリンが受け取ったことは間違いない。

 いい雰囲気になりかけていることも間違いなかったのだが、二人はクラーフの店内にいて、しかも営業時間中であることを思い出した。


「そろそろ帰るよ。リンも忙しそうだしな!」

「う、うん。外まで送るよ」


 贈ったばかりの貴石が立ちかけたリンの胸で揺れる。


「それって仕事中はまずいのかな?」


 華美な服装は慎むこと、という条文はクラーフ商会の社則にはないのだが、応接室に入る時は無かった装飾品が増えていたら問題になりはすまいか、という珍しく気の利いたラウルの指摘である。


「まずい……と思う」


 指摘を受け入れたリンは首飾りを外して木箱に戻そうかとも思ったが、ラウルを身近に感じられる首飾りを肌身から離したくない。

 ちょっと考えてから、彼女は襟元を指で寛げて貴石を胸に放り込むと、革ひもを襟内に押し込んで見えないようにした。


「おおっ!」(早業ッ!)

「これで見えないでしょ?」


 リンが繰り出した神速の妙技に圧倒されて、ラウルは決定的瞬間を見逃した。彼女は髪をたくし上げてから整え、再度革ひもがのぞかないか確認している。


「……」(今日一番のスケベを見逃した……)

「ラウル?」

「うん。大丈夫、見えないよ」


 ラウルはスケベを見逃した敗因を分析している。

 どのみち正面から見ていたのでは、どれだけ襟を寛げてもらったところで見えるものは制限されてしまう。要するに角度不足、横に座って至近で視界と俯角を確保できる状況でなければ何も見えはしないのだ。

 戦闘もスケベも素早い位置取りがすべてだ、とまたひとつ賢くなったラウルである。


 応接室にいる間は二人とも気付かなかったのだが、どうやら小雨模様になりつつあるらしい。雨音が聞こえるほど大崩れはしていないが、少々の雨宿りで天候が回復するとは思えないくらい、雨雲に覆われた曇り空が辺りを暗くしている。


 しかし、日没までにはもう少し時間があるから、今なら照明を借りずに帰宅できる、と判断したラウルは背嚢を探って雨具を取り出した。なにしろラウルが唱える照明魔法は屋外で使用するには光量があまりにも足りないのだ。


 彼は納品書や本のような紙類が入っている背嚢をぬらしたくないので、背負った上から雨具を羽織った。雨具の前は留められなくなるがラウルは背嚢を優先する。

 念のため、きちんと覆いがかかってるかリンに点検してもらう。


「それにしても、いろいろ揃えたね」(指南木、雨具、それに寝袋も持ってる……)

「まあね。ダブスさんに手伝ってもらった」

「爺に会ったの?」

「リンの顔で割引が効いたぜ」


 ラウルの持っている野営道具はどれも魔力を必要としない一般品である。クラーフにとって儲けの薄い商品を懇切丁寧に説明した名物店員のダブスは、今やラウルとリン共通の知己である。

 彼の話をしていても良かったのだが、リンは勤務時間中であり、ラウルは本降りになる前に帰りたい。


「次に会う時は回復薬の実験だね」

「そうだな」(訓練って言ってほしかった)


 これはラウルが戦闘訓練中に負傷した場合、リンとコリンで回復薬の治療実験と回復魔法の練習をする取り決めのことを言っている。

 互いに短く見つめ合った後、リンはお辞儀をして別れを告げる。 


「本日はクラーフをお訪ねいただきありがとうございました!」

「ああ、うん。またな」


 糸のような雨が降るなか、ラウルは家路を急ぐ。

 途中でちらりと振り返るとリンはまだ戸口に立っていた。どうやらラウルの姿が見えなくなるまで見送るつもりらしく、軽く手を振っている。


 ラウルも手を上げて応えると南門へ向かう。

 新品のターポリン製雨具が勢いよく雨粒をはじく様は見ていて心地よい。天気は小雨模様から回復するどころか、さらに崩れる様相をうかがわせている。湿った温かい雨を予感させる独特の臭いが風に運ばれて彼の鼻を刺激するのだ。

 

 帰宅したら納品の報告をし、その後は両親と話がある。

 傭兵の過去について隠していたことを怒るつもりはないが、理由だけは聞いておきたい。エスト衛兵隊長ヴィルヘルムの訪問予定もあったはずだ。


 南門の衛兵とあいさつを交わし、見慣れた風景が目に入ってきたラウルは妙な懐かしさを覚える。一泊二日の旅だったのだが、あまりにも密度の濃さに長らく自宅を留守にしていたかのような錯覚をしたのだ。

 

(いろいろ聞く前に、報告するほうが先だよな)


 急ぎ足で家路をたどる間に優先順位を決めたラウルは自宅の扉を開けて元気に帰宅を宣言する。


「ただいま!」

 

 息子の帰還を迎え、無事を祝う両親の声がかかるが、親子ともどもどこかしら緊張してしまっているのは無理からぬことだ。

親は子の問いかけに備えて若干身構えており、子は親に対して聞きたいことがある。

 ジーゲル家の夕刻は長く、込み入ったものになりそうだった。


いつもご愛読ありがとうございます。

暗雲どころか本当に雨が降ってきた、というお話でした。野党と海賊に囲まれている様こそ暗雲と言っていいかもしれません。ラウル君は本物のヒャッハーさんに囲まれた経験がありませんが、出くわしてもおそらくまともに戦えやしないでしょう。今のところは。

さて、次のお話は第二回親子会議とひさびさにヴィルヘルム隊長の訪問です。お楽しみに!

徃馬翻次郎でした。

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