第6話 エスト村の鍛冶屋 ④
突然大きな地響と爆発音がしたと思ったら、エスト村のほうから土埃が空高く舞いあがって異変を知らせた。近在の森にいた鳥たちが驚いて一斉に飛びあがる。
小さな地響きは散発的に続き、乾いた爆発音もさらにいくつか聞こえてきた。仮に土魔法と爆発系の火魔法だとして、それらを村内で発動した者がいるとなれば、これはもう非常事態だ。
ジーゲル家とエスト村の標高差はほとんどない。リンはジーゲル夫妻にひとこと無礼を詫びるなり、亜人の跳躍力と翼を生かして、ジーゲル家の二階屋根に飛び乗った。高さは申し分ないのだが、距離があるせいで村の詳しい様子は判然としない。
「どうだ、リン」(こ、これはッ)
「うーん、よく見えない」
「オレはよーく見えるぞ」(なんという圧倒的幸運!)
「え?わ、ラウルのアホッ!スケベ!」
何のとは言わないが横についているその紐は引っ張れば取れるのか、とラウルは思い切って聞こうとしたのだが、聞くまでもなく返事のかわりにパン籠が飛来、彼の頭部に命中してスケベな質問を封じた。
表に出てきてパン籠を拾ったクルトからも、やれやれといった感じでジーゲル家の家訓に沿った教育的指導が入る。
「ラウル、スケベは相手の許可を得てからだ。やり直せ」
「あなたっ」
ラウルのアホでスケベで軽率なのぞき行為を端緒として勃発したジーゲル夫妻の紛争はさておき、みんなエスト村の様子が気なる。今のところ悲鳴や剣戟の音は伝わってこないが、魔法を中心とした戦場音楽はやむことなく続ている。
ちょっとした言い合いの後、ハンナはクルトからパン籠を預かって母屋に姿を消した。いったん預かっておいて、後々なにか入れてリンに返すつもりだろう。
クルトは鍛冶場に商品見本として飾ってあった大ぶりの両手剣を鞘におさめて背負い、さらに飾り棚から取り外した銀色の短槍をしごいている。まだ、剣呑な状況に巻き込まれるとは決まってないのだが、準備に怠りはない。
続けて刀箪笥から鞘に入ったお揃いの短剣を取り出した。ジーゲル鍛冶店のエスト鋼製品第二号と三号である。ちなみにさきほどクルトが状態を確かめていた短槍はハンナの私物で、冒険者時代に愛用していた思い出の品だ。
「野盗団かそれとも魔獣か」
クルトがつぶやいた通り、騎士団や国境警備隊の取り締まりや巡察にもかかわらず、他人様の労働の成果を力づくで奪う集団が、このあたりにも多数存在する。なかには越境襲撃している者たちもいて、なかなか気の抜けない治安状態なのである。アルメキア王国に限らず、どこの国もよく似た状況で、山には山賊、海には海賊、平原には野盗が出るのだが、ある理由からエスト村周辺に野盗団が出没することはほとんどない。
クルトが懸念しているのは魔獣の出現だが、実はこれも稀なことである。本来魔獣はアルメキア西端の城塞都市アイアンブリッジの対岸、魔族の国であるムロック連盟の領土に多く生息している。
数百年前、ある魔王が魔族を糾合してアルメキアをはじめとする国々に攻め込んできたときには、それこそ大陸中に魔獣があふれかえった。あの手この手でなんとか現在の国境線に押し返し、停戦にこぎつけたわけだが、戦役の爪痕は現在も至るところに残っている。
◇
【第一~四次魔族侵攻】
かつて、タイモール大陸を戦火で覆いつくした魔族による武力侵攻は数度にわたり、そのたびに、人族および亜人族が統治する国々の勝利に終わっている。現在、諸国の間には停戦が成立し、友好的とはいえないまでも一応の和平が保たれている。
我々の日常をささえる魔道具や魔法鍛冶道具が魔族の発明によることは周知の事実であり、魔族の技術力とそれを下支えする魔石等鉱物資源の埋蔵量は他国を圧倒している。また、過酷な生活環境に対応するべく自身の肉体を人工的に強化した魔族が、いったん他国侵略を決意すれば、その命運は誰の目にも明らかだった。
なかでも、調教・強化した魔獣を大量に使役して、戦場における電撃突破と支配地域の拡大及び民族浄化を同時に行う戦法は悪夢の一言に尽きる。
実際、技術・財力・軍事力、全ての面において劣る人族・亜人族は支配地域を急速に失い、第一次魔族侵攻の際には、安全なところは王都や城塞の周辺だけという悲惨な状況に陥ったとの記録が残っている。
追い詰められた人・亜人連合は決戦兵器“勇者”を発案、最終的には魔王討伐に成功するという大戦果をあげる。公式に人や亜人を兵器と呼称することに違和感を覚える読者も多いことと思うが、事実、勇者は人間扱いされていなかったのである。
勇者は一般の志願者のほかに兵士や、赦免を条件に志願した死刑囚を採用する場合がほとんどだが、異世界より召喚した人物を勇者として採用した伝説も存在し、なりふり構っていられなかった当時の状況が推察される。
出撃の際に満足な武装を与えられない勇者は、そのほとんどが直ちに戦死や行方不明となる道理だが、うち少数が類まれな生存本能や戦闘能力を発揮して生き残る。似た境遇の仲間を募って戦力を増し、魔族の装備や財産を奪い取って力をつける。なかには拠点の奪取や破壊などという戦術目標にとどまらず、戦局全体を左右するような大金星を挙げる個体も出現するのだ。
とはいえ、勇者に問題が全くなかったわけではない。殺人はもちろんのこと窃盗や住居侵入等あらゆる犯罪行為に対してほとんどの者が当然抱くであろう嫌悪感や罪悪感を、採用時に特殊な技術を用いて除去された勇者とその仲間たちは、戦争終結後に多くの事件や流血沙汰を起こした。いわゆる“帰還勇者”問題である。
現在、勇者を採用する国家や集団は存在せず、伝説や一部地域における子供のしつけにその名残を聞くことができるのみである。
【アーケイ・ボノ ポール・ライン 共著 悲劇の兵器 勇者の成果と歴史より】
◇
例えば、毒沼に代表される残留魔素の問題にくわえて、遺棄された迷宮や地下深くで眠っている魔獣の幼体や卵に起因する事故はアルメキアだけでなく、大陸中でしばしば社会を騒がす問題となっており、為政者の悩みの種のひとつになっている。
ジーゲル家は騒動が起きているらしいエスト村から充分離れているので、原因が野盗であれ魔獣であれ、直ちに巻き込まれる危険はない。高みの見物を決め込むこともできたが、見知った顔も大勢いるエスト村の危機を見過ごすほど、ジーゲル夫妻は不人情でも臆病でもなかった。
野盗団の場合、目的は略奪だ。ついでに身なりの良い子供をさらって身代金目的の誘拐をする場合もある。さらには年頃の娘をさらって慰み者にする外道も多い。一番厄介なのは衛兵や騎士団の追跡をかわすために放火の置き土産を忘れないことだ。
相手が魔族や魔獣の場合はさらに恐ろしいことになる。過去に魔族が魔獣を引き連れてアルメキアに侵攻した際、捕虜の男性は基本的に生存を許されなかった。単純に生命を奪われるだけではない。生きたまま魔獣のエサや射撃競技の的にされたり、最終的には卵や幼体を産み付けられた者がほとんどである。幼い子供と年寄りもほぼ同様の扱いを受けた。
この皆殺しに近い状況でなぜ詳細な記録が残っているかと言えば、魔族の技術者と魔術師が魔獣のエサや培地に対する好みや発育状況について研究した資料が残っており、本屋や骨とう品店でその現代語訳版が入手できるからだ。本来は魔族との対立をあおるような狂気の料理研究本こそ発禁にすべきなのだが、なぜか当局の取り締まり対象にはなっていない。
一方、捕らわれた若い女性の多くは生存を許された。ただし、魔族繁殖用の肉袋としてである。魔族にもいろいろな種族がおり、魔王の許可さえあれば人間だろうが亜人だろうがあいさつ代わりに手籠めにして犯す性欲の塊のような連中がいる。そのなかには交尾相手の生死を気にしない、穴さえあれば何でも構わないというような常軌を逸した畜生も大勢いたのだ。一応、拒絶する権利も与えられるが手荒く犯された後、年寄りや男性と同じ末路をたどることになる。
ラウルのスケベ精神が可愛く思えるほどの強烈な繁殖意欲をぶつけられた女性たちは、仮に幸運が重なって救出されたとしてもまずまともな人生を送れなかった。救出された女性のほぼ全員が精神に異常をきたすか自ら命を絶っている。
魔族の件は風化した昔話になりつつあるが、野盗団相手に交渉できたとしても、よほどの金持ちでない限り成立しない。どちらにしてもさらわれた女性の末路はあまりにも暗く、救いがない。
もちろんクルトは愛するハンナを慰み者にも肉袋にもさせるつもりは毛頭ない。
現在、魔族の国ムロック連盟とは円満とは言い難いが一応の和平が結ばれているから、魔獣を引き連れた魔族の侵攻は考えから除外して良い。すると開墾作業か鉱山での採掘中に魔獣の巣に出くわしたか、うっかり卵を割ってしまったかだが、眠りから覚めた魔獣がすることは人とそう変わらない。
それは食事だ。
当然だがクルトはむざむざ友人や家族を魔獣のエサに差し出すような男でもない。
みたところ火の手はまだ上がっていないが、クルトはエスト村に出張ることを決めた。そうとなれば、ハンナが愛する夫をひとりで行かせるはずもない。
「あなた、着替えを手伝ってくださる?」
「おうよ」
二階から呼ぶハンナの声に応じたクルトが家の中に戻る。エスト村だけではなく、ジーゲル家も急にあわただしさを増した。ラウルも両親に遅れてはならじと、リン様御姿鑑賞の儀を切り上げて鍛冶場に入る。
(鍵をかけて家から出るな、とは言われなかったよな)
この世界の人族としては、すでに大人と見なされる年齢である。裕福な家なら妻子がいてもおかしくはない。ラウルとて今少しの貯蓄とスケベを控えめにすることに成功すれば、相手がいないわけではないのである。
将来設計はともかくとして、大人扱いされた結果、留守番を命じられなかったことにラウルは喜ぶ一方、恐怖とも緊張とも言い難い、複雑な気持ちが湧き上がるのを感じていた。
(よ、ようし、やってやるぜ)
意気込みは勇ましいが、何しろラウルは両親のような元冒険者でも何でもない鍛冶屋の見習いである。
武術の心得はない。魔法の心得はもっとない。このないない尽くしで何ができるのか、自分にもわからないが、付いて行く以上心と武器の準備をする必要がある。
(売り物を勝手に持ち出すわけにはいかないな)
自作の短剣はエスト鋼ではなく、普通の鍛鉄製だが丸腰よりはずっと心丈夫だ。いつかは父親のように商品見本になるような業物を鍛えたいとは思っているが、今日のところはこれが精一杯である。
「ラウル、先に行ってるね!」
「気をつけろよ」
外に出るとリンの声が落ちてきて村に先行すると告げる。閃光の後、黄金色の首輪と白い足輪を光らせ、鷲が飛び立った。陽光をきらめかせて高度を上げるリンの姿を久々に見て、素直に美しいと思うラウルだった。
その直後に、どうしても見たかったリンが変化する瞬間を見逃したことに気付いて本気で悔しがるスケベだった。正確に表現するなら変化の瞬間に何か透けて見えまいかと期待していた度し難いスケベだった。
いつもご愛読ありがとうございます。
ラウルはまれにラッキースケベに遭遇しますが、基本見るだけです。
理由は“拒絶されるのが怖い”からです。それぐらい彼は深く傷ついているのです。
がんばれラウル!
往馬翻次郎でした。
※クルト・ハンナの馴れ初め回も考えてます。回想形式になるかもしれません。