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ちょろ過ぎだろ君ら

 マリアが孤児院に足を踏み入れると、広めのエントランスの手前、入ってすぐの辺り、マリアに背を向けて立つスノーディアの姿が認められた。

 その反対、エントランスの片隅で身を寄せあって一様にして不安そうな表情でスノーディアに目を向けているのは、シスターと、そのシスターの背後にいる子供達であった。


 顔には出さず、マリアは心の中だけで苦笑する。そりゃそうだ、と。

 悪の代名詞"魔王"が自分達のすぐ目の前にいれば子供に限らず誰であれ恐怖するだろう。当たり前の反応。

 そんな感想を抱きながらマリアがスノーディアの背中を眺めていると、ふいに、顔だけをマリアにクルリと向けたスノーディアが口を開く。


「僕はなんにもしちゃいないぜ? 神には誓いたくないので聖女ちゃんに誓って」

 自分という"存在"自体が原因だとは思っていなさそう――思っていても気にしていなさそうな態度でスノーディアが微笑む。


 はいはい、とマリアはスノーディアの言葉を軽く聞き流すと、エントランスの片隅に縮こまる子供達へと歩み寄った。


「怖がらなくて大丈夫。って言っても怖いかも知れないけど……。大丈夫。私やクロハが居ますから。みんなには絶対手は出させません」

 不安そうな表情を浮かべる子供達を、元気づける様にマリアが言う。


「……ほんとに?」

 泣きそうな顔した少女がマリアに尋ね、「ほんとです。絶対です」と、笑顔のマリアが力強く頷いた。


「おいおい聖女ちゃん、絶対、なんて簡単に口にするもんじゃないぜ? 子供騙しもいいとこだぜ」

 ホッとした様な少女の心境をへし折ってしまいそうな台詞がマリアの背後から飛んできた。

 マリアは笑顔のまま振り返り、「あなたは黙っててくださーい」と表情とは全く合致しない冷たい口調でスノーディアへと向け言い放った。


 と、そこに、マリアの後ろ、クロハと並んで孤児院へと入ってきたリーチェがマリアの援軍として加わった。

「はいはい。みんな、マリア様がこう仰有っているのだから、そんなところで怖がっていないで魔王スノーディアにキチンと挨拶と自己紹介をなさい」

 リーチェの言葉に子供達が顔を見合わせる。


「シスター、別に僕は挨拶も自己紹介も求めてはいないのだけど……。僕の事は、銅像だとでも思っていつも通りにしてくれたまえ」


「魔王スノーディア、そうはいきません。私が招いた以上、あなたはここのお客様です。お客様にはお客様への礼儀というものがあります。そしてここは孤児院。子供達の生活する場であり、学び舎でもあります」

 微笑みながもしっかりとした口調のリーチェ。

 それを聞いたスノーディアは、僅かだけ間を空けて、小さな溜め息をおとした。


「やれやれ、あなたには参るぜシスターリーチェ。――けどまぁ、教育方針ならば致し方ない」

 困った様に、されど何処か嬉しそうにスノーディアは口元を緩めた。

 それはほんの一瞬で、彼はすぐにいつもみせるデフォルトの様な飄々とした微笑みを湛えると片隅のマリアや子供達へと足を向けた。

 自分達に近付く魔王を目にし、若いシスターや子供達に緊張が走る。


 スノーディアは、子供達の少し手前で立ち止まると微笑みを貼り付けたまま軽く胸に手をあてる。


「やぁ、少年少女達。恐がらせて悪かったね。キチン、と挨拶が出来ていなかったので改めて。僕が魔王スノーディアだ。君達に乱暴狼藉を働くつもりはないのでどうか安心して欲しい。よろしくしてね?」

 スノーディアの言葉に、子供達が再び顔を見合わせた。

 そうして、少しだけ間を空けた後、


「スコッチです。よろしくお願いします」

 孤児院で最年長、黒い肌と長い手足が特徴的な14歳の少年スコッチが、魔王にそう返事を返した。

 スコッチの挨拶が引き金となって、子供達が次々にスノーディアへと挨拶を交わしていく。年長組から年少組まで、全員おっかなびっくりに。されどしっかりと。


 その様子をマリアは静かに見ていた。

 魔王がこちらに、――子供達に近付いてきた際に、恐がるからと引き留めようとしたマリアであったが、結局マリアはそうはしなかった。

 魔王が一瞬だけ見せた嬉しそうな口元がマリアの行動を僅かに鈍らせた。その僅かな気の迷いでマリアは引き留めるタイミングを失ってしまったのである。

 スノーディアと子供達を静かに眺めている間、マリアの中で、先程のリーチェの言葉が、ゆらゆらと思考の波間に漂い続けた。



 子供達とシスター、赤子を除く40数名全員の挨拶を受けた後、「こう一気に自己紹介されても覚えられないんだけど」と、もっともだけど本人達を前に口に出すのはあまりよろしくない事を平然と口にしたスノーディアが言葉を続ける。


「さっきシスターリーチェにも言ったが、僕の事は銅像だとでも思っていつも通りにしてくれたまえ。僕は部屋の片隅で静かに聖女ちゃんの可愛い顔でも眺めておくからさ」


「何故私……。孤児院に来た意味は」


「いや、それはだってノミの様に聖女ちゃんの後ろをくっついてたらたまたま孤児院に辿り着いたという話であって僕の意志ではないし。なにより子供って順応性高いだろ? 変になつかれたりしたら困るじゃないか」


「なつかれて困る事がありましょうか」


「いや、ほら、僕子供嫌いだし?」


「こ、こんなに可愛い天使達を嫌いなどと……。やはり、あなたとは分かり合えそうにありませんね」


「……天使とかさぁ。魔王の僕の立場も考慮して貰えると嬉しいんだけど」

 やれやれと肩を竦めるスノーディアを綺麗に無視したマリアが子供達へと顔を向ける。


「これはノミの銅像ですから、みんなは気にしなくていいからね」

 マリアの言葉に子供達が頷く。


「銅像だってタダじゃないんだ。教会は変なところに予算をかけるね。そして、当たり前の様にノミの銅像を受け入れる少年少女達が怖い」

 孤児院の広いエントランスにスノーディアの溢したつぶやきが虚しく響いた。


「最近はどんな事をして過ごしているのです?」


「最近はね、新しいお歌の練習してるの」


「讃美歌!」

 マリアの問い掛けに年少組が口早に答えていく。


「まぁ! 新しい讃美歌ですか? それは私も是非聞いてみたい」


「うん! あのね、もうすぐマリア様の誕生日だから」

「おい! ミーヤ!」

 近くにいた年中組の少年が、ミーヤと呼ばれた年少組の少女の口を慌てて押さえた。

 ミーヤの周りにいた小さな子らも悪戯そうに笑ってシーと口元に手をあてている。


 マリアは、ただそれだけで涙が出そうになる程、幸せな気持ちに満たされた。思わず子供達を抱き締めたくなった。

 その感情は、少なくとも背後から届いた「ようするに、聖女ちゃんの誕生日に歌うサプライズソングを練習している訳だね」という言葉が耳に入るまでの僅かな時間まで続いた。


 スノーディアの悪魔よりも悪魔な一言に子供達から笑顔が消えて、かわりに、口を滑らせてしまったミーヤの小さな呻き声と悲痛な顔が、マリアの堪忍袋をいとも簡単に切り裂いた。


「空気読みなさい!」

 憤怒の顔をしたマリアの怒号がスノーディアに叩きつけられる。

 が、それをスノーディアはいつもの飄々とした態度で軽く受け流す。


「生憎と生まれてこのかた、空気は吸った事しかないし、文字以外を読んだ記憶もあまり無いね」


「黙らっしゃい! 魔王です! やっぱりあなたは正真正銘の魔王です!」


「えー? それはまぁ、純然かつ公然たる事実だから否定しないけどさぁ、こういうのは驚きよりも気持ちが大事なんじゃないかな? 祝いたいという純粋な気持ちがさ」


「クッ……それはそうかも知れませんが、あなたに純粋な気持ちがどうこうと言われると納得しかねます!」


「それはとんだ偏見というものだぜ、聖女ちゃん? いや、まぁ、それはともかくだよ」

 言って魔王が泣きそうな顔をしたミーヤの頭をクシャリと撫でた。


「僕は生まれてこのかた歌という文化に触れる機会が無かった様な気がするので、是非ともその讃美歌とやらを聞いてみたいのだが、どうだろう少年少女達。僕に聞かせてはくれないかい?」

 突然のスノーディアの申し出に子供達が押し黙ってしまう。


 やや間を置いて、恐る恐るといった風のスコッチが言う。

「良いけど、……その、……違うヤツだぞ?」


「勿論構わないとも。とっておきはとっておきの日までとっておきたまえ」

 腕を組みつつ人差指を斜に構えたスノーディアは、そのまま部屋の隅までゆっくり下がると壁を背にしてもたれ掛かり、歌を聴く体勢へと移っていった。


「そ、それじゃあ、えっと……シスター、伴奏をお願い」


「え、ええ」

 スコッチに促され、若いシスターが部屋の奥に設置されていたオルガンへと動いた。


「みんな、並んで。いつもと同じに」

 年長組の少女の一人が促し、その言葉に従って子供達が規則正しく並んでいく。背の低い者が前、高い者は後ろ。


 そうして、シスターの叩くオルガンの音を起点にして広がったのは、拙くも、澄んだ子供達の歌声。マリア風に言うなら天使の歌声であろう。

 やや緊張こそしているものの子供達の顔はみな真剣で、魔王の申し出ではあるものの、聖女たるマリアに聞かせるという意識の方が強い。

 ゆっくりと、高く、それでいて明瞭とした歌声は、その場を瞬く間に掌握し、神聖な空間へと昇華させた。心が洗われる、という言葉がピタリと収まるそんな場所。

 マリアやクロハだけでなく、聞き慣れているリーチェも静かにその空間に身を任せ、歌声に聞き入っていた。


 ただ一人。

 歌声が高くなるにつれて目が泳ぎ、曲が進むにつれて汗を吹き出すスノーディアを除いて。



 歌が終わると、部屋の空気はふっと代わり映えし、マリア達の拍手でいつもの空気へと落ち着いた。


「上手です! 素晴らしかったです!」

 マリアが笑顔で誉めて、子供達が一様にはにかんだ。


 ついで、マリアは「どうですか? 素晴らしかったでしょ?」と尋ねようと背後にいるスノーディアへと振り返った。

 すると、何やら冷や汗を流すスノーディアと目があった。

 そんなスノーディアの様子にマリアはやや怪訝な顔を見せた。


「ああ、うん、良かったんじゃないかな? 讃美歌、というより歌自体聞いた事が皆無に近いので良し悪しはあまり判らないんだけどね」

 確かに感想を尋ねようとは思ったが、聞いてもいない歌の感想を語り出したスノーディアにマリアの怪訝な顔が更に険しくなった。


「ところで、聖女ちゃんも歌をうたったりする事はあるのかい?」


「え? ええ、まぁ」


「マリア様はとても素晴らしい歌声の方ですよ」


「女神の歌声、ですからね」


「マリア様の歌はとっても素敵なの!」

 リーチェが割って入り、マリアの歌声を誉め、他のシスターや子供達も続く。


「へー……。そうなのかい、他ならぬ聖女ちゃんの歌声なら是非とも聞いてみたいものだね。あ、その時は事前に知らせてくれたまえ。色々準備が必要だから。きっと」


「別にあなたに聞かせる気は……」

 そこまで言ってマリアが言葉を止める。しかし、間を空けず「いえ、そこまで言うなら聞かせましょう。近いうちに。タップリと」そう言ってマリアはニッコリと喜色満面に微笑んだ。

 その笑顔にスノーディアが僅かに身を強張らせたが、マリア以外にそれに気付く者はいなかった。


 何やら不穏な空気を打ち消す為に、スノーディアが小さく咳払いをする。


「聖女ちゃんだけにしか淹れないのだけど、今日は特別だ、歌のお礼も兼ねてご馳走しよう」

 言うが早いか、スノーディアがパチンと指を鳴らす。

 途端に、何処からともやく現れたのは大きな木製のテーブルと沢山の椅子。テーブルの上には逆さになったティーカップが積まれていて、スノーディアがそのカップの山の頂上の1つを手に取った。


 そうして、いつもマリアにそうするようにカップに紅茶を注いでいく。辺りは、蒸気する湯気に導かれる様に紅茶の良い香りに包まれていった。


 全員分の紅茶を手際良く淹れ、それを並べた後、スノーディアはもう一度指を鳴らした。

 テーブルの上にコトリとひと口サイズの焼き菓子が乗った皿が出現する。

 紅茶と焼き菓子の甘い匂いが混ざり、溶け合い、讃美歌の時とはまた違ったえも言えぬ素敵な空気が部屋に満ちる。


「お食べよ。別に毒なんか入っちゃいないから。ああ、紅茶は熱いから気をつけたまえ」

 そう言い、スノーディアが紅茶にひとくち口をつけるが、子供達は顔を見合せるばかりで動こうとはしなかった。正確には、満面の笑みを浮かべて菓子に突撃しようとした年少組が何人かいたが、それらは全て傍にいた年長組に力任せに阻止されていた。


 動こうとしない子供達。

 その空間にあって、最初に動いたのはマリアであった。

 スノーディアから差し出された物を口にした事があるのはマリアだけ。安全と知るのもマリアだけである。マリアが動かねば、おそらく誰もテーブルの上の物を口にしなかっただろう。

 マリアとしては、魔王に肩入れしたつもりはなく、単に誰も口にせず、このまま捨てられてしまうのも気が引けた。その程度の意識であった。


 何度も口にしているとはいえ、魔王から差し出された物を不用意に口にするマリアに、護衛としての立場でここにいるクロハはいい顔をしなかった。

 しかしながらクロハは、多分マリアは、「食べたい。でも怖い」という子供達の気持ちを察して自ら動いたのだろうと、自らを納得させ、渋々といった表情で自分も席につく。


 そんなマリアとクロハに続いて席についたのはリーチェ。

 孤児院の院長であるリーチェが「折角ですから、ご相伴に預りましょうか」と、席につき、菓子をひと口かじる。


「まぁ、凄く美味しいわ」


 リーチェのその一言で子供達の欲求が爆発した。

 子供達は、我先にと席につくと、次々と菓子に手を伸ばして口へと放り込んでいく。

 右手で菓子を取って口へと放り込むと同時に左手で菓子を取る。咀嚼も程々に飲み込むと、左手の菓子を口に放りつつ、また右手で菓子を取る。

 ある意味効率的とも言える食事風景。行儀は良くない。

 しかし、今の子供達に行儀などもはやどうでも良く。ただただ菓子を貪る食の権化と化していた。

 マリアはそのあまりの勢いにややおののき、孤児院出身のクロハは血の繋がらない弟、妹を見て小さく頭を抱えた。


 神都ネウロと言えど、甘い物がそこまで流通している訳ではない。買おうと思えば買えるが、御値段は少々お高め。一般庶民が口にする事は何か特別な日くらいなものである。まして、教会の運営とはいえ苦しい台所事情の孤児院では中々お目にかかれない超レアな食べ物であった。

 ゆえに子供達が夢中になるのも致し方無い事なのだ。


 子供達の様子を眺めながら、スノーディアが頬笑む。

「まだまだいっぱいあるから、好きなだけお食べよ。――っていうか」


 ちょろ過ぎだろ、君ら。

 魔王はそう心の中で呟き、不敵に笑った。

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