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男に二言は

「気に入らねぇ」

 至福の一時が終わり、心も胃袋も満たされた子供達が寛ぐ最中、唐突にそんな声がスノーディアへと吐き出された。


「……少年、バクバク食ってガブガブ飲んだ後に言う台詞じゃねぇぜ」


「うるせぇ! 歌聞いたんだろ! 貸し1つに借り1つでそれはチャラだ!」


「まぁ、別にそれで良いけど。――しかし、僕の姿を見ただけで腰を抜かしたガキんちょとは思えない口の悪さだね」

 やれやれと片手を上げて小さく息を吐いたスノーディア。

 その眼前には、腕を組んで鋭い目つきでスノーディアを睨むウィルの姿があった。


 ウィルは、孤児院の年中組に属する勝ち気な12歳の少年。

 燃える様な赤毛が特徴で、孤児院一のやんちゃ坊主。

 喧嘩っ早く、近所の子供と取っ組み合いの乱闘を繰り広げてはシスター達からのお叱りを受ける事も少なくないが、根は優しく情にもあつい。

 暴力という手段自体は決して誉められるべきものではないが、先の乱闘も、孤児院の子らをからかう近所の悪ガキが原因であり、守る為のウィルなりの戦い方なのである。

 その為、孤児院の小さな子らには慕われており、頼れる兄貴分としての地位を子供ながらに確立していた。


 そんなウィルが、今日もまた、孤児院のチビ達を守る為に立ち上がったのだ。


「ウィル、よせ」

 クロハの制止する声がウィルに向けられるが、その程度では孤児院の小さな暴牛は止まらない。


「一体何が目的だ! 俺達を太らせて喰うつもりか!?」


「少年さぁ、僕を人食いの猛獣か何かと勘違いしてないかい?」


「じゃあ目的はなんだ!? 金か!? 生憎と孤児院に金は無いぞ!」

 ウィルの言葉は何故かスノーディアではなく、周りで聞いていたシスター達に多少のダメージを与えた。別にシスター達が悪い訳ではないのだが、孤児院の運営費が常にカツカツなのは年中組ともなれば薄々察しはついていた。


「別に裏があって孤児院に来た訳ではなく、聖女ちゃんに付いてきたらたまたまココだったってだけだけど、――――まぁ、そうだな、あえて目的としてあげるなら聖女ちゃんだろうぜ?」


「マリア様との勝負の事か?」


「そうだぜ? 僕の当面の目標は聖女ちゃんの処女を奪う事だからね。そこに嘘偽りは無いぜ?」


「マリア様の処女が何かはわかんねーけど、マリア様から何かを奪うって事だろ!? お前にマリア様の処女は奪わせねぇし、世界も破滅なんてさせねぇ!」


「ちょっ……ちょっと待ってウィル!」

 大きな声で何度もマリアの処女処女と叫ぶウィルに、顔を赤くしたマリアが抗議の声をあげる。

 そんなマリアの様子を見たスノーディアはニヤニヤ笑い、そのマリアの真っ赤な顔を魔王に対して怒っていると勘違いしたウィルが更に怒気を強める。


「マリア様、俺の心配は必要ありません! マリア様の処女は俺が守ります!」

 ウィルが力強く宣言する。


「もうあなたちょっと黙りなさい!」

 更に顔を赤くしたマリアが懇願する様に叫んだ。

 その様子がおかしかったのか、スノーディアが大口を開けて笑う。


「魔王! マリア様を笑うんじゃねぇ!」

 自分の言動が引き金だとは微塵にも思っていないウィルがスノーディアをこれでもかと睨む。

 そんなウィルに魔王はひとしきり笑った後、悪戯っぽい微笑みを浮かべながら問うた。


「少年の心意気は買うがね。しかし、どうやって僕から聖女ちゃんを守るんだい?」


「ふっ、自分でバラしただろーが?  マリア様の処女がお前より先に他の誰かの手に渡ったら困るんだろ?」

 そう言ってウィルはニヤリと笑う。


「さぁ、マリア様! コイツに取られる前にマリア様の処女を俺にください!」


「あげませーーん!」

 夕日よりも赤い顔をしてマリアが絶叫し、スノーディアは腹を抱え、涙を流してゲラゲラと笑い転げた。

 スノーディア達のやり取りを離れて見ていたクロハは頭を抱え、若いシスターや年長組は顔を赤くし、意味が判らない子らは首を傾げ、リーチェは孤児院での今後の教育の在り方について考えを改めた。



「マリア様がそんなに大事にされている物なら仕方無い。預かるのは諦めて別の方法を考えます」

 マリアの様子に怪訝な顔を見せつつも、ウィルは真面目な顔をしてそう口にする。


「少年、君は実に面白い、そして将来有望だ。君がいれば僕は退屈せずに済みそうだね」

 目の端に涙を湛えたスノーディアがウィルを指差す。


「僕は君が気にいった。そこでどうだろう。ひとつ提案だ。少年、僕と勝負をしないか?」

 スノーディアの言葉にマリアとクロハが素早く反応した。

 マリアは先程、羞恥で赤く染まった顔を一瞬で青くして、止めに入った。


「ウィル、ダメです! その勝負を受けてわ! 魔王、あなたはウィルをどうするつもりですか!?」


「いいだろう。受けてたつ!」

 マリアの制止を意にも介さず、ウィルが即答する。


「ウィル!」

 クロハが慌てて名を呼ぶが、孤児院の暴牛ウィルは問題ないとばかりにクロハに向けて親指を突き立てた。


「決まりだね。男に二言は?」


「ない!」

 実に男らしく、腕を組んだまま堂々とウィルが返事をした。


「この馬鹿者!」

 腹の底から吐き出したような大声で叱責したクロハの拳骨が、ウィルの脳天へと突き刺さる。

 ゴツッと鈍い音がした。


「いってぇな……、なんでそんなに怒るんだよ?」


「怒るに決まっているだろ! 大馬鹿者が!」

 ウィルを叱りつけた後、クロハがスノーディアを鋭く睨んだ。


「貴様、どういうつもりだ!?」


「どうもなにも、僕は少年の心意気を買ったまでさ。聖女ちゃんを守る為、一人魔王に立ち向かう。実に男らしいじゃないか」


「戯れ言を!」


「護衛ちゃん、もう両者の合意は得たんだ。君が何を言おうと絶対撤回はしないぜ? そうだろ少年?」


「当然だ!」

 大きく肯定したウィルの脳天に再びクロハの鉄拳が炸裂する。


「いてぇって」


「安い挑発にホイホイ乗るんじゃない! 勝負を受けるにしても、せめて内容を聞いてから受けんか!」


「あぁ、それで怒ってんの?」

 頭を擦りながらウィルがスノーディアへと顔を向ける。


「そうだね――じゃあ、こうしよう。陽が落ちきるまでに君が僕に触れる事が出来たら君の勝ち。出来なければ僕の勝ち。簡単だろ? 範囲は孤児院の敷地内。僕は正々堂々逃げるので、君はどんな手を使っても構わないから僕に触れたまえ。――名付けて『スノーディアちゃんを日暮れまでに捕まえようゲ~ム』ドンドンパチパチ~」

 1人で楽しそうにスノーディアが手を打ち鳴らす。


「そんなので良いのか?」


「勿論だとも。君達は傷つけないというのが約束だし、こう見えて僕は非暴力推進委員会会長だぜ? 創立5秒の格式高い由緒ある委員会だ」


 マリア達が孤児院に来たのは昼過ぎ。そこから讃美歌やら至福のティータイムを経て、陽が落ちるまでは二時間程。

 二時間以内に魔王に触れる。ただそれだけ。

 ウィルは自分の勝ちを少しも疑わなかった。


「楽勝じゃねぇか!」


 ウィルの言葉に魔王が不敵に嗤った。


「――そうとも、楽勝過ぎるくらいに楽勝だともさ。――それで? その楽勝な勝負の報酬に少年は何を望むんだい? 世界の安寧秩序以外で頼むぜ? そっちは聖女ちゃんとの勝負の景品だからね」


「え? ああ……そうだな……。じゃあ、俺が勝ったら魔王、お前は俺の家来になれ! お前が勝ったら俺が家来になってやる!」


「んー、家来は募集してないし、君は好き勝手動いてくれた方が面白そうだけど……まぁいいか。それでいこう」


「決まりだな! 男に二言は?」


「ないとも」

 スノーディアが即答した後、二人で顔を見合わせてニヤリと笑い合う。

 当初こそ魔王の提案に慌てたマリア達であったが、話が進むにつれておかしな方向へと飛んだ二人の勝負に、ただ顔を見合わせて静観するに留めた。



 マリアは思う。

 確かに、勝負には違いない。違いないないがこれは……。


「じゃあ、僕は先に外に出ているよ。10秒したら勝負開始だ」

 スノーディアが外へと出ていった後、ウィルはゆっくりと頭の中で10秒刻む。

 制限時間は二時間。まだまだ余裕がある。ウィルにとってはたかが10秒などあってない様なもので、僅かな焦りすらなかった。

 ウィルは考える。

 向こうは仮にも魔王。自分は12の子供。いくらあの魔王が女顔で華奢な体格であっても普通の戦いで勝てるとは思わない。

 しかし、この勝負に体格も年齢も関係ない。必要なのは体力と機敏さ。ウィルはこの二つには自信があった。伊達に近所の悪ガキ共と喧嘩に明け暮れてはいない。

 加えて、範囲は遊び慣れた孤児院の敷地内。建物の外の広場には、数本の木や幾つかの花壇があるだけでたいした障害物があるわけではないが、平坦ではないし、チビ達が掘った小さな凸凹も地面にはいくつも存在する。

 そういった条件下で、魔王の体に触れるだけ。それだけ。

 目をつぶりながら思考するウィルはニヤリと笑った。

 楽勝だな、と。


 思考していた為、とうに10秒は過ぎていた。

 それでも、慌てる事なくウィルはゆっくりと、建物の外へと向け歩を進めた。

 勝つ為に。

 この勝負を終わらせる為に。







「はい、時間切れ~」

 完全に陽の光りが落ちた暗闇を背景に、スノーディアが飄々と宣言する。

 その眼前には、両手両膝をついてゼェゼェと肩で大きく息をするウィルの姿があった。


「いや~、実に楽しい一時だったね」

 ニコニコと笑ってスノーディアが言い、ウィルに敗北の二文字を突き付ける。

 ウィルの身体が震える。

 それは魔王が怖いわけでも、魔王の下につくのが怖いわけでもない。

 悔しかったのだ。震える程に。情けない程に。


 何故だ! どうしてこうなった!?

 楽勝だと思っていた勝負だが、結局、ウィルはスノーディアに触れる事叶わず敗北を喫した。


 開始当初こそウィルはまだまだ余裕があった。自信もあった。

 様子見と軽く動いたウィルの手は、何度もスノーディアの鼻先、手先のあと数センチというところまで迫った。

 その度にスノーディアは焦った顔をして冷や汗を流した。

 これはまだほんの小手調べ。本気じゃない。楽勝で触れると確信した。

 なのに触れなかった。

 どれだけスピードを上げても届かない。あと数センチが届かない。

 ウィルは徐々に焦り始める。しかし、それは向こうも同じ、スノーディアは時々大きく距離をとっては息を整え汗を拭ったりした。思っていたよりは手子摺ったが徐々に追い詰めている感触は確かにあった。

 なのに、何故届かない。触れない。


 しかもだ。

 途中からウィル以外の子供達も一人また一人と勝負に加わり始めたのにだ。

 卑怯かとも思ったが、スノーディアはウィル側に制限を設けなかった。何をしてもいいと言った。少しかっこ悪いが負ける訳にはいかない。

 そう自分を納得させて、孤児院の子供総出でスノーディアを追い掛け、追い詰め、そうして何度も触れるチャンスがあった。

 けれど、結果は敗北。

 ウィルは、触れるだけがこんなに難しいと思ったのは生まれて初めてであった。


「クソっ!」

 腑甲斐無い自分が情けなくて、うずくまったままウィルは何度も地面を叩いた。

 そんなウィルの頭上に無慈悲に悪魔の囁きが舞い落ちる。


「勝負は僕の勝ちだ。約束通り、今日から君は僕の家来だ」

 悔しさでウィルはすぐに返事を返せなかった。

 ただ歯を食いしばり、拳をきつく握り、泣きたい気持ちを強く堪えて屈辱に耐えた。

 しかし、悪魔は容赦しない。なおも囁く。


「男に二言は?」


「……ない。好きにしろ」


「良い心掛けだ。――さて、そんな従順な僕の犬に成り下がった家来の君に、主君たる僕からひとつ教授する事がある」


「……教授?」


「そう……。仮にも僕の下に付く者が、馬鹿でも良いがデリカシーが無いのはいただけない。大事な事なのでしっかり聞きたまえ」

 そう言ってスノーディアは腰を落とし、ウィルの耳元で囁き始めた。

 囁きにしては少し長めの主君スノーディアの言葉。

 真剣な表情でそれに耳を傾けていたウィルだったが、しばらくするとその顔が真っ赤に染まった。陽が落ちたばかりの薄暗闇の中でもハッキリと分かる程に、耳まで真っ赤である。


「と、まぁそういう事だよ。紳士たる者、よく覚えておきたまえ」

 ウィルの耳元から顔を外したスノーディアが告げる。

 ウィルは何やらショッキングな事があったらしく、愕然とした表情で一度マリアを一瞥した後、マリアと目が合うと顔を更に燃え上がらせて奇声をあげ、頭を抱えてその場で転げ回った。

 その様子を見たスノーディアが愉快そうに笑う。


 そうして、散々笑った後でスノーディアは悶え死に寸前のウィルを放ったらかしにして、勝負を黙って静観していたマリアの元へと歩み寄った。


「聖女ちゃん、夜道は危ないし何なら大聖堂まで送っていくのもやぶさかではないけど」


「……いえ、クロハも居ますから」


「……そう? じゃあ、僕は今日はこれで帰るよ?」


「魔王スノーディア」

 立ち去ろうとしたスノーディアの名を呼び、マリアが引き留める。


「なにかな?」


「あなたとウィルの約束ごとに口を出すのも大人気ないとは思いますが……、あまり、ウィルに無茶な命令はしないでくださいね」


「無茶をさせるつもりはないさ。傷つけない約束だしね。からかいはするけど」

 そう言ってスノーディアは、悪戯を思いついた子供の様にクックッと笑った。


「魔王、帰っちゃうの?」

 いつの間にか、笑うスノーディアの裾を掴んだミーヤが寂しそうに尋ねた。

 スノーディアがふと顔を落とすと、ミーヤだけでなく、他にも何人かの子供がスノーディアの顔をみつめていた。

 スノーディアは小さく苦笑して、ミーヤの頭をクシャリと撫でた。


「今日はね。子供は嫌いなんだけど、聖女ちゃんが来るってんなら仕方ねぇ。また来てやるよ。約束するぜ? だからまぁ、精々首を洗って待っていたまえ」

 ミーヤは意味が分からずキョトンとした表情で首を傾げたが、また来るという部分だけ理解出来たのか「うん! またね!」と笑顔で言って、スノーディアの裾を離した。


 そうして静かに踵を返し、去り行くスノーディアの背中に子供達のバイバイと、またねが届けられた。

 スノーディアは振り返らず、片手をヒラヒラと振って、敷地の門から出ていった。


 スノーディアの姿が闇の中へと消えていくのを眺めた後、マリアは傍らの子供達へと目を向けた。


「おいかけっこは楽しかった?」

「うん!」

 マリアの問い掛けに笑顔で答えるミーヤ。


「そう……」

 マリアも笑顔で答える。


「魔王ね、すごいの! ミーヤ達がおいかけても全然つかまんないの!」

「魔王、すごかった!」

「おもしろかった!」

 笑顔を顔に浮かべて、口々に語る子供達。


「魔王、また来てくれるかな?」


「……また遊びたい?」


「うん!」


「なら、きっと来てくれるよ。約束、したでしょ?」

 マリアはそう言って、もう一度、スノーディアの消えた方向を静かに眺めた。

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