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忌ま忌ましい

 緑溢れる木立が見送る様に並木道を通り過ぎる。

 馬車がゆうにすれ違える程度の道幅の沿路には、敷き詰められた白い玉石が続く。

 時折、ひっそりと何処からか鳥の鳴き声が届くだけの静かな道程。


 聖女マリアはその道をゆっくりと歩いていた。

 今日は天気も良く、かと言って暑すぎない、散歩をするには丁度良い気候。

 別にマリアの目的は散歩ではなかったが、優しく吹き抜ける風に肌をくすぐられていると、このまま本当に散歩でもしてしまおうかと思う程に気分が良くなってくる。


 そんなマリアの後ろには二人の人物。

 一人は、遠い倭国で用いられる剣"刀"を腰に提げた背の高い女性。マリアの身長が特段低い訳ではないが、それでも、その女性はマリアの頭ひとつぶん高い。背は高いが、その分髪はやや短く、うなじが少し隠れる程度の真っ黒な黒髪。

 女性の名は、クロハ。

 その眼は、周囲を油断なく見透かす様に鋭い。

 いまは、聖女であるマリアの護衛役としてマリアと共に並木道を歩いている。


 そして、もう一人。

 楽しそうに周囲を眺めながら、マリアとクロハの後ろを少し離れて歩いている。

 そんな彼は、何かを見付ける度に、二人、主にマリアに、子犬の様に近付いて来ては、その度にクロハによって追い返された。

 そんな彼が今もまた、進む道の先にある銅像を目にし、ぴょこぴょことマリアへと近付いた。


「ねぇねぇ、あの銅像さ」

 マリアの側へと小走りに近付きながらそう口にしたところで、クロハが静かに、されど素早く刀を抜き、子供の様にはしゃぐ彼の眼前へと刃を突き付けた。


「何度も言わせるな。マリアに近付くんじゃない。大体貴様、ダニの分際で一体誰の許可を得てマリアに付きまとっている? 一体何処から沸いて出た?」

 冷たい目と口調でクロハが魔王スノーディアへと言い放つ。


「おいおい、買い被りが過ぎるぜ? いくら僕でも何も無いところに生命を生み出すなんて奇跡、出来っこないぜ?」

 片手を上げて、やれやれ、とスノーディアが小さく息を吐いた。


「どうでもいい。さっさとマリアから離れろ。――そうだな……10キロくらいは離れてろ」

 スノーディアを小馬鹿にした風に薄く笑ったクロハが言う。


「そりゃあいくらなんでもあんまりだぜ? 流石の僕でも10キロも離れたら可愛い聖女ちゃんの顔が見えないじゃないか」

 馬鹿にした様なクロハを馬鹿にした様にスノーディアが返す。

 そんなスノーディアの態度に、イラついた様な顔をしたクロハが更に刀をスノーディアへと近付ける。

 クロハのその様子に、また、やれやれ、といった感じで両手を上げたスノーディアが一歩、後ろへと下がった。


「……なんの真似だ、それは」


「え!? 知らないの? 降参のポーズだよ? 君には参るぜ」


「……確かに降参のポーズは両手を上にあげ、敵意が無い事を示す行為だが、ふつう中指を立てたりはしない」

 両手を上げて中指をおったてるスノーディアを睨みつけながら、クロハが言葉を吐き出した。


「おっとっと。これは失礼。どうも僕は感情が表に出やすいタイプらしくてね。ついつい、君への不平不満が勝手に手に出てしまったようだ」


「至極どうでもいい。さっさと離れろ」


「離れるのはやぶさかではないが、10キロは勘弁してくれよ? 僕は一日一回、聖女ちゃんの可愛い顔を見ないと落ち着かないのさ」


「もう、一回見たな? よし、帰れ」


「もっと近くで見たいのさ。それを君が邪魔するから……。お邪魔虫だね君は」


「貴様はダニだがな」


「護衛ちゃんさぁ、小さくともダニだって生きているんだ。仮にも教会の者が種族の違いで差別するなんて良くないぜ? なので、ここは一生懸命、力の限り、精一杯生きているダニに免じて、10メートルで妥協してくれたまえ」

 そう言って、スノーディアがマリアとクロハの方を向いたまま、軽快な足取りで後ろへと下がっていった。その距離は、測った様にマリアからきっちり10メートルであったという。


「チッ。……まぁいい、貴様はその距離にいろ。一歩でも近付く事は許さん」


「はーい」

 10メートル先から、スノーディアが両手を上げて腕を左右に振り回しながら返事を寄越す。


「……立ってるぞ、中指」


「おっと、失礼。――聖女ちゃん、僕はここに居るからね。たまには思い出して振り返ってくれたまえ。他でもない君の視線なら、熱いモノから冷たいモノまで、僕はおおいに歓迎するよ」

 失礼などとは微塵も思っていなさそうな表情で、スノーディアが謝罪した後、頭上で振っていた腕を、慣性でも働いているかのごとく真横まで下げ、ピラピラと、自分はここだとでも言いたげに数度振った。


 その、鳥の羽ばたきにも似たスノーディアの滑稽な動きを見ていたマリアとクロハ。

「……アホウドリか、アイツは」


「プッ!」

 クロハの呟いた一言に、マリアが吹き出した。


「……マリア」

 それを諌める様にクロハが名を呼ぶ。

 途端に、気持ちでも入れ換える様にマリアがひとつ、小さな咳払いをする。


 今のは、確かに私の一言に起因する笑いであったのだが……と横目でマリアを見やりながらクロハは思考する。

 あの一件以来、どうもマリアの態度が以前のものより軟化しているように感じる、と。


 クロハの思う"あの一件"とは、数日前に聖女マリア主導で行われた魔王暗殺の一件。

 暗殺とは名ばかりのその騒動は、人々の口から口へ、行われたその日のうちには神都ネウロ中へと広まった。

 千年宗教とも比喩される聖メネット教において、そういった暗殺騒動が過去に無かった訳ではない。

 時に要人を、異教徒を、聖メネット教に悪意を向ける者を粛清し、闇に葬ってきた。

 しかし、それらは本来表には出てこないもの。出てきてはいけないもの。

 殺生を禁ずる教義に反する蛮行であり、例え教義に無かろうと人としての理に背く行い。ゆえに、教会はその全てを隠し続けてきた。

 そう言った噂はこれまでに渡世に流れる事はあったが、しょせん噂は噂。それ以上を逸脱する事はなかった。


 だが、今回の一件は事実として、世間へと広まる結果となった。

 その理由は、今回の出来事が聖女マリアの独断で行われたからに他ならない。

 聖女とは、教会の高潔さを示す生ける御旗であり、他の模範となるように振る舞う事を主軸とする聖人。眼では捉えられぬ神とは違い、眼に映る宗教の中での崇拝・崇敬対象としての存在である。

 今までの聖女がそうであったように、マリアもまた、そういう生き方を求められ、そういう教育をされてきた。高潔であれ、と。

 当然ながら、そんな聖女マリアに暗殺のいろは、世俗との線引き、隠蔽、その他諸々の武力を用いる知識などありはしない。

 にも関わらず行われた今回のこの一件に対するマリアの行動理念は、神に唾吐く者への罰。この一点に集約される。

 これは下手をすれば、教会に逆らう者へは武力行使も辞さないと人々に捉えられかねない行為であり、それは信者の不信感を煽り、信仰の離反を招きかねない愚行であった。


 だが、幸いな事に、今回の暗殺未遂事件は騒動にこそなれどそこまでの事態にまでは陥っていなかった。

 理由としては、その暗殺の対象が魔王であった、という事。

 人々の安寧秩序を乱す魔の王であり、言わずと知れた神の宿敵。その宿敵を殺す事に、教会が暗殺を、武力を用いる事は人々の眼には然程に不自然には映らなかったからである。


 加えて、その暗殺騒動の後、「憂さ晴らし」と大々的に公言した魔王の手により、神都ネウロから離れた"アネモスの森"と呼ばれる一帯が全て灰になった事も大きい。

 神都ネウロの数倍はあるその広大な森が一夜にして灰になる、というこの災厄は、魔王暗殺も致し方無し、という感情を人々の心に植え付けた。まさに悪魔の所業である、と。


 そんな事もあってか、マリアによる魔王暗殺未遂事件は、失敗には終わったものの、教会が魔王と戦う意志がある、という印象を人々に与え、懸念していた離反とは逆に、むしろ、より教会への信仰が強まったといえる。

 暗殺の失敗、アネモスの森の一夜焼失、という二つの事実が、魔王の全人類抹殺という言葉が絵空事ではなく、本当にそれをやれるだけの力がある、という事実として認知されてしまったのだ。

 それにより、人々は、魔王の圧倒的力と人間の無力さに絶望し、結果として、より強く神に救いを求めたのである。


 そうやって、今まで以上に求心力を得た教会ではあったが、マリアの独断専行を良しとする訳にもいかず、マリアは武力に関する一切の権限を法皇達に取り上げられてしまう。


 元々、マリアにそういった権限は無かったのだが、教会を守護する聖騎士、という組織体において、法皇に並ぶ聖女の言葉は絶対厳守にも似た力を有していた。

 ゆえに、聖騎士達は何の疑念も持つ事なく聖女の指示に従い、行動したに過ぎない。

 聖騎士達の扱いについて、聖女に何の制限も無かったというのも問題ではあるのだが、そもそもにおいて、過去を紐解いてもそんな過激な聖女が居なかったというのも一因にあった。血を好む聖女が何処にいよう、というある種の性善説にも似た風潮。

 その前提で放置されていたが為、今回の様な事が起きてしまったのだ。


 もっとも、教会としても、本来ならそれを変えるつもりは無かった。

 下手に制限を設けるよりも、その隙間を利用した方が良いとする暗黙の意図があったからである。

 今後、何らかの有事が起こった際に、聖女の名の元に、という名目で実質教会御抱えの軍隊である聖騎士を動かす方が、教義的に都合が良かったのだ。


 しかしながら、今回の未遂に懲りず、マリアが再び暗殺を試みない保証もない。

 法皇達は、最初から魔王を力でどうにか出来るなどとは露程にも思っていなかった。

 ならば、と、下手にマリアが魔王の不興を買ってしまうより、聖騎士に対する権限を取り上げてしまう方が良いと、教会は今回の措置に踏み切った。

 マリアの方も、法皇達と同地位を持つ聖女ではあるが、自身の純潔に関する先の事とは違い、今回は自分に非があると考えている為、特に反論するでもなく二つ返事で権限剥奪を受け入れた。


 なにより、マリアは今回の失敗で、魔王を殺す事は不可能に近いと感じていた。

 あれは、人の手でどうこう出来る相手ではないと……。例え剥奪されずとも、力押しで今回の勝負を乗り切るつもりなど、もはやマリアの中には微塵もなかった。


 マリアにとって、今回の失敗は恥ずべき事ではあったが、権限を剥奪された事に関していえば、特に問題にはしていなかった。

 むしろ、いつもは少し散歩に出るだけでもゾロゾロと護衛の為に後ろを付いて来る聖騎士達が居なくなって、ちょっと開放された様な気分すら感じていた。

 だからだろうか、普段よりもマリアが少し楽しそうにクロハには見えた。


 おそらく、彼女は今の現状の重大さが分かっていないのかも知れない。

 並木道を歩くマリアに向けて深々と頭を下げるネウロの住民達を見てそんな風に思う。

 以前ならば、こういうやり取りは見られなかった。

 というより出来なかった。

 聖女たるマリアが何処に行こうにも聖騎士の一群が護衛の為にマリアを囲み、それはさながら動く砦のよう。

 見えるのは聖騎士の武骨な鎧と青空だけです、とは以前にマリアが私に溢した愚痴。

 ネズミ一匹の侵入すら拒むようにマリアを囲む人の盾は、マリアから人々との交流すらも遮った。

 しかし、聖騎士に関する権限を奪われた今のマリアに、その盾はない。

 鬱陶しい程にいた護衛は、今や私ただ一人。

 私は聖騎士では無い為、いまもこうしてマリアの傍に居られるが、私一人で果たしてマリアの護衛を全う出来るのか、不安ばかりが募る。

 先の叱責により、マリアが聖騎士を動かす権限を剥奪されるのは分かる。

 だが、護衛すら居なくなるのは全く納得がいかない。

 それこそ、マリアに権限が無いのであれば法皇様方の権限で護衛を付ければ良いだけの話である筈なのに、そんな素振りすら見えない。

 これは、――マリアを、聖女を好きにしろと言ってる様なものである。


 なまじ腕ばかり磨いて頭の鈍い私でも思い付く世界を救う方法は大きく二つある。

 ひとつは、魔王より先にマリアの純潔を奪う事。これは魔王があの日、全世界に向けてハッキリと明言したので誰でも分かっている。

 もうひとつ、世界を救う方法。マリアの純潔を魔王に奪われない方法。


 それは、マリアを殺す事。


 死んだ者の純潔は誰にも奪えない。世の中には奇特な性癖の持ち主もいるらしいが、それで純潔を奪った事にはなるまい。

 今はまだ、マリアの二十歳まで一年以上の猶予がある為、そういう凶行に及ぶ動きは見られない。


 しかし、時間は刻一刻と過ぎてゆく。

 世界の破滅が目前に迫れば、世界の平和という大義を掲げた連中がマリアの純潔を、命を、取りに来ても何ら不思議はない。追い詰められた人間ほど恐ろしいものもないからだ。

 誰だって死にたくはないだろう。マリア一人の犠牲でその他大勢の、世界中の人々の命が救われる。追い詰められた人々がどちらを選ぶかは目に見えている。


 冗談ではない!

 マリア一人の犠牲で救われる世界などあってたまるものか!

 この子がなにをした!?

 世界中の人間に、ふざけるなと言ってやりたい。

 いや……、そもそもだ。

 アイツが……あのダニが訳の分からない勝負など持ち掛けなければこんな事態にはなっていなかった。

 忌ま忌ましい……。私の力では出来ない事は分かっている。何度も実際に試したから十分過ぎる程に理解している。

 それでも、今すぐにダニの首を跳ねてやりたい。刀の錆にしてやりたい。


 ありったけの殺意を込めて後ろのダニを睨みつける。

 ダニは、そんな私の殺意を嘲笑う様に、呑気な笑顔を顔に張り付けてヒラヒラとこちらに手を振った。中指だけをおっ立てて。


 心底忌ま忌ましい……。

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